20、◇小人の国(ニザヴェッリル)◇
森の中は、しんと静まり返っていた。大きな樹木が目立つ、深い森だ。生き物がいない訳ではなさそうだ。気配はするのに、何故か姿が見えない。突然の闖入者であるティス達を恐れて、隠れているのかも知れない。
横渡しになった枝を除けながら、フェンリルが口を開いた。
「弟のことで、面倒掛けたな」
「素直な、可愛い子ね。フェンリルが、大切にする気持ちも分かるわ」
ティスは朗らかに応じる。もっと仲良くなりたいと思うような、幼い子特有の懐っこさがあった。
フェンリルは目を瞬かせた。
「そんなこと言うの、あんたくらいだぜ」
「とっても大きいから、吃驚しちゃったけど」
「暫く見ねぇうちに、さらにでかくなりやがった。子供の頃は、普通に暮らしてたけどな」
「皆、一緒だったの?」
ティスは首を傾げた。
「ああ、なるべくひっそりと、やり過ごしてた。あの頃は、まだ良かったぜ」
フェンリルは苦い顔をする。主神に目を付けられてからが、散々だったのだろう。
大切な弟妹と引き裂かれて、どれ程、辛かったことか。悲しくて苦しくて、遣り切れなかったに違いない。
ずっと姉達に囲まれていたティスには、今の状況がまさにそうだ。如何しているのだろうと、心配でならない。何とか無事でいて欲しいと、祈ることしか出来ないのだ。
姉達を助けるためにも、一刻も早く〝かあさま〟に会わなければならない。
大きな樹が目の前を遮った。左右は棘の絡まる藪だ。上から越えるしかないだろう。
フェンリルはひらりと枝に飛び乗ると、当たり前のように手を差し出してくれた。
「気を付けろよ」
「ええ」
「こっちの方で良いんだな?」
「大丈夫、多分」
ティスは頷くが、フェンリルは疑わしげな眼差しを向けてくる。
「何か不安なんだよなぁ」
どれくらい進んだろうか。泉を見付けた。大きな岩が削られて、窪地が開けている。澄んだ水面に、陽光が揺れた。繁みに囲まれたその場所で、休息を取ることにした。
ティスは水に手を浸すと、フェンリルを盗み見た。漆黒の髪が風にそよぐ。どんなに動いても、涼しい顔をしているのだ。石に腰掛けた彼は、何か気に掛ることでもあるのか、しきりに森の方に目を配っている。
ティスは思い切って尋ねた。
「フェンリル、先刻の続きを、聞いてもいい?」
「何だよ?」
ティスの方に視線が向けられる。赫い瞳が光を映した。
「皆で暮らしていた、昔のこと」
「あぁ?」
訝しげな顔をされてしまった。
当然だろう。一瞬迷ったが、ティスは続けることにする。
「どんな風だったの?」
「どんなって……そんなこと知って、どうすんだ?」
フェンリルが疑問に思うのも、最もだ。話題を間違えたかも知れない。
「ごめんなさい。嫌ならいいの」
「別に構わねぇけど」
フェンリルは身体を反らすと、空を見上げた。
「山の麓の草原にいたんだ。静かで、良い場所だったぜ。小さな泉と深い森に囲まれて、誰の目にも付かねぇんだ」
話しているうちに懐かしくなったのか、口元に笑みが浮かぶ。
「ヨルムンガンドはあの通りだからさ、始終、食い物を探してた。あいつも、果実が好きなんだぜ。まだ野兎ぐらいしか、捕まえられなかったからな」
何だか、簡単に想像出来て微笑ましい。
「妹は、花を弄って遊んでた。あんたの方が、詳しいんじゃねぇの。冠みたいなのを作ったり、首飾りにしたり」
「花冠なら、姉さま達が得意よ。円く作るのに、ちょっとしたコツがいるの」
ティスはフェンリルの顔色を窺った。
「フェンリルは? どんなことをして、過ごしていたの?」
「オレか? 別に、話す程のことはねぇぜ。あいつ等が無事でいられるよう、色々やってたくらいさ」
ずっと影に日向に守ってきたのだろう。本当に弟妹を大切にしているのだ。
「ああ、でも何時だったか、極光を見に行ったことはあったな」
「極光」
姉達から聞いたことがある。確か、極寒の北の方でしか、起こらない現象だ。
「ティスは、見たことねぇのか?」
「ないわ。どんな感じなの?」
フェンリルは愉快そうに笑った。
「あれは凄げぇよ。夜空一面に、緑や赤の薄い布みたいなのが、ひらひらしてんだ。あんまりキレイなもんだから、夢なんじゃねぇかと思ったさ」
彼が感動するくらいだ。余程、美しいのだろう。一度で良い。この目にしてみたい。
ティスは両手を合わせた。思わず、はしゃいだ声が出る。
「素敵! わたしも、見てみたいわ」
フェンリルの表情が、ほんの一瞬変わった。何かを言い掛けて、諦めたように首を振る。
彼は再び背後の森の方へ目をやった。
ティスはその横顔を見詰める。
心の奥底に、少しずつ積もった蟠りがある。このまま押し殺して、何も知らない振りを続けても良いのだろうか。けれども、一度口に出してしまえば、きっと取り返しのつかないことになる。常に固く秘めているのに、まるで澱のように、ふっと浮かんでくる時があるのだ。
どっちつかずの気持ちのまま、ぼんやりと言葉にしていた。
「ねぇ、フェンリル。もし、わたしが」
最後まで言い終わらないうちに、フェンリルの声に遮られる。
「避けろ!」
突然、腕を掴まれ、岩陰に引っ張られた。
一瞬前までいた場所に、石が打つかった。拳大の黒っぽい石は、鋭く尖っている。真面に当たれば、怪我をしていただろう。
「何?」
フェンリルに庇われたまま、そっと辺りを見回した。
何時の間にか、人影に取り囲まれていた。ティスの背丈の半分くらいしかない。
小人だ。
厳めしい顔付きの男達が、手に手に武器を持っていた。弓矢に槍、剣もある。
フェンリルはティスの前に出る。不穏な空気だ。
「何すんだ。危ねぇな」
「間違いない! あいつ等だ!」
一人が叫んだ。油断なく、投石器を構えている。
「ヨルムンガンドと一緒にいたのを見たぞ!」
「あの化け物の仲間なんだろ!?」
指を差されて、激しく問い詰められる。
ティスは驚いて口を開いた。
「待って、話を聞いてちょうだい。わたし達――」
「ティス!」
物凄い勢いで、無数の矢が飛んで来る。身を引くより先に、フェンリルがそのうちの一本を掴んでいた。真っ二つに折る。幾本かは逸れて、傍らの樹に突き刺さった。
向けられた敵意は、本物だ。誰も彼もが、憎々しげに睨み付けてくる。
煽られたのか、フェンリルが狼の姿になった。
「てめぇら、よくも!」
低く唸ると、牙を剥いた。
「待って、フェンリル」
慌てて止めようとしたティスの言葉に、小人が色めき立った。
「フェンリルだと!?」
「あの魔狼だ!」
「予言の獣だ!」
「何故、厄災の獣が此処にいる!?」
今度は、槍が投げ付けられた。すかさず、フェンリルが咥えて圧し折る。
ティスは岩の陰から動けない。金属が固い地面を抉る激しい音が続いた。
棍棒を持った小人が、殴り掛かって来た。力自慢なのだろう。随分と体格が良い。フェンリルは難なく牙で受け止める。振り回されて、小人は、耐え切れず手を離した。仲間の下に落ちる。
ティスは、ハッと息を飲んだ。何人も折り重なって、呻き声を上げている。大きな怪我がなければ良いが。
「おのれ、怪物め!」
「許せねぇ!」
「消え失せろ!」
「死ね!」
四方から、剣が振り下ろされる。
フェンリルは素早く躱すと、大きく口を開いた。
炎を吐く。
今までとは、威力が違う。牽制の範囲を超えて、背後の樹々に燃え移った。パチパチと爆ぜる火の粉に、小人達が慌て始める。
「フェンリル!?」
一体、如何したというのだろう。
完全に目が据わっていて、明らかに様子が異なる。彼がここまで暴力的に振る舞うのを、初めて見た。
ティスの脳裏に、ヨルムンガンドの言葉が甦る。
フェンリルが小人達に飛び掛かった。何人かが、血を流して倒れる。フェンリル目掛けて、矢が飛び交う。鋭い爪を一閃させると、呆気なく散らばった。
槍も剣も、彼の巨躯には届かない。
「駄目だ!」
「やっぱり怪物だ」
「……敵いっこねぇ」
「怯むな! 一度、態勢を立て直すぞ!」
小人達の顔に、動揺が浮かんだ。
あっと言う間に恐怖は伝染し、逃げ惑い始める。こうなると、もう滅茶苦茶だ。
転んだ一人を前肢で抑え込み、フェンリルは吠えた。鋭い牙が相手に迫る。
「止めて! フェンリル!」
これ以上は、見ていられない。
ティスは迷わず、飛び出した。




