転生したら竜帝の御子でした
※この物語はフィクションです。また、主人公の主観を通して描かれているため、現実とは異なる部分があります。予めご了承ください。
『不登校で高等養護学校卒、か。一応は高卒なんだろうけどねぇ。単位がないなら実質中卒じゃないか。でも、その道を選んだのは君自身だよね?』
残暑の生暖かい風が吹く夕暮れの帰り道、くたびれたスーツで横柄な態度の面接官に言われた言葉が頭から離れなかった。
別に不登校になりたくてなった訳じゃない。
父の転勤で海外の日本人学校で一年~三年の終わりまで過ごすも、両親が離婚。当時、母に連れられ、五歳離れた兄と一緒に日本へ帰ってきた。
それから日本の学校に通ったが、同級生達に帰国子女という色眼鏡で見られて学校に馴染めなかった僕は、いつも一人で過ごすことが多かった。
ただそれだけだったのに、気付けば同級生達からぞんざいに扱われるようになっていた。
きっと僕の味方になる人物がいないと、子供なりに察したんだろう。それは日ごとにクラスだけでなく、学年全体にも浸透して、いわゆる『いじめ』へと増長していった。
最終打は相談した担任が、僕を教室の前に立たせて『いじめはやめましょう』と宣言したことだ。あの日のことは、今でも前触れなくフラッシュバックするし、夢で魘される。
間の悪いことに、この頃は学校だけではなく、五歳離れた兄が反抗期でめっちゃ荒れていて、兄からも『いじめ』を受けるはめになった。
兄は感情の赴くまま、気に入らないことがあれば僕を殴り、蹴り、怒号と罵声を浴びせたのだ。母さんに相談しても『しょうがないわ。兄弟なんて、そんなものでしょ』で済まされた。
いよいよ心が限界となって小学校四年の半ばから不登校となった。以来、まったく学校に行けず、中学校もいけなくなったのだ。
『学校に行かなくても、何とかなるから大丈夫だよ』
『君は海外とかよさそうだね』
学校の先生やカウンセラーとかいう人達は、決まり文句のように同じことを言っていた。
『そういうものなのか』と、当時は漠然とそう思い、学校や学歴の必要性なんて考えもしなかったのだ。母さんも生活していくため、働くことに必死で僕のことはほぼ放置していた。
人間不信のまま不登校を続けて勉強もせず、ゲーム、アニメ、漫画、映画なんかを見て過ごす日々を過ごした。一つ目の転機を迎えたのは中学校が終わり、高校をどうするか、となった時だ。
勉強を全くしていなかった僕が、通常の高校にいける訳もない。母は周囲の薦めと、僕の現状を鑑みて養護学校に行かせた。
僕が通うことになった養護学校は、軽度な知的障害、発達障害と呼ばれる子達が多く、社会に出て行く支援や社会復帰の教育を主としていた。
人間不信のまま不登校を続けていた僕も、さすがにこのままではいけないだろうと考え、養護学校に何とか通った。
同級生達と会話はまったく合わなかったけど、先生達とは会話できたし、今思えば、この頃が一番平穏だったような気がする。
だけど、養護学校を卒業すると同時に、残酷な現実を知った。養護学校は『高卒』ではなく『中卒』として見られることが多いらしく、いざ就職活動を始めてみると一般企業の書類選考でことごとく弾かれた。
養護学校は厳密に言えば中卒でもなく高卒でもなく『特別支援学校高等部卒』になるらしいが、そもそも履歴書に『特別支援学校卒』と書いた時点で偏見の目で見られる印象がある。ある意味では、中卒よりも厳しいのかもしれない。
大手企業なら、その辺も加味してくれるかもしれないが、そもそも大手企業は大卒で、僕はその土俵にすら登れない。というか、養護学校出の人間かつ『療育手帳』を持っていない僕を、大手企業が雇うことはないだろう。
『療育手帳』とは、何かしらの知的障害が認められ、国からの支援が受けられる手帳、だ。何でも国の制度である程度の規模を超える企業は、障害のある人を一定数採用しないと罰金的なものがあるらしい。
日常生活に大きな支障はなくとも、長年に亘る不登校や軽度な発達障害で社会復帰は難しい。かといって、知的障害が認められるわけでもなく、療育手帳の対象にもならない。そんな境界線に立つ人を、社会は『ボーダー』なんて言ったりもする。そして、僕はその『ボーダー』に当たるらしい。
療育手帳の対象にならなかったことが良かったことなのか、悪かったことなのか。それはわからない。だけど、今の僕の働き口は無い、というのが現状だ。
ただでさえ、学歴不問、という採用条件の緩い、あからさまなブラック企業ぐらいしか正社員採用は望めない。あるいは履歴書の学校名を誤魔化すかだが、ばれた時が怖い。結局のところ、バイトをしながら食いつなぐしかないのだろう。
電車に乗って帰るべく歩いていると、胸ポケットにしまっていたスマホが鳴った。手に取って画面に表示された名前を見た僕は、思わず顔を顰めた。だが、出なければ面倒臭いことこの上ない相手だ。止むなく、画面をフリップして「もしもし……」と小さな声を発した。
「……その声、また駄目だったみたいだな」
スマホから聞こえてきたのは兄の声だが、その口調は嫌悪感に満ちていた。
不登校となって社会の波に乗りそこなった僕と違い、兄は普通に高校と大学に進学して、それなりの企業で働いている。
「うん。履歴書見て、あからさまに嫌な顔を浮かべてたよ」
「そうか。あまり母さんに迷惑かけるなよ」
兄はそれだけ言って通話を一方的に切った。
深いため息を吐き、僕はスマホをポケットにしまった。
兄は本当に勝手だ。人を散々にいじめ抜いて踏み台にした癖に、当時の所業を忘れて兄貴顔をしてくる。母さんも母さんで、『兄はしっかりしてくれて良かった。それに比べて……』なんて、平気でいってくる。
いつだってそうだ。苛めた側は、大したことないだろ、って顔で話しかけてくる。でも、やられた側は一生忘れない。僕を苛め、不登校に押しやった奴等も、きっと今頃は上手に社会の波に乗って過ごしているんだろう。
今をちゃんと生きれば、過去の行いが許される……そんなことを言うのは、いつだってした側、だ。彼等が自分達を正当化する都合の言葉に過ぎない。された側が、お前達を許すわけないだろうが。
やり場のない思いが心に渦巻くが、どうにもならない。
本当に現状を変えたいなら、バイトをして高卒認定でも取って大学にでも進学すべきなのかもしれないが、小学校四年から学校に行っていない僕にそんなことができるのだろうか……全くできる想像がつかない。
そもそも何をどう勉強すればいいのかすらわからない。いっそ、全部初めからやり直せればと思うが、叶わぬ夢だ。
「……帰ろう」
ぽつりと呟き、僕は駅へと足を進めていった。
◇
『間もなく○○、○○です。お出口は左側……』
降りるのはこの次の駅だ。それにしてもと、電車内を見回した。
丁度帰宅ラッシュの時間になってしまったので、車内は人だらけだ。僕が乗った駅ではまだ人が少なくて、出入り口付近の角に座れたのが幸いだった。未だにこんなに人が多いところにいると、情けない話だがちょっと怖い。
電車の速度が緩まって、ゆっくり止まった。プシューと空気を吐くような音が聞こえ、出入口が開いていく。
『電車とホームの間が空いています。お降りのお客様は……』
車内放送が流れるなか、人が次々に降りていき、駅から新しい乗客が押し入るように入ってくる。すると、最後尾で小さな女の子を連れたお母さんが乗ってきて、丁度僕の席の前に立った。ガタンと車内が揺れ、電車が動き出して『○○電車をご利用くださいまして……』と車内放送が流れ出す。
「お母さん、乗れてよかったね」
「そうね。でも、足下を気を付けなさい」
「はーい」
可愛らしいやりとりに、荒んでいた心がほっこりする。僕にもああいう頃があったんだろうが、あまり記憶にない。
どうせ次の駅で降りるんだと、僕はお母さんと呼ばれた女性に「あの……」と恐る恐る切り出した。
「良かったら座りませんか」
「え、でも……」
「いえ、どうせ次の駅で降りるので」
そう言って立ち上がると、女性は「すいません、ありがとうございます」と頭を下げ、連れていた女の子を座らせた。
「ほら、お礼を言いなさい」
「えっと、ありがとう、ございます。優しいお兄ちゃん」
「いえいえ」
照れくさそうにはにかむ女の子に、微笑み返した。願わくば、この子は僕みたいにならないでほしいな。そんなことを考えていると、『間もなく○○、○○です……』と車内放送が流れ出す。
ここで降りて、少し歩けば家につく。母さんに面接のことを聞かれるのは少々億劫だが、最終的に母さんはいつも『いざとなれば兄がいるから』といって満足する。
それはそれで嫌なんだけど、まぁ、僕が落ちこぼれだからしょうがないのだろう。
電車がゆっくり止まっていき、出入口の扉が開いた。
女の子と女性に手を振って別れを告げ、人混みの中でもみくちゃになりながら電車を降りて歩き始めた。良いことしたし、何か良いことでもあればいいな。
「おい、お前」
急に荒っぽい声が背後から聞こえてきた。
喧嘩か何かだろうか、怖いからさっさと行こう。足早に去ろうとしたところ「おい。待てよ」と怒号が聞こえ、みるからに柄の悪い男が後ろから僕を追い越し、目の前に立ち塞がり、鋭い目付きで凄まれた。
「てめぇ、降りるときにわざとぶつかっただろ」
「え、えっと……」
怖い。震えあがって頭を回転させるも、ぶつかった記憶はない。強いて言うなら、もみくちゃになった時だろうか。ともかく、こういう時はとりあえず謝ったほうがいい。
「す、すいません。身に覚えがないんですけど、ぶつかってしまったなら謝ります」
「じゃあ、どうして逃げたんだよ」
男は一歩前に出て来て、僕の胸ぐらを掴んできた。本当に怖い、こんな人と関わり合いになんてなりたくない。
『間もなく二番線を列車が通過します。危険ですから……』
「逃げたつもりないんです。怖い声が聞こえたのでそれで……」
「ふざけんな。やっぱり逃げてるじゃねぇか」
男は顔を顰めて怒号を発すると、乱暴に掴んでいた僕の胸ぐらを勢いよく押してきた。あまりに強い力で僕は体勢を崩し、後ろへ倒れていく。とっさに手を下につこうとするも、そこに地面は無くて空虚だった。
「え……」
呆気に取られるのも束の間、落ちる感覚に襲われて全身に強い衝撃が走り、声にならない声が口から漏れる。
立ち上がろうにも、骨でも折れたのか、腕と足が激痛に襲われて身動きが取れない。あちこちから悲鳴が聞こえ、何故か時間がとてもゆっくり流れているような感覚に陥った。
どうなったのかと、周囲を見やれば誰も彼もが僕を見ている。
柄の悪い男が慌てて走り去って行くのが見えるなか、けたたましい警笛が聞こえた。振り向けば、列車が凄い勢いで間近に迫ってくる。
そうか、僕は線路に落ちたのか。だけど、これで良かったのかもしれない。母さんも、兄貴も、僕がいないほうがきっと幸せだ。でも、叶うのなら全てを最初から……。
『速報です。本日の夕方頃、○県○市、○○駅のホームで人身事故があり、二時間以上運転が見合わせられました。警察と鉄道会社の発表によりますと、○○駅構内で特急列車に男性がはねられたとのことです。男性はその場で死亡が確認されました。なお、事故の前には男性が何者かと口論している姿が多く目撃されており、警察は慎重に捜査をすると公表。情報を呼びかけております。それでは、次のニュースです』
◇
「――!」
「――、――――⁉」
なんだろう、やたら騒がしい。誰かに抱えられているみたいだけど、真っ暗で何も見えないし、息苦しくて声もでない……というか、そもそも息ができない。
なんだ、何がどうなっているんだ。目を開けようとするも、まるでテープで塞がれているかのように瞼が重い。
「――!」
「――、――⁉」
「――――」
喧騒が聞こえてくるが、まるで水の中で他人の声を聞くようにくぐもっていて、何を言っているのかまったく理解できない。
いや、というか、どんなに鼻や口で息をしようとしても、まったく呼吸できないんだけど。やばい、このままだと窒息して死ぬ、本当に死んじゃう。
いよいよ限界を迎えようとしたその時、「――――⁉」と、誰かのくぐもった声が聞こえた。そして、真っ暗闇の中で体がぐるんと一回転し逆さまにされた感覚に襲われる。
ただでさえ死にそうなのに、なんで逆さまにされるんだ。苦しさのなかで呪詛を吐いたその時、お尻に強烈な衝撃が走った。
これは間違いない、お尻を叩かれたのだ。
しかも、何度も何度も叩かれ、その度に全身に衝撃が走る。
何故、呼吸困難な状態でお尻ペンペンをされなきゃならんのだ。人工呼吸とか、何か別の方法があるだろうに。すると程なく、お腹の奥から何かがぐいっと喉元に上がってくる。
やばい、吐く。やめて、お尻を叩くのをやめて。
「――――、――――⁉」
息苦しい中で必死に吐くのを我慢していると、真っ暗闇の中からくぐもった声が再び聞こえた。どこか焦っているというか、怒っているようにも聞こえる。
次いで、お尻はさらに強く、勢いを増して何度も叩かれた。
息苦しいまま窒息して死ぬか。
吐いて、吐瀉物をまき散らして死ぬか。
どっちにしても最悪だ。でも、どうせなら吐いて楽になろう。そう思った僕は、もう我慢をするのをやめ、お腹の中からせり上がってくるものを吐き出した。
昼間に食べたのは、確か濃厚系の豚骨ラーメンだったはずだ。きっと胃袋の消化液と相まって、とんでもない異臭を放つことだろう。ごめんなさい。
心の中で詫びて、お腹の中にあるものを咳き込みながら吐き出していると、あれ、と思った……息が吸える。空気が、空気が吸える。
「あぎゃ……おぎゃああああああああ」
何故か、呼吸すると声が出た。それも、赤ん坊みたいな泣き声だ。
「――――」
逆さまになっていた体が元通りになって、何やら安堵したようなくぐもった声が聞こえ、優しく抱きかかえられた。
いや、ちょっと待って。僕、成人していたはずなのに抱きかかえられたって、どういうことだ。
泣きながら何度か呼吸するうちに、全身の感覚が何となく掴めてきた。そして、何とかゆっくり目を開けていく。
「――――、――――」
目に飛びこんできた光景は、ぼやけてぼんやりとしていたが、少しずつ整っていく。やがて綺麗に見えてくると、僕はきょとんとして言葉を失った。
何故なら、僕を抱きかかえていた人物の頭には二つの角が生え、ありえない髪色、瞳には縦線が入っていたのだ。
本当に何がどうなっているんだ。目を瞬いていると、僕を抱きかかえていた人物はにこりと微笑み、ベッドで寝ている角の生えた女性の横に僕を置いた。
「――――」
え、えぇええええええええ。
ベッドで寝ていた女性から慈愛に満ちた目で見つめられた瞬間、僕は自身が赤ん坊であること。そして、僕が今まで過ごしていた世界とは異なる、全くの別世界に転生したことを理解した。
しかしその時、バタンと扉が開くような音が聞こえた。
「――――」
次いで、落ち着いた男性の声が部屋に響く。何事かと瞳を動かせば、そこには煌びやかな服装に身を纏い、これまた立派な二本の角を持った威風堂々とした男性が立っていた。
彼の姿を見るなり、部屋にいた人達は一斉に畏まってひざまずいて頭を下げる。
今登場した彼をはじめ、この場にいる人達の頭には全て角が生え、尻尾が揺らめいている。やっぱり、この場にいる人達は僕の知る人間ではないようだ。
それにしても、だ。この仰々しい雰囲気からして、やってきた男性はどうやらめっちゃ偉い人らしい。
跪いた人達には目もくれず、男はずかずかとやってきてベッドの横に立った。ちらりと母と思しき女性を見やれば、彼女も頭を下げている。この男は母の夫、僕の父ではないのだろうか。
見上げていると、男は母に目をやって「――――」と何かを尋ねた。今更だけど、この世界の言葉は日本語ではないらしい。
「――――、――――」
「――――」
母と何か言葉を交わすと、男は僕に視線を向けてきた。しかも、めっちゃ鋭い目付きで凄んでくる。というか、男の背後に熱みたいな揺らめきが見えるような気がした。
睨めっこでもしたいのかな。それとも、何か試されているのだろうか。いや、生まれて間もない赤ん坊の何を試すというのだろうか。とりあえず、今の僕にできることは見つめ返すことだけだ。
「――――」
男は不敵に笑い、何を思ったのか腰に差していた剣を抜き、その切っ先を僕の目と鼻の先に突きつけた。
身動きの取れない赤ん坊になんてことをするんだ。こいつ、絶対にDV親父だろ。
心の中で突っ込んでいると、横に寝ていた母が血相を変えて「―――!」と何かを叫んだ。でも、男は笑みを崩さない。それどころか、男の目配せで周囲の人達が母を取り押さえてしまった。
「――――、――――」
男が剣の切っ先を少しずつ近づけてくる。このまま何もしなければ、殺されてしまうのではないか。かといって、赤ん坊ができることなんておっぱいを飲むこと……つまり咥えることしかできない。
剣の切っ先が少し下げられ、喉元へ少しずつ近づいてくる。僕は、もうどうにでもなれ、と、剣の切っ先を小さな唇で恐る恐る咥えた。口が切れないように。
男は目を大きく見開いたかと思えば、口元を緩めて高笑いを始めた。
「――――、――――――――」
ひとしきり笑った男は、満足そうに何かを語ってから剣を引き、鞘にしまった。そして、その剣を腰から外して僕の横に置き、踵を返してそのまま退室する。
母や周囲の人達がほっとするなかで、僕は『やばい世界に来てしまった』と心から愕然としていた。でも、間もなく強烈な睡魔に襲われてしまい、そのまま目を瞑った。
◇
「――、――」
頭に角を生やし、犬歯よりも尖った歯を見せ、細めた目に縦線の入った瞳が浮かぶ整った顔立ちの女性達が、今僕の瞳に沢山映っている。もっとも、未だに言葉はわからない。
僕が前世の記憶を持って転生を果たし、体感では数日が経過している……はず。
小説、アニメ、ゲームなんかを見て『僕も生まれ変わりたいなぁ』なんて思っていたので、今現在、正直胸は期待に満ちている。
ただし、贅沢を言うならもうちょっと歳を取ってから記憶を取り戻したかった。前世では既に成人していたのに、急に赤ん坊となってしまったのはさすがに精神的にきつい。
特に母と乳母達に代わる代わる母乳を与えられるのは、羞恥心が抉られる。前世では彼女もいなかったのに、だ。『これは食事、これは食事』と今は無心になって何も考えないようにしているけど。
あと、赤ん坊のせいかすぐ眠くなるし、毎日の体感時間がめっちゃ短い。
ちょっと眠ったつもりが、すぐに夜とか、次の日の朝になっている。日付がわかるカレンダーも部屋には見当たらず、生まれてからどれだけの日にちが経っているのか。
正確なところは、よくわからない。
色々と調べたいところだけど、今の僕は首がまだ据わっていないらしく、瞳を動かして見える範囲でしか情報を得られない。時折、母や女性達に大切に抱かれたりするときが唯一、情報収集が可能となる。
転生初日から大きく変わった部分を一つあげるなら、部屋がかなり広くて豪華になった気がする点だろうか。
母が僕を出産した部屋はそもそも分娩用で、もともと赤ちゃんを育てるのはここだった可能性もある。
室内には母、乳母、メイド、侍女らしき女性達の他、出入口の扉付近には剣を腰に差した軽装の騎士が二人で警備をしている。
顔付きや雰囲気からして、彼等は男性のようだ。
なお、僕自身の性別はまだよくわからない。首が据わってないから、下半身に視線が向けられないからだ。周囲の人達の会話が理解できればわかるんだろうけどなぁ。
だけど、この部屋で一番目を引くのは、僕が寝かせられるベッド近くの壁に、これ見よがしに飾られている剣だ。
鞘と柄に豪華な装飾が施され、家紋というか竜の顔を模した簡易的な紋章が刻まれている。おそらく、王家の印か何かなんだろう。
この剣は、僕の父親らしき人物。生まれたばかりの赤ん坊に剣の切っ先を突きつけるという、とんでもない所業を行ったDV親父が残して置いていったものだ。
わざわざ壁に飾るってことは、権威や権力の象徴なんだろう。あの父親は、相当な権力を持っていると見て間違いない。
しかし、だ。
父親の再訪は、今のところはない。僕が寝ている時に来ている可能性もあるが、それは数えなくていいだろう。
部屋は明るいが蝋燭ではないが、かといって前世で慣れ親しんだ電気による照明でもないらしい。よくわからないけど、ともかく『何かの石』が光を放っているのだ。
魔法、魔石……そんな単語が脳裏に浮かび、早くこの世界のことを知りたいという好奇心が胸の中でふつふつと沸いてくる。でも、この場の雰囲気からして、ちょっと嫌な予感もある。
壁に飾られた剣が権力の象徴で、僕の父親が本当に偉い人……仮にそうだとすれば、頭に浮かんでくる言葉は『後継者による権力争い』というものだ。
実際、僕が生まれた直後の母とのやり取りから今に至るまで、父親らしき人物の言動を鑑みれば、僕の知る『一般的な夫婦』ではないことは確かだろう。
「――、――」
母らしき人が慈愛に満ちた表情で手を伸ばし、僕を優しく丁寧に抱きかかえた。
この世界における僕の母は、さらっとした黒髪、鋭い目付きに深紅で縦筋の入った瞳を浮かべ、豊満な胸を持ち、微笑む口には鋭く尖った歯が並んでいる。前世であれば、間違いなく道行く人が振り向くほどの美人だ。
「――――、―――」
彼女は僕に語りかけ、頬にやさしくキスをしてくれた。何を言っているのかわからないけど、愛してくれていることだけは伝わってくる。こんな風に大切にしてもらったのは、一体いつぶりだろうか。
「――――、――――――――」
褐色肌の女性が母の隣にやって来た。彼女は濃い紫の長髪を頭の後ろでまとめ、大きくぱっちりした目には赤紫の瞳が浮かんでいる。頭にある二本の角は、片方が短い。見た感じ、生まれつきと言うよりは後天的に折れたか、切れたように思える。
言葉が分からないため、彼女の名前はわからない。
でも、母に接する姿や他の人達への様子から鑑みて、この場では母の次に偉いのではなかろうか。それに言葉はわからなくても、彼女の声には生まれた時にも聞き覚えがある。
母から産まれた僕を取り上げ、逆さまにしてお尻を何度も叩いてくれたのは、おそらく彼女だ。
お尻を叩いたのは、僕が産声を上げずに呼吸をしていなかったからだと、今ならわかる。母が生みの親なら、彼女は命の恩人だ。
褐色肌の恩人は、僕の顔を覗き込んでにこりと笑った。彼女は母とかなり仲が良いらしく、二人でよく語らって笑みを溢している。
やり取りを見ている限りでは、恩人に母は頭が上がらない雰囲気が感じられた。母にとって、お姉さん的な存在なのかもしれない。
恩人の彼女は常に僕のことを気にかけてくれているらしく、少しでもお腹が減ってきてぐずったり、用を足すと、昼夜問わずに笑顔で様子を見てくれる。母乳をくれる乳母の一人でもあって、何度も『ご飯』を頂いている。
母と恩人は揃って僕の顔を見て、本当に幸せそうに笑い合っている。その笑みは他のメイドや侍女達にも伝わるようで、部屋の雰囲気はとても温かいものだ。
前世の殺伐として帰るのも憂鬱だった家とは、比べものにならない。
前世では虐めを機に社会からドロップアウトして、世間や家族に顔向けできない生き方をしてしまった。
今度は、愛してくれる母や恩人、甲斐甲斐しく面倒を見てくれる彼女達の期待を裏切らず、真っ当な道を生きたい。
せめて母の愛に応え、恩人達の笑顔を守れるように……おぼろげにそんなことを思っていたその時、扉が叩かれた。
「――――」
何やら女性の声が聞こえ、母が騎士達に目配せした。騎士達が相槌を打って扉を開けると、食事を載せた台車と一緒に三人のメイドが入ってくる。
「――――」
彼女達が母と僕を見て会釈した直後、何故かぞくりと全身に悪寒が走った。
怖い、何だか、あの三人からとっても怖いものを感じる。どうしてだろうか。
目を凝らしてみれば、三人のメイド達の体を黒いもやが覆っているように見えた。まるで憎悪や敵意が表面化しているかのようだ。
彼女達が近づくにつれ胸騒ぎが激しくなって、体が震え、強ばっていく。
来るな、来るな。何だかわからないけど、このメイド達は嫌だ。
「――?」
震えに気づいたらしく、母が腕の中にいる僕を見やったその時、メイド達の目付きが鋭くなって、瞳に殺意が宿った。
「――――、――――!」
彼女達は台車に隠していた短剣を取り出し、扉を守っていた騎士達の首を裂き、次いでメイド、侍女、乳母達に襲い掛かっていく。
彼女達は僕や母を狙った暗殺者だと直感し、血の気が引いて青ざめた。
ついさっきまで温かい雰囲気だったのに。今は剣戟が響きわたる。
「――――、――――!」
「――――」
部屋が血で赤く染まり、鉄粉のように飛び散った血の匂いが鼻を突いてくる。
母は僕を抱きかかえたまま、壁に掛けられた剣の下に移動した。部屋にいたメイド達も武術の心得はあるらしいが、三人の暗殺者はかなりの手練れらしい。
次々と部屋にいた女性達……僕の面倒を見てくれたメイドや乳母達を短剣で容赦なく殺していく。
やめて、やめて、やめてよ。なんでこんな酷いことができるんだ、やめてくれよ。彼女達は、僕に優しくしてくれた人達なのに。
気付けば残っているのは恩人の女性のみとなっていた。恩人は致命傷こそ逃れてはいるものの、体は切り刻まれている。
「――――、――――!」
恩人が短剣を逆手に構えて怒号を発するも、暗殺者は動じない。それどころか目配せして二人がかりで恩人に襲い掛かる。
あれ、二人だけ。もう一人はどこにいったんだ。そう思った直後、一人が恩人の脇を通り抜けてこちらに二振りの短剣を構えて駆け抜けてくる。
「――――、――――!」
「――――」
褐色肌の恩人が叫ぶ中、母が鬼の形相で暗殺者を睨んだ。直後、母を中心に突如突風が吹き荒れた。しかし、返り血で真っ赤となった暗殺者は突風をものともせず迫ってくる。
嫌だ、死にたくない。どうして、どうしてせっかく転生したのに。全てをやり直す機会を得たのに、また死ななきゃならないんだ。
『お前が不幸になるのはいい。だが、周りに不幸をまき散らすのは迷惑なんだよ』
ふいに前世の兄に言われた言葉が脳裏に蘇る。
僕のせいなのか。新しい母も、メイドや乳母達も、僕が生まれたから殺されちゃうのか。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。こんなの嫌だ。
「――――」
黒い何かを纏った暗殺者が間近に迫ったその時、母は僕を抱いたまま暗殺者へ背中を向ける。目を細め、にこりと微笑んだ。
『大丈夫、貴方は私の子。必ず守って見せるわ』
母の言葉はわからないけど、その心が、強い想いが伝わってきた。危機的状況にも関わらず、彼女の笑顔は慈愛と覚悟に満ちている。
「――――!」
『ティア・ロニアート、その子をよこせ』
次の瞬間、暗殺者らしい女の声が轟き、母の体が大きく何度も揺れた。でも、母は笑みを崩さない。やがて、その口から赤い液体が溢れ、僕の頬へ落ちてきた。
『大丈夫、大丈夫です』
いつだって、どの世界だって結局そうなんだ。力がなければ、こうやって踏みにじられる。力がほしい、せめて自分と大切な人を守れる力が。
「――――、――――――――」
『貴様等、ティア様に何をするか』
恩人の怒号が響き、母と暗殺者の間に割って入った。暗殺者は舌打ちをして間合いを取るように引き、そして再び三人揃った。
母は僕を腕に抱いたままがくりと両膝を突き、咳き込みながら血を口から漏らすも、未だにその表情は慈愛に満ちている。
「――――」
『同時に仕掛けるぞ。確実にティアと子を殺す』
三人の暗殺者が目配せし、短剣を片手に同時に迫ってくる。
血まみれとなった母、倒れた乳母とメイド達が優しく接してくれた笑顔が脳裏に蘇り、前世と現在で得た様々な感情が嵐のように頭の中を駆け巡って爆発し、そして、僕は感情のままに大声で泣いた。
「うぁあああ、あぁああああああ」
泣き声が轟き、次いで鉄がぶつかり合うような甲高い音が響き渡った。
「――――、――――――――――――」
『なんだ、このティアとラドニアを守る障壁は』
「――、――――」
『まさか、あの赤ん坊の力か』
「―――、――――――――――」
『有り得ない。赤ん坊で竜血が覚醒するものか』
何やら暗殺者達から困惑した様子の声が聞こえてくる。
「―――――――、―――――」
『御子様のお力、なのか』
恩人も戸惑った様子の声を漏らした。だけど、今はそんなことどうでもいい。僕はただただ悔しかった、悲しかった、怨めしかった。
力さえあれば。力があれば母を守り、暗殺者を倒してこの場を乗り切れるのに。僕はさらに込み上げてくる感情、憤怒に任せて大声で泣いた。
「あぁああああ、うぁあああああああ」
直後、部屋の中にもかかわらず雷鳴が轟き、狂風が吹き荒れた。
「がぁああああああ」
「うあぁあああああ」
「ぎゃあああああ」
暗殺者達の絶叫が部屋に響き、次いでドゴンと鈍い音が連続で聞こえてきた。
「―――、――――」
『凄まじい竜気だ。御子様、生まれて間もないはずなのに』
恩人が何やら感嘆の声を漏らした。母はその声に反応してか、絶え絶えの息でゆっくりと振り返る。
僕は母の腕の中で「うぅうう、うううう」とぐずりながら暗殺者達を見やった。すると、部屋は台風でも通り過ぎたかのように調度品がひっくり返って荒れに荒れ、暗殺者達は壁にめり込み、白目を剥いている。
一体何が起こったのだろうか。母が何かしてくれたのだろうか。「あうあぁ……」とぐずったような声を出して母を見上げれば、彼女はにこりと慈愛に満ちた目で僕を見つめた。
「――――」
『貴方の力ね、ありがとう』
相変わらず言葉はわからないけど、何故か言わんとしてくることは何となくわかった。
え、というか、これ、僕の力なの。母の力じゃなくて?
『……お嬢様、御子様』
今にも消えそうな声を発したのは、ラドニアと呼ばれていた恩人だ。流れ出る血で服が赤く染まっていく母に寄り添った彼女は下唇を噛み、目を潤ませた。
『ラドニア。私は、もう駄目でしょう。どうか、どうかこの子をお願いします』
『お嬢様、お気を確かに。そのようなことは仰らないでください』
母は僕を抱えたまま涙を流し、声を震わせた。
『気休めを言っている場合では、ありません。この子の力を貴女も見たでしょう。この子は強く、私達を守ろうとしてくれた優しい子です、どうか、私の事を想ってくれるなら、その気持ちをこの子にお願いします』
『お嬢様……承知しました。このラドニア・アシリス、身命を賭して御子様を必ずお守りいたします』
『ありがとう、ラドニア。貴女が守ってくれるのなら安心です』
嫌だ、そんなの嫌だよ。折角転生したのに、やり直す機会を与えられたのに。もう新しいお母さんとお別れなんて。こんなのあんまりだよ。
「うぁあああ、あぁぁあああああ」
気付けば僕は大声を上げ、無様に泣いていた。
『私の子、貴方は強い子よ。その力でこの国を統べる優しい竜帝となって、ください……ね』
『ティア様……』
乳母のラドニアが僕を受け取ると母は安堵した様子でにこりと微笑み、がくりと力なく項垂れた。やめて、やめて、やめて、やめてよ。こんなの酷すぎる、酷すぎるよ。
「あぁああああ、うあぁああああああ」
『何の騒ぎだ』
泣き叫んだ直後、威厳のある低い声が響き、威風堂々とした人物が何人もの騎士を引き連れて現れた。威風堂々とした人物の顔には見覚えがある。
剣の切っ先を僕に向けてきたDV親父だ。
黄金に輝く金髪、鋭い目付きに黄金の瞳を浮かべ、銀色の尻尾を持っている。
『陛下、ご足労ありがとうございます。ティア様と御子様を狙った暗殺者の襲撃がございました』
ラドニアは僕を抱えたまま会釈した。
いや、まって。というか『陛下』だって⁉ このDV親父、一国の主なのか。じゃあ、僕は王族に当たる存在なのか。いや、そんなことよりも、どうして今更やって来たんだ。
ぐずりながらDV親父を睨み付けると、ラドニアが『陛下、お願いでございます』と大声を発して畏まった。
『私が至らぬばかりに、暗殺者の手によってティア様が重傷を負わされました。どうか、どうか陛下の持つ竜血のお力でお助けくださいませ』
『ほう。では、護衛の不始末を私にしろ、というのか』
『そ、それは……』
ラドニアが決まりの悪い顔を浮かべ、たじろいだ。
護衛の不始末も何も、母はお前の妻だろうが。
そもそも、暗殺者がここに侵入できたのは、城内の警備が手薄だったからに他ならない。それを棚に上げ、自分には何の責任もないと、護衛を責めるなんて、とんだクソ野郎じゃないか。
ラドニアの腕の中でじろりとクソ親父を睨み付けると、彼は何やら『……ほう』と口元を緩めた。
『やはり面白い赤子だ。幼き日の余を思い出す』
お前なんかの幼い頃になんて興味はない。母が治療できるというなら、早く治せよクソ親父。ずっと怒りの視線を向けていると、クソ親父が「くく……」と喉を鳴らした。
『幾人も子はいるが『クソ親父』は初めてだな』
え、と僕は目を丸くした。まさか、このクソ親父は心が読めるのか。でも、それならそれで好都合だ。僕は再び、じっと睨み付けた。
もし、お前がさっきも心を読んだと言うのなら、暗殺者の侵入を許した時点で城内の警備をおろそかにしていた者の責任。突き詰めれば母が暗殺者に襲撃された原因はお前にある。今すぐ、母を治療しろ。
『……良いだろう。余にも責任があることを認めよう』
『へ、陛下……?』
状況が飲み込めないラドニアは目を瞬いている。クソ親父の後ろにいる騎士達も困惑しているようだ。どうやら、僕の心あるいは意思を読めるのはクソ親父だけらしい。
母やラドニア達の言葉が急に理解できたのは、遺伝的な力なのだろうか。
そういえば、さっき暗殺者達が『竜血』がどうとか言っていた気がする。
『さて、あまり時間はないようだな』
クソ親父は首から下げていた深紅の大きな宝石が使われた首飾りを鷲づかみにし、乱暴に引きちぎった。すると、彼の背後にいる騎士達から『竜玉をお使いになるのか』や『あれは国宝だぞ』と、どよめきが起きた。
しかし、クソ親父は聞こえてくる声を気にする様子はない。息が絶え絶えとなった母を片腕に抱いたクソ親父は、深紅の大きな宝石を母の胸に添えた。
『竜玉よ、竜帝ヴァルト・ダガードが命じる。ティア・ロニアートの傷を癒やし、命の息吹を灯せ』
次の瞬間、深紅の大きな宝石が強い光を放ち、母の体へ沈み込んでいく。これで命が助かるなんて、前世の記憶では信じられない光景だ。でも、ここは異世界。
きっと大丈夫、大丈夫なんだ。程なく、竜玉なる赤い宝石が母の体に完全に沈み込んだ直後、「が、は……」と母が血を吐き出した。でも、血の気のなかった顔色に血色が戻ったし、呼吸も整ったようだ。
『これで一命は取り留めたはずだ。そのうちに目を覚ますだろう』
『陛下、ありがとうございます。ティア様に代わって御礼申し上げます』
目を潤ませたラドニアが深々と頭を下げるが、クソ親父は彼女に目もくれない。ラドニアの腕の中にいる僕を、じっと見つめてきている。
何か答えろ、ということだろうか。とりあえず畏まるかと、僕は彼の目を見返した。
母を助けてくれたことは感謝します。でも、元はと言えば暗殺者の侵入を許したクソ親父……いえ、親父に原因があります。もちろん、ラドニアにも責任はありませんのであしからず……まぁ、こんな感じだろうか。
『口の減らない赤子だ。気に入ったぞ』
『は……?』
親父の呟きにラドニアが首を傾げるが、親父は意に介さず腕に抱えた母をベッドの上にゆっくり寝かせた。そして、『それにしても、だ』と切り出し、ぐるりと部屋を見渡した。
『もう暗殺者が仕向けられたか。しかし、この荒れようはどういうことだ。ラドニア、お前とティアの仕業か?』
『いえ、ティア様はまだ力は戻っておりません。全てはこちらの御子様がしたことでございます』
『ほう、その御子の力か』
DV親父は眉を顰め、ラドニアの腕の中にいる僕の顔を覗き込んだ。
『なるほど、我が子の中でも突出した力を持っているやもしれん。もっとも、その分、狙われる機会も増えるだろうがな。さて、生き残れるか。楽しみだ』
な、なんだこの親父は。生まれたばかりの子が暗殺者に狙われて嬉しそうにするだけに飽き足らず、狙われる機会が増えるって、嬉々として言うなんて、やっぱりクソ親父じゃないか。
じっと睨み返すも、クソ親父は動じない。
『私を恐れず睨み返し、またクソ親父か。やはり面白い子だ』
『陛下、恐れながら申し上げます。御子様に名前を与えていただきたく存じます』
『名前、か。すぐ死ぬかもしれんというのに面倒臭いことだ。ティアはなんと言っていた』
なんてやつだ。子供の名前を考えるのが面倒臭いって。僕の親父は王かもしれないが、父親としては最低じゃないか。それに、すぐ死ぬ、ってどういうことだよ。
『ティア様は、ジル、が良いのではと仰せでございました』
『……なるほど。星夜【ジルーア】から取ったのだな』
『仰せのとおりでございます』
親父は『ふむ』と相槌を打った。
『よかろう、それで良い。新しい部屋についても任せる。譲った剣があれば、全て好きにできよう』
『ありがとうございます』
ジル、それがこの世界における僕の名前か。ラドニアが頭を下げると、親父は部屋に倒れている乳母、メイド達を見渡した。
『皆、ティアが連れて来た者達だな』
『……はい。ティア様が幼い頃から面倒を見ていた者、一緒に育ってきた者達でございます』
『そうか、城の警備が思いのほか、おろそかになっていたようだな。許せ』
『いえ、お気遣い痛み入ります』
親父はベッドで寝息を立てている母の頬に優しく触れた……というか、母に触れるなよ、このクソ親父。
お前がしっかりしていないせいで、こんなことが起きたとも考えられるじゃないか。警備がちゃんとしていれば暗殺者は侵入できず、乳母やメイド達だって死ぬことはなかったし、母だって重傷を負わずに済んだんだ。
じろりと睨むと、クソ親父は『耳が痛い話だ』と漏らし、ふっと笑った。
『いくら費用が掛かっても構わん、倒れた者達は丁重に葬ってやれ。では、気が向いたらまた来よう』
クソ親父は踵を返すが、部屋を出る直前で足を止めた。
『生き抜いてみせろ、ジル・ダガード。成長を楽しみにしているぞ。我が名はヴァルト・ダガード。この世界を統べる竜帝だ』
そのまま親父は部屋を後にし、騎士達もその後を追って退室した。ラドニアは僕を腕に抱いたまま「ふぅ……」と息を吐き、ゆっくりと窓の前に進んだ。
『見てください、ジル様。これが竜帝の一族ダガードが治める国ですよ』
え、えぇえええええええ⁉
僕は窓から見えた光景に、我が目を疑った。眼下には、どこまでも続く巨大な街が広がっていたからだ。まるで東京スカイツリーやタワーとか、高いところから見下ろすような景色がそこにはあった。
『貴方様は次期竜帝候補の御子なのでございます。とはいえ、まだ何を言っているのかわからないでしょうけれど』
ラドニアは、にこりと微笑んだ。いや、言葉はわからないけど、何故か言わんとしていることは理解できちゃってるんだけどね。
この世界における竜帝や御子というのがどういった存在なのか……それはいまいちよくわからない。だけど、転生したら竜帝の御子だった、ということは確かだ。
竜帝やら御子やらよくわからないけど、僕はこの世界に生を受けた。そして……と、僕は視線を動かしてベッドで眠る母、床で倒れている犠牲となった乳母とメイド達を見やった。
『私の子、貴方は強い子よ。その力でこの国を統べる優しい竜帝となってください』
瀕死の母が僕に言い残そうとした言葉が脳裏に蘇る。
クソ親父の言動、産まれたばかりの赤子を殺そうとする暗殺者、僕を守ろうと犠牲になった乳母とメイド達……きっとこの世界は弱肉強食で殺伐としているんだろう。
『えっと、ありがとう、ございます。優しいお兄ちゃん』
電車の中で小さな女の子に言われた言葉がふいに思い起こされ、前世の記憶が再生されていく。
反省、後悔、怒り、悲しみ……様々なやり場のない感情。誰も彼もが、当たり障りない耳心地の良い言葉を僕に囁いていた。でも、あれは僕を考えて優しい言葉を掛けていたわけじゃない。
他人事で無関心だっただけだ。
僕は、僕のような人がいてほしくない。
決めた。
必ず生き抜いて、竜帝だろうが、何にだって成ってやる。そのためにまず必要なのは自分の意思を貫くため、生き抜くための力だ。
武力、権力、財力、知力……全ての力という力を得てやろうじゃないか。前世で出来なかったことを、この世界でやってやるんだ。
そして僕は、『誰よりも優しい竜帝』に必ずなってやる。
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