第14話_今日は静かに食べたい
三輪が、店を出てから一度も笑っていなかった。
七時を少し過ぎている。
水曜の勤務を終え、岸さんへ挨拶をして裏口を出たところだった。制服へ着替えた彼女は、鞄を肩へ掛けたまま、首をゆっくり回す。
「疲れた?」
「うん。今日、体育で走った」
「そのあと、バイトか」
「あと、六時間目も移動教室で。階段、何回使ったんだろ」
三輪が校舎の階段を数えるように、少し空を見た。
俺も今日は六時間目まで授業があった。店に来てからは、立っている間の方が長い。
「何か食べて帰る?」
「ちょっとだけ。家のごはんは食べる」
駅へ向かう途中で、二人とも小さいパンを買った。
三輪はあんパン、俺はチーズの入ったやつだ。人通りから外れた広場のベンチへ座ると、彼女は鞄を足元へ置き、袋を開けた。
「いただきます」
いつもより低い声だった。
ひと口食べたあとも、顔があまり変わらない。俺は自分のパンを持ったまま、話題を探した。
「日曜のフィナンシェ、次の日も結構うまかった」
「うん」
「一個ずつ食うのもいいよな。味、ちょっと違ったし」
「そうなんだ」
三輪がもうひと口食べる。
俺は、今のは感想を返しにくかったか、と思い、別のことを話しかけた。
「そういえば、英語の範囲――」
「榎本」
呼ばれて、口を閉じる。
彼女は俺へ顔を向け、持っていたパンを少し上げた。
「今、ちょっと静かに食べたい。嫌なことがあったとかじゃなくて、疲れてるだけだから」
「……ああ。ごめん」
「ううん。あとで聞く」
三輪はそう言って、またパンを食べた。
俺も自分の分をかじる。温かくはなかったけれど、チーズの味がして、さっきから空腹だったのを思い出した。
広場の端を、自転車を押した人が通っていった。
三輪はそちらを見送り、飲み物を飲む。足首を一度伸ばしてから、ベンチの下へ戻した。
店では、客が来ればすぐ顔を上げていた。
今は、鞄の持ち手が倒れても直さずにいる。俺も膝に載せていた鞄を足元へ下ろした。
パンを食べ終え、袋を畳んでいると、三輪が横を向いた。
「さっきの、英語?」
「うん。試験の範囲が、二組と四組で違うとこあるのかと思って」
「どうだろ。プリント、出たよ」
「俺もある。見せ合えば分かるか」
「明日、持ってくる」
三輪は鞄からスマホを出し、何か短く打った。
俺も、忘れないように教科書へプリントを挟んでおこうと考える。
「今週の土曜、店来ないよね」
「うん。試験前で、岸さんに休みにしてもらってる」
「私も。来週の水曜もだよね」
勤務表は、少し前に店から送られてきていた。
二人とも希望を出していたので、その分は別のスタッフが入る。三輪は確認してから、スマホをしまった。
「土曜、何時から勉強するつもり?」
「起きて、飯食ってから」
「何時に起きるの?」
「……起きてから決めるのは駄目か」
三輪が、ようやく少し笑った。
「私、午前中は数学やる。昼から英語」
「きっちりしてるな」
「予定だけ。数学で詰まると、英語なくなる」
俺は笑った。そうなるなら、俺の起きてから方式とあまり違わない気もする。
でも、それを言って勉強の話まで延ばすほど、今日は元気ではなかった。
「俺も、今日ちょっと足だるい」
「榎本も?」
「うん。途中から、座りたいなと思ってた」
「じゃあ、今日はもう、早く帰ろ」
彼女が鞄を持った。
俺も持ち上げ、二人で立つ。少しだけ伸びをしたら、背中の方も凝っていた。
「家で、ゆっくり飯食おう」
「うん。それは賛成」
分かれ道では、いつもより短く手を上げた。
帰宅して台所を覗くと、夕飯の皿が並んでいる。俺は鞄を置き、先に手を洗った。
スマホが震えたのは、食べ終えたあとだった。
『プリント、入れた』
俺は鞄から英語の教科書を出した。
まだ入れていなかった自分のプリントを挟み、『俺も』と返す。すぐに、明日ね、と届いた。




