3、■ニーズヘッグ■
崖から離れた丘の上に、丁度良い木陰を見付けた。悍ましい嵐がやって来るまで、今暫くの猶予はある。兎に角、状況を把握することが最優先だ。
樹の下で膝を抱えたティスは、不安そうに背を丸めた。フェンリルは少し離れた平らな石に腰掛ける。
「ニーズヘッグが宴に来たの」
「ニーズヘッグだぁ?」
予想もしなかった名に、フェンリルは調子外れの声を上げた。
「フヴェルゲルミルの泉で、根っこを齧ってる陰気な奴だよな」
九つの大陸を支える世界樹の下で、物凄い数の蛇と共に蠢いている赤い竜だ。何時もは、神の国から遠く離れた場所にいるはずだ。
一瞬、過った考えを、否、まさかと打ち消す。
「何で、そんな根暗野郎が?」
ティスは頭を振った。
「分からない。わたし、お留守番だったから」
「宴って、あれか? エーギルの館でするって、随分前から話してたよな?」
「ええ、そうよ。今日で四日目なの」
神々は何かと理由を設けては、宴会を催す。敢えて参加しないことなどあるのだろうかと訝しんで、一つだけ思い当たった。この間、とんでもない、いざこざがあったばかりだ。
「姉さま達が言っていたの」
ティスは小さく呟いた。
「――食べられちゃったって」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「喰われた? って、何がだよ?」
「多分、宴にいた神様達」
フェンリルは呆然と聞き返した。
「主神がいたんじゃねぇのか?」
「ええ」
「雷神は? 何であっさり、やられてんだ」
「分からないの」
ティスは俯いてしまう。
「酔っ払ってでもいたのかよ」
ははっと、自分でも知らぬうちに、乾いた声が漏れた。
「何、だよ、それ」
フェンリルは顔を片手で覆って、嘲笑う。
「散々、因縁を付けておいて、全く違う野郎じゃねぇか」
ガリガリと、地面に爪を立てて引っ掻く。ティスが怯えた声を出した。
「フェンリル」
哄笑は止まらない。乱暴に何度も拳を叩き付けた。腹が立って仕方がない。
それなら、如何して自分が獄に繋がれなければならなかったのか。
あれ程、辛く苦しい思いをする必要があったのか。
酷い目に遭っているのは、フェンリルだけではない。彼等のことを考えると、腸が煮え繰り返るだけでは済まない。
無意識のまま、魔法の鎖に絞め付けられていた首元に手をやった。
「莫迦にしやがって!」
「駄目よ、フェンリル」
腕を掴まれて、我に返った。爪は割れ血が滲んでいる。傷だらけになった掌を、フェンリルは冷めた顔で眺めた。
「あぁ、悪ぃ」
ティスを見やると、今にも泣き出しそうな程、怖気付いている。
「別に大したことねぇよ、こんくらい」
躊躇いもなく汚れた指先を口に含むと、フェンリルは首を傾げた。
「じゃ、あのムカつく瘴気はニーズヘッグの仕業って訳か」
「ええ、きっとそう……だと、思う」
ティスは困惑を隠し切れずに頷いた。如何やら確証がないらしい。
「で、これからどうすんだ?」
頼りない娘は、不意に虚ろな眼差しを宙に向けた。けれどもそれは、気の所為かとも思える、ほんの一瞬の出来事だった。
「〝かあさま〟に会うの」
ティスは口調に決意を滲ませると、毅然と立ち上がる。
「姉さま達を助けなくちゃ。きっと力を貸してくれるわ」




