第11話 王城の光と影
夜明け前の森を抜け、
ロザリンとロウは王城へ向かって歩いていた。
空が薄く白み始め、遠くに王城の塔が見えてくる。
ロザリンはその姿を見て、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
「……帰ってきたわね」
ロウは横で静かに頷いた。
「姫様。
僕がそばにいます」
ロザリンは小さく微笑んだ。
「ええ。
あなたがいてくれるなら、大丈夫」
だがロウの胸の奥では、別の感情が静かに疼いていた。
──あの場所に戻る。
──あの男がいる場所に。
ロウはその影を押し込めるように、深く息を吸った。
門番たちはロザリンを見ると、慌てて膝をついた。
「姫様、お帰りなさいませ!」
ロザリンは軽く頷き、ロウのほうを振り返った。
「この方は私の護衛として連れてきたわ。
通してちょうだい」
門番たちは驚いたように目を見開いたが、
ロザリンの言葉に逆らう者はいない。
ロウは静かに頭を下げ、王城の中へ足を踏み入れた。
──懐かしい匂い。
──冷たい石の床。
──遠くから聞こえる足音。
ロウの胸の奥に、あの夜の記憶が微かに蘇る。
だがロザリンの背中を見ていると、
その影は少しだけ薄れた。
ロザリンは王女としての生活に戻った。
朝は兄と朝食をとり、昼は貴族たちとの面会、
夜は父王の見舞い。
兄──ヴァルガは、
いつもと変わらぬ優しい笑顔でロザリンを迎えた。
「ロザリン、戻ってきてくれて嬉しいよ。
父上も喜ぶだろう」
ロザリンは安心したように微笑んだ。
「兄様……ただいま」
だがロウは、
その笑顔の奥にある“冷たい何か”を感じ取っていた。
──あの目だ。
──あの夜と同じ。
ロウは無意識に拳を握りしめた。
王城に戻ってからは、ロウはロザリンの護衛として、
常に彼女のそばに立つようになった。
廊下を歩くとき、貴族と会うとき、
父王の部屋へ向かうとき、
夜、部屋へ戻るとき。
ロザリンはふとした瞬間にロウを見る。
「ロウ、疲れてない?」
「いいえ。姫様のそばに立てることが、
僕の務めです」
ロザリンはその言葉に安心したように微笑む。
だがロウは、王城の空気に潜む“何か”を感じ続けていた。
使用人たちの怯えた目、薬を運ぶ兵士の不自然な沈黙、
貴族たちのひそひそ話、兄の優しすぎる笑顔。
ロザリンは気づかない。
気づけない。
ロウだけが、
この城に満ちる“影”を感じていた。
ロザリンが部屋に入る前、
ふとロウのほうを振り返った。
「ロウ。
今日も……ありがとう」
ロウは静かに頭を下げた。
「姫様。僕はあなたを守るためにここにいます。
どんな影があっても」
ロザリンはその言葉に、胸の奥が温かくなるのを感じた。
「……おやすみ、ロウ」
「おやすみなさい、姫様」
扉が閉まる。
ロウはその前で静かに立ち続けた。
──この城には、
──姫様が知らない影がある。
ロウは拳を握りしめた。
姫様を守る。
たとえこの城そのものが敵であっても。
月明かりが廊下に差し込み、ロウの影を長く伸ばしていた。
王城の奥、 普段は使われることのない小さな謁見室。
朝の光が細い窓から差し込み、 薄い金色の帯が床に落ちていた。
ロザリンは扉の前で一度だけ振り返り、 ロウの姿を確かめた。
「ロウ。 ここから先は……私の決意の証よ。
あなたにも立ち会ってほしいの」
ロウは静かに頷いた。
「姫様の望むところへ。 僕はただ、おそばにおります」
その言葉に、ロザリンは小さく息を整えた。
そして扉を押し開けた。
謁見室の奥には、 レオンハルト国王が病床で椅子に身を預けていた。
その姿は、 ロザリンが記憶している“王”とは違っていた。
痩せ、 肌は青白く、 目の焦点はどこか定まらない。
ロザリンは胸が痛んだ。
「お父様……」
国王はゆっくりと顔を上げ、 弱々しい笑みを浮かべた。
「ロザリン……戻ってきてくれたのか……」
声は、 かつての威厳ある王の声とは別人のように細かった。
ロウはその姿を見た瞬間、 胸の奥に冷たいものが走った。
──これは、ただの病ではない。
呼吸の浅さ、 肌の色、 目の虚ろさ。
ロウは“あの部屋”で見た実験体たちの姿を思い出した。
胸の奥で、 嫌な予感が静かに形を取る。
国王の横には、 ヴァルガ宰相が立っていた。
いつもの柔らかい笑みを浮かべ、 ロザリンに向かって言う。
「ロザリン。 父上は少し体調が悪いだけだよ。 心配しすぎると疲れてしまう」
ロザリンは安心したように頷いた。
だがロウは、 ヴァルガの目の奥にある“冷たい光”を見逃さなかった。
──あの目だ。
──あの夜と同じ。
ロウの背筋に、 微かな震えが走った。
ロザリンは国王の前に進み、 静かに膝をついた。
「お父様。 私、この者を……
ロウを、私の護衛兵として任命したいのです」
国王はゆっくりとロウを見た。
その瞳は弱々しいが、 どこか深いものを宿していた。
「……ロザリンが選んだのなら…… 私は……信じよう……」
ロザリンの胸が熱くなる。
ヴァルガは優しい声で続けた。
「ロザリンが必要とするなら、私も反対しないよ。
ロウ、妹を頼む」
その声は柔らかい。 だがロウには分かる。
──これは“優しさ”ではない。 ──支配のための声だ。
ロウは胸の奥に冷たいものを抱えながら、
片膝をつき、頭を垂れた。
「ロザリン姫に忠誠を誓います
。 命に代えても、お守りいたします」
ロザリンはその言葉に、 静かに微笑んだ。
国王は弱い声で言った。
「……頼んだぞ……ロウ…… ロザリンを
……守って……くれ……」
その声は、 まるで何かに怯えているように震えていた。
ロウはその震えに気づいた。
──国王は“何か”を恐れている。
──そしてその“何か”は、この部屋にいる。
ロウの視線が、 自然とヴァルガへ向いた。
ヴァルガは優しい笑みを浮かべたまま、 ロウの視線を受け止めた。
その笑みの奥にある冷たさは、 氷のようだった。
式が終わり、ふたりきりの廊下 謁見室を出た瞬間、
ロザリンは大きく息を吐いた。
「ロウ…… 正式に、あなたは私の護衛兵よ」
ロウは静かに頷いた。
「光栄です。 姫様のそばに立てるなら、僕はそれで十分です」
ロザリンは嬉しそうに微笑んだ。
だがロウの胸の奥では、 別の感情が渦巻いていた。
──国王の異常な衰弱。
──ヴァルガの優しい仮面の裏の冷たさ。
──王城に満ちる、説明できない“影”。
ロウは拳を握りしめた。
姫様を守らなければ。この城そのものが敵であったとしても。
廊下に差し込む光の中で、 ロウの影は長く伸びていた。




