第一章 奇妙な車列
第一章 奇妙な車列
1985年8月。
カリフォルニア州モハーヴェ砂漠。
米陸軍国家訓練センター、フォート・アーウィン。
灼熱の太陽が、赤茶けた大地を焼いていた。
気温は四十度を超えている。
陽炎が地平線を揺らし、乾いた風が砂塵を巻き上げていた。
見渡す限り、岩と砂とわずかな灌木しかない荒野である。
雪に閉ざされる北海道とは、正反対の世界だった。
だが、この場所こそ西側諸国で最も実戦に近い演習場として知られていた。
広さは日本の県一つに匹敵する。
ここではソ連軍を模した専門の対抗部隊が、本物さながらの戦術で訓練部隊を叩きのめす。
挑んだ指揮官が、一日で全滅の判定を受けることも珍しくなかった。
米軍だけでなく、NATO各国の視察団も集まっている。
彼らの目的は一つ。
ソ連軍との戦争を想定した、最新戦術の研究だった。
この年の日米合同演習も、その一環として企画されている。
誰もが、主役はアメリカ陸軍だと思っていた。
少なくとも、演習が始まる前までは。
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演習開始二日前。
米軍将校達は、参加部隊の車列を見学していた。
滑走路の熱気の中、巨大な輸送機が次々と後部ハッチを開く。
重い車両が、轟音と共に降ろされていった。
M1エイブラムス。
M2ブラッドレー。
M113。
トラック。
ジープ。
どれも見慣れた光景だった。
将校達は腕を組み、慣れた目で鉄の塊を眺めている。
ところが、その中に奇妙な車両が混じっていた。
ある少佐が足を止める。
「何だ、あれは。」
誰も答えない。
皆、同じ方向を見ていた。
そこには、小さな四輪車が整然と並んでいた。
まるで農場の運搬車である。
装甲は無い。
砲塔も無い。
ミサイルも無い。
アンテナすら、ほとんど見当たらない。
軍用車両とは思えなかった。
しかも、一台や二台ではない。
何十台でもない。
数えきれないほどの数が、ずらりと並んでいた。
定規で引いたように揃った隊列が、砂漠の光を鈍く反射している。
その整いすぎた光景が、かえって異様だった。
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「日本軍の装備らしい。」
誰かが言った。
周囲から笑いが起きる。
「冗談だろ。」
「ゴルフ場のカートじゃないのか。」
「まさか、あれを演習で使うつもりか。」
「キャディーも連れてくるのかい。」
笑い声が砂漠に響いた。
誰も本気にしなかった。
当時の常識では、軍隊の価値は火力で決まる。
戦車。
ミサイル。
航空機。
それこそが戦力である。
荷物を運ぶだけの小さな車など、気にする価値もなかった。
遠くでは、迷彩服の日本兵達が黙々と整備を続けている。
笑い声が届いているはずだったが、顔を上げる者はいなかった。
彼らにとって、それは日常の作業にすぎなかったのだ。
少なくとも、この時点では。
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翌日。
装備説明会が開かれた。
天幕の中は蒸し暑く、扇風機が生ぬるい風をかき回している。
会場には大きなスクリーンが設置されていた。
参加各国が順に部隊を紹介していく。
最初は米軍。
続いて西ドイツ軍。
イギリス軍。
フランス軍。
特に驚く内容はない。
どれも、よく知られた装備ばかりだった。
将校達の何人かは、早くも退屈そうにあくびを噛み殺している。
そして最後。
陸上自衛隊の番になった。
壇上へ、一人の一佐が上がる。
背後には日の丸と星条旗が並んでいた。
小柄だが背筋の伸びた男だった。
彼は会場を一度だけ見渡し、淡々と説明を始めた。
「第110普通科大隊は、北海道防衛を主任務とする部隊です。」
スクリーンに部隊写真が映る。
隊員達。
トラック。
装甲車。
ここまでは普通だった。
そして次の瞬間、例の小型車両が映し出された。
会場に、小さな笑いが広がる。
一佐は気にしなかった。
「本部隊では、82式自動追尾運搬機を運用しています。」
文字が表示される。
**82式自動追尾運搬機。**
会場が、わずかに静かになった。
どうやら正式装備らしい。
冗談ではなかったのだ。
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ある米軍大尉が手を挙げた。
「用途は何ですか。」
簡潔な質問だった。
「荷物を運びます。」
会場から笑い声が漏れた。
一佐は表情を変えずに続ける。
「弾薬を運びます。食料を運びます。水を運びます。通信機材を運びます。」
誰も真剣に聞いていなかった。
荷車なのだから当然だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
先ほどの大尉が、もう一度手を挙げる。
「……自動追尾、とは?」
「隊員の後ろを、自分でついてきます。」
「操縦者は。」
「おりません。」
笑い声が、少しだけ小さくなった。
「隊員が身に着ける小型の発信機を追います。人が歩けば、車も歩く。人が止まれば、車も止まる。段差や藪は、車体が自分で越えます。」
一佐は、それが当たり前のことであるかのように言った。
「これは、隊員一人に一台ずつ支給しています。個人装備です。」
会場がざわついた。
「……一人に、一台?」
「個人装備だと?」
装甲車でも、トラックでもない。
兵士一人一人に、専用の運搬車を与えているというのだ。
米軍将校達は、隣の者と顔を見合わせた。
冗談にしては、一佐の顔があまりにも真面目すぎた。
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説明が進むにつれ、奇妙な数字が現れ始めた。
第一普通科分隊。
定員八名。
軽機関銃、二挺。
81ミリ迫撃砲、一門。
無反動砲、一門。
そして、予備弾多数。
米軍将校達が顔を見合わせる。
おかしい。
計算が合わない。
八名の歩兵分隊に、この装備は多すぎる。
機関銃だけでも重い。
弾薬も重い。
迫撃砲弾も重い。
無反動砲弾も重い。
それらを全員が背負って山野を行軍するなど、不可能に近かった。
通常なら、補給専任の人員を増やすしかない。
そして人員を増やせば、分隊は別の編成になる。
米軍の将校なら、誰でも知っている常識だった。
ある中佐が、手を挙げた。
「補給班はどこですか。」
「ありません。」
会場が静まる。
「迫撃砲班は。」
「分隊内です。」
「対戦車班は。」
「分隊内です。」
「弾薬手は。」
「82式です。」
会場が、完全に静まり返った。
扇風機の回る音だけが、天幕の中に響いている。
八名の分隊に、八台の運搬機。
重い荷は、すべて機械が運ぶ。
兵士は小銃と身軽な装備だけで歩き、必要な場所で必要な火力を受け取る。
その意味を理解し始めた者が、会場の中に数人いた。
彼らの顔から、すでに笑みは消えている。
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一佐は、最後に一言だけ付け加えた。
「我が国は、ソ連軍の北海道侵攻を想定しています。ですが、人員には限りがあります。」
淡々とした声だった。
愚痴でも、誇示でもない。
ただ事実を述べているだけの声だった。
「少ない人数で、多くの火力を、遠くまで運ぶ。その答えが、あの運搬機です。」
誰も笑わなかった。
一佐は一礼し、静かに壇を降りた。
拍手は起きなかった。
代わりに、会場のあちこちで低いささやきが広がっていく。
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その夜。
米軍戦闘研究センターでは、参加部隊の事前分析会議が開かれていた。
窓の外は、昼の熱が嘘のように冷え込んでいる。
大型スクリーンには、各国部隊のデータが並んでいた。
だが議論は、妙な方向へ流れていった。
話題の中心は、ソ連軍でも戦車でも航空機でもない。
あの小さな運搬車だった。
ある分析官が言う。
「第110普通科大隊の戦力評価が、おかしいんです。」
別の将校が頷く。
「数字上は、火力が高すぎる。」
「しかし、人数は少なすぎる。」
「戦闘中に弾薬が尽きない計算になっている。」
「説明が付かない。」
何度計算し直しても、結果は同じだった。
部屋が静まり返る。
モデルの誤りか。
日本側の誇張か。
誰も結論を出せなかった。
やがて、老練な大佐が口を開いた。
「まあ、いい。」
全員が振り向く。
大佐は砂漠の地図を指差した。
「演習では、数字ではなく結果が出る。明後日には分かる。」
誰にも異論はなかった。
ただ、部屋を出る者達の足取りは、会議の前よりわずかに重かった。
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二日後。
フォート・アーウィンで、演習が始まる。
その時、誰も知らなかった。
あの小さな運搬車が、NATO各国の歩兵思想を、十年近く揺るがすことになるとは。
そして、人員不足に悩む一国の苦肉の策が、やがて世界最大の軍隊の装備体系すら変えていくことになるとは。
彼らは、まだ知らない。
あの奇妙な車列が、
歴史の始まりであったことを。




