幕間2-1 コボルトさんの、いつもの一日
「おはようございます!」
朝のギルドの扉を開けると、コボルトさんはまず、そう言う。
誰がいるか確かめる前に言う。だいたい、誰かはいるからだ。
「おはよう、コボルトちゃん」
受付のお姉さんが笑った。
「おはようございます!」
掲示板の前で依頼の紙を睨んでいた新人さんにも言った。新人さんは、びくっとしてから、ちょっと照れたように頭を下げた。
「おはようございます!」
休憩所でお茶を飲んでいたゾンビさんにも言った。ゾンビさんは、ゆっくりと片手を上げた。ゆっくりなのは、いつものことだ。
挨拶をすると、みんな、少しだけ顔がゆるむ。
それを見ると、コボルトさんも嬉しくなる。
尻尾が勝手に揺れる。耳も勝手に動く。止めようと思ったことはない。止める理由がないからだ。
これが、コボルトさんの普通の朝だった。
掲示板の一番端に、見慣れた白い背中があった。
一番端の紙を取るのは、いつもあの人だ。
「スケルトンさん! おはようございます! 今日も薬草ですか?」
白い背中が、びしっと伸びた。
「は、はひ」
はひ、だった。
スケルトンさんは、朝はいつも「はひ」だなあ、とコボルトさんは思った。
たぶん、そういう挨拶なのだ。骨の人の。
「気をつけて行ってきてくださいね!」
「は、はひ」
二回目も、はひだった。
今日も元気そうでよかった、とコボルトさんは思った。
腰の鞄の中で、黄色いリボンの骨が、ことんと揺れた。
タコ男さんにもらった、一番のお気に入り。
コボルトさんは、鞄の上からそっと骨を撫でた。スケルトンさんの顎が、なぜかカタカタ鳴っていた。
◇
「タコ男さん!」
休憩所の入口に、ぺたぺたと見慣れた足音がした。
コボルトさんは、真っ先に足元を見た。
生えかけの足。
この前見た時より、少し長い。
「また伸びましたね!」
「は、はい! 毎朝、ちょっとずつ!」
タコ男さんは、生えかけの足を嬉しそうに持ち上げてみせた。
「もう少しで、元通りです!」
「すごい! よかったですね!」
コボルトさんは、両手をぎゅっと握った。
本当に、よかったと思った。
生えてくると聞いた時は、びっくりした。でも、ちゃんと元に戻るなら、それが一番いい。痛いのは、よくない。
「あの足、本当にすごかったんですよ!」
話し始めたら、止まらなかった。
「投げたらすぐ掛かって、また投げたらすぐ掛かって! 桶が、いっぱいになって!」
「は、はい」
「それで、ギルドの皆さんに魚料理を作ったら、みんな、おいしいって言ってくれて! ゾンビさんなんて、二回もおかわりしたんですよ!」
タコ男さんの顔が、みるみる赤くなっていった。
「……覚えていて、くれたんですね……!」
「え?」
コボルトさんは、首を傾げた。
覚えているも何も、と思った。
あんなに嬉しかったことを、忘れるはずがない。
「もちろんです! タコ男さんのおかげです!」
タコ男さんは、その場で小さく跳ねた。生えかけの足も、一緒にぴこぴこ跳ねていた。
コボルトさんは、それを見てまた嬉しくなった。
◇
お昼すぎ。市場。
「コボルトちゃん、これ持っていきな」
八百屋のおばさんが、赤い実を一つ、手のひらに乗せてくれた。
「わあ、ありがとうございます!」
「お嬢ちゃん、こっちもおまけだ」
パン屋のおじさんが、焼き損じの端っこを紙に包んでくれた。
「ありがとうございます!」
お礼を言うたびに、おまけが増える。
前を歩いていたおじいさんが、お釣りを受け取り忘れて歩き出した。
「あっ、お釣り! お釣り忘れてますよー!」
追いかけて渡すと、おじいさんは目を丸くして、それから、しわくちゃに笑った。
しわくちゃの笑顔を見ると、コボルトさんの尻尾も、しわくちゃに揺れた。
花屋の前だけは、少し早足で通った。
鼻がむずむずする。いい匂いなのは分かるけれど、ちょっとだけ強すぎるのだ。
それから、お目当ての店に着いた。
「コボルトちゃん、今日も骨かい」
肉屋のご主人が、慣れた顔で言った。
「はい!」
店先に並んだ骨を、一本ずつ手に取る。
まず、匂い。くんくん。
「これは、いい匂い。でも、ちょっと細いかなあ」
次に、形。光にかざす。曲がり具合を見る。
「こっちは形がきれい……」
最後に、硬さ。こん、と指で叩く。
こん。こん。
いい音がした。
「これにします!」
「やっぱり、骨を選ぶ時だけは長いねえ」
「だって、骨は形と匂いが大事なんですよ! それから、硬さも!」
ご主人が笑った。
ご主人が笑うと、コボルトさんはもっと嬉しくなった。
選んだ骨を包んでもらって、鞄に入れる。
黄色いリボンの骨の隣で、新しい骨がことんと鳴った。
◇
夕方、ギルドに戻ると、入口に鎧姿があった。
小脇に頭を抱えて、もう片方の手で、肩の埃を払っている。
護衛の仕事から、帰ってきたところらしい。
見つけた瞬間、尻尾が跳ねた。
朝からいろんな人に会って、いろんなふうに揺れた尻尾だった。でも、今のは、そのどれとも違った。
「あっ、デュラハンさん!」
「おう」
小脇の頭が、こっちを向いた。
「おかえりなさい! お仕事、どうでした?」
「何もなかった。いい仕事だった」
「よかったです! あの、聞いてください、今日はですね!」
話し始めたら、やっぱり止まらなかった。
朝、スケルトンさんが今日もはひだったこと。
タコ男さんの足が、また伸びていたこと。
八百屋さんの赤い実と、パン屋さんの端っこ。お釣りのおじいさん。
肉屋さんで選んだ、いい音のする骨。
デュラハンさんは、ときどき「そうか」と言った。ときどき「へえ」と言った。
全部話し終えたところで、デュラハンさんが、少しだけ頭を傾けた。
「お前、町中に顔が広いな」
「え?」
「みんな、お前が来ると嬉しそうだ」
それだけだった。
デュラハンさんは「じゃあな」と言って、報告のために受付へ歩いていった。
コボルトさんは、入口に立ったまま、しばらく動けなかった。
今日は、朝から何回も「ありがとう」と言われた。何回も笑ってもらった。
どれも、嬉しかった。
なのに、今の一言が、いちばん嬉しかった。
どうしてかは、考えなかった。
デュラハンさんは、いつも通り、何も気づかない顔をしていた。
カブトだけど。
◇
夜。
家に帰って、今日選んだ骨を机の上に置いた。
灯りの下で見ると、やっぱりいい形をしている。
椅子に座って、一日を思い返した。
スケルトンさんは、今日も元気そうだった。
タコ男さんの足は、もう少しで元通り。
市場の皆さんは、今日も優しかった。
「楽しかったなあ」
声に出したら、尻尾が、ゆっくり揺れた。
いつもの揺れ方だった。
それから、デュラハンさんの声を思い出した。
みんな、お前が来ると嬉しそうだ。
ぱた、と尻尾が鳴った。
ぱた。ぱた。
ぱたぱたぱたぱた。
椅子の脚に当たって、音が速くなる。
「……あれ?」
部屋には、誰もいない。
挨拶をする相手も、おまけをくれる人もいない。
なのに、揺れている。
コボルトさんは、両手で尻尾を押さえた。
押さえた手の中で、まだ揺れていた。
朝の挨拶でも、市場でも、こうはならなかった。
タコ男さんの足が伸びていた時も、いい骨を見つけた時も、こんなふうには。
デュラハンさんの時だけ。
コボルトさんは、しばらく自分の尻尾を見つめた。
それから、小さく咳払いをした。
「……デュラハンさんが、格好いいからです。たぶん」
誰に言い訳したのかは、自分でも分からなかった。
灯りを消して、布団にもぐった。
暗い部屋の中で、布団の形が、尻尾のところだけ、ぱたぱたと動いていた。




