第101話 ヴァルガ宰相の底知れない闇
王宮の奥、人の気配が薄い回廊を、
影班の一人が音もなく進んでいた。
その足取りは、
まるで空気が形を持って動いているかのよう。
やがて彼は宰相室の前に立ち、
扉を軽く叩いた。
「……入れ。」
低く静かな声が返る。
影班の男は扉を開け、深く頭を下げた。
「宰相閣下。ご報告いたします。」
ヴァルガは書類から目を離さず、
淡々とした声で言った。
「言え。」
影班の男は、息を殺すようにして報告を始めた。
「……は、本日ロザリン姫も記録庫に向かわれました。護衛のロウ殿と共に。」
ヴァルガの指が止まる。
「……記録庫に“再び”か。」
「はい。
ロザリン姫は棚の奥を調べ、王の診療記録の一部を確認されていました。」
ヴァルガはゆっくりと顔を上げた。
「……何を探していた?」
影班の男は首を振る。
「そこまでは……
ただ、ロザリン姫は“魔力診断の記録”を探しているように見えました。」
ヴァルガの瞳が細くなる。
「……魔力診断……か」
影班の男は息を呑む。
「さらに……ロザリン姫は廊下で“視線”を感じたようで、周囲を警戒されていました。」
影班の男は続けた。
「そして……
本日は“ロウ殿の動き”に異変がありました。」
ヴァルガの指が止まる。
「……異変?」
「はい。まるで……
“こちらの位置を知っている”かのように、
影を避けて動いていました。」
ヴァルガはゆっくりと顔を上げた。
その瞳が、いつもの冷たさとは違う色を帯びる。
「……ロウが、影を避けた?」
影班は頷いた。
ヴァルガは窓の外を見つめたまま、低く呟いた。
「……ロウ。
お前が“影”を避けるとはな。」
ヴァルガは書類を閉じ、静かに言った。
「……ロザリン姫ではない。」
影班の男は顔を上げる。
「“気づいている”のはロウの方だ。」
影班の男は息を呑む。
「ロザリン姫はまだ影を知らぬ。
だがロウは……影を“避けた”。
あれは偶然ではない。」
ヴァルガは薄く笑った。
「……あの男の過去は、
私が一番よく知っている。」
影班の男は黙って頭を下げる。
ヴァルガは続けた。
「問題は“過去”ではない。
ロウが今、何を守り、
何を恐れているかだ。」
影班の男は静かに頷いた。
「……ロザリン姫、でしょうか。」
ヴァルガの瞳が細くなる。
「そうだ。
ロウはロザリン姫を守りすぎている。
あれは……“弱点”だ。」
影班の男は息を呑む。
ヴァルガは机に手を置き、静かに命じた。
「ロウの“現在の動き”を追え。
ロザリン姫ではなく、ロウの方だ。」
影班の男は深く頭を下げた。
「承知しました。」
ヴァルガは小さく笑った。
「……ロウ。
お前がロザリン姫を守れば守るほど、私は姫に近づける。」
その声は、
甘く、冷たく、
底知れない闇を含んでいた。
影班が去ると、部屋には静寂が戻った。
ヴァルガは机に手を置き、小さく呟いた。
「……さて、ロザリン姫。
あなたは次にどこへ向かう?
あなたが真実に近づくほど……周囲の影も濃くなる。」
その瞳は、
まるで獲物を追う獣のように静かで鋭かった。




