第38話「揺らぐ日常 ― 姫を外へ誘う影」
謁見室を出たあとも、ロザリンの胸は重く沈んでいた。
父の弱り切った姿が、まぶたの裏に焼きついて離れない。
(……お父様。
本当に……あの縁談を望んでいるの?)
宰相の言葉は冷たく、
父の意思を代弁しているようには思えなかった。
ロウはロザリンの横を歩きながら、
何度も後ろを振り返っては、宰相の気配を探っていた。
「……ロウ?」
ロザリンが声をかけると、ロウは小さく首を振った。
「姫様。
宰相の言葉を……そのまま信じてはなりません」
ロザリンは立ち止まる。
「どういう意味……?」
ロウは言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。
「陛下の病は……自然なものではない可能性があります。
宰相が……何かをしているのかもしれません」
ロザリンの胸がざわつく。
「……ロウ。
あなた、何か知っているの?」
ロウは一瞬だけ目を伏せた。
幼い頃の記憶──地下研究所、父の死、奪われかけた力。
そのすべてが胸を締めつける。
だが、ロザリンにその過去を語ることはできなかった。
「……いえ。
ただ、宰相の動きが不自然なのです」
ロザリンはロウの横顔を見つめた。
その瞳には、言葉にできない強い警戒が宿っている。
(ロウ……何を隠しているの?
でも……あなたが私を守ろうとしてくれているのは分かる)
ロザリンは小さく息を吸った。
「……ありがとう、ロウ。
でも、私は……お父様の意思を確かめたいの」
ロウはその言葉に胸が痛んだ。
(姫様……あなたは優しすぎる。
だからこそ、宰相に狙われる)
その日の夕刻。
ロザリンの部屋に、侍女が一通の封書を持ってきた。
「姫様。宰相閣下より、お届け物です」
ロザリンは眉をひそめながら封を切る。
中には、丁寧な筆致でこう書かれていた。
『姫様。 明日、城下の視察にご同行いただきたく存じます。 王家のご威光を示すためにも、ぜひご出席を。 宰相 ヴァルガ』
ロザリンは息を呑んだ。
(……視察?
今、この時期に?
お父様があんな状態なのに……?)
ロウがすぐに駆け寄ってきた。
「姫様、その手紙……」
ロザリンは震える指で手紙を差し出した。
ロウは一読し、表情を固くした。
「……宰相が、姫様を外へ連れ出そうとしている」
「外へ……?」
ロウは深く頷いた。
「姫様。
これは“偶然”ではありません。
宰相は……あなたを城から離したいのです」
ロザリンの胸が冷たくなる。
(……お父様のそばから、私を遠ざけるため?
それとも……別の理由?)
ロウは手紙を握りしめ、低く言った。
「姫様。
明日の視察……僕は、絶対に同行します。
宰相が何を企んでいようと、あなたを守る」
ロザリンはロウの瞳を見つめた。
その中には、揺るぎない決意が宿っている。
(ロウ……
あなたは、どうしてそこまで……)
胸が熱くなる。
だが同時に、
宰相の影がじわりと迫ってくるような恐怖が、
ロザリンの背筋を冷たく撫でた。
その夜。
ロザリンは窓辺に立ち、月を見上げた。
(……お父様。
私はどうすればいいの?
宰相の言葉を信じるべきなの?
それとも……ロウの警告を?)
月の光が静かに部屋を照らす。
ロザリンは胸に手を当てた。
(……明日、何が起こるのか分からない。
でも……ロウがそばにいてくれるなら……)
小さく息を吐き、目を閉じた。
(……私は、前に進む)
その決意は、
まだ弱く、揺れていた。
だが確かに、
ロザリンの中で何かが動き始めていた。




