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第十八章 鬼二人




 ひゅおおおぉぉ――。


 風を引き裂く高音が走り、鬼の壁に、ぽっかりと穴が穿たれた。


 同時に、太刀をかかげた北辰が、後ろへ飛び退いた。


 床に、鏑矢(かぶらや)がふかぶかと突き刺さっていた。


 ふわり。とん。


 弓で裂いた穴を抜け、今帝を背に庇うように白い狩衣が降り立つ。


月宮(つきのみや)!」


「ご無事でようございました」


 にっこりと微笑むその声は鬼に囲まれているというのに少しの緊張感もなく、ゆったりと自然で。


 その穏やかな調子に、先ほどまで死を覚悟していた少年帝の身体から力が抜けた。こんなときだというのに、今帝はほうっと……思わず安堵の息を吐いてしまった。


 月宮、薫の今の姿は白の狩衣をまとい。それに弓を携え、腰には太刀を。両脇の髪をとって美豆良(みずら)に結い、後ろの髪はそのまま垂らしている。そして首には勾玉の首飾りを、胸には銅鏡を下げていた。


 それはまるで、神話の中にある祖神たる天照大御神(あまてらすおおみかみ)が男装した、そのままのようであった。弟である荒魂(あらみたま)の神の須佐之男命(すさのおのみこと)と対峙したお姿のままに。黄昏の光を受けた白衣の裾は、闇に射す一条の陽光のように清らかだった。


 今帝は、ひれ伏したい衝動を喉の奥で飲み下した。薫の肩越しに覗く、北辰の残忍な笑みが、我に返らせる。


「ようやく会えたな。忌々しい風よ」


「ええ、あなたからあの嫌な匂いがします。いままでのすべての呪詛の」


「まさか、ここで我が身にも流れる、もっとも憎むべき(すめらぎ)の祖神の末に出会えるとは、思わなかったぞ」


 北辰の瞳は薫の白い顔を、そして頭の上にある大神の耳をひたりと捕らえていた。そしてうなるような低い声で言った。


「ズタズタにひき裂いてやる」


 薫はそれに答えず、再び弓を引き絞った。ひゅんと放たれた風を練り上げた矢は、螺旋となって周囲の鬼達を吹き飛ばす。


 だけでなく、それは浄化の息吹となって、彼らを消し去る。無数の魂の玉となって、天へと。


 赤黒い影だったものが、淡い光となってはじけ、夜空の見えぬはずの天へ吸い込まれていく。


「本当にいまいましい。我ら一族の百年前の無念、一瞬で浄化するか?」


 それは六条の刑場にて処刑された、彼の一族だった。その無念の魂を集め、練り上げた鬼の形とした髑髏。それをあの洞穴の壁に埋め込んで、極楽へも地獄へも行かせずに現世に留めた。


 そして、今日、この日に鬼の式神として使ったのだ。


「どのような怒りも恨みも、黄泉の国へと行けば浄化されるもの。その救いも与えず、百年、あなたはご自分の一族をこの地獄に縛り付けていた」


「黙れ! 我らが無念を憤怒を知らぬ大神の末が、ほざくな!」


 斬りかかる北辰をひらりひらりと避けながら、薫は弓を引き、ひゅんひゅんと鳴らす。そのたびに見えない風の矢が飛んで、この清涼殿に詰めかけた鬼のみならず、内裏をさまよう鬼達を貫き、浄化の風によって昇天させていく。


「ははは! すべての鬼をその手で救えると思っているか? 大神よ! 飛んだ傲慢だ! この俺が、この救われぬ俺がいるぞ! 首を切られようとも、臓腑をカラス共に突かれようとも、結局は死ねなかった、この俺がな! 父帝が畏れた、鬼が!」


 薫の風により、一族の魂を呪詛とした鬼達が消えても、北辰は余裕で笑っていた。


 死ねない……そのことがこの男の最大の強みであり呪いなのだろう。鬼の血を引くゆえに死ねなかったのか、それとも、一族のために自らが犠牲となる覚悟であったのに、約束は容易く破られて、大切な家族も仲間もすべて処刑された、その果てに自分も首を斬られた、その憤怒が眠れる鬼の血を覚醒させたのか。


 そして、死ぬことが出来ない百年が、この鬼の恨みをさらに深く練り上げさせたのだ。これほどまでに、強く深い闇の鬼となるほどに。夜ごと首を刎ねられた瞬間の痛みと冷たさだけが蘇り、朝と呼べる時間は一度として訪れなかった。


 百年、息を殺して機会を待った。


「死ねず終われず、恨みだけを抱えてさまよう鬼とは、なんと哀れな」


 薫が思わずつぶやけば、逆に北辰は、さらに憤怒をその顔に昇らせた。その(まなじり)がぎりぎりと裂けんばかりにつり上がる。まさしく鬼の形相だ。


「俺をそのような慈悲の瞳で見るな!」


 振り下ろされる重く速い太刀を、薫も腰の太刀を抜いて受ける。二度三度と打ち合い、しかし、鬼のすさまじい力に、押されて後ろに下がる。さらに追い打ちで突いてきた太刀を、風の見えぬ壁を使って跳ね返す。


 この鬼の力には及ばないことは薫にも分かってはいた。おそらくかなりの傷を与えたとしても、彼は動くことが出来る。薫の風は魂をほどくことは出来ても、不死の器そのものを壊す術ではないと悟っていた。


 そもそもが死なないのだが、それでも動きを止めるほどの致命傷を与えられるか? というと、これも難しいと薫は判断した。


 それは鬼にも分かっているのだろう。あざ笑うような笑みをうかべて、太刀を肩に担ぐ姿は余裕だ。


「お前の風では魂を浄化することは出来ても、この俺の腕一本も落とすことは出来ないぞ」


「…………」


 薫はそれに答えず太刀を構えた。たしかにこれは自分では倒すことは出来ない。だが、その攻撃を防ぎ続けることは可能だ。


 今帝をお守りして……と思った瞬間。


「月宮様、武器を捨てて頂こうか?」


 その声にそちらを見れば、左大臣に短刀を突きつけられた今帝がいた。鬼の群れと北辰に意識を奪われ、薫は左大臣の気配をすっかり見落としていたのだ。


 今帝は「月宮、私にかまわず」と叫んだが、その前に動けぬ薫の手から、北辰が太刀を取り上げていた。その白い手をねじり上げるようにして、床に押し倒し馬乗りとなる。


 畳の冷たさが背に伝わる。鬼の触れる手が、我が身を焼く炎のように熱い。


「よくやった左大臣、そのままでいろ」と北辰は命じ、そして薫を見下ろして手を伸ばす。狩衣の前をひき裂いて白い胸を露わにする。


「男なのはわかっていたが、なかなかにそそるな」


 北辰が胸からのど元を撫で上げるのに、薫は無言で耐える。ちらりと横を見れば、今帝が左大臣に後ろから羽交い締めにされたのど元に、短刀の刃が添えられている。


「お前を戯れに弄んで、その有様を見せたとしたら、あの男はどんな顔をするだろうなぁ」


 くくく……と笑う北辰の手が、肌を撫でる。薫は眉を寄せながら、それでも少しでも時間が稼げるならと思う。


 ここで自分が逆らえば、刃が向かう先は少年帝だ。今帝が人質に囚われている今、自分が抗えば彼の命が危うい。


「それとも、他の男に(けが)された者などいらぬと、お前は捨てられるか?」


「貴仁様はそのようなことで揺らぐような方ではありません」


 薫は己を組み敷く北辰を見上げてきっぱりと返す。


「変わらず私を妻だと、愛してくださいます」


「その迷いもなく信じる瞳が、泣き叫ぶ様を見てみたいな」


 薫の白い首にかかった両手にぐっと力が入る。「月宮!」と今帝が叫ぶ声が聞こえるが、気が遠くなる。


 視界の端が白くかすれゆくなか、それでも薫は、少年の声の聞こえる方を見て、うっすらと微笑んだ。


 それが気に入らないとばかり、首にかかる手にさらに力が籠もる――が。


「我が妻から手を離せ」


 声は低く、静かだった。


 それだけで清涼殿の空気が、刃物のように冷えた。


 ざんっ! と太刀が風を斬る音。薫の上にのしかかっていた北辰が飛び退く。


「薫、大丈夫か?」


「貴仁様」


 手を差し出され身を起こし名を呼ぶが、視線を交わしあったのは一瞬。今は再会をゆっくりと喜びあっている余裕はない。


 握り合った掌の熱だけが、たしかにここにあると、薫に告げていた。


 薫は風の力で床に落ちていた己の太刀を拾い上げて、ひゅんとそのまま投げる。


「ひえっ!」と情けない声をあげて、左大臣が離れるのに、滑るように近寄った薫は、今帝の身体を引き寄せる。


「大事はありませんか?」


「月宮こそ」


「私は大丈夫です」


 薫は、対峙する貴仁と北辰を見る。二人ははじまりの声もなく、激しく太刀を数度ぶつけ合い、ここでは狭いとばかり、互いに外へと飛び出して行った。


「私達も」


「ええ、失礼します」


「え? あ!」


 少年帝の身体をひょいと横に抱いて、薫は二人を追い掛けて紫宸殿の外へと。


 紫宸殿の前庭、白砂が青く光る。


 左近の桜の前に貴仁。右近の橘の前に北辰。


 黄金の瞳の鬼神と、赤髪を逆立てる鬼が、声もなく睨み合う。


「なぜだ」


 北辰がうなるようにつぶやく。


「どうして、お前と俺のどこが違う!」


 同じ鬼でありながらと北辰は叫ぶが、貴仁は面白くもなさそうに言った。


「そんなもの知るか」


 この方らしいと薫は思った。もし、土佐に流されたのが彼だったらどうだったのだろう?


 いや、考えるまでもないことなのだ。


 この方は閻魔の娘の子であり、ただの鬼ではなく、鬼神なのだ。一旦は帝の位にあがるのも当然ならば、そのお力ゆえに、そうそうに人の子である今帝に帝位を譲られた。


 死ぬことによって鬼の血を目ざめさせた北辰とは、違う。違うことはどうしようもない。


「それとも、お前のそれは運命だとでも言って欲しいのか?」


「運命など、死にさえあらがって、俺はここにいる! 思い通りにならぬなら、天さえ壊してみせる!」


「ただの妄執だ。お前の我が儘に他者を巻き込むな」


「ええい、黙れ! 黙れ! 黙れ!」


 二人の鬼は激しく太刀を打ち付けあう。そのたびに互いの身体のどこかを傷つけ、血を流す。白砂の庭が二人の血で染まる。


 鬼としての力は同格なのだ。貴仁は鬼神であるが、北辰はこの百年、地に潜み一族の魂を鬼として練り上げて、己の力として蓄えてきた。ただ、この復讐のときだけのために百年。


 しかし、北辰の傷がそのままなのに対して、貴仁の流れた血は瞬く間に止まり、どんな深い傷も消える。血を流した消耗さえ癒されて、肩でぜい……と息をつきだした北辰に対して、変わらず太刀を構える。


「いまいましい。鬼が大神を妻とするなど」


 北辰が紫宸殿の(すのこ)に今帝と立つ、薫をちらりと見る。薫の送る風が貴仁の傷を癒し、力与え続けていた。それに貴仁は不敵に微笑む。


「俺は独りではない。お前はどうだ? そばにいるのは縛り付けた死人の魂だけか?」


 それにぴくりと北辰の肩が揺れる。薫が浄化した今、その一族の魂さえも、彼のそばにはいない。この鬼は独りだ。


「それがどうした! 俺は死なない! またいくらでも!」


 太刀を振りかぶり薫めがけて投げようとした。が、その腕を肩ごと貴仁が跳ね飛ばす。


 同時に白砂の庭に天を仰ぐような巨大な地獄の門がそびえ立つ。その姿はいつものように後ろの景色が透けていない。常には薄く開くだけの扉が全開になった。


 吹き出した業火が北辰の全身を包み込む。


「ふふふ……燃えつき灰になりバラバラになろうとも、今度は百年……いや、千年かかるか……」


 それでもなお、北辰は言葉を紡ぎ続ける。血を流し肉が燃える無惨な姿を、お目にはいれたくないと薫は狩衣の袖で今帝の頭を包み込み抱きしめる。


 焼ける匂いと血の匂いだけが、風に煽られて鼻を刺した。


「薫!」


「はい!」


 貴仁の声に炎を取り巻くように風の渦を作る。すべてを燃やし尽くす炎に、浄化の力が加わった。死ねない鬼の魂を無に返す。


 もう、天にも地の地獄にも導くことはできない。不死の魂の苦しみを断ち切るのは消滅あるのみだ。


 それを現すように、地獄門はぎぎぎと音を立てて閉じて、元の地へと沈んでいった。


「お…あ……消え…る? 俺が消え…る……嫌だぁ……いや…だ…そんな……」


 慟哭(どうこく)し嘆く声に、薫はそっと目を伏せた。


 せめてこの一瞬だけは、苦しみの終わりであるように――と、心の内で静かに祈る。


 燃えながら北辰が天を見上げる。朱色の逢魔が時が過ぎ、星が輝き始めた夜空を。


「俺はただ父上に、お目にかかりたかっ……た……ひと言、声をかけてくだされば……認めて……」


 それが最後の言葉だった。さらりと崩れた灰さえも、炎と風に巻かれて消滅していく。


 終わった……と薫は息をついた。が、その視界の端、こちらに背を向ける貴仁に一直線に向かう姿があった。


「もう一人の鬼もいらぬ!」


「貴仁様! 危ない!」


 左大臣だった。それは、ただ人とは思えない動きで、術を使ったのか? それとも、ただこの時にと燃やしてきた野望が力を与えたのか。


 しかし、それでも普段から太刀など使ったことのない人間である。薫が貴仁の背をかばい、短刀がその腕をかすめる。


「薫!」


 貴仁は容赦なく、左大臣を切り捨てた。「私こそがこの内裏を思うがままに……」と妄執の言葉を残して、その丸い身体が紫宸殿の前庭の白砂に転がる。


 そして。


「え?」


 がくりと薫の身体から力が抜けた。貴仁がとっさにその身体を支えてくれるが、しかし、なにかいう間も無く、意識が闇へと吸い込まれる。


 刃先が触れた瞬間、薫はあの洞穴で嗅いだ、骨と血と鉄が腐ったような匂いを確かに感じた。腕をかすめただけのはずの傷口から、冷たいものが全身へと一気に広がっていった。


「薫! 薫! 薫! 神殺しの剣だと! 馬鹿な!」


 貴仁の声が最後に聞こえた。






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