17、■虹の橋(ビフレスト)■
フェンリルは空を見上げた。雲一つない上天気だ。
太陽はまだ高い位置にある。
今日は出来る限り先へ進みたい。妨害が続くのも、好い加減うんざりだ。
フェンリルは今朝方のことを思い出す。
昨夜は、ほんの僅かな間、眠ってしまった。やはり、疲労が積み重なっているのだろう。最も警戒は怠らなかった。獣特有の、浅い休息だ。
まだ暗いうちに目が覚めたフェンリルは、ティスの姿を眺めていた。前肢を枕にして、安らかに瞼を閉じている。フェンリルの鋭い爪に、彼女の指が触れていた。よく自分の側で穏やかな顔が出来るものだ。何だかむず痒い。
今はティスを背に乗せて、虹の橋を駆けていた。ゆるやかに弧を描いているが、罅割れや穴が無い分、走りやすい。
「そういや、こっちの方、来たことあんのか?」
「初めてよ。神の国から、出たことないもの」
「だろうな」
相当、過保護な環境にいたのだろう。少しばかり、彼女に行き先を任せているのが、不安になる。
「小人が、住んでいる国もあるのよね?」
「ああ、腕の良い職人達がいるぜ」
向こうには、小人の国がある。
住人は皆、物造りの匠で、神々ですらその工芸品を欲すると聞く。自分を捕らえた魔法の鎖も、彼等の作だ。
だからと言って、小人に対して含む所はない。彼等は単に、依頼に応じただけなのだ。
「美神様が、黄金の首飾りを手に入れたって、聞いたことあるわ」
「また美神かよ。そいつのこと、よく話に上るな」
フェンリルは苦笑した。
ロキも嫌味の引き合いに出していた。
愛と美を司るだけあって、色々と自由奔放だという噂もある。
「途方もなく、美しい女神様だもの」
「見たことあんのかよ?」
「遠目からなら。太陽の耀きを縒り合せたような巻き毛で、艶やかなお姿をしていたわ」
概ね、フェンリルの印象と大差ない。あまり外に出ないと言っているだけあって、やはり詳しくは知らないのだろう。
不意に、目の前の景色が途切れる。フェンリルは慌てて足を止めた。
道の先が、すっぱりと落ちていた。見下ろすと、海の中に瓦礫が点々と島を造っている。橋の残骸だ。水平線に達する前に没しているため、飛び石のように渡ることも難しい。
「駄目だ、通れねぇ」
こんな所まで、瘴気の影響が出始めているのだろうか。背の上のティスは、言葉もなく海の彼方を見詰めている。フェンリルは首を横に振った。
「悪ぃけど、引き返すぜ」
来た道を戻ること程、徒労はない。けれども、仕方がなかった。無駄と言うなら、此処に到るまで散々回り道をしている。
砂浜に降り立つと、ティスは困惑したように大海原を眺めた。
のたりのたりと、碧の波が寄せては返す。
その呆然とした横顔を見やって、フェンリルは問う。
「どうしても、向こうへ行かなきゃなんねぇのか?」
「ええ」
頷くと、瑠璃の石が光を弾いた。
フェンリルは海へと視線を戻す。
「いざとなったら、泳ぐしかねぇか」
一応、泳ごうと思えば泳げないことはない。
ただし、動きが大分制限されてしまう。自分一人ならいざ知らず、何かあった場合、ティスを守り切れるか、自信はない。
フェンリルの脳裏に、弟のことが浮かんだ。
話次第では、彼に力を貸して貰えるかも知れない。
だが、弟は中つ国の海の下だ。頼むにしても、接触の取りようがないではないか。
その時、懐かしい声が耳に飛び込んできた。
「ニイサン!?」




