幕間・レッドベア・パドグリー 決着
「団長自らが生み出した好機だ。全力でいくぞ、ネルス」
「あまり暑苦しいのは性に合わないんだがな。今回ばかりはそうも言ってられんな」
ダイナスの怪力によって舞台上で仰向けに倒されたレッドベア。
空に輝く陽光の中からバルディア騎士団副団長ルーベンスと騎士ネルスが現れ、レッドベアの罅が入った鎧に剣を突き立てた。
甲高い音が轟き、激しく火花が散り、鎧の罅が深く、全体へと広がっていく。
だが、破壊には至らず、レッドベアが鋭い眼光を放った。
「人族のくせにやるではないか。しかし、ここまでのようだな」
「さて、そいつはどうかな」
「団長に言われたばかりだろ。獣人族は少々驕りが過ぎるってな」
ルーベンスとネルスが不敵に笑って飛び退いた瞬間、次いで陽光の中から三つ目の、薙刀を振り上げた人影が露わとなる。それは獣化で全身が白い毛に覆われたエマだ。
「これで、終わりです」
先の二人が剣を突き立てた場所と全く同じ場所に、エマは魔力付加を施した戦斧を振り下ろした。再び甲高い音が会場に響き渡るが、レッドベアは動じずに「ふふ」と不敵に笑い出す。
「素晴らしい連携であったぞ。しかし、所詮は蟻の一撃だ。魔物に蟻が敵うはずなど……」
しかしその時、鎧の罅が深い亀裂に変わっていく。
「この鎧は主が自ら造りだしたものだぞ。いくら連撃で罅が入ったとはいえ、魔力付加を施した戦斧の一撃で壊れるはずが……」
レッドベアが困惑した声を発した直後、「……斬竜半月刀【ざんりゅうはんげつとう】」とエマが小声で呟き、じろりと睨んだ。
「これはただの戦斧ではありません。龍を斬ったという逸話をズベーラに残す、由緒正しき大業物、斬竜半月刀です」
「な、なんだと。主がルシュムガルの体の一部を斬ったと言っていた、あの斬竜半月刀か」
「へぇ、この戦斧が斬ったのはルシュムガルだったんですね。光栄じゃありませんか。主と仰ぐホルストが操るルシュムガルを斬ったとされる戦斧で、鎧を砕かれるなんてね」
エマが吐き捨てたその時、硝子が割れたような音が生じてレッドベアの鎧が一気に砕け散った。そして、鎧の下からレッドベアの胸の間の少し下に根を張るように肥大化した翡翠晶が現れる。
「ば、馬鹿な。こんなことがあり得るのか」
「ようやくお出ましだな。全員で総攻撃だ。力を振り絞れ」
レッドベアが動揺したその時、ダイナスがここぞとばかりに力強い大声を発した。その呼びかけに反応し、この場にいた戦う者達の目に強い灯火が宿る。
「うぉおおおおおお」
カムイ、カルア。
ハピス、トルーバ、ベルカラン。
ピアニー、ローゼン、リーリエ。
ジャッカス、ラガード。
ダイナス、ルーベンス、ネルス、エマ。
連撃を加えた者達が残った力を振り絞り、翡翠晶を破壊すべく集結する。
レッドベアはゆらりと起き上がり「……もう、やめだ」と低い声で漏らした。直後、レッドベアの全身から魔力が溢れ、強力な衝撃波が生じる。
「いかん。全員、防御態勢。耐えろ」
ダイナスが咄嗟に呼びかけて間もなく、衝撃波が彼等を襲い、会場に爆音が轟き、砂煙がもうもうと立ち上がった。
「ぐぁあああああああ」
止めを刺すべく集結したダイナス達だったが、逆にレッドベアの起こした衝撃で会場の至る所に吹き飛ばされてしまった。
彼方此方からうめき声が聞こえてくる中、レッドベアが肩を上下させながら周囲をぐるりと一瞥する。
「……貴様達はよくやった、主の脅威となると認めよう。故に、最早なりふり構っていられん。我が命をもってして、貴様達全員を葬ってみせよう」
レッドベアの全身から魔力が炎のように揺らめき、立ち上がった。
その勢いは刻一刻と増していき、レッドベアを中心に突風が吹き荒れていく。
「父上、あの者は何をするつもりなのでしょうか」
会場の来賓席、戦いの行方を見守っていたレイシスが異様な雰囲気にたじろぎ、恐る恐る口火を切った。すると、エリアスが「おそらく……」と切り出した。
「意図的に魔力暴走を起こすつもりだろう。あの規模であればこの会場はおろか、ズベーラの王都まで被害が及ぶかもしれんな」
「そ、そんな。あの者は全てを道連れにするつもりなのですか」
レイシスが困惑した表情を浮かべると、「うろたえるな」とエリアスは鋭い視線を返した。
「レッドベア自身が言っていたであろう。なりふりは構っていられんと、な。それにこの場に残る選択をした以上、何があっても動じるものではない。それが人の上に立つ王たる者の気概というものだ」
「……畏まりました」
レイシスはぐっと口を結ぶと、メルディとキール達の前に出た。
「いざとなったら私がバルディアの皆を守ろう。リッドの義兄として、な」
「レイシス様、ありがとうございます」
メルディが震える声でお礼を告げると、彼女の側に立っていたキールも前に進んでレイシスの隣に並び立った。
「帝国の皇族に名を連ねる者として、バルディア家の一員として、レイシス様だけにお任せできません。この場にいないリッド兄さんに託されたので」
「そうか。では、二人で皆を守ろう、キール殿下」
「殿下は不要ですよ、レイシス様」
キールがにこりと微笑むと、レイシスは「ふふ」と笑みを零した。
「わかった。ならば、キールと呼ばせてもらう。私のこともレイシスと呼んでくれ」
「承知しました。では、レイシス義兄さんと呼ばせてもらいます」
「……レイシス義兄さん、か」
『義兄さん』と呼ばれたレイシスは、感慨深そうな表情を浮かべた。キールが首を傾げて「どうかされましたか」と尋ねると、レイシスは首を小さく横に振った。
「いや、何でもない。過去の私が聞いたら驚くだろうと思っただけだ」
「過去のレイシス義兄さんが驚く……?」
意図がわからないキールがきょとんとする中、「キール皇子、レイシス王子。舞台上をよく見ろ」とセクメトスが切り出した。
「まだ、こちらの攻撃は終わっておらんぞ」
「え……」
二人が目を瞬いて舞台を見やれば、そこには獣化しているラファ、アモン、ノワールの姿があった。
三人はラファを先頭にレッドベアへと近づいていく。
「あらあら。正々堂々、騎士道を重んじる武人を気取っていたのに。戦闘員じゃない子供や民間人まで巻き添えなんて。随分な変わりようねぇ」
「我は使徒だ。主の命を果たすためなら潔さも、騎士道も不要だ」
レッドベアは吐き捨てるように答え「我は、我は……」と続けた。
「我は主に仕える使徒となった時、余計なものは全て捨てた。捨てたのだ」
「使徒となった時にねぇ。それは選別を生き延びた時のことを言っているのかしら」
レッドベアの瞳がわずかに泳ぐと、ラファは笑みを零した。
「エンディオが調子に乗って口を滑らせたのよ。同年代の同胞達と厳しい訓練を共に乗り越え、最後は殺し合ったそうじゃない」
「そうだ。我は数多の同胞を手に掛け、その屍を乗り越えて使徒となった。故に人としての心、矜持、騎士道……余計なものは全て捨てたのだ」
怒号で狂風が吹き荒れる。しかし、ラファ達は動じない。
「……それはただの言い訳だ」とアモンが口火を切り、レッドベアの目を鋭い眼光で見据えた。
「僕だって数多の同胞を手に掛けた。何なら血の繋がった父の屍の上に立っている。だけど、捨てたものなんてない」
「なんだと……?」
ドスの利いた声を発するレッドベアに、ノワールが「貴方は使徒になったのではありません」と告げた。
「貴方は使徒になることで逃げたのです。自らの所業から、同胞達の死から、人の心を持つことから」
「……」
兜の奥でレッドベアの目が大きく見開かれた。
アモンが一歩前に出て、指先をその目に向ける。
「僕達はグランドーク家の血筋の者だ。どんな道を歩んできたのか、大体想像が付くだろう。だけど、僕はお前とは違う。自らの所業から、同胞達の死から、人の心を持つことから目を背けない」
毅然と告げたアモンは「ノワール、やってくれ」と叫んだ。彼女はこくりと頷き、体から青白い炎を生じさせた。
「アモン様とラファ様に力を。燐火の灯火を」
青白い炎が空へと舞い上がり、二つに分かれてアモンとラファを包み込んだ。
アモンは九つの尾を持つ九尾となって赤と黒のまだら模様の毛に覆われていく。
ラファは逆に尻尾が減って四尾となるが、濃紫の体毛に覆われて神々しさを感じさせる姿となった。
「アモン様、ラファ様。もう、次はありま、せん。どうか、お願い、します」
ノワールはがくりとその場に片膝を突く中、レッドベアがじろりと三人を睨んだ。
「凄まじい力だ。しかし、貴様達と正面切って戦う必要もない。言ったはずだ、なりふり構っていられんと」
レッドベアは首を動かし、会場の来賓席にいるメルディ達へ視線を向けて大口を開いた。
すると、口から巨大な魔弾が生成されていく。
「捨てたものなどないのであろう。ご苦労なことだ、守るべきものがある戦いなど」
だがその時、レッドベアの足下から黒い蔦状の魔力が全身を這っていき、その動きを止めた。
「な、なんだこの黒い魔力は」
「リッド様ならきっとこう言うね」
「うん、奥の手っていうのは……」
「こういう時までとっておくものなんだよ、ってね」
可愛らしい三つの声が響き渡る。
レッドベアを三角形で囲むように、三人の狸人族の少年が陣取っていた。
ブレイド・ベル所属のダン、ザブ、ロウである。
彼等は機を窺うことに徹し、戦いに参加していなかったのだ。
「普段のお前なら、きっと僕達の黒縄蔓【こくじょうかずら】程度じゃ縛れない」
「だけど、今のお前は皆との戦いで消耗した挙げ句、魔力暴走を意図的に起こそうとしている」
「どんなに翡翠晶の力が膨大であろうとも、無尽蔵はあり得ない。だから、今なら僅かな時間でも縛ることはできるはずだ」
「おのれ、狸童【たぬきわっぱ】め。小賢しい真似をしてくれる。だがこの程度で我を……」
レッドベアが体に這った黒い蔦状の魔力を振りほどこうとしたその時、口元に生成していた魔弾が粉みじんに消し飛んだ。
「全てを捨てて強くなったなんて、僕は断じて認めない」
アモンが爪撃で魔弾を切り裂いたのだ。
「ば、馬鹿な」
目を丸くするレッドベアを前にアモンは手を拳に変え、その横面を兜の上から力の限り殴り飛ばした。
「ぐぉおおおおお」
兜が砕けてレッドベアの素顔が露わとなり、その体が大きく揺れる。
だが、ダン達の拘束魔法で倒れはしない。
「姉上、今です」
「ふふ、美しき姉弟の共闘ね」
アモンの呼びかけに応じた直後、ラファは濃い紫の毛に覆われた四つ足の四尾狐となって口に杖を咥えた。
杖には瞬く間に氷の刃が生じ、ラファは目にも止まらぬ速さで翡翠晶目掛けて跳躍する。
「武装氷牙【ぶそうひょうが】・紫雪白狐【しせつびゃっこ】」
「ぬぅおおおおおおお」
ラファが横を通り抜けた瞬間、レッドベアの体が一気に氷漬けとなっていく。
しかし、ラファは人の姿に戻って舌打ちした。
「翡翠晶を狙ったのに。まさかあの状態でも体を動かしてくるとはねぇ」
ラファの全身を覆っていた青白い炎の勢いは小さくなっていき、程なく消えた。
彼女は舞台上に着地するも、杖を支えにして片膝を突いた。
「燐火の灯火、素晴らしい力だけどその分だけ反動も凄いわねぇ。少し動けそうにないわ。アモン、後は任せたわよ」
彼女が空を見上げれば、アモンは氷漬けで身動きの取れなくなったレッドベアの翡翠晶目掛けて落下していた。
彼は爪を伸ばし、手刀を叩き込んだ。
「自分の矜持ひとつ守れない負け熊に、僕達が負けるかぁああああ」
アモンの手刀と翡翠晶の衝突で雷鳴が轟き、魔波が吹き荒れる。
彼の手刀は翡翠晶に食い込むも、破壊には至らない。
そして、アモンの体を覆っていた青白い炎の勢いが弱くなっていく。
「見事だったぞ。だが、ここまでだな」
「……お前がな」
アモンが不敵に笑った直後、レッドベアの翡翠晶に三つの影が攻撃を繰り出した。
影の正体はセクメトス、エリアス、レイシスの三人である。
「レッドベア・パドグリー。獣王セクメトスの名において貴様を倒す」
「レナルーテの王として、貴様の存在は看過できん」
「例えどんな理由があろうとも、お前は自ら人々を巻き添えにすることを選択した。それは許されざることだ」
アモンの手刀、セクメトスの爪撃、エリアスとレイシスの剣、それぞれが翡翠晶に深々と突き刺さっていく。
「負けん、我は人に非ず、我は使徒」
レッドベアはぐっと歯を食いしばった。
「我が死ねば、我が手に掛けた者達は無駄死にだ、救われぬ、我こそが同胞達の生きた証。断じて、断じて負けるわけには……いかぬのだぁああああああ」
レッドベアの怒号と共に衝撃が生じ、アモン、セクメトス、エリアスとレイシスは吹き飛ばされ、会場の観客席、舞台上、壁にそれぞれ激突し、砂煙が立ち上がった。
「アモン様」
「セクメトス様」
「エリアス様、レイシス様」
黒縄蔓でレッドベアを拘束していたダン、ザブ、ロウの集中が一瞬途切れたその時、レッドベアが「おぉおおおおお」と氷漬けになっていた体を無理矢理に動かして拘束を振りほどき、ダン、ザブ、ロウを吹き飛ばした。
「うぁあああああ」
三人が会場の彼方此方に叩きつけられ砂煙が舞い上がった。
しかし、レッドベアも満身創痍であり、胸の翡翠晶は罅と亀裂だらけで今にも砕けそうである。
「手こずらせおって。だが、これで終わりだ。我が命をもって、主の命を果た……」
「火槍」
どこからともなく凜とした声が響き、火属性の魔槍がレッドベアの翡翠晶を貫いて割った。
「がぁ、誰だ。もう戦える者はいないは、ず……だ」
レッドベアが魔槍が飛んできた方向を見やれば、来賓席で赤髪の少女が魔法を射った体勢のまま身構えていた。
「メルディ・バル、ディア……か」
レッドベアが声を漏らした直後、メルディはきっと睨み返して「今が好機です」と叫んだ。
「何でも構いません。レッドベアの翡翠晶目掛けて魔法を放ってください」
メルディはそう叫んで『火槍』を再び発動する。その姿にハッとしたティスとシトリーが『火槍』を、キールは『光槍』を、ティンクは『水槍』を、クリスは『風刃』を続いて放った。
その場に残っていた豪族達や子供達も続くように魔弾を放っていく。
満身創痍となったレッドベアは魔障壁はおろか腕を上げることもできず、迫り来る魔弾を前に棒立ちとなっていた。
やがて数多の魔弾がレッドベアの胸元にある翡翠晶に着弾して連続した爆音が轟き、爆煙が立ち上がる。
メルディ達の魔弾が止んで、爆煙が晴れていくもレッドベアは健在だった。
しかし、彼の表情はどこか晴れやかだ。
「……主よ、使命を果たせずに申し訳ありません。我は使徒ではなく、弱き人のままだったようです」
次の瞬間、レッドベアの胸元にあった翡翠晶が粉々に砕け散り、魔力の煌めきとなって霧散し始めた。
彼の全身も色を失っていき、罅割れて白い砂となって崩れていく。
彼はメルディに視線を向け、にこりと笑った。
「貴殿に高潔と呼ばれたこと、思えば人生最高の誉れで、あった。感謝するぞ」
「あ……」
メルディが何か言おうとするも、レッドベアは青空を見上げた。
「皆すまん。お前達の生きた証を残すことはできなかったようだ」
「そんなことはありません」
メルディが咄嗟に叫んだ。
「レッドベア・パドグリー。私は、私達は貴殿のことを生涯忘れません」
「……優しい子だ。最期にお前達と戦えてよかったぞ」
レッドベアは憑き物が取れたように笑みを浮かべると、そのまま砂になって崩れ去った。
その直後、空から雷鳴が轟く。
何事かとメルディ達が空を見上げれば、ルシュムガルの背中から一筋の光線が空に向かって伸びていた。
「あれは、きっと兄様の魔法ね」
メルディはそう呟き、安堵した表情でくすりと笑みを零すのであった。




