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義姉に告白したら、引っ越すまでの七日間は「いつもどおり」でいてと言われた  作者: 澄野 朔


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第3話 答えのない質問

 木曜日の朝、居間のテーブルにはまだ写真の入った封筒が残っていた。


 昨夜、姉ちゃんと整理したアルバムはすでに箱へ収めてある。残っているのは年代の分からない写真や、どちらが持っていくか決めていないものばかりだった。姉ちゃんは朝食の前にそれらを端へ寄せ、代わりに小さなメモ帳を広げていた。


「今日、大学終わったら時間ある?」


 台所から戻ってきた姉ちゃんが、俺の向かいに座った。メモ帳には買い物の予定らしいものが書き込まれている。


「あるけど。荷造り?」


「ううん。引っ越し先で使うもの、まだ揃ってなくてさ。駅前のホームセンターに寄りたいんだけど、付き合ってくれない?」


 メモ帳をこちらへ向けると、姉ちゃんはパンの袋を開けた。水切り籠、収納ケース、洗濯ばさみ。日用品の名前が十個ほど並び、いくつかには丸がついている。


 昨日までは家にあるものを箱へ詰めていたのに、今度は新しい生活に必要なものを買い揃えるらしい。


「お義母さんは?」


「今日は帰りが遅いんだって。細かいものは私が選んでおいてって言われた」


「分かった。四時過ぎには駅に着けると思う」


「じゃあ、四時半に改札前ね」


 姉ちゃんは予定を書き足し、メモ帳を閉じた。何気ない調子だったが、俺は少しだけ落ち着かなくなった。


 二人で買い物へ行くこと自体は珍しくない。大学の帰りに連絡を取り合い、夕飯のおかずを買って帰ったこともある。姉ちゃんが服を見たいと言い出して、荷物持ちにされたことだってあった。


 ただ、今は何をしていても、あの夜の告白が頭の片隅にある。


 姉ちゃんは普段どおりに振る舞おうとしている。俺もそうすると約束した。けれど、その約束を意識するほど、以前のように何も考えず返事をするのが難しくなっていた。


 姉ちゃんが二枚目のパンをトースターに入れ、俺の皿へ焼き上がった一枚を載せる。いつも自分でバターを塗るから、そのまま渡してくれた。


 そんな些細なことまで気にするようになった自分が、少し面倒だった。


     ◇


 大学の講義を終え、駅へ着いたのは約束の十分前だった。


 改札を出ると、姉ちゃんはすでに柱のそばに立っていた。肩から小さな鞄を掛け、スマホを眺めている。俺に気づくと画面を消し、軽く手を上げた。


「早いじゃん」


「姉ちゃんこそ」


「ゼミが早く終わったから。じゃ、行こっか」


 駅前の通りを並んで歩く。平日の夕方で人通りは多かったが、姉ちゃんは慣れた様子で人の流れを避けていく。俺もその隣を歩きながら、今日買うものについて話を聞いた。


 新しい家は、今より少し駅から遠いらしい。お義母さんが選んだ賃貸マンションで、母娘二人で暮らすには十分だが、台所や洗面所の収納が少ないという。


 姉ちゃんはスマホに保存してある間取り図を見せてくれた。二つの部屋と小さな居間があり、台所は今の家よりずっと狭い。俺が画面を拡大している間、姉ちゃんは洗面所の収納について説明していた。


 こういうことを考えるのは、昔から姉ちゃんの方が得意だった。


 俺が適当に引き出しへ突っ込んだものを、姉ちゃんがいつの間にか種類ごとに整理していることもあった。文句を言うと、探しやすくなったでしょ、と得意そうに笑う。


 その姉ちゃんが、今度は俺の知らない家を片付けようとしている。


 ホームセンターに入ると、姉ちゃんは迷わず収納用品の売り場へ向かった。棚には大きさの違うケースがいくつも並び、姉ちゃんはスマホの写真と見比べながら、一つずつ寸法を確かめていく。


 俺は買い物籠を持ち、必要になれば高い棚の商品を下ろした。


「これ、どうかな」


 姉ちゃんが手に取ったのは、細長いプラスチックの収納ケースだった。洗面台の下へ置きたいらしい。


「奥行き、足りる?」


「測ったんだけど、ちょっと微妙なんだよね」


「だったら、引っ越してからもう一回測ればいいだろ」


「そうなんだけど、最初から片付いてる方が楽じゃん」


 姉ちゃんはケースを棚へ戻しかけ、もう一度寸法を確認した。隣に一回り小さなものがあったので渡してみると、今度は満足そうに頷く。


「こっちなら入りそう。ありがとう」


 買い物籠にケースを収め、姉ちゃんはメモ帳にチェックをつけた。


 次に向かった台所用品の売り場では、水切り籠を選ぶのに思ったより時間がかかった。


 今の家で使っているものと同じような大きさの籠を見つけ、俺は何となく手を伸ばした。四人分の皿が並べられる、使い慣れた形だった。


 ところが姉ちゃんは、隣にあった一回り小さなものを持ち上げた。


「今度は二人だから、これくらいで足りるかな」


 俺は手に取った籠を棚に戻した。


 今の台所なら、夕飯のあとに四人分の食器を一度に置ける方が便利だった。洗い終わった皿を姉ちゃんが拭き、俺が棚へしまう。水切り籠がいっぱいになると、乾いたものから片付けていた。


 今度の家には、その半分しか必要ない。


 姉ちゃんは小さな籠を持ったまま、受け皿の形を確かめている。俺も横から覗き込み、底の水が流れる向きを見た。


「これ、置く場所によっては水が溜まりそうだな」


「あ、ほんとだ。じゃあ、こっちかな」


 姉ちゃんは別の商品を手に取り、縁の高さや底の形を見比べ始めた。俺は少し離れた棚から、同じくらいの大きさで水の出口を変えられるものを見つけた。


 新しい家の台所がどんな形なのか、写真をもう一度見せてもらう。狭い流し台の横には、わずかな作業台しかなかった。


 結局、二人でしばらく売り場を回り、姉ちゃんが使いやすそうだと気に入ったものを選んだ。


「これなら大丈夫そう」


 姉ちゃんは水切り籠を買い物籠へ収めたあと、俺の方を見た。


「……何?」


「いや。何でもない」


 姉ちゃんはそう言ってメモ帳を開いた。俺が籠を持ち直す間も、しばらく同じページを見ている。


 気になったが、買い忘れたものでも思い出したのだろうと思い、それ以上は聞かなかった。


 買い物を終える頃には、籠の中に細々とした日用品が積み重なっていた。レジで会計を済ませ、俺は重い方の袋を引き受ける。


 店を出ると、夕方の風が少し冷たかった。


 姉ちゃんは軽い方の袋を持ち、俺の歩幅に合わせて隣を歩く。買い物の途中では新しい家の話ばかりしていたが、帰り道では大学のことや夕飯のことが話題になった。


 そんな話をしながら、姉ちゃんは何度か俺の持つ袋へ目を向けた。


「重くない?」


「平気。そんなに入ってないし」


「そっか」


 そう答えたあと、姉ちゃんは少しだけ歩く速度を落とした。駅前の信号が赤になり、俺たちは横断歩道の手前で立ち止まる。


 帰宅する人たちが周囲に集まり、道路には車の列が続いていた。


「ねえ」


 姉ちゃんが、車道の向こうを見たまま口を開いた。


「今日はありがとね」


「荷物持っただけだろ」


「それだけじゃないよ。私、一人だったら迷って、あんまり買えてなかったと思う」


「だったら、また頼めばいいだろ」


 何気なく答えると、姉ちゃんはこちらを向いた。


 俺も顔を向けたが、姉ちゃんは何も言わず、すぐに視線を戻した。


「……うん」


 短い返事だった。


 信号が青に変わり、人の流れが動き出す。姉ちゃんも歩き始め、俺は少し遅れて隣へ並んだ。


 日曜日になれば、姉ちゃんはこの道を毎日歩くこともなくなる。


 そのことを考えると、やはり寂しかった。


 初日の夜なら、ここで何か言っていたかもしれない。離れて暮らすのだから、これからは恋人として会おう、と。


 けれど、姉ちゃんが新しい家のためにあれこれ選ぶ姿を見たあとでは、その言葉を簡単に口にできなかった。


 手に持った袋の中で、プラスチックの収納ケースが小さく擦れ合う。


 姉ちゃんはその音に気づいたのか、袋へ手を伸ばしかけたが、結局何もせず、俺と並んで歩いていた。


     ◇


 金曜日の夜、姉ちゃんの部屋には、ほとんど何も残っていなかった。


 机とベッドはまだあるものの、本棚は空になり、壁に掛けてあったカレンダーも外されている。窓際に積まれた箱の向こうでは、姉ちゃんが残りの荷物を整理していた。


 夕食のあと、俺は頼まれて昨日買った日用品を箱に詰めていた。


 収納ケースの角が段ボールの内側に当たるので、向きを変えて隙間を作る。買ったときの袋を外し、柔らかいタオルを緩衝材代わりに入れると、どうにか蓋が閉まるようになった。


 水切り籠だけは形がかさばるため、まだ床に置いてある。


 姉ちゃんは隣で、最後まで使うものを小さな袋に分けていた。スマホの充電器を一度は袋へ入れたものの、今夜も使うことを思い出したらしく、また机の上に戻している。


 部屋の中には、荷造りが終わりかけたとき特有の落ち着かなさがあった。


 片付いたはずなのに、必要なものを探すたび、どこかの箱を開けなければならない。姉ちゃんは何度も机と床を行き来し、俺はそのたびに箱を動かしたり、置く場所を空けたりしていた。


 水切り籠が入る箱を探していると、姉ちゃんが空の段ボールを一つ持ってきた。


「これなら入るかな」


「たぶん。ちょっと押さえてて」


 姉ちゃんが箱を支える間に、俺は底へタオルを敷き、水切り籠を収めた。買ったばかりのものだから傷つける心配は少ないが、ほかの荷物とぶつからないよう、隙間へ緩衝材を詰めておく。


 姉ちゃんはその作業を黙って見ていた。


「そんなに丁寧にしなくても大丈夫だよ」


「新しい家で使うやつだろ。最初から壊れてたら嫌じゃん」


「……そっか」


 何か続けるのかと思ったが、姉ちゃんは箱を押さえていた手を離し、机の上の小物へ戻った。


 俺も作業を続けた。


 箱に中身を書き込もうとしたとき、姉ちゃんがまたこちらを見ていることに気づいた。目が合うと、少し困ったように笑い、マジックを渡してくれる。


 昨日の買い物でも、こんなことがあった気がする。


 俺はマジックを受け取り、箱の側面に『台所用品』と書いた。


 封をする前に中身をもう一度確かめる。水切り籠も収納ケースも、姉ちゃんが選んだものだ。新しい家に着けば、俺の知らない台所の棚へ収まるのだろう。


 蓋を合わせようとしたところで、姉ちゃんが声をかけてきた。


「ねえ、ちょっといい?」


「うん?」


 顔を上げると、姉ちゃんは机の横に立ったまま、手に持っていた小物を戻した。


「昨日の買い物のことなんだけど」


「何か足りなかった?」


「そうじゃなくて」


 姉ちゃんは首を横に振った。


 俺が箱から手を離すと、姉ちゃんはその向かい側へ腰を下ろした。いつもなら近くにある座布団を引き寄せるのに、今日はそのまま床に座っている。


「新しい家で使うもの、いろいろ考えてくれたでしょ。あんた、ちゃんと向こうの生活のこと考えてくれてるんだなって」


「そりゃ、使いにくかったら困るだろ」


「うん。だから、嬉しかったんだけど」


 そこで言葉が途切れた。


 姉ちゃんは膝の上で手を重ね、俺が書いた箱の文字を見ている。俺も何を言えばいいのか分からず、黙って続きを待った。


「私さ、あの夜、勝手なお願いしたよね」


 姉ちゃんが顔を上げた。


「告白してくれたこと、明日からは持ち出さないでって。あんたがどう思うか、あんまり考えないで」


「別に、約束したんだから」


「うん。ちゃんと守ってくれてるのは分かってる」


 姉ちゃんは小さく頷いた。


「だから余計に、何だか申し訳なくなっちゃって。昨日も普通に買い物に付き合ってくれたし、今日もこうして手伝ってくれてるでしょ」


 そう言って、箱の方へ目を向ける。


 俺は少し考えた。


 姉ちゃんが頼んだから、告白の話は持ち出していない。もちろん何も感じなくなったわけではないが、姉ちゃんが引っ越すまでの間、気まずくならずに過ごせればと思っていた。


 それを姉ちゃんがどう受け取っていたのかは、考えていなかった。


「嫌々やってるわけじゃないよ」


「うん。それは分かってる」


「なら、いいじゃん」


 軽く答えるつもりだった。


 けれど、姉ちゃんは笑わなかった。


「……あのとき、ちゃんと話さなかったから」


 姉ちゃんは、言葉を選ぶようにゆっくり続けた。


「弟だから駄目なんだって、あんたに思わせちゃったかもしれない。でも、それだけじゃないんだよ」


 俺は膝の上に置いた手を動かせなかった。


 聞きたかったことだった。


 初日の夜、どうしても知りたくて、姉ちゃんに断る理由を尋ねた。けれど今、その続きを姉ちゃん自身が話そうとしている。


 あのときとは違い、俺から何か聞く必要はなかった。


 姉ちゃんは少し俯き、床に落ちていたガムテープの切れ端を指で拾った。丸まった端を伸ばしてから、近くのゴミ袋へ入れる。戻ってきた手は、しばらく膝の上に置かれたままだった。


「私ね、もし付き合って、そのあと別れたらって考えちゃうんだ」


 思いがけない言葉だった。


 姉ちゃんは俺の反応を確かめるように一度顔を上げたが、何も言わない俺を見て、また目を伏せた。


「変だよね。付き合ってもいないのに、別れるときのことなんて」


 俺はすぐに否定しようとした。


 変じゃない。そんなこと考えなくてもいい。俺たちなら大丈夫だ。


 言おうとした言葉はいくつもあった。


 けれど、姉ちゃんはまだ話し終えていなかった。


「今までさ、私たち、喧嘩もしたじゃん」


 姉ちゃんは窓際の空になった本棚へ目を向けた。


「でも、次の日になったら普通に朝ご飯食べて、大学行って、帰ってきたらまた顔合わせてたでしょ。嫌なことがあっても、何となく元に戻れてた」


 確かにそうだった。


 高校生の頃、姉ちゃんと喧嘩したこともある。俺が勝手に姉ちゃんの部屋へ入ったとか、借りたものを返していないとか、今では理由も思い出せないようなことばかりだ。


 翌日には何事もなかったように話していた。仲直りらしい仲直りをしないまま終わった喧嘩も多い。


「別々に暮らすようになっても、そういうのは残ると思うの。たまには連絡したり、会ったりできるだろうし」


 姉ちゃんはそこで口を閉じた。


 廊下の向こうでは洗濯機が回っていた。時折、水の流れる音が小さく響く。引っ越しの準備で部屋は片付いているのに、家の中の生活音はまだいつもと変わらなかった。


「でも、恋人になって別れたら……」


 姉ちゃんは言いかけて、少し困ったように笑った。


「そのあと、どうやって話しかけたらいいのか分かんないんだよね」


 俺は姉ちゃんを見た。


「もし、もう会いたくないって言われたら、それで終わりになっちゃうかもしれないでしょ。今までみたいに、何でもない用事で連絡したりできなくなるかもしれない」


 姉ちゃんの声は静かだった。


 言葉を探しながら話しているせいか、普段より少しゆっくりしている。


「お父さんとお母さんも、最初から別れるつもりで結婚したわけじゃないと思うんだ」


 姉ちゃんはそう言って、部屋の隅に積まれた箱を見た。


「それでも、こうなっちゃったから」


 俺も箱の方へ目を向けた。


 六年間、一緒に暮らしてきた四人の家族。


 父もお義母さんも、最初はこれからずっと暮らしていくつもりで家具を揃え、食器を買い、旅行へ出かけたはずだった。そのときの写真は、今では姉ちゃんの荷物の中に収まっている。


 姉ちゃんは膝の上で手を組み直した。


「だからって、付き合う人がみんな別れるわけじゃないのも分かってるんだけどね」


 最後の方は、独り言のような声になった。


 俺は何か言わなければと思った。


 姉ちゃんがここまで話してくれたのだから、せめて安心させるくらいのことは言いたかった。


 絶対に別れないから。


 喉元まで出かかった言葉を、飲み込む。


 それを言ってしまえば、今度こそ姉ちゃんが安心してくれるかもしれない。けれど、父もお義母さんも、結婚するときには同じようなことを考えていたのではないか。


 何も言えないまま時間が過ぎた。


 姉ちゃんは俺の返事を待っていたが、やがて自分の話したことが恥ずかしくなったのか、口元に小さく笑みを浮かべた。


「ごめん。こんなこと言われても、困るよね」


「……困ってはない」


 声が思ったより小さくなった。


 姉ちゃんが顔を上げる。


「ただ、何て言ったらいいのか分かんない」


 それしか答えられなかった。


 俺が付き合いたいと思っていたことも、姉ちゃんが恋人になったあとの別れを恐れていることも、今この場では変わらない。


 何かうまいことを言えば解決するのだろうか。そう考えかけて、自分がまた同じことをしようとしているのに気づいた。


 姉ちゃんの返事を変えるために、理由を探す。


 初日の夜から、ずっとそうしていた。


 けれど今は、姉ちゃんが話してくれたことを、どう受け止めればいいのかさえ分からなかった。


「……そっか」


 姉ちゃんはそう言って、少しだけ息を吐いた。


 それから、開いたままだった箱の方へ目を向けた。


「これ、まだ閉じてなかったね」


「ああ。もう中身は大丈夫だと思う」


 俺が蓋を合わせると、姉ちゃんはガムテープを取ってくれた。


 いつものように箱を閉じる作業だった。姉ちゃんが端を押さえ、俺がテープを引き出す。切ったテープを中央へ貼り、浮いた部分を指で押さえていく。


 作業はすぐに終わった。


 姉ちゃんは閉じた箱を見下ろし、マジックで書かれた『台所用品』の文字を指でなぞった。


「明日も、少し手伝ってもらっていい?」


「もちろん」


 俺が答えると、姉ちゃんはようやく普段に近い笑い方をした。


「ありがとう。あと重いものがいくつか残ってるから」


「じゃあ、明日やろう」


 俺は箱を持ち上げ、壁際へ運んだ。


 ほかの荷物と並べると、姉ちゃんの部屋には歩ける場所がずいぶん増えていた。机とベッド以外は、ほとんど運び出す準備ができている。


 姉ちゃんは最後まで使う小物を机へまとめ、俺が片付けたガムテープやマジックを引き出しへ戻した。手慣れた動きだったが、ときどき何かを探すように部屋の中を見渡している。


 俺も手伝おうかと思ったものの、もう片付けるものはなさそうだった。


 廊下へ出る前に振り返ると、姉ちゃんは机の前に立っていた。壁にはカレンダーを外した跡だけが残っている。


「おやすみ」


 声をかけると、姉ちゃんはこちらを向いた。


「うん。おやすみ」


 俺は自分の部屋へ戻った。


 机の上には大学の教科書が開いたまま置かれている。明日までの課題が残っていたが、すぐに取りかかる気にはなれなかった。


 椅子に座り、しばらく何も書かれていないノートを眺める。


 姉ちゃんは、俺と付き合うのが怖いと言った。


 嫌いだとも、好きだとも言わなかった。


 それでも、今まで聞いたどんな断り方より、姉ちゃんの声が耳に残っていた。


 俺はペンを手に取り、教科書の続きを読もうとした。けれど、同じ行を何度も目で追ってしまう。


 結局、机の明かりをつけたまま、しばらく動けなかった。


 隣の部屋から、段ボールを動かす音が聞こえていた。

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