幕間:ライナー対ファラ
「私は攻めることも好きですが、どうやら攻められる方が性に合っているようです」
ルシュムガルの何処か。地面に小石の砂利が敷き詰められ、レナルーテ城内の中庭を彷彿とさせる場所にて、翡翠晶の影響で成人した姿となったファラの瞳が妖しい光を放っていた。
今の彼女は守護十翼と同じ制服を着ており、両手に手甲をはめている。
ファラの瞳が見据える先には、ライナー・バルディア辺境伯が剣を下段に構えていた。
ファラの衣服に乱れはなく、体に汚れや切り傷は見られない。
一方、ライナーの衣服には激しい動きによる乱れ、砂利を転がったであろう汚れ、魔法や拳打を浴びたと思われる跡が至るところに見られた。
ファラはため息を吐き「ですから……」と続けて微笑んだ。
「お義父様。そろそろ、防御に徹するのはやめて攻撃に転じてくれませんか」
「残念ながらそれは出来ん。いっそ、戦いをやめてくれれば助かるのだがな」
剣を構えたままライナーが返事をするも、ファラは小さく首を横に振った。
「それこそ出来ない相談です。私はお義父様をこの手にかけ、リッド様のお心を独り占めするのですから」
「……君が慕ってくれているように、あの子も君を慕っている。そのようなことをしても、リッドは悲しむだけだぞ」
「素晴らしいことではありませんか、私の行いを憂い、悲しむ……それはつまり、リッド様の心が私だけに向くということなのですから。ふふ、あっははは」
狂気が混ざった可憐な笑い声が響き渡った。
普段のファラであれば有り得ない言動である。
ライナーは心の中で『ホルストめ』と忌々しげに吐き捨てた。
ここに至るまでに起きた出来事、対峙した相手、リッド達から得た翡翠晶の力……これらの情報から『ファラは無理矢理に翡翠晶の力を与えられ、負の感情か何かを増大させられて洗脳状態にある』のだろうと、ライナーは仮説を立てていた。
しかし、ファラと長時間対峙しているが、ライナーはファラを救う手立てをいまだ見つけられていない。
反撃の隙を見つけてもあえて見逃し、防戦に徹していたのだ。
これまでライナーが倒してきた『翡翠晶の力』を得た者達を考えれば、ファラの何処かにあるであろう翡翠晶を破壊すれば正気に戻せる可能性はある。
だが、問題は体のどこにあるか……だ。
リッドであれば翡翠晶の気配を察知し、おおよその場所を突き止めることができるかもしれない。
だが、ライナーはあくまで剣士であり、魔力の気配を察知して手繰るのは、どちらかと言えば苦手としている。
ならば、ファラの着ている服を切り刻んで無理矢理にでも見つけ出す、という方法もあったがそれは出来なかった。
翡翠晶によって引き出されたと思われるファラの潜在能力に加え、その能力を存分に発揮できる成人の姿。
この二つが組み合わさったことで、今のファラはライナーが加減して倒せる相手ではなくなっていた。
『元より優れた武の才能を持っているとは思っていたが、まさか此程とはな。エリアス陛下の血筋か、それとも……いや、何にしても、下手に服だけ斬ろうとすれば深手を負わせかねん。機を待つしかあるまい』
可憐な声で笑うファラは隙だらけだが、ライナーはあえて何もせずに剣を下段に構えたままだ。
やがて、彼女は笑うのを止めた。
「これだけ隙を見せても攻めてきてくれないのですね。では、こうしましょう」
ファラはおもむろに自身の衣服に手を掛け、ボタンを外して襟元を開けていく。
すると、露わになった胸元では、肥大化した翡翠晶が彼女の褐色肌に根を張っていた。
ライナーが眉をぴくりとさせると、ファラはにこりと微笑んだ。
「お義父様が探していたのはこれなのでしょう。あのお方に授かった力、その源です」
「あぁ、そのとおりだ」
相槌を打ったライナーは、剣の構えを下段から正眼に変えていく。
彼の全身から殺気とはまた違う、剣士が持つ独特の『剣気』とも言うべき気配が漂い始める。
「やっとやる気になってくださったのですね。とても嬉しいです」
「そうだな。しかし、やるからには一撃で決めさせてもらう」
ライナーは正眼の構えを更に上段へと変えていくが、通常の上段ではない
剣を右手で持ち、左手は剣身の切っ先に添えた。
「上段突構え、ですか。私の胸元にある翡翠晶を貫くおつもりですね。ですが、そう簡単にできるでしょうか」
「できる、できないではない。やるしかないのだ」
「それはそれは豪毅なこと。お義父様の剣、とても楽しみです」
上段突構えのまま鋭い眼光を放ち、剣気を纏うライナー。
手甲を身に着けた両手を前に出して身構え、不敵に微笑むファラ。
静寂の中、二人は睨み合いを続けながらじりじりと間合いを詰め合っていく。
砂利を踏みしめる音が響き、ファラが目を瞬いた瞬間、ライナーが大地を蹴った。
魔力付加が施されて炎揺らめく剣が、上段突構えから突き降ろされていく。
だがその刹那、ファラが不敵に笑う。
彼女は避けるわけでもなく、引くわけでもなく、受けるわけでもなく、自らの胸元に突き降ろされた剣へと踏み出した。
『馬鹿な、死ぬ気か』
ライナーはハッとして足を踏みとどめて勢いを殺し、咄嗟に剣を引いた。
「私が踏み出して自ら剣に当たりに行けば、翡翠晶だけではなくこの体を貫いてしまう。でも、優しいお義父様はそれを決して望まない。そうですよね」
ファラはしたり顔で微笑み、ライナーの剣を紙一重ですり抜けて懐に入り込んだ。
「やられたな。最初からこれが狙いで翡翠晶を見せたのか」
「はい。だから、お伝えしたではありませんか。私は攻めることも好きですが、どうやら攻められる方が性に合っているようです、と」
ファラは両手で掌底を繰り出し、ライナーの腹部に重い一撃を与える。
そして、彼女はにこりと目を細めた。
「猛虎風爆波【もうこふうばくは】」
次の瞬間、猛虎の咆吼の如き爆音が轟き、彼女の両手から爆風が生じてライナーを吹き飛ばした。
「ぐぉおおおおおおお」
ライナーは受け身を取ることもままならず、水切り石のように大地を転がり跳ねていく。
やがて、大木に背中を打ちつけてようやく止まった。
「が……はぁ……」
何とか離さず持っていた剣を杖にして立ち上がろうとするが、全身が強い衝撃と痛みに襲われ、体が言うことを聞かない。
「さすがです、お義父様」
砂利を踏みしめる音に次いで、可憐な声が聞こえてくる。
ライナーが顔を上げれば、そこには目を細めるファラが立っていた。
「本気だったのに、この一撃でも倒れないなんて驚愕に値します」
「驚いたのはこっちも同じだ。君がこれほどの大技を扱えるとは知らなかった。まったく、君とリッドは似た者同士、型破りな夫婦だな」
「お褒めに与り光栄です、お義父様。何か、リッド様にお伝えしておくことはございますか」
「ない、私はまだ死ねないのでな」
ライナーが不敵に笑って強い口調で答えると、ファラは「そうですか」と淡々と頷いた。
「では、お義父様。死んでください、私とリッド様のために」
「何度でも言おう、それは出来ぬ相談だ。君とリッドのために」
ファラが腰裏に差していた短刀を抜こうとし、ライナーが眼光を放ったその時、白い冷気が二人の間に走った。
冷気からは尖った氷が次々に生じ、ファラを襲っていく。
「いいところなのに、無粋な輩もいたものです。何者ですか」
飛び下がったファラが白い冷気を目で追いながら、その出所に強い口調で呼びかける。
すると、「情けない姿ですね」と冷たく刺々しい声が返ってきた。
「ファラ・レナルーテ。いえ、ファラ・バルディア。貴女をそのように弱く育てた覚えはありませんよ」
白い冷気の出所に立っていたのは薙刀を持ち、冷徹な表情をしたエルティア・リバートンであった。
彼女を見たファラは目を見開くも、すぐににこりと微笑んだ。
「これはこれは。誰かと思えば母上様ではありませんか。相変わらず無粋で愛嬌がありませんね」
「貴女も相変わらず浅慮で無駄に愛想を振りまいているようですね。少し、仕置きが必要なようです」
成人姿のファラとエルティアの睨み合いで周囲の空気は瞬く間に凍てつき、白い冷気が宙に漂い始めた。




