10、◇ファーヴニル◇
「ファーヴニルだわ」
ティスは息を呑んだ。
姉達から、聞いたことがある。巨大な金鉱を棲み家にして、滅多なことでは動かない。その下に、数々の財宝を抱え込んでいるという話だ。
「あの業突く張りの爺さんかよ。こんな処に縄張り持ってやがったのか」
全く面倒臭いとでも言いたげに、フェンリルは鼻を鳴らした。
ティスはその顔を覗き込む。
「フェンリル?」
「此処まで来て、引き返すのはごめんだぜ。あんなの二、三発、打ん殴りゃ大人しくなるだろ」
片肢で地面を引っ掻くと、小石が爆ぜた。ティスは慌てて止める。
「駄目よ。乱暴は良くないわ」
「じゃ、どうすんだよ?」
フェンリルは苛立ちを隠そうともしない。
「話をしてみるわ。だって、わたし達、泥棒じゃないもの」
フェンリルの背の上から、呼び掛ける。
「あのね、ファーヴニル。聞いて下さいな」
出来るだけ穏やかに、〝かあさま〟の口振りを真似て、お願いをしてみる。
「心配はいりませんよ。あなたの宝物が欲しい訳じゃありません。わたし達、先を急いでいるのです。お願い、通して下さいな」
間髪入れず、ファーヴニルの攻撃が飛んで来る。フェンリルは素早く身を躱した。ティスは思わずしがみ付く。よく伸びる舌だ。当たれば、無事では済まないだろう。
「嘘じゃ嘘じゃ……猛々しい狼と白金の娘……間違いない」
ファーヴニルが、ぎろりと上を向いた。
「お告げの通りじゃ」
フェンリルの耳が、ぴくりと動いた。振り返った顔は固く険しい。低い声が言う。
「無駄だぜ」
「え」
「あのクソ親父、とんだ入れ知恵をしやがった」
ファーヴニルは、べろりと口の周りを舌で嘗め回す。
「ああ情けない嘆かわしい」
三つの目は、揺ぎ無く此方を睨み付けている。ファーヴニルは身体の向きを変えた。
「昼も夜も寝ずの番をしておるのに盗人ばかりじゃ。盗人ばかりやって来よる」
フェンリルは身構えた。
「降りろ。こうなりゃ、問答無用で黙らせてやる」
ティスは編まれた髪を耳の後ろに掛けた。瑠璃の飾りに触れる。このままでは、争いになってしまう。今の自分に出来ることは、これしかない。
「フェンリル、ほんの少しでいいの。ファーヴニルの気を逸らせられる?」
「何か策でも、あんのかよ?」
怪訝そうにティスを見やるフェンリルに、頷いて見せた。
「上手くいけば、多分」
「任せたぜ」
言うなり、地を蹴った。相手の注意を引くために、首の付根を狙って飛び掛かる。目が三つあろうとも、頭の後ろまでは見えないだろう。
さすがは、フェンリルだ。しなやかな動きに、一切の無駄がない。
ファーヴニルの背に降り立つと、太い尾を駆け上がった。幾分、手加減をしている。本気になれば、そのまま抉ることも出来るはずだ。
突然、鱗の隙間に亀裂が入った。鋭い眼光が覗く。尾の先にも目があったのだ。
フェンリルの驚いた声が聞こえる。
「五つ目かよ!」
ティスは一瞬、ひやりとした。組んだ指に力が入る。けれども、ファーヴニルの振り回した尾を、フェンリルは難なく避けた。何て凄いのだろう……否、感心している場合ではなかった。幾ら彼が優れた戦士であろうとも、あまり時間は掛けられない。
ティスは目を閉じると、静かに息を吸った。大丈夫。出来るはずだ。
透き徹った声が、谷間に響いた。柔らかに、言葉を紡ぐ。
「ルルリラ、ルル、ララ。
天鵞絨の窓掛に、銀の釦。
弾けて、ひとつ転がった。
探しにゆこう、深い淵まで。
冬菩提樹は、梟に聞けといい、
山鳴木は、影が知っているという。
白樺は、一緒に遊ぼうと言った」
朗々とした歌声は、空気を震わし、緩やかに広がってゆく。
「だから、もう、おしまい。
よい子は、
おやすみ。
ルル、ララ」
余韻を残して、詩が消えた。
ファーヴニルの動きが止まる。のたりと身を横たえ、大人しくなった。五つある眼は、全て瞼が閉じられている。まるで岩山だ。規則正しく腹部が上下しているため、辛うじて生き物だと分かる。
フェンリルは、ティスの元に駆け戻った。
「呪歌かよ?」
ティスは人差し指を唇に当てて、笑みを浮かべる。
「昔、姉さまがよく歌ってくれたの」
彼女達ならば、耳を塞いでいても、巧みに相手の心を掴む。隙を突いて入り込むことしか出来ない自分の力量が、ほとほと嫌になる。
「眠ってくれて良かったわ」




