第168話 揺らぐ闇
ヴァルガの声は低く、刺すように冷たい。ロウを見下ろしていた宰相時代の癖が、そのまま残っていた。
「ロウ殿に教える理由は、どこにもありません。
守護種の末裔だからといって、私が従う義務はないでしょう」
ロウは言葉を失い、
ロザリンはすぐに一歩前へ出た。
ヴァルガの視線はロウから逸れ、ロザリンへ向く。その目の色が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
ロザリンは静かに口を開いた。
「……兄上」
その呼びかけは、ヴァルガの胸の奥に残っていた
“兄上”と呼ばれていた頃の記憶を、そっと揺らした。
子供の頃──ロザリンは自分の後ろをついて歩き、自分を兄として慕っていた。
守りたかった。
愛していた。あの頃の気持ちは、完全には消えていない。
ロザリンは続ける。
「このままでは王都が……完全に闇の瘴気の靄で覆われてしまいます。花の光が弱まり続けています。王都の人々が怯えています」
ヴァルガは視線を落とした。
ロザリンは正式な王家の血筋の姫様。
自分とは違う“本物の王族”。
姫様としての敬意。兄としての記憶。支配したかった欲。奪えなかった正統性。
全部が混ざって、ヴァルガの胸に重く響く。
ロザリンは静かに言葉を重ねた。
「兄上は……子供の頃、王都が好きでしたよね……
花の光が揺れる街を、私とよく見ていました」
ヴァルガの指先が止まる。
その表情は、皮肉でも怒りでもなく、触れられたくない記憶に揺れるような影だった。
そして──ロウの存在が視界の端に入ると、なぜか胸の奥に小さな棘が刺さる。
ロザリンは静かに言った。
「だから……教えてください。
黒い花を枯らす方法を……王都を救いたいんです」
長い沈黙が落ちた。
ヴァルガは深く息を吐き、ロザリンを見た。
「……そこまで姫様が言うなら、仕方ない」
その声は、渋々という声だった。
ロウの前では弱さを見せたくない。
兄上と呼ばれていた頃の記憶が、姫様としての敬意が、ヴァルガの冷酷さを揺らす。
「闇の花は──」
また言葉を切る。ロウを見る目は、まだ刺すように冷たい。
「……皮肉なものだ……
私が最も嫌った“花”と“月”が、私の闇を終わらせるなんて」
ロウが息を呑む。ヴァルガは続けた。
「闇の花は……花の力と月の力が重なったときだけ、枯れる」
その声は、感情を必死に押し殺した声だった。
「花だけでは闇は消えない。月だけでも同じだ。二つが重なった瞬間──闇の花は力を失う。靄も消える」
ロザリンは静かに頷いた。
「……ありがとうございます、兄上」
そしてロウに向き直り、
「行きましょう、ロウ。王都を覆う靄を……終わらせるために」
ロウはロザリンの隣に立ち、その決意を受け止めるように深く頷いた。
「はい、姫様」
二人が取り調べ室を出る直前、ヴァルガは皮肉とも諦めともつかない声で呟いた。
「……花と月に救われる王都か。本当に、皮肉だ」
王城の光が、二人の背を静かに押していた。




