第二章 非常に賢い台車
第二章 非常に賢い台車
1985年8月。
フォート・アーウィン。
演習開始当日。
朝日が、砂漠を金色に染めていた。
夜の冷気はすでに消え、地面から熱が立ち上り始めている。
遠くではM1エイブラムスのエンジン音が低く響いていた。
観測席には、米軍将校団が並んでいる。
NATO各国の視察団。
軍事研究者。
そして、情報分析官達。
双眼鏡と記録用紙を手にした彼らの視線は、演習場中央へ向けられていた。
今日の対戦は、日本側の要望で組まれた特別な模擬戦だった。
米軍の対抗部隊、通称アグレッサーの歩兵一個小隊。
対するは、陸上自衛隊第110普通科大隊の、一個分隊。
三十名を超える小隊に、わずか八名。
常識的に考えれば、勝負にならない。
しかも、アグレッサーは本物のソ連軍戦術を叩き込まれた、砂漠の猛者達である。
火力でも、人数でも、経験でも、米軍が圧倒的に有利。
誰もがそう思っていた。
ただし、もう一つ条件があった。
日本側は、自衛隊の部隊編成を、アグレッサー側に一切伝えないよう求めたのである。
彼らが知らされているのは、「前方に敵の歩兵部隊がいる」という事実だけだった。
人数も、装備も、何も分からない。
実戦では、敵の編成を事前に知ることなど滅多にない。
それが日本側の理由だった。
観測席の将校達は、その要望を、少し変わった注文だとしか思っていなかった。
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演習開始から一時間。
最初の違和感が現れた。
アグレッサーの偵察班から、無線が入る。
「敵部隊確認。小規模の歩兵。」
通信所が動き出し、観測機材の映像が大型スクリーンへ映し出された。
そこには、自衛隊の分隊がいた。
普通の歩兵にしか見えない。
特別なことは何もなかった。
だが、映像を見ていた観測士官が首を傾げる。
「後ろのあれは何だ?」
隊員達の後方に、小型車両が並んでいる。
一人につき一台。
隊員が歩けば、車も歩く。
隊員が止まれば、車も止まる。
その様子は、親鳥を追う雛の群れのようだった。
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「やはり持ってきたか。」
米軍戦闘研究センターの分析官が呟く。
しかし、今のところ脅威は感じなかった。
車両は無武装である。
装甲も無い。
速度も遅い。
軍事的価値は、低そうに見えた。
誰もがそう思った。
アグレッサーの小隊長も、同じだった。
無線で、短く指示を出している。
「小規模なら、一気に押し潰す。前進。」
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最初の交戦は、午前十時過ぎだった。
乾いた丘陵地帯で、アグレッサーの先頭班と自衛隊の分隊が接触する。
模擬交戦開始。
機関銃の射撃音。
小銃の射撃音。
双方のレーザー交戦装置が反応し、判定の電子音が荒野に散った。
ここまでは、普通だった。
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だが、五分後。
観測班が、ざわつき始める。
「敵の機関銃、まだ撃っているぞ。」
「弾切れじゃないのか?」
スクリーンには、自衛隊の軽機関銃が射撃を続ける様子が映っていた。
通常なら、長時間の連続射撃は難しい。
訓練とはいえ、機関銃弾の携行量には限界がある。
撃てば撃つほど、弾は減る。
それが、歩兵の宿命だった。
だが自衛隊側は、平然と射撃を継続している。
銃身の交換すら、ほとんど慌てる様子がない。
アグレッサーの無線も、騒がしくなり始めていた。
「機関銃二、いや三か? 射撃が止まらない。」
「敵は中隊規模の可能性あり。」
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分析官が、望遠カメラの倍率を上げた。
ようやく、理由が見えた。
機関銃手の背後に、小型運搬車が止まっている。
兵士が荷台の蓋を開ける。
弾薬箱を取り出す。
再装填。
そして、また射撃。
手順に無駄がない。
訓練されたというより、体に染み付いた動きだった。
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観測室が、静まり返る。
「まさか。」
誰かが呟いた。
弾薬手がいない。
補給兵もいない。
それなのに、補給だけが存在していた。
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「荷車か。」
老練な大佐が言った。
その声には、初めて興味が混じっていた。
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さらに二十分後。
今度は、迫撃砲が現れる。
アグレッサーの無線に、悲鳴に近い声が飛び込んだ。
「迫撃砲だ。着弾、右翼。」
「敵は少なくとも、中隊以上。重火器小隊を伴っている。」
観測席で、米軍観測員が思わず立ち上がった。
「待て。」
「迫撃砲まであるのか?」
映像に映っているのは、小規模な普通科分隊だけである。
ところが、その分隊が、迫撃砲を展開していたのだ。
砲身が据えられ、照準が合わされる。
最初の一発が、乾いた空気を裂いて飛んでいった。
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「人数は?」
「八名です。」
「確認したか?」
「確認済みです。」
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再び、沈黙が落ちる。
歩兵八名。
機関銃二挺。
迫撃砲。
無反動砲。
大量の弾薬。
普通なら、成立しない。
成立するはずがなかった。
しかも、アグレッサー側は、まだそれを知らない。
彼らは今、見えない中隊と戦っているつもりなのだ。
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戦闘研究センターの分析官は、ノートに書き込む。
> 火力と人員が一致しない。
そして、その文字に大きく丸を付けた。
何度もなぞったせいで、紙がわずかに破れていた。
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午後。
演習は、さらに進む。
アグレッサー側は、敵を大部隊と判断した。
小隊を二手に分け、側面からの包囲を狙う。
正しい判断だった。
本物の中隊が相手なら、である。
普通なら、軽装の歩兵分隊は、包囲される前に後退するはずだった。
ところが、後退しなかった。
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機関銃。
迫撃砲。
無反動砲。
連携射撃。
そして、位置変更。
また射撃。
さらに位置変更。
また射撃。
不思議なことに、火力が途切れない。
動けば火力が落ちるはずの歩兵が、動きながら撃っている。
アグレッサーの突撃は、そのたびに、見えない壁へ阻まれた。
観測席の将校達が、思わず身を乗り出した。
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分析官が、映像を凝視する。
やがて、ある事実に気付いた。
あの運搬車だ。
ずっと付いて来ている。
一度も遅れず、一度も迷わず、隊員の背後に張り付いている。
分隊が移動する。
運搬車も移動する。
停止する。
弾薬を取り出す。
再展開する。
これを、何度も繰り返している。
機械のように。
いや、機械なのだから当然だった。
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その瞬間だった。
一人の将校が、初めて本質に触れる言葉を口にする。
「補給班が付いて来ているんじゃない。」
全員が振り向いた。
「補給班そのものなんだ。」
誰も返事をしなかった。
だが、全員が理解し始めていた。
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午後四時。
演習終了。
判定は、アグレッサー側の大幅な損耗だった。
自衛隊の分隊は、ほぼ戦力を維持したまま、陣地を守り切っている。
その後、双方の指揮官が集められ、初めて敵の正体が明かされた。
アグレッサーの小隊長は、しばらく言葉を失っていた。
「……八人?」
「八人です。」
「中隊ではなく?」
「分隊です。」
小隊長は、ゆっくりと砂漠の彼方を振り返った。
自分達が戦っていたものを、まだ信じられないという顔だった。
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総評会議が開かれた。
参加者達は、砂埃にまみれて疲れ切っていた。
しかし、議論は異様な盛り上がりを見せていた。
戦車の話は、ほとんど出ない。
航空支援の話も出ない。
皆が議論しているのは、あの小さな運搬車だった。
「結局、何だったんだ?」
「ただの荷車だろ?」
「いや、違う。」
「なら何なんだ。」
誰も、答えを持っていない。
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その時。
観測班の若い分析官が、静かに口を開いた。
「たぶん。」
会議室が静まる。
「我々は、車両を見ているから分からないんです。」
皆が、彼を見た。
若い分析官は、スクリーンを指差す。
映っているのは、普通科分隊。
その後ろに並ぶ、八台の運搬車。
「これを車両として見ると、意味が分からない。」
誰も口を挟まない。
「でも、補給兵として見れば、説明がつきます。」
沈黙が、会議室を満たした。
「つまり。」
若い分析官は、一呼吸置いた。
「アグレッサーは、八人と戦ったつもりでいない。」
「実際には、十六人分の戦力と戦っていたんです。」
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会議室が、静まり返った。
八人の人間と。
八人分の補給能力。
それが、常に一緒に動いている。
初めて、全員が理解した。
違和感の正体を。
第110普通科大隊は、強力な装備を持っていたのではない。
普通科分隊そのものを、変えていたのである。
日本側が、編成を伏せるよう求めた理由も。
今なら、分かる気がした。
あの分隊は、数字ではなく、戦いそのもので見せるしかなかったのだ。
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そして、翌日。
米軍は、正式に自衛隊へ要請を出した。
「あの運搬車について、説明してほしい。」
それが、後に有名になる
**「82式説明会」**
の始まりだった。
そしてそれは、NATO各国が歩兵の未来について考え始める、最初のきっかけでもあった。




