幕間2-2 コボルトさん、釣りに夢中
最近の、コボルトさんの楽しみは、釣りだ。
前から、時々は竿を出していた。釣れたり、釣れなかったり。釣れなくても、海を見ているのは好きだった。
変わったのは、あの日からだ。
タコ男さんにもらった足を、餌にした日。
投げたら、すぐ掛かった。また投げたら、またすぐ掛かった。桶が一つ、二つ、三つ。あんなに釣れたのは、生まれて初めてだった。
あの日から、すっかり夢中になった。
朝。竿を肩に担いで、釣り道具の袋を鞄の横に吊るして、空の桶を抱える。
タコ男さんの足は、まだ生えかけだ。全部元に戻るまで、もう少しかかる。
だから今日は、普通の餌だった。市場で買った、小さな虫と、パンの端っこ。
「今日は、自分の腕で勝負です!」
誰もいない道で宣言して、コボルトさんは浜辺へ向かった。
◇
竿を振る。
ぽちゃん。
……釣れない。
もう一度。
ぽちゃん。
……釣れない。
コボルトさんは、首を傾げた。
前は、投げたらすぐにしなったのに。投げる。釣れる。投げる。釣れる。あの日は、そうだった。
今日は、投げる。待つ。投げる。待つ。
「場所が悪いのかな」
岩場へ移った。釣れない。
波打ち際へ戻った。釣れない。
桟橋の端まで行ってみた。やっぱり釣れない。
餌を、虫からパンに替えた。パンから虫に戻した。
耳をぴんと立てて、海の音を聞いてみた。魚の気配は、特に聞こえなかった。
太陽が、少しずつ高くなっていく。
その時だった。
竿の先が、ちょん、と揺れた。
「!」
ちょん、ちょん。
そっと引くと、手応えがあった。
上がってきたのは、手のひらより小さい魚だった。銀色の体を、ぴちぴちと跳ねさせている。
「釣れたー!」
コボルトさんは、魚を両手で持ち上げた。尻尾が勢いよく揺れて、砂がぱっと舞った。
一匹だけだった。
桶の底で、小さな魚がくるくる泳いでいる。
なのに、すごく嬉しかった。
待っている間の、波の音。竿の先の、ちょん、という小さな合図。それを自分で見つけた時の、どきどき。
前の大漁の日は、こんなこと、考える暇もなかった。
釣りって、こういうものだったんだ、とコボルトさんは思った。
◇
「コボルトさーん!」
浜辺の上の道から、声がした。
タコ男さんだった。ぺたぺたと、斜面を下りてくる。
「タコ男さん!」
「さ、散歩の途中で……その、たまたま……今日は、どうですか?」
「楽しいですよ!」
コボルトさんは、桶の中の小さな魚を見せた。
「まだ一匹ですけど、自分で釣ったんです! タコ男さんのおかげで、釣りが大好きになりました!」
「お、俺のおかげ……!」
タコ男さんの顔が、ぱっと赤くなった。
コボルトさんは、タコ男さんの足元を見た。
生えかけの足が、潮風に揺れている。
「足、痛くないですか?」
「ぜ、全然! 毎朝、ちょっとずつ伸びてて!」
「よかった。ぜ、全部戻ったら、……ごクリ!」
「……は、はいっ!」
タコ男さんは、真っ赤になって、その場で跳ねた。
それから、何を思ったのか、生えかけの足に、別の足をかけた。
「なんなら、今――」
「だめです!」
コボルトさんは、慌ててその足を押さえた。
「まだ途中じゃないですか! ちゃんと生えてからです!」
「……は、はい」
タコ男さんは、しゅんとした。しゅんとしながら、なぜか嬉しそうだった。
コボルトさんは、釣り道具の袋から、予備の竿を出した。
「一緒にやりませんか?」
「お、俺が?」
「はい!」
二人で、並んで竿を出した。
タコ男さんは、何本もの足で竿を持った。持ちすぎて、どの足で引けばいいのか分からなくなっていた。
釣れなかった。
「行けー! コボルトさんの竿ー!」
応援の声だけは、誰よりも大きかった。
◇
お昼を少し過ぎた頃。
コボルトさんの竿が、ぐん、としなった。
「わっ!」
今までと違う。重い。ぐいぐい引っぱられる。
「わっ、わっ、わっ!」
「コ、コボルトさん!」
タコ男さんが、自分の竿を放り出して飛んできた。何本もの足を、コボルトさんの竿に添える。
「せーの!」
砂浜で、足が滑った。コボルトさんの尻尾が、ぐるぐる回った。
「もう少し!」
「せーのっ!」
ざばっ、と水しぶきが上がった。
砂の上で、大きな魚が跳ねていた。
足を餌にした日の大物ほどではない。
でも、今日一番の大物だった。
「釣れたーっ!」
「釣れたーっ!」
二人で、同じ声を出した。
コボルトさんは、魚を両手で抱えて、尻尾をちぎれそうなほど振った。タコ男さんも、何本もの足をばたばたさせて跳ねた。
「自分で釣ったんです! 普通の餌で!」
「すごい! すごいです、コボルトさん!」
コボルトさんは、腕の中の魚を見つめた。
焼こうか。煮ようか。身はほぐして、骨はいい出汁になりそうだ。
もう、頭の中は料理のことでいっぱいだった。
◇
浜辺の向こうから、鎧姿が歩いてきた。
小脇に、自分の頭を抱えている。
コボルトさんの耳が、ぴん、と立った。
「デュラハンさん!」
魚を抱えたまま、走り出していた。
「見てください! 今日一番の大物です! 普通の餌で、自分で釣ったんですよ!」
デュラハンさんは足を止めて、小脇の頭を少し傾けた。
魚を見た。
「すごいな」
それだけだった。
それだけで、コボルトさんの顔は、満面の笑顔になった。
今夜は、この魚を料理しよう。
一番いいところは、骨を全部取って、身をほぐして。
もちろん、デュラハンさんにも食べてもらいたい。
◇
タコ男は、波打ち際に立ったまま、嬉しそうなコボルトさんを見ていた。
釣りが大好きになったのは、俺のおかげ。
さっき、確かにそう言われた。
今日は、一緒に竿を並べた。一緒に「せーの」と言った。あの大物は、俺の足も引いた。
タコ男は、生えかけの足を見下ろした。
もう少しだ。
全部生えたら、また渡せる。そしたら、もっと喜んでもらえる。また、あの日みたいに、桶がいっぱいになる。
「……へへ」
潮風の中で、タコ男は一人で笑った。
生えかけの足が、ぴこぴこ揺れていた。
少し離れたところで、コボルトさんが、デュラハンさんを見上げていた。
「デュラハンさん、次のお休みって、いつですか?」
「なんでだ」
「今度、一緒に釣りに行きませんか?」
デュラハンさんが、何か答えた。
ちょうど大きな波が来て、その声は、ざあっと消えた。
コボルトさんの尻尾が、揺れていた。
タコ男は、まだ自分の足を眺めていた。
俺の足が好きにさせた釣りが、今まさに、デュラハンさんとのお出かけに変わろうとしていることには。
まだ、気づいていなかった。
手に持ったデュラハンさんの頭はなぜかタコ男の足を見ていた……




