12、◇〝戦乙女〟(ヴァルキュリア)◇
また行き止まりだった。
緑の大地に裂け目が出来ている。ティスは覗き込んだ。見渡す限り、かなりの大きさだ。ギリギリまで側に寄って確かめたが、大量の土が崩れ落ちた亀裂は相当に深い。飛び越えるのは難しそうだ。
「ったく、何処も彼処も穴ばっかじゃねぇか」
フェンリルは悪態を吐いている。
「悪ぃけど、此処で待っていてくれ」
「分かったわ。気を付けてね」
ティスを降ろすと、その姿はあっと言う間に見えなくなった。まるで疾風だ。自分といる時は、あれ程の速さではない。気を遣ってくれているのだ。
丁度良い石を見付けて、座ることにする。何時しか、こうして過ごすのが当たり前になってしまった。
どんなに遠くまで行っても、フェンリルは必ず迎えに来てくれる。そして、回り道をしてでも、ティスを連れ出してくれるのだ。それを、当然のように受け入れていることに気が付いた。
駄目だ。
フェンリルの優しさに、すっかり甘えてしまっている。
ティスは瑠璃の石に手をやった。
似姿になるのは、魔力を消耗すると言っていた。それでも、度々青年の姿になってくれる。自分を慮ってのことだろう。だが、ティスは狼の姿でも少しも怖くはない。
それに、あの容姿にはしばしば困惑させられる。耳飾りに触れられた時も、動揺を気取られないように、精一杯だったのだ。
本人は分かっているのかいないのか、眉目麗しすぎる。さすがは、美貌で名を馳せる邪神ロキの息子だ。
ティスは空を見上げた。今日はまだ晴れている。長閑に雲が浮かんでいた。
不意に、視界を過るものがあった。
白鳥だ。
素晴らしく大きな三羽が、空を翔けている。白い翼が光を受けて光った。珍しい。今回の騒動の後は、ほとんど見掛けない。最も、沢山の生き物が、何処かへと姿を消してしまっている。
黄色い嘴が此方に向けられたような気がした。そのまま、ゆっくりと降りて来る。
ティスは首を傾げた。此処は一面草原だ。近くに水辺はない。
白鳥は地に蹼を着けるなり、三人の乙女の姿に変わった。
ティスは呆然と相手を見詰める。
〝戦乙女〟だ。
銅色の波打つ髪を、肩の下辺りで切り揃え、後ろは太い三つ編みに結っている。優美な肢体だが、手足はしなやかで力強い。胸高に帯を締め、動きやすいように切れ込みの入ったドレスを着ていた。白鳥の羽衣を襟で留めている。一人は腰の左右に剣を佩き、二人は槍と楯で武装していた。
「〝戦乙女〟のお姉様。良かった、ご無事だったのね。他の方々は?」
急いで駆け寄ると、真ん中の乙女に、いきなり頬を叩かれた。一瞬、何が起こったのか分からない。ティスは顔に手をやり、背の高い乙女を見上げた。
榛色の瞳が怒りに燃えている。
「裏切者!」
突然、罵られて面食らう。
元々、〝水の乙女〟と〝戦乙女〟は、それ程、関わりがある訳ではない。
主神をはじめとして、好戦的な神々が多い中、雨と豊穣を司るネルトゥスは少数派だ。最も、敬意は払われている。〝かあさま〟がその気になれば、旱魃を起こし大地を荒廃させることなど、いとも容易い。何時もは温厚な〝かあさま〟だが、怒らせると相当に怖いのだ。
けれども、その乙女達となると、また話が違ってくる。
特に歌舞を得意とする〝水の乙女〟と、戦場を翔ける〝戦乙女〟では、性質がまるで異なる。
「魔法の鎖の鍵を盗み出し、あまつさえ魔狼に媚びるとは!」
「お待ち下さい、あれは〝かあさま〟に……」
「神族の恥さらしめ、言い訳など聞かぬわ!」
驚くより先に、髪を掴んで引き摺られた。
痛い。
抵抗する間も与えられず、足蹴にされる。ティスは倒れ込むと、〝戦乙女〟に視線を向けた。三人とも、憎しみに満ちた目で睨んでくる。
何だか、様子が怪しい。幾ら〝戦乙女〟でも、聞く耳も持たずに、ここまで居丈高な態度を取るものだろうか。
「穢れた娘よ! この場で、一思いに切り捨ててくれようぞ!!」
乙女が、すらりと剣を抜き放った。左右に控える者たちも、槍を構える。ティスは信じられない思いで、目の前の光景を眺めた。驚きと恐怖のために動けない。
研ぎ澄まされた刃が振り下ろされる寸前、黒い影が過った。剣を掠め取り、咥えたまま圧し折る。地面に、真っ二つになった鋼が散らばった。
「フェンリル!」
闇色の巨きな狼は、〝戦乙女〟を見やると嘲笑った。
「おいおい、仲間割れかよ。みっともねぇな」
「おのれ、怪物め!」
間髪入れず、乙女はもう一本の剣を手に取る。
「ティス、動くんじゃねぇぞ!」
フェンリルが大きく顎を開けた。紅蓮の炎を吐く。牽制の為だろう、威力はそれ程でもない。〝戦乙女〟は素早く、後ろに退いた。盾を持った二人が、すかさず熱風を防ぐ。
銅色の髪が煽られ、首筋が露わになる。ティスはハッとした。付け根の辺りに、淡い模様が浮き出ている。痣だろうか。だが、奇妙な形には何となく見覚えがある。
咄嗟に、左手で瑠璃の石に触れた。人差し指と中指を相手に向け、唱える。
「根を張れ宿木。巡らせ野茨。大地に眠る蔦の葉よ、芽吹き絡まれ」
雷に打たれでもしたように、〝戦乙女〟の動きが止まる。音を立てて、手にした武器が落ちた。それぞれが、首を押さえて膝を突く。
一瞬の隙が出来る。
「逃げるぞ!」
ティスが飛び乗るなり、フェンリルは物凄い勢いで駆け出した。
「怪我はねぇか?」
正直、手加減なしに乱暴を受けて所々が痛む。打ち身ぐらいは出来ているだろう。けれども、フェンリルに余計な心配を掛けさせる訳にはいかない。
「平気よ。〝戦乙女〟って怖いのね」
ティスは俯いた。
姉達ならば、もう少し上手く立ち回れたはずだ。元々顔見知りですらないティスには、あれが精一杯だった。自分なりに、最善を尽くしたのだ。
「何言われたか知らねぇけど、あんま気にすんなよ。魔文字が見えたぜ」
やはりあれは、魔文字だった。詠唱を源とする呪歌とは違い、文字を媒介に行われる魔術だ。
咄嗟に、相剋の呪歌を選んだが、判断は間違っていなかった。
「どうせ訳ありなんだろ?」
「そうかも知れないけど……」
突然、向けられた謂れなき悪意に、気持ちが沈む。フェンリルが来てくれなければ、もっと酷い目に遭っていただろう。
「何だか、助けてもらってばかりね」
思わず呟くと、フェンリルは訝しげに振り返った。
「それはお互い様だろ? ティスだって、今、オレのこと、助けてくれたじゃねぇか」
「あれは、無我夢中で……それに、呪歌は、あまり得意じゃないの」
〝かあさま〟ならば、もっと強い力を発揮出来る。魔文字を完全に無効化することさえ、容易いだろう。
「ごめんなさい。フェンリルには迷惑ばかり掛けているわ」
「あのなぁ」
呆れたように、息を吐かれた。
「迷惑だなんて、思ってねぇよ。だったら、初めからこんなとこまで、付いて来るかよ」
フェンリルは皮肉げに笑った。
「それに、オレは親父に、一泡吹かせてやりてぇんだからさ」




