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愛と悲しみのスケルトン  作者: kawauso2017
第1部

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3/13

第3話 情報は情報

 朝、目が覚めて最初にしたのは、右手の人差し指を見ることだった。


 ひびは、完全に消えていた。


 どこにひびが入っていたのか、もう分からない。指先までつるりとして、転ぶ前と何も変わらない。


 次に、胸を見た。


 左側の、上から数えて何本目か。そこだけ、ぽっかりと空いている。


 昨日と同じ。一昨日の朝と同じ。


 指は戻った。胸は戻らない。


 分かっていたことだ。分かっていたことなのに、俺はしばらくベッドの上で、自分の胸の隙間を眺めていた。


 壁の予定表が目に入る。


 五日後の欄に、小さな丸。


 俺は、そっと目を逸らした。


◇


「情報屋?」


「町のことなら、そいつに聞くのが一番早い」


 ギルドの前で合流したデュラハンさんは、今日は首をちゃんと肩の上に乗せていた。


「どんな人?」


「ゾンビだ。情報は確かだ。町で起きたことなら、だいたい知ってる」


「すごいな」


「ただし金を取る」


「……」


 俺は昨日の報酬袋を思い出した。遠征のおかげで、いつもよりずっと重い袋。


「友達の紹介なら、少しは……」


「取る」


「デュラハンさんの紹介でも?」


「取る。俺も前に取られた」


 デュラハンさんは遠い目をした。何があったのかは聞かないことにした。


◇


 ゾンビの店は、表通りから二本入った路地の奥にあった。


 看板はない。扉に小さく「情報」とだけ書いてある。


 中は薄暗く、帳簿や紙束が整然と棚に並んでいた。その奥のカウンターに、ゾンビが一人座っていた。


 灰色がかった肌。落ちくぼんだ目。表情らしい表情はない。俺たちが入っても、顔を上げたのは帳簿を一行書き終えてからだった。


「用件は」


「あ、あの、えっと」


 俺はしどろもどろになりながら、事情を説明した。


 一昨日、遠方まで薬草採取に行ったこと。帰りの街道で眠り込んだこと。翌朝、肋骨が一本なくなっていたこと。デュラハンさんに見てもらったら、誰かに折られていたと分かったこと。


 ゾンビは、ほとんど相槌を打たなかった。


 俺が話している間、ゾンビは一度も表情を変えず、ときどき帳簿に何かを書きつけるだけだった。俺の話が熱を帯びるほど、ゾンビのペンの動きは淡々としていくように見えた。


「……それで、誰が折ったのか知りたくて。どこに持っていったのかも」


 話し終えると、店の中が静かになった。


 ゾンビは、カウンターの下から一枚の紙を出した。


「料金表はこれだ」


「……え」


 紙には、細かい字でびっしりと項目と金額が書いてあった。上から下へ、だんだん金額が上がっていく。


「あの、俺、肋骨なくしてるんだけど」


「見れば分かる」


 ゾンビは、俺の左胸を一瞥した。


「情報は情報だ」


◇


 料金表を読む。


 一番上は「事件当日の天気」。次が「事件当日の街道の通行量」。その下に「事件当日、街道沿いで目撃された者の有無」。そのさらに下に「目撃の詳細」。


 下に行くほど高い。最後の項目の値段を見て、俺の顎がカタンと落ちかけた。


「……一番安いのから、お願いします」


 とりあえず、試しだ。


 俺は硬貨を一枚、カウンターに置いた。ゾンビはそれを受け取り、帳簿に記入し、それから口を開いた。


「事件当日の天気。晴れ。夜は少し冷えた」


「……」


「以上だ」


「……知ってる。そこにいたから」


「そうか」


 ゾンビは表情一つ変えなかった。


 確かに、正確だった。あの日は晴れていた。夜は少し冷えた。たぶん。寝ていたのでよく分からないが、朝露が降りていたから、冷えたんだろう。


 正確だ。


 まったく役に立たない。


 横でデュラハンさんが、肩を震わせていた。笑いをこらえているらしい。首が少しずれかけていた。


◇


「あの」


 俺は料金表の一番下を指さした。


「これ、もう少し安くなりませんか」


「ならない」


「友人割引とか」


「ない」


「紹介割引は」


「ない」


 デュラハンさんが小声で「だから言っただろ」と言った。首が、物理的に大きく傾いていた。


 俺は食い下がった。


「肋骨を盗まれた被害者割引は」


「ない」


 即答だった。


 俺は報酬袋の口を開けて、中を覗いた。


 遠征の報酬。いつもの倍近くある硬貨。料金表の一番下の金額と見比べる。


 だいたい、同じくらいだった。


「…………」


 俺は袋の中身をカウンターの上に出した。


 ゾンビは、それを一枚ずつ数え始めた。


 一枚。二枚。三枚。


 ゆっくりと。正確に。


 俺はそれを見ながら、ふと気づいてしまった。


 告白のことで落ち着かなくて、遠くまで薬草を採りに行った。


 遠くまで行きすぎて、疲れ果てて道端で寝た。


 寝ている間に、肋骨を折られた。


 そして今、その遠征で稼いだ報酬で、失った肋骨の情報を買っている。


「……何やってるんだ、俺……」


 ゾンビは、まだ数えていた。


◇


「確かに」


 最後の一枚を数え終えると、ゾンビは硬貨を帳簿の横にきっちりと積み上げた。


 そして初めて、ほんの少しだけ、声の調子を変えた。


「事件の夜。あんたが寝ていたという街道を、荷を運んで通った者がいる。そいつから聞いた話だ」


 俺は身を乗り出した。


「道端の草地に、骸骨が一体、寝転がっていた。そのそばに、誰かがしゃがみ込んでいたらしい」


「……誰か」


「誰かまでは見ていない。月が雲に隠れていて、暗かった。荷を運ぶのに忙しくて、立ち止まりもしなかったそうだ。骸骨のそばに誰かがいた。分かるのはそこまでだ」


「それ以上は」


「今のところ、俺も持っていない」


 ゾンビは帳簿を閉じた。


「情報が入れば、また売る」


◇


 店を出ると、路地は昼なのに薄暗かった。


「軽くなったなあ、財布」


 デュラハンさんが、からかうように言った。


「……うん」


 俺は苦笑いしかけた。でも、うまく笑えなかった。


 頭の中で、ゾンビの言葉が繰り返されている。


 骸骨のそばに、誰かがしゃがみ込んでいた。


 あの夜、俺は眠っていた。ぐっすりと。何も知らずに。


 その俺のすぐそばに、誰かがいた。


 しゃがみ込んで。俺を見下ろして。


 声を掛けたんだろうか。肩に触れたんだろうか。それとも――。


 俺は足を止めて、胸の空白に手を当てた。


 ここに、誰かの手が触れた。


「……スケルトン?」


 デュラハンさんが振り返る。


 路地の奥から、湿った風が吹いてきた。胸の隙間を、ひやりと抜けていく。


「……誰なんだ」


 答える者は、いなかった。


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