第7話 誰に渡した
「手元にない、って」
俺は、しゃがんだまま、タコ男を見た。
「どういう意味だ」
タコ男は、足を絡ませたまま、黙っていた。
嫌な想像が、また頭をよぎる。
「売ったのか」
「売ってない!」
即答だった。縮こまっていたタコ男の足が、一本だけびしっと伸びた。
「捨てた?」
「捨ててない!」
もう一本伸びた。
「なくした?」
「なくしてない! そんなことするわけないだろ!」
三本目が伸びた。
さっきまで死にそうな顔をしていたのに、そこだけは妙に力強い。
「じゃあ、どこだ」
タコ男は、ぐっと詰まった。
伸びていた足が、また一本ずつ縮んでいく。
しばらく、川の音だけが聞こえていた。
やがてタコ男は、観念したように、大きく息を吐いた。
◇
「……好きな人が、いるんだ」
ぽつりと、タコ男は言った。
「ずっと前から。でも、全然振り向いてもらえなくて。いや、話はしてくれるんだ。すごく優しいんだ、その人。でも、なんていうか……もう一押し、ってところで」
もう一押し。
「それで、何か贈ろうと思った。ちゃんとした贈り物。でも何をあげたらいいか分からなくて」
「……サキュバスさんに相談した」
「なんで知ってるんだ」
「聞いた」
タコ男は少し驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。
「そう。サキュバスさんに聞いたんだ。何をあげたら喜ぶかって。そしたら、相手が好きなものを贈れば? って」
昨日、サキュバスさんから聞いたのと同じ言葉だった。
「で、考えたんだ。その人が好きなもの」
タコ男は、少しだけ顔を上げた。
「その人、犬系なんだよ」
「……犬系」
「そう。だから、骨が大好きなんだ」
タコ男は、真剣な顔で頷いた。
「犬系、骨が好き、だから骨をあげれば喜ぶ。完璧だろ?」
完璧かどうかは分からない。
分からないが、タコ男の中では、それはもう疑いようのない理屈だったらしい。
「それで、良い骨を探してたんだ。そしたら、あの夜、街道に」
タコ男は、ちらりと俺を見た。
「ちょうど良さそうな骨格があって」
「……ちょうど良い?」
「いや、あの、その」
本人を前にして言うな。
タコ男は慌てて足をばたつかせた。
「いや、だって、本当に良い骨だったんだよ! 白くて、形が綺麗で、変な欠けもなくて! これならあの人も喜ぶって、一目で思ったんだ!」
褒められている。
褒められているのに、まったく嬉しくない。
◇
「……で、その骨を、すぐに渡したのか」
「いや」
タコ男は首を振った。
「すぐには渡さなかった。だって、大事な贈り物だぞ。適当に渡すわけにはいかないだろ」
そこから、タコ男の話が長くなった。
「まず、どう渡すかを考えた。会った時にさりげなく? いや、それじゃ印象に残らない。呼び出して? でも、急に呼び出したら変に思われるかもしれない。それで二日悩んだ」
「二日」
「次に、リボンだ。骨をそのまま渡すのは味気ないだろ。リボンを巻こうと思った。でも何色にするか。赤は派手すぎる。白は骨と同じ色で目立たない。青は……青は、なんか違う」
「…………」
「三日悩んだ」
「リボンに三日」
「結局、黄色にした。あの人の毛並みに合うと思って」
タコ男は、誇らしげに胸を――胸がどこなのかは分からないが、身体の真ん中あたりを張った。
「それから、渡す時の言葉。場所。時間。全部考えた。何回も練習した」
何回も練習した。
俺は、自分の予定表の丸のことを、少しだけ思い出した。
「それで」
タコ男の声が、急に明るくなった。
「今日、ようやく渡したんだ」
――今日。
だから、今日のタコ男はあんなに忙しかったのか。行く先々で「さっきまでいた」と言われたのは、リボンを取りに行ったり、渡す場所に向かったりしていたからか。
俺は、半日ずっと、自分の肋骨が誰かに渡されるのを追いかけていたことになる。
あと少し早ければ。
そう思ったけれど、口には出せなかった。
◇
話しているうちに、タコ男の顔色が少しずつ戻ってきていた。
さっきまで真っ青だったのに、贈り物の話になると、ほんのり赤みが差してくる。
「すごく喜んでくれたんだ」
タコ男は、川面を見つめながら言った。
その目が、うっとりしていた。
「あんなに嬉しそうな顔、初めて見た」
「…………」
「受け取ってすぐ、尻尾振ってさ」
俺の相槌が、一つ減った。
「リボンほどいて、両手で持って」
「…………」
「目をきらきらさせて、すぐにかじってさ」
――かじって。
「『良い骨ですね!』って」
俺は、何も言えなくなっていた。
「もうあれ、脈あると思う」
タコ男は、一人で深く頷いた。
俺の頭の中で、言葉がばらばらに浮かんでいく。
犬系。
骨が大好き。
尻尾。
誰にでも優しい人。話はしてくれる、すごく優しい人。
両手で持って。目をきらきらさせて。
明るい声で、「良い骨ですね!」。
――スケルトンさん、今日も薬草採取ですか?
――気をつけて行ってきてくださいね!
いや。
俺は、頭の中に浮かびかけた笑顔を、慌てて振り払った。
違う。そんなはずはない。
犬系のモンスターなんて、この町には他にもたくさんいる。骨が好きな種族だって、いくらでもいる。誰にでも優しい人だって、一人じゃない。
まさか。
壁の予定表の丸。あと二日。
まさか。
◇
タコ男は、まだ喋っていた。
「それでな、その人、骨を受け取った時に、ちょっと首を傾げて笑ったんだよ。こう、耳がぴこって動いて――」
「誰に渡した」
俺は、遮った。
自分でも驚くほど、低い声だった。
「え?」
タコ男が、きょとんとして俺を見る。
夕日は、もうほとんど沈んでいた。川面のオレンジ色が、少しずつ灰色に変わっていく。
俺は、もう一度言った。
「誰に、渡した」
タコ男は、少しだけ照れたように、足をもじもじさせた。
それから、俺から目を逸らして、川面を見た。
頬のあたりが、ほんのり赤くなっていた。
そして、誇らしげに、答えた。
「コボルトさん」
◇
音が、遠くなった。
川の音。
どこかで鳴いている鳥の声。
町のほうから聞こえてくる、夕方のざわめき。
タコ男が、まだ何か喋っている声。
全部。
全部が、どこか遠くの、水の向こうの音みたいになった。
俺は、動かなかった。
動けなかった。
しゃがんだまま、タコ男の顔を見ていた。でも、本当は何も見ていなかった。
二日後。
好きだと言うつもりだった人。
初めて会った日に、こっちですよ、と声を掛けてくれた人。
気をつけて行ってきてくださいね、と笑ってくれた人。
その人の手の中に。
今。
俺の肋骨が、ある。
胸の隙間を、夜の始まりの風が、ゆっくりと抜けていった。
スケルトンです。
どうしても、10月16日より『妄想の歌姫を紹介しろと迫られても困る』を毎日連載らしいです。
先行公開中の読み切り版はこちら。
https://ncode.syosetu.com/n3320mv/
タコ男めっ!!!




