第10話_待ち合わせは店の外
駅前の時計は、まだ十一時になっていなかった。
俺がその下へ着くと、少し離れた花壇の前で三輪が手を上げた。髪を下ろしている。薄い緑の上着に、白っぽいスカート。こちらへ歩いてくる間、制服とは違う裾の揺れ方を見てしまった。
「おはよう。起きられた?」
「二つ目で」
「私も」
三輪は笑い、肩から鞄を掛け直した。
髪を耳へ寄せる手が止まる前に、俺は口を開く。
「その上着、似合ってるな」
彼女が自分の袖を見た。
「これ?」
「うん。その色、いいと思う」
三輪は片手で袖口を軽く引いた。
それから俺の方を見て、ありがとうと言う。
「榎本も、そういうシャツ着るんだ」
「普段はこんなのだよ」
「青いの、いいね。制服と感じ違う」
俺も自分の袖を見た。昨日、着る物を選んだ時には気にしていなかった所が、急に気になる。
「……ありがとう」
そう返すと、三輪が少し笑った。
俺は駅から店への道を確かめ、彼女と並んで歩き出す。今日は制服でもエプロンでもないから、隣にいる人をつい見直してしまう。
ひだまりには、先に二組の客が入っていた。
窓から離れた二人席へ案内される。俺が椅子を引くと、三輪も向かいへ座り、メニューを開いた。
「写真で見てたのと同じだ」
「だな」
「私、セットにして、タルトも頼む。じゃあセット二つと――」
彼女の指が、メニューの上で止まった。
「ごめん。榎本は?」
「セットは俺も頼むけど、トースト、チーズの方にしようかな」
「私、バターの方」
「でも甘いの食べるなら、バターでもいいのか。チーズの塩気も欲しいし」
二つ並んだ写真を見る。
三輪がメニューから顔を上げた。
「食べたいの、どっち?」
「今はチーズ」
「じゃあ、そっち」
俺は頷いた。決まると、なぜ二つを比べ直したのか分からなくなる。
注文を聞きに来た店員へ、俺たちは別々のトーストと飲み物を頼んだ。甘い物はあとに出してもらう。彼女がレモンタルト、俺はプリン。メニューで確かめた金額も、それぞれ千五百円以内に収まった。
しばらくして、焼き目のついたパンが二つ届く。
チーズの上に小さな焦げ目があり、俺は最初に真ん中へナイフを入れた。
「そっちもおいしそう」
三輪の視線がこちらへ来る。
「バターの方は?」
「おいしい。こっちにしてよかった」
そう言って、彼女はもうひと口かじった。
どちらかを選んだら、ほかの物まで気にならなくなるわけではないらしい。
俺もパンを食べる。真ん中は柔らかく、端のチーズは少し硬くなっていた。ナイフでその辺りを小さく切り分けておく。
三輪が、フォークを持ったまま俺の皿を見た。
「そこ、残すの?」
「最後に食べる」
「好きなとこ?」
「うん」
彼女は自分の皿へ目を落とした。残っているのは真ん中の方だった。
「私、最初だな」
「知ってる。クッキーも、迷わず濃い方いったし」
「それも覚えてるんだ」
「先にあれだけ濃いって言ったのに」
三輪が笑った。俺は切り分けていた端へフォークを伸ばしかけ、まだ真ん中があると手を戻す。
「今、食べそうだった」
「話してると、分からなくなるんだよ」
「そんなに小さく分けなくても」
「ここ、一番いい所だから」
俺は残ったひと口を食べ、そのあとで端を取った。
かりっとした音がする。チーズの香ばしい所が、思っていたよりしっかり残っていた。
「どう?」
「うまい」
三輪が俺の顔を見たまま笑った。
「今、短い」
「食べてるからな」
そう言って飲み物を取る。顔を上げると、三輪はまだこちらを見ていて、俺と目が合ってからカップへ手を伸ばした。さっき自分の皿ばかり見ていたのは、俺の方だったらしい。
「見てた?」
「うん。食べる時は、早いんだなって」
「冷める前に食いたいし」
「先に端から食べればいいのに」
それは、そうなんだけど。
俺が皿を見ると、三輪が声を立てて笑った。
食後の皿が下げられ、プリンとタルトが届く。
三輪はタルトの先をフォークで切り、黄色い所から食べた。すぐに頷いて、俺の方へ顔を向ける。
「これ、好き。ちゃんと酸っぱい」
「顔は平気そうだな」
「炭酸じゃないから」
思い出したらしく、彼女も笑う。俺は四角いプリンをひと口食べた。思っていたより硬めで、下のカラメルが苦い。
「プリンは?」
「これも、好きだな」
「角は?」
「そこは、どこ食べても同じ味だった」
「それはそうでしょ」
三輪が笑いながらフォークを置いた。
俺も笑って、プリンの残りを食べる。窓際の席から、次のケーキを選ぶ声が聞こえた。
食べ終えたあと、三輪が残っていた紅茶を飲んだ。
「量り、もう使った?」
「昨日。ちゃんと立って量れた」
「まだ前みたいにしゃがまない?」
「一回、膝曲げかけた」
彼女がカップを置いて笑う。
俺も、そこを話そうと思っていた。量る途中で陸が来て、また新しいの見てる、と言われた話もする。
「弟も使うの?」
「いや。俺が買ったあと何回も載せ直してたから」
「楽しそうだもん」
「三輪も、服買ったあと着たりしない?」
「着る。出かけなくても」
「同じじゃん」
三輪は頷いてから、今日の上着の袖を見た。
「これも、一回着た」
「買った時?」
「昨日。今日、着ようかなって」
俺も自分のシャツを見た。昨日試して、すぐハンガーへ戻したやつだ。
「俺も、これ着てた。昨日」
「……そっか」
三輪の視線が袖から俺の顔へ上がった。何か言いたくて口を開きかけたが、今度は説明することが思いつかない。
彼女が先に小さく笑ったので、俺も笑って、残った飲み物を取った。
カップを空にして店を出る頃には、入口で待つ人が増えていた。
会計は各自で済ませる。外へ出ると日が高くなっていて、俺たちは駅へ戻る道の日陰を歩いた。
「榎本、写真だけだと、すごい細かく感想言うのかと思った」
「実物見て、何も考えてないのばれた?」
「ううん。端、食べる前は細かかったよ」
三輪が笑い、俺もつられて笑った。
「三輪は、タルトすぐなくなるかと思った」
「ちゃんと味わって食べてたよ」
「最初の一口が早かったから」
「最初も味わってた」
彼女が少し口を尖らせ、俺はごめんと笑った。店の中でも、ひと口ごとにクリームを載せたり、レモンの所だけ食べたりしていた。
次は何を先に選ぶのか、また向かいで見てみたい。
「なあ、またどっか行かない?」
三輪がこちらを見た。
俺は歩く速さを少し緩める。
「今日、楽しかったから。来週の日曜とか」
「十日?」
「うん。三輪が空いてたら」
彼女は一度頷き、鞄の紐から手を離した。
「空いてる。私も、また誘おうと思ってた」
「じゃあ、来週も」
「うん。私、行きたいとこもう一つある」
「じゃあ、そこ教えて」
「駅の向こうの焼き菓子の店。ちょっと並ぶかも」
「先に見たら、俺また迷うぞ」
「今から見れば、間に合うでしょ」
笑ってから、三輪がスマホを取り出す。
まだ駅に着く前だった。俺も足を止め、その画面を隣から覗いた。




