幕間・対レッドベア・パドグリー3
「おのれ。相手の顔を見上げるなど幼き頃以来だぞ」
獣化によって十五メートル程度に巨大化し、銀毛に覆われたカムイが忌々しげに吐き捨てた。
彼はいま自身よりも巨躯となったレッドベア・パドグリーの両腕を掴み、押し相撲のように取っ組み合っている。
レッドベアが獣化によって力を解放し、二十メートルは超えようかという姿になってわずかな時間しか経過していないというのに、戦いの場となっている獣王戦の会場は大きく様変わりしていた。
通常の観客席はレッドベアと部族長達の衝突で見る影もなく崩れ落ち、本来は見えないはずの壁の向こう側、王都ズベーラの町並みが見えてしまっている。
ラファ達とエンディオ、ハピス達とテスとの戦いで舞台上に生じた氷壁や木々も巨躯のレッドベア達に打ち砕かれ、踏み荒らされて見る影もない。
獣人族の豪族や他国の要人、争っていた鳥人族の戦士達はセクメトスの指示によってこの場からほとんどの者が退避し、残っているのはレッドベアと戦う者達だけとなっている。
なお、来賓席にはメルディ達、その周囲の席には一部の豪族達、鳥人族の戦士達が戦いの行方を見届けようと集まっていた。
「熊人族部族長カムイ・マジェンタ。なかなかやるようだが我には及ばぬようだ」
レッドベアが兜の奥で眼光を放って力で押し込んでいく。カムイは鬼の形相で青筋を走らせ「ぐぉおおおお」と雄叫びを上げて踏ん張るも、足下の床に亀裂が走り、まさに文字通りの力業で無理矢理に後退させられる。
すると、獣化して巨躯となった熊人族のカルアが突進し、レッドベアの腹部に頭突きしてそのまましがみついた。
「おや……じゃない。カムイ・マジェンタ。しっかりしろ」
「カルア、か。お前の側で情けない姿は見せられんな」
カムイとカルアは互いに一瞥して視線を交わすと、戦吼を上げて押し返していく。
「やるではないか。だがしかし……」
レッドベアはカムイを頭突きでよろめかせ、そのまま観客席へ投げ飛ばす。
次いで、腹部にしがみついていたカルアには膝蹴りをお見舞いし、怯ませたところを殴り飛ばした。
「ぐぉおおおお」
「ぐぁああああ」
巨大化している二人が吹き飛ばされたことで会場に地響きが起き、砂煙が舞い上がる。
だがその時、舞台床を白い冷気が走ってレッドベアの足を氷漬けにし、そこを起点に彼の体に氷を這わせていく。
「この氷魔法。ラファ・グランドークか」
「総力戦だもの。こういうのも楽しいものねぇ」
レッドベアが視線を向けた先では、ラファがにこりと微笑んだ。
すると、三つの人影が目にも止まらぬ速さでレッドベアの足下に入り込んでいく。ラファの部下、ピアニー、ローゼン、リーリエの三人であった。彼女達はすでに獣化をしており、武器を手に跳躍した。
「ローゼン、リーリエ。まずはこの邪魔な鎧を破壊するぞ」
「了解。それにしても巨人退治【ジャイアントキリング】なんて。まるでミスティナ教の神話みたいな話だな。浪漫があって燃えてくるよ」
「そう? 私は面倒臭いだけだと思うけど」
ピアニーは二振りのククリ刀。
ローゼンは二本の短刀。
リーリエは蛇腹剣。
それぞれに魔力付加を行っており、武器に魔力が迸っている。
「女狐の子飼いどもめ。しかし、この程度の氷で我を足止めしようとは笑止千万」
レッドベアが力んで魔波を生じさせ、足下から全身に這っていた氷を吹き飛ばし、迫ってくる三人を虫でも払うように腕を振るった。
だが、その腕は三人をはたき落とすどころか、思いっきり弾かれてしまう。
「小蠅【こばえ】どもが」
レッドベアが忌々しげに唸って睨んだ先には、獣化した牛人族部族長ハピス・ローフィスと、トルーバ、ベルカランの姿があった。
彼等三人の拳によって、レッドベアの腕が弾かれたのだ。
「貴様がどれだけの力を持っていようとも、腕一つで私達を倒せると思うな」
「一人の力では敵わなくても、皆が結束すれば何とかなるものです」
「常に勇敢であれ、というのがブレイド・ベルの隊訓でしてぇ。私達の力を侮るなかれ、ですねぇ」
ハピス達の援護によって、ピアニー達はレッドベアの体に取り付き、猛烈な勢いで武器を振るい、強烈な一撃を繰り出していった。
雷鳴の如き甲高い音が連続で轟き、レッドベアが纏う鎧に小さな罅が生じていく。
だが、レッドベアは怯んでおらず、兜の奥で瞳を動かし、ピアニー、ハピス達をぎょろりと睨んだ。
「蠅がいくらたかろうとも、蠅は蠅でしかない。散れぇえええ」
雄叫びが衝撃波となって吹き荒れ、レッドベアの間近にいたピアニー達とハピス達は勢いよく吹き飛ばされ、会場の無人となった観客席へ次々と叩きつけられてしまう。
だが、彼等と入れ替わるように、新たな二つの影がレッドベアの足下に入り込み、彼の全身を登りながら激しい爪撃で切り裂いた。
二つの影は獣化した狼人族部族長ジャッカス・ヴォルフガングと、ブレイド・ベル所属のラガードだ。
二人の攻撃で、レッドベアが身に着けている鎧の罅が少し広がった。
「これでも壊すには至らんか。だが、効果はあった」
「そうさ。壊れないなら、壊れるまでやるだけだ」
「無駄なことを。今楽にしてやろう」
レッドベアが二人に拳を振り下ろそうとしたその時、がくりとレッドベアの体勢が崩れて片足の踏ん張りが効かなくなる。
何事かと、レッドベアが視線を下に向けるが、その光景にはさすがの彼も目を見開いた。
なんと、太陽の光を反射させる煌びやかなスキンヘッドの上半身裸の筋肉隆々の男がレッドベアの片足を持ち上げていたからだ。
「き、貴様は確か、ダイナス。バルディア騎士団長のダイナスか」
「応よ、レッドベアとやら。お主、図体の割に意外と軽いではないか」
ダイナスはにやりと不敵に笑った。
彼の全身からは魔力が炎のように立ち上がって揺らめき、体つきが普段よりも筋肉で盛り上がっている。
「獣人族は己の身体能力に自信があるようだが、少々驕りが過ぎる。人族は獣人族に身体能力で劣り、魔法ではエルフやダークエルフに劣り、手先の器用さや技術ではドワーフに勝てぬと言われている。しかし、他種族に勝るものがないからこそ人族は考えを巡らせるのだ。己の体を鍛え上げ続けた私からすれば、貴様の巨体はただの中身のない張りぼてだ。ぬぉおおおおお」
ダイナスが雄叫びを上げた直後、レッドベアの体が持ち上げられた。
「ば、馬鹿な。我を持ち上げることができる人族がいるなど信じられん」
「神は信じても、目の前の出来事が信じられんとは。使徒とほざいたところで、所詮は己の都合の良いように物事を見ているだけのようだな」
「き、貴様……」
レッドベアの瞳に怒りの感情が宿る中、ダイナスは「さぁ、おねんねの時間だ」とレッドベアを持ち上げたまま跳躍し、舞台に思いっきり叩きつけた。
「ぐぉおおおおおお」
地響きが起き、大地が揺れ、レッドベアの叫びが轟き、砂煙が立ち上がる。
ダイナスは肩を上下させながら片膝を突き、空を見やった。
「お膳立てはしてやったぞ。お前達の力、存分に見せてやれ」
彼がにやりと笑った直後、雲一つない青空に広がる陽光の中から三つの人影がレッドベアに向かって流星の如く駆け落ちていく。




