第03話_褒める方なら得意です
「榎本、四番の方、先にお願い。私こっち下げる」
三輪はそう言って、空いたテーブルへ向かった。
二人分のカップをトレーへ載せ、椅子を戻す。俺が水を運び終える頃には、次の客を案内できるようになっていた。
水曜の夕方。喫茶こはくは、学校帰りの道から少し入った所にある。
去年の秋から働いている店だが、三輪と最初から同じ時間に入るのは今日が初めてだった。
髪を後ろで結び、焦げ茶のエプロンをつけた三輪は、クラスが違うだけの同級生より少し年上に見えた。
出勤前には同じ制服を着ていたのに、仕事を始めると返事も動きも早い。
俺は四番のテーブルへ戻った。
「ご注文、お決まりですか」
「コーヒーは、ブレンドを二つ。あと、ケーキをどうしようかな」
二人組の客がショーケースの方を見る。
俺は飲み物の注文を確認してから、厨房の岸さんへ伝えた。戻ると、まだ二人で相談している。
「チーズケーキも、まだあります?」
「はい、ございます。先にお飲み物だけお持ちしてもよろしいですか」
「あ、それでお願いします」
メニューをテーブルへ残して下がる。
三輪が入口から来た客を窓側の席へ案内していた。こちらへ戻ってくる時、注文はまだ、と小さな声で伝える。
俺は先に四番のカップを用意した。
次の注文を聞き、食べ終わった皿を下げ、洗ったスプーンを拭く。
仕事の最中は、目の前の返事をどうしようか迷うことがあまりない。
七時になる頃には、客席も落ち着いた。
残る片づけを岸さんとパートさんへ引き継ぎ、俺たちは勤務を終える。着替えて裏口を出ると、夜の空気が少し冷たかった。
「お疲れ」
「お疲れさま」
三輪も鞄を肩へ掛けた。
制服の上に薄い上着を着ている。店で結んだ髪は、そのままだった。
駅へ通じる道まで、並んで歩く。
「三輪、決めるの早いな」
「何を?」
「入口で人待ってた時。あっち片づけて、こっち案内して、って。俺なら一回どっちも見る」
「見てから決めてるよ」
「見る時間、短くない?」
三輪が少し笑った。
俺より半歩前に出ていたのが、横へ戻ってくる。
「榎本も、注文聞いてる時は迷ってなかったじゃん」
「あれは仕事だから」
「うん。だから褒めてる」
返し方を間違えた。
俺が彼女を褒める話だったはずなのに。
「いや、まあ、先にコーヒーだけ通すのは普通で」
「それもそうだけど。あの人たち、まだ迷ってるって分かって、一回戻ったでしょ」
「ああ」
「私、横で待っちゃうことあるから。あれ、よかったなって」
三輪はこっちを見ながら、当たり前みたいに言った。
褒めるくらい、店では何度もしている。皿の置き方がきれいだとか、今日の案内が早いとか。
自分の方へ返ってくると、こんなに言葉が余るものだったか。
「三輪、そういうのすぐ言うんだな」
「榎本が先に言ったんだけど」
「……そうだった」
今さら取り消すのも変だ。
俺は鞄の紐を持ち直した。
「でも、買い物だと結構迷うよ。俺」
「買い物?」
「クッキーの型、買いに行って何も買わずに帰ったり」
言ってから、何の話だと思った。
もう少し格好のつく例があったはずだ。
けれど、三輪はそちらへ食いついた。
「どんな型?」
「星と花。丸いのは持ってるから、違うやつをと思って」
「どっちも同じ値段?」
「うん」
「じゃあ、どっちでもいいじゃん」
「三輪ならな。俺は二十分くらい見てた」
「何見てたの?」
「裏の寸法。家の天板に、何枚並ぶかなって」
そう答えると、三輪は少し考えてから俺を見た。
「私は、大きい方を食べたいけど」
「それだと、並ぶ数が減るだろ」
「枚数の方が大事?」
「いや、そういうわけでも……丸いのより小さいのは嫌だし」
星の大きさの話をして、花の型は端の丸さも違ったと付け足す。三輪はそっちは相槌だけだったのに、家で一度に二十枚ほど焼くと言うと、また口を開いた。
「家の分って、そんなに焼くの?」
「弟も食うから。焼いた日は結構なくなるよ」
「いいな。それ」
彼女の口元が緩む。俺はつい、最後に抜いた分は少し厚くなるとか、予定になかったところまで話していた。
「それで、買ってないの?」
「次は買うつもり」
「次も二十分見そう」
「今のところ、否定できない」
言いながら、俺も笑った。
三輪は笑いを収めたあとも、こちらを見ていた。
「ほかのお菓子も作る?」
「たまに。パウンドケーキとか」
「ケーキも?」
「そんなすごいやつじゃないよ。家のオーブンで焼けるの」
「何味?」
横断歩道で足を止めた。
三輪の鞄の紐が肩からずれ、彼女は掛け直す。それでも、質問した顔のまま俺を待っている。
「普通の。バターのやつ。たまにチョコ」
「チョコもいいね」
「三輪も家で作る?」
「たまにね。でも食べる方が好き」
そこは即答だった。
さっきの仕事の時より、分かりやすかった。
「じゃあ、星か花かは重要じゃない?」
「そんなことない。花の形でも食べたい」
「星でも?」
「食べるよ」
結局どちらでも食べるらしい。
俺が笑うと、三輪も気づいたように少し口を尖らせた。
「形も見るけど、味が気になるってこと」
「うん。分かった」
青になり、道を渡る。
この先の曲がり角で、三輪は俺とは別の方向へ帰ると言った。
「じゃあ、また。土曜も一緒だよね」
「うん。お疲れ」
三輪が曲がる直前に、もう一度こちらを見た。
「クッキーも、チョコ入れる?」
「入れる時もある。次はまだ決めてない」
「そっか。型、買ったらどっちにしたか教えて」
「また買わずに帰るかも」
「それも聞きたい」
三輪が笑って手を上げた。俺も、今度は最初から笑って、お疲れ、と返した。
彼女を見送ってから、俺も歩き出した。
土曜の前に、学校でも会うのだろうか。
四組の教室がどっち側だったか、初めて思い出そうとした。




