第88話 沈黙の影 ― 揺れる心と、語られない過去
記録庫から抜け出した二人は、
裏廊下の薄暗い光の中を歩いていた。
ロザリンは胸の奥がまだざわついていた。
足音は静かなのに、
心臓だけが落ち着かない。
(……お父様の病は……病じゃない……
誰が?……ヴァルガ……?)
思考がまとまらない。
呼吸が浅くなる。
隣を歩くロウは、
いつもより無言だった。
ロザリンはその沈黙に気づき、
そっと横目で見上げた。
ロウの横顔は、いつもより硬い。
何かを考えている。
何かを押し殺している。
(……ロウ……
さっきの診断書を見た時……
一瞬だけ……表情が変わった……)
ロザリンは歩みを緩めた。
「……ロウ。
さっき……記録を見た時……あなた……
何か……知っているような顔をしていたわ。」
ロウは立ち止まり、
わずかに目を伏せた。
沈黙。
ロザリンの胸が締めつけられる。
「……ロウ。
言いたくないことなら……無理に聞かない。
でも……」
ロウはゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、いつものように優しいのに、
どこか遠い。
「……姫様。
今は……言えません。」
ロザリンの心が揺れた。
「……言えない……?」
ロウは頷いた。
「はい。
ですが……姫様が知るべきことは、
必ず……私が隣で見届けます。」
その言葉は優しいのに、
どこか痛かった。
(……ロウ……
あなたは……何を抱えているの……?)
ロザリンは胸に手を当て、
深く息を吸った。
「……ロウ。
私は……怖いの。
お父様のことも……ヴァルガのことも……
そして……
あなたが何かを隠していることも……」
ロウは目を閉じ、
ほんの一瞬だけ苦しそうに眉を寄せた。
だがすぐに、静かな声で言った。
「……姫様。
私は……姫様を守ります。
それだけは……変わりません。」
ロザリンはその言葉に、胸が少しだけ温かくなる。
でも同時に、
胸の奥に小さな棘が残った。
ロザリンは歩き出した。
ロウも静かに後ろを歩く。
二人の距離は近い。
手を伸ばせば触れられるほど。
でも──
心の距離だけが、ほんの少しだけ離れていた。
その距離は、ロウの沈黙が生んだもの。
そしてその沈黙は、ロウの過去へと繋がっている。
ロザリンは小さく呟いた。
「……ロウ。
あなたが話せる時まで……
私は待つわ。」
ロウは歩みを止めず、
ただ静かに答えた。
「……ありがとうございます。
姫様。」
その声は、どこか痛みを含んでいた。
(……ロウ……
あなたは……どんな闇を抱えているの……?)
ロザリンの胸に、新しい不安と、
新しい決意が生まれていた。




