幕間・激烈なる母娘喧嘩
「ライナー殿、娘が至らぬばかりにご迷惑をおかけしたようですね。申し訳ありません」
エルティアが横目でちらりと背後を見やると、ライナーは片膝を突いたまま首を横に振った。
「ファラに至らぬ点などありません。全てはホルスト・パドグリーの所業故、エルティア殿が謝罪する必要はないでしょう。それよりも助太刀、感謝いたします」
「ライナー様、ご無事ですか」
エルティアとライナーが言葉を交わしたその時、カペラとアスナが駆けつけた。
寄り添って心配顔を浮かべる二人に、ライナーはにこりと笑いかける。
「大丈夫だ、深手は負っておらん」
「ご無事で何よりでした。すぐに手持ちの薬を使います」
カペラはほっと胸を撫で下ろした様子で、所持していた薬や包帯を手早く取り出し、ライナーの傷を塞いでいく。
アスナはぐっと口を結びながら立ち上がり、エルティアの正面に立つ成人したファラを見据えた。
「姫様、正気を取り戻してください」
「アスナ、私は正気ですよ。それに解放されたみたいにとっても気分がいいんです」
ファラはにこりと目を細めるが「それよりも、アスナ。貴女……」と、すぐに目付きを鋭くした。
「あのお方に任された任務を果たせず、与えられた力すらも失っているではありませんか。情けない、それでも私の専属護衛なのですか」
「姫様……」
返ってきた答えにアスナは愕然とするが、「もういいでしょう」とエルティアが会話に割って入り「一つ尋ねます」と続けた。
「ファラ、貴女がいま成し遂げたいことはなんですか」
「そんなこと、リッド様の心を私で満たすことに決まっているではありませんか」
「……なんですか。それは」
エルティアが眉を顰めると、ファラは恍惚とした表情でうっとりしはじめた。
「リッド様は誰にでも分け隔てなく、とても優しいんです。でも、私は、私だけを見て、考えてほしいのです。だから、リッド様の大切にしているものを全て壊して私だけを、私だけを、私だけを、私だけを、私だけを、私だけを、私だけを、私だけを……私だけを見つめて、求めてほしいんです。愛も、憎悪も、悲しみも全てを、全てが私だけに向いてほしい。私はリッド様の妻なんですから、私がリッド様の一番なんです。あは、あっははは」
狂ったように高笑いをするファラの姿をエルティア達が訝しむなか「おそらく……」とライナーが切り出した。
「翡翠晶の力か何かで、ファラの心中にあった感情を負の方向で肥大化させたのだろう」
「なるほど、よくわかりました。カペラ、アスナ、二人はライナー殿を守り、傷の治療に専念なさい」
「エルティア様に何かあっては頭目……いえ、ザック様に申し訳が立ちません」
「お待ちください、エルティア様。専属護衛を任された私が姫様をお守りできなかったことが、そもそも原因です。どうかご助力させてください」
「……エルティア殿、私のことなら気にせず大丈夫だ。幸い、傷も深くはないのでな」
カペラ、アスナ、ライナーが立て続けに言葉を発したが、エルティアは横目でちらりと三人を一瞥する。
その瞳はどこまでも冷たく、しかし、怒りにたぎっているようにも見えた。
「ここは任せなさい、そう言っているのです。そもそも、貴方達は本気でファラに剣を向けることができるのですか」
「そ、それは……」
カペラがたじろいで言い淀み、アスナが悔しそうに俯いた。
「カペラとアスナ、貴方達の立場を鑑みれば本気になるなど不可能です。ライナー殿も本気で対峙することはできても、本気で剣を振るうことまではできないでしょう。ですが、私は違います」
エルティアが横目で繰り出す眼差しには、強い覚悟が宿っている。
ライナーは深呼吸をし、手に持っていた剣をゆっくり鞘に収めた。
「わかりました。ここはお任せいたします」
「感謝します、ライナー殿」
エルティアはこくりと頷き、ファラへ一歩踏み出した。
「あら、母上様。お話はもう良いのですか」
「えぇ、時間もあまりありません」
エルティアは持っていた薙刀を地面に突き立て、胸の前で素手の手を拳にして指を鳴らし始めた。
「貴女の言動からして、さしずめ利用された想いは『愛と独占欲』と言ったところでしょうか。ですが、一つ教えてあげましょう、ファラ」
「なんですか、母上様」
「盲愛で束縛の激しい娘は、殿方に嫌われるのが世の常です」
「……言ってくれますね、母上様。私を思い通りに育てようと盲愛し、束縛したのはどこの誰でしたでしょうか」
眉を顰めたファラが手甲を投げ捨てて素手で身構えるなか、エルティアもゆっくり身構えていく。
奇しくも、二人の構えは手の位置も、足の位置も鏡を前にしたように同じであった。
「親の心、子知らず……とはよくいったものです」
「子の心、親知らず……ともいいますよ、母上様」
ファラの全身から黄緑の魔力が炎のように立ち上がり、揺らめいた。
エルティアの全身から白い魔力が冷気のように立ち上がり、揺らめいた。
二人の間に凍てつく冷気が漂い始めるなか、ふいに風が吹き抜ける。
凍りつくような白い風がファラとエルティアの視界を遮ったその時、ファラが風と共に一瞬で間合いを詰めた。
「母上様、そのすまし顔を崩して差し上げますよ」
「やってみなさい。貴女にできるのなら」
ファラが無駄のない鋭い動きで連撃を繰り出すも、エルティアは表情を一切変えずに淡々と受け流していく。
「思ったよりやりますね、母上様」
「その言葉、そっくりそのまま返しましょう。なるほど、軽口を叩く程度の実力はあるようですね」
エルティアの余裕に満ちた口調に、ファラの眉がぴくりと動く。
「これでも軽口程度の実力だと言えますか、猛虎十連撃」
ファラの体から魔波が生じ、風を纏った強烈な拳打と蹴技を組み合わせた連撃がエルティアを襲う。
だが、エルティアは勝手知ったる様子で全て捌き、逆にファラの胸元に光る翡翠晶目掛けて強烈な白い冷気を纏う手刀を繰り出した。
「そうは、させない」
エルティアの手刀が翡翠晶に届く瞬間、ファラは咄嗟に突風を巻き起こして無理矢理に距離を取った。
一撃も入れられないどころか、反撃を受けるところだった……青ざめたファラが胸元の翡翠晶に傷が出来ていないか触っていると、エルティアが「そういえば……」と呟いた。
「ファラ、貴女に私が武術を指導したことはありませんでした。良い機会です、仕置きついでに教えてあげましょう」
「ほ、本当に貴女は母上様なのですか。猛虎十連撃はいくつもの拳打と蹴技を組み合わせた連撃です。それを全て初見で受け流すなんて……いえ、そもそも、最初から私の動きをまるで見切っていた気もします。母上様、貴女は一体何者なのですか」
困惑した様子のファラが問いかけると、エルティアは「何者……」と眉間に皺を寄せるも「あぁ、そうでしたね」とすぐに合点がいった様子で頷いた。
「貴女に話したことはありませんでした。私の名はエルティア・リバートン、陛下と結婚しなければリバートン家の次期当主となっていた者です」
「え、母上様が、リバートン家の次期当主……?」
ファラが目を瞬くなか、エルティアは「はい」と頷いた。
「猛虎十連撃はザック・リバートン、お父様から習ったのでしょう。残念ですがリバートン家に伝わる武術で私が知らぬものはありません。つまり、私は貴女の手の内を全て知っているのですよ」
「だ、だとしても私には、あのお方から頂いた翡翠晶の力があります。今の私は母上様の上位ご……」
ファラが勝ち気に言い返そうとした瞬間、エルティアは瞬く間に距離を詰めた。
「猛虎十連撃、お手本を見せてあげましょう」




