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赤ずきん姫とオオカミ騎士~姫に触れられるのは、ただひとりのオオカミだけ~  作者: 月乃雫


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第102話 トラウマ

記録庫の扉を閉めた瞬間、


空気がひとつ沈んだ。




……視線。




背中に、細い刃を押し当てられたような冷たさ。




ロウは振り返る。


廊下には誰もいない。




けれど、空気の端がわずかに揺れていた。




(また……)




今日だけで三度目。


影班の気配が、妙に近い。




ロザリンは気づいていない。




写本を胸に抱え、


父の病状の記述を黙って読み返していた。




その横顔は、どこか痛みに耐えているようで、




ロウの胸を締めつけた。




「ロウ、どうしたの?」




「……いえ。少し外します」




ロウは短く答え、影の中へと身を滑らせた。




ロザリンの前では、余計な不安を与えたくなかった。






影班の気配は、王宮の奥へ奥へと進んでいく。




(巡回じゃない。……誰かの命令だ)




影班の歩幅は一定。


呼吸も乱れない。




だが、動きに“目的”がある。


ロウは距離を保ちながら、


足音を消し、影と影の間を渡る。




影班の影が壁に揺れるたび、


胸の奥がざわついた。




(……姫様を巻き込むわけにはいかない)




ロザリンの笑顔が脳裏に浮かぶ。




その笑顔を曇らせるものは、


ひとつ残らず排除したい。




その思いが、ロウの足を自然と速めた。




影班は曲がり角をいくつも曲がり、


普段は使われない廊下へと入っていく。




壁の装飾が少なくなり、灯りもまばらになっていく。




(……この先は……)




ロウの胸に、


嫌な予感がじわりと広がった。






影班は、古い鉄扉の前で立ち止まった。




ギィ……と重い音が響く。




ロウは息を潜め、


影班が階段を降りていくのを見届けた。




そして──


ゆっくりと後を追う。




階段を降りた瞬間、空気が変わった。




湿気。


薬品の匂い。


石壁の冷たさ。




その瞬間──


ロウの身体が勝手に震えた。




(……この匂い……)




胸が締めつけられる。


喉が詰まる。


視界の端が揺れる。




(……ここは……)




足が止まる。






暗い廊下の匂いが、幼い日の記憶を引きずり出した。




月影の村。


夕暮れ。


家の前。


影班が父の腕を掴んでいた。




『すぐ戻る』そう言って笑った父の顔。でも、その笑顔は震えていた。




ロウの頭を撫でた手の温度。


影班の無言の圧。


村人たちの沈黙。


父の背中が遠ざかる光景。




──そして、戻らなかった……父。




ロウの指先が震えた。






視界が揺れる。




(……俺も……ここに……)




十五歳の時。


ロウは同じ匂いのする地下に連れて来られた。




冷たい石壁。薬品の匂い。


鉄扉の軋む音。


魔力を抜かれる痛み。


声が出ない恐怖。


逃げ場のない暗闇。




胸が焼けるように痛む。






そして──あの時。


宰相は淡々と告げた。




『以前の月の力の研究では……ロウ……


あなたの父が研究対象でした。


彼は……ここで実験中に死にました。』




その瞬間、


ロウの世界は崩れた。




父の最後を知らなかった自分。


助けられなかった自分。


父と同じ場所に自分もいるという絶望。




宰相の冷たい声。


笑ってもいないのに、笑っているような目。




(……宰相……)




ロウの指先が強張った。






影班の足音が、地下の奥へと消えていく。




ロウは壁に手をつき、震える指先を押さえ込んだ。




(……思い出すな……)




あの頃の全てが、一気に押し寄せる。




(……姫様……)




ロザリンの顔が浮かぶ。




その笑顔だけが、ロウを現実に引き戻す。




ロウは深く息を吸い、震えを押し殺した。






影班が入った部屋の前に立つ。


扉の隙間から、声が漏れた。




「宰相閣下のご指示で──」


「王の衰弱は—順調です」


「…術式の準備をなさいますか?」




ロウの心臓が跳ねた。




(……やはり……)




壁に手をつき、肩が震える。




(……姫様……)




またロザリンの顔が浮かぶ。


彼女の笑顔。声。




(……伝えないと……)




ロウは震える足を前に出し、


影のようにその場を離れた。




ロザリンのもとへ戻るために。

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