第04話_一枚なら、って言ったのに
「榎本。昨日の、クッキーなんだけど」
昼休み、弁当箱を持って教室へ戻ろうとしたところで、三輪に呼ばれた。
隣にいた女子が、先に行ってるね、と手を振る。
「沙耶、あとで行く」
三輪はそう返してから、廊下の端へ寄った。
窓の下に、中庭のベンチが見える。俺も人の流れから一歩外れた。
「次、いつ作るの?」
「決めてないけど……食べる?」
言ってから、弁当箱を持った自分の手を見た。
今そこにあるみたいな言い方だった。
「クッキー。家で焼いたやつでよければ」
「いいの?」
「作る時、いつも家の分もまとめて焼くから。一枚くらいなら持ってこれる」
「じゃあ、お願い。少しでいいよ」
早かった。
遠慮されるかと思って、家族の分の話まで足した俺の方が、次の返事に迷う。
「バターと卵と、小麦粉は入るけど、大丈夫?」
「うん。その辺のアレルギーはないよ」
「分かった」
俺が弁当箱を持ち直すと、三輪がもう一つ聞いた。
「さくさくの?」
「うん。普通の」
「厚い方?」
「薄い方かな。店のクッキーよりは、ちょっと厚い」
三輪が手で小さい丸を作った。
その丸より大きいよと言うと、輪が少し広がる。
「それくらい?」
「たぶん。そこまで厳密に作ってない」
「そっか」
話が終わったと思ったら、彼女が俺の弁当箱を見る。
「チョコは入れないの?」
「入れてほしい?」
「ううん。バターのだけでいい」
三輪は口を閉じたけれど、まだ俺の方を見ている。俺は弁当箱を持っていない方の手で、薄いクッキーをつまむ形を作った。
「焼き色、濃いのも好き?」
「好き」
「じゃあ、薄いのと両方入れとく?」
「うん。両方」
答えてから、三輪が俺を見る。
「……一枚って言ってたね」
「一枚の半分ずつは、ちょっと難しいな」
「そこまでは頼まないよ」
俺が笑うと、彼女も笑った。
食べてもいないのに、もう袋に何を入れるかまで決まってきた。
「少しずつ持ってくる。明日の昼でいい?」
「うん。中庭、空いてたらあそこにしよう」
下に見えるベンチを彼女が指す。
教室の場所を聞く必要はなくなった。
「じゃ、また明日」
「ありがとう。楽しみにしてる」
そう言って三輪は先ほどの女子を追いかけた。
俺は少し遅れて教室へ戻る。机へ弁当箱を入れながら、家に残っているバターの量を思い出した。
その夜、夕飯の片づけが済んでから台所を借りた。
「これも洗って」
弟の陸が、流しへ自分のコップを置く。
「自分でやれよ。まだ何も始めてない」
「ついでじゃん」
「じゃあ、お前もついでにこれ拭いて」
布巾を渡すと、陸は不満そうな顔で受け取った。
俺がボウルを洗う間にコップを拭き、食器棚へ戻す。
「何作るの」
「クッキー」
「チョコの?」
「今日は入れない」
「えー」
昼間、同じことを聞かれたばかりだ。
こちらはバターだけと聞いて喜ばない。
陸が居間へ戻り、俺は材料を量った。
いつもの丸い型で抜いた生地を、天板へ並べる。星も花も買っていないが、明日の形は丸でいいらしい。
焼いている間に、使った道具を洗う。
途中からバターの匂いがして、居間の陸が台所を見に来た。
「やっぱ、食べる」
「冷めてからな。今は熱い」
オーブンから出したクッキーは、二回目の方が少し濃く焼けた。その中の一枚が、俺の好きな色になっている。端だけきつね色が強くて、真ん中は焦げていない。
冷めたところで、一枚味を見た。さく、と音がして、いつものバターの味がする。気に入った色の一枚を自分の容器へ入れかけ、天板の端へよけた。
陸がまた覗きに来て、その一枚へ手を伸ばす。
「あ、それ、明日持ってく」
「これ?」
「うん。ほかのはいいよ」
陸は別の一枚を取った。口へ放り込んでから、俺がよけた方をまだ見ている。
「何が違うの」
「こっちの色が、ちょうどよかった」
ふうん、と陸が頷く。自分が食べた方も見てみようとしたらしく、空の指先を見てから、もう一枚取った。
俺も家用の分を一枚つまんだ。三輪は食べたあと、すぐ何か言うだろうか。それとも、今日の昼みたいにもう一つ聞いてくるのだろうか。
小袋に薄いのを二枚入れ、濃いのも二枚並べた。さっきの一枚は、袋の外から色が見える方にする。持ち上げて確かめると、四枚が少しずれた。
「明日、割れそう?」
陸に聞かれ、袋を寝かせて置き直す。
「箱に入れて持ってく」
「俺の弁当箱使わないでよ」
「使わない」
陸は家用の容器を受け取って居間へ戻った。俺は小袋の口を閉じ、戸棚から出した箱へ寝かせて入れた。明日の弁当用の手提げの脇へ置いてから、残った天板を洗った。




