幕間・アスナ対エルティア
「どうされました、エルティア様。私に与えた使命を思い出させるのではなかったのですか」
ルシュムガル内の何処か。
レナルーテ王国内の林道にある道場を模した建物内にて、刀と脇差しの二刀を持ったアスナ・ランマークが好戦的な顔付きで白い歯を見せていた。
彼女は本来十代のはずだが、今は翡翠晶の力で成人の姿となっている。
アスナが視線を向けた先には衣服が切り裂かれ、数多の切り傷が刻まれたエルティアとカペラの姿があった。
エルティアは薙刀を杖にして片膝を突き、カペラは短剣を逆手に持って彼女を守るように身構えている。
道場内は、これまでに行われた三人の剣戟によって床、壁、天井に無数の斬撃跡が刻まれ、大小様々な穴が出来ていた。
「……えぇ、そのとおりです」
エルティアは「それにしても……」と続けてゆっくりと立ち上がり、カペラの横を通って前に歩み出た。
「側室となってからも訓練を欠かしたつもりはありませんでしたが、実戦から遠ざかってはどうしても勘が鈍っていけませんね」
「お下がりください、エルティア様。貴女様に何かあってはリッド様、ファラ様、エリアス陛下に申し訳が立ちませぬ」
カペラが制止しようとするも、エルティアはちらりと横目で一瞥する。
その眼差しはあまりに冷徹なもので、カペラはびくりと体を震わせた。
「安心なさい、ようやく勘が戻ってきたところです。私の力はカペラもよく知っているはず。下がっていなさい」
「し、しかし……」
「貴方が私に勝てたことがありますか」
淡々とした冷たい口調で問われたカペラは、ぐっと口を結び「……畏まりました」と頷いた。
「ですが、いざとなればお止めします」
「構いません。その時はお願いします」
カペラが会釈して一歩引くと、アスナが意外そうに「ほう……」と口元を緩めた。
「よろしいのですか、エルティア様。二人でどうにか私の動きに食らいついていたというのに。死に急ぐおつもりですか」
「死に急ぐつもりはありません。これまでの手合わせで貴女の剣筋は大体わかりましたし、勘も戻ってきました。『弱くなった貴女の相手』はもう私一人で十分です」
エルティアの言葉に、アスナが眉を顰めて首を捻った。
「私が弱くなった、だと。これは異なことを仰る。あのお方に授けられた力はすでにお見せしたでしょう。戦いに適したこの体、身体強化と無尽蔵の体力を支える翡翠晶の莫大な魔力。これらを得た私が弱くなったなどと、負け惜しみもよいところです」
「そうですか。では、一つ教えてあげましょう」
薙刀を構えるエルティアの全身から白い冷気が漂いはじめ、その足下が凍てつき、周辺の床と壁、天井が白く凍りついていく。
「戦士は三種類に分けられます。強さをひたすらに追い求める者、守るべきものと矜持を背負って戦う者、戦況を把握して勝利に導こうとする者。この三つです。さぁ、貴女はどれに当てはまるのでしょうか、アスナ・ランマーク」
「そんなものは決まっている」
アスナの全身から黒い魔力が炎のように立ち上がり、手に持つ刀と脇差しにも黒い魔力が迸る。
「私は『強さをひたすらに追い求める者』だ。最初に言ったはずです、血湧き肉躍る修羅道こそが、私の生きる道だと」
「だから『貴女は弱くなった』のです」
「戯れ言だ」
アスナは吐き捨てながら前へ出た。彼女の踏み込みで道場の床に亀裂が入り、地響きが起きる。
一瞬でエルティアを間合いに捕らえたアスナは、勝利を確信した様子で刀と脇差しを振るった。
だが、その一撃は寸でのところでエルティアの薙刀に受けられてしまう。
「言ったでしょう、貴女の剣筋はわかったと」
「……たった一撃を防いだ程度で図に乗るな」
アスナは歯ぎしりをし、そのまま鋭い斬撃を連続で繰り出していく。
しかし、エルティアは斬撃を微塵も恐れずに紙一重で躱し、あるいは薙刀でいなしていった。
アスナの斬撃が届くこともあるが、エルティアはそれを全て『擦り傷』程度に抑えている。
「この動き、さっきとはまるで別人だ。まさか手加減していたのですか、エルティア様」
「手加減ではありません、実戦から遠ざかって勘が鈍っていただけです。貴女のおかげで大分戻ってきました。それと、翡翠晶とやらの力に頼った剣筋は謙虚さがなく、直線的でとても傲慢です」
エルティアがそう告げた直後、アスナが足を滑らせて体勢が崩れた。
「な、なんだ。どうして急に足が……」
「剣術だけに溺れるから、足下がおろそかになるのです」
「足下だと」
アスナが足下に目をやれば、いつの間にか床一面が氷に覆われていた。
「まさか私の斬撃を受けながら魔法を発動していたのか。あり得ない、そんなことできるはずが……」
「向上心を忘れず、強くなりたい一心で血を吐くような訓練をすれば可能です。現に貴女は身近で目の当たりにしていたはずです。リッド・バルディアという存在を」
エルティアは冷たく答え、アスナの体を薙刀の柄で打ち飛ばした。
「がぁああああ」
体勢を崩していたアスナは避けることも受けることもできずに吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。壁の破片が飛び散って、埃が煙のように立ち上がる。
「ぐ、こんなはずでは……」
アスナが壁にめり込んだまま呻くように呟いたその時、目の前を覆う煙の中からエルティアが現れ、薙刀の切っ先を右胸の上部に突き立てる。
薙刀の一撃でアスナの服が破れ、彼女の体に根を張っていた翡翠晶が露わとなった。
「やはり、ここでしたね。禍々しく趣味が悪い魔力の出所は」
「や、やめろ。これはあのお方からもらった大切な力なんだ。私がより強くなるため『あのお方を守る』ために……」
「おかしいですね。修羅道を求めるのに『誰を守る』のですか」
エルティアがアスナの目と鼻の先に顔を寄せ、冷たい口調だが熱の籠もった言葉で問いかけた。
アスナが「そ、それは……」と目を泳がせた瞬間、エルティアは薙刀を持つ手に力を込めて彼女を壁ごと外へ押し出し、吹き飛ばす。
「ぐぁああああああ」
吹き飛ばされたアスナは、勢いそのままに地面を激しく転がっていく。
やがて道場の敷地を覆う壁に激突し、ようやく止まった。
「がは……」
強い衝撃が全身に走って息を吐いて俯くも、彼女の両手にはまだ刀と脇差しが握られている。
ただし、右胸上部にある翡翠晶には大きな亀裂が生じていた。
「お、おのれ」
アスナが呻いて顔を上げた瞬間、目の前から薙刀が飛んできた。
咄嗟に首を動かし、アスナは寸でのところで刃を躱すも、右の手首に冷たい衝撃が走った。
ハッとして見やれば、道場に空いた壁から地面を氷が伸び、アスナの右手を氷漬けにしていたのだ。
「よく避けました。私が見込んだだけのことはあるようです」
白い冷気を纏ったエルティアが道場の穴からぬっと現れ、身動きの取れないアスナへゆっくり近づいてくる。
「く、来るな。来るなぁああああ」
アスナが左手に持っていた脇差しの切っ先を向けるも、エルティアは動じずに脇差しを足蹴にして吹き飛ばした。
彼女はアスナが右手に持っていた刀を蹴飛ばし、脇差しと刀が地面を転がる音が虚しく響き渡る。
エルティアはしゃがみ込み、震えるアスナの頬を優しく撫でてにこりと微笑む。
間もなく、あたりに乾いた音が鳴った。
エルティアがアスナの頬を強く平手打ちしたのだ。
「貴女が守るべき者は『ホルスト・パドグリー』ですか」
「そ、それは……」
アスナの目が泳いだ瞬間、再び乾いた音が鳴った。
「もう一度問います。貴女が守るべき者は『ホルスト・パドグリー』ですか」
エルティアの冷たくもはっきりとした口調が響き渡るなか、アスナの目の焦点が徐々に定まっていく。
アスナの脳裏に、自身が守って見せると強く誓った『少女』との出会いが蘇る。共に過ごした日々、向けられた笑顔、交わした言葉。それらが次々と浮かんでは消えていった。
『アスナ、いつもありがとうございます』
『少女』の声が頭の中で響きわたり、アスナは悔しそうに歯を噛みしめながら俯いた。
『そうだ。私が守ると誓った方は、断じてあんな下種な男ではない。私が守るべき本当のお方は……』
アスナは俯いたまま「……ます」と小声を漏らした。
「なんですか、はっきり言いなさい」
エルティアの凜とした声が轟き、アスナが顔を上げた。
「違います。私がお守りするべきお方はファラ・レナルーテ……いえ、ファラ・バルディア様でございます」
力強い口調で応じたアスナは「こんなもの、こんなもの……」と続け、動く左手で右胸上部の翡翠晶を鷲づかみにして「うぉおおおおおおおおお」と怒号を発した。
剥がれていく翡翠晶から魔波が生じて狂風が吹き荒れる。
アスナの体から徐々に離れていく翡翠晶は、根深い雑草を抜くかのような光景だった。
翡翠晶を力尽くでひっぺ剥がしたアスナは「私には不要だ」と叫んで翡翠晶を握り砕いた。
破片が魔力の煌めきとなって霧散していき、アスナも普段の十代の姿へ戻っていく。
「立派です、アスナ・ランマーク。やはり私の目に狂いはありませんでしたね」
エルティアはにこりと微笑んで手を差し出した。
「はぁ……はぁ……ありがとうございます。エルティア様」
アスナがその手を掴むと、彼女を拘束していた氷も砕け散った。
エルティアの手を掴んで立ち上がったアスナだが、その足はおぼつかない。
すると、「エルティア様、アスナ様。ご無事ですか」とカペラが駆けつけ、よろめくアスナに肩を貸した。
「……カペラ様、申し訳ありませんでした」
「いえ、ご無事でなによりでした」
頭を下げるアスナに、カペラは首を横に振った。
エルティアは壁に刺さっていた薙刀を手に取りながら「さて……」と口火を切った。
「次のところへ参りましょう。アスナ、案内はできそうですか」
「はい。おぼろげですが、翡翠晶を埋め込まれていた時のことは覚えております」
「では、お願いします」
エルティアがそう告げると、アスナはこくりと頷き、カペラに肩を借りたままゆっくり歩き出す。しかし、アスナはふと足を止め「あの、エルティア様」と尋ねた。
「戦士は三種類に分けられる、というお言葉ですが、その、エルティア様はどのような答えを求めていたのか。伺ってもよろしいでしょうか」
「えぇ、構いませんよ」
彼女はこくりと頷き、「実に簡単な答えです」と続けた。
「追い求めた強さで守るべきものと矜持を背負い、戦況を把握して勝利に導く者です」
アスナはきょとんとして目を瞬いた。
「……えっと、それは『頓知【とんち】』でしょうか」
「そう言えるかもしれません。しかし、私は一人だけこの答えを地で行く子を知っています」
「そのような人物は……」
いない、と言おうとしたところでアスナの脳裏にとある人物が思い浮かんだ。
だが、その名前を口に出す前に「時間がありません、問答は終わりです」とエルティアが首を横に振った。
「案内してください、アスナ」
「は、はい。承知しました。あちらです」
カペラに肩を借りるアスナの案内で、エルティア達は次の場所へ向かった。




