4、◇神の国(アースガルズ)◇
神の国は緑豊かな大陸だ。幾つもの河川が流れ込む海に囲まれ、穏やかに季節が移ろう。中央に峻厳な山脈が聳え、万年雪を抱いていた。麓には深い森が広がる。恵まれた水源により碧の湖面が点在していた。鳥も獣も皆等しく、ゆったりとした時間を享受している。
東の海沿いに神々の住む神殿がある。大理石と御影石を組み合わせた立派な館ばかりだ。
厳めしい主神の玉座は、有り余る黄金と宝石で飾られ、とても煌びやかだという。
ティスが〝かあさま〟達と暮らす屋敷は、香木の小片で覆われていた。
幾つもの竈を据えた広い厨房で、日がな一日、御馳走を作っている。宴の支度をするのが、ティス達に課せられた役目だった。
大掛かりな宴会を催す時に使われるエーギルの館は、海に突き出した岬にあった。真珠貝で屋根を葺き、珊瑚の柱が立ち並ぶ。
館の中は、麦酒の入った大鍋から立ち上る酒精に、満ちているという。馥郁たる香に、その場にいるだけで酩酊してしまうのだ。
フェンリルの背の上で、ティスは物思いに沈んでいた。魔法の鎖を解いた時は、動揺のあまり言われるがままに飛び乗った。けれども、冷静になった今、何故、彼が手を差し伸べてくれたのか分からない。
ティスからは、形の良い三角の耳が見える。柔らかな毛並みは艶めいた闇の色だ。フェンリルはしなやかで野性的な、物凄く綺麗な狼なのだ。熾火のように燃える瞳を向けられると、ドキリとしてしまう。
それにしても、先刻は吃驚した。
ティス達と同じ姿になれるとは、誰も教えてくれなかった。それも随分と端整な容貌である。
頭を撫でて、慰めてくれた。
一緒にいると言ってくれた。
食べ物を届けるようになってから、暫く経つ。
ぶっきら棒な言動に反して、フェンリルはとても優しいのだ。そのことは知っている。けれども、ここまで力になってくれるとは、思いも寄らなかった。
――食べられちゃったら、どうするの!
不意に、姉の言葉が甦る。
姉達もニーズヘッグに食べられてしまったのだろうか。
ティスは目を閉じる。
何時も薄っすらと感じ取れる気配が、まるでない。もう何処にもいないのだ。
痛かっただろうか。
苦しかっただろうか。
早く、〝かあさま〟に会わなければならない。
けれども、本当に〝かあさま〟なら、何とかしてくれるのだろうか――分からない。
もし、上手くいかなかったら如何しよう。
ティスは途端に不安になる。
もう二度と会えなかったら……その時は、フェンリルに食べて貰おう。
その方が、きっと楽だ。皆と一緒で寂しくない。
顔を上げると、左の耳飾りが揺れた。
色々ありすぎて感情が高ぶっているのだ。
何だか、おかしなことばかり考えている。
それにしても、何て速さだろう。
フェンリルは大地を力強く駆け抜ける。うっかり下を見れば、過ぎ去る景色に目を回しそうだ。
慌てて、前を向いた。周囲は随分と荒れている。
まだ、緑萌ゆる時期のはずだった。こんなにも枯れているのは変だ。
ニーズヘッグと関係があるのだろうか。
ふと、小さな森の存在に気が付いた。
立派な樹々が立ち並んでいるが、全ての葉が落ちている。まるで灰色の塊だ。そう言えば、この辺りではなかったか。
思い切って、ティスはフェンリルに声を掛けた。




