幕間:対レッドベア・パドグリー
「このレッドベア、主に与えられた使命を果たせぬとは、一生の不覚。かくなる上はこの地上戦を制し、主に懺悔しよう」
「懺悔したいなら勝手にするがいい。だが、簡単に勝てると思わぬことだ」
獣王戦会場、舞台上の一角では巨体を全身鎧で覆うレッドベアと獣化して巨躯となったカルアが力比べをするように取っ組み合っていた。
「カルア、そのまま押さえていろ」
横から獣化した狼人族部族長ジャッカス・ヴォルフガングが鋭い爪を伸ばして迫っていく。
しかし、レッドベアは兜の隙間から鋭い眼光を放ち「甘いわ」と、取っ組み合っていたカルアに頭突きをお見舞いし、体勢を崩してジャッカスへと投げ飛ばした。
「ぐぁああああああ」
「おのれ、だがこの程度では止まらん」
ジャッカスは舌打ちしつつ、飛んでくるカルアを跳躍してかわし、勢いそのままに迫ろうとする。
だが、カルアの背後から大きな鉄の拳が現れた。
レッドベアの拳である。
「その程度か。ぬるいわ」
「おのれ……⁉」
咄嗟に両腕を交差させて受け止めるも、ジャッカスは大きく吹き飛ばされてしまう。
「どうした、相手にならぬぞ。全員でかかってこぬか」
レッドベアは周囲をぐるりと見渡し、すーっと大きく息を吸い込んだ。
「誰ぞもっと強き者はおらぬのかぁああああああ」
戦吼を轟かせ、魔波を巻き起こす中で「いるぞぉおおお」と応じる声が響き渡る。
レッドベアが「ぬ……」と振り向けば、獣化して灰色の銀毛に覆われ、赤い長髪を靡かせる巨躯となった熊人族が猛烈な勢いで突進してきた。
「我が名は熊人族部族長カムイ・マジェンタ。レッドベアと言ったな。我が拳を受ける度胸があるか」
「応よ、受けて立とう」
レッドベアはがっしり身構え、カムイが繰り出した拳を兜で覆われた顔で真正面から受け止める。
直後、鈍い音が轟き、魔波が吹き荒れた。
レッドベアは多少よろめくも、再び眼光を放ち、ずんと足を踏ん張り、手を拳に変え、反撃の一撃を繰り出す。
「よい拳だった。だが、この程度では我は倒せぬぞ」
「ぐ……」
思い切り顔面を殴られてよろめくカムイだが、足をどんと踏ん張り、彼も眼光を放って睨み返し、拳を繰り出す。
「それはこちらの台詞だ」
「ぬぐぅ……」
呻き声を漏らしてレッドベアが再びよろめいたその時、獣化したジャッカスとカルアが横から突進してきて同時に体当たりを繰り出した。
「ぐぉおおおお」
「貴様が全員でと言ったのだ」
「卑怯とは言うまいな」
吹き飛ばされたレッドベアは激しく地面を転がり、激しい砂煙が舞い上がる。
その様子を見て、ジャッカスとカルアが肩を上下させながら忌々しそうに切り出した。
そうした二人の様子を見て、カムイは彼等の前に出る。
「レッドベア、思いのほか手強い。私が相手をする間に息を整えろ」
「……では、言葉に甘えよう」
ジャッカスがこくりと頷くが、カルアは眉を顰めた。
「三人で畳みかけたほうがよろしいのではありませんか」
「俺とカルアは天翔龍を昇りながら敵と戦い続け、地上に落下した時の衝撃も体に残っている。少し息を整えるだけでも、発揮できる実力は大分違うものだ」
「……畏まりました」
カルアがどこか不服そうに頷いたその時、「今の不意打ちはなかなか良かったぞ」と砂煙の中で大きな影が揺らめき、レッドベアがぬっと姿を現した。
「戦いとは、やはりこうでなくては面白くない」
兜で素顔はうかがい知れぬが、レッドベアの声にはどこか嬉々としたものが宿っている。
カムイが兜の奥にある彼の目を見据えたその時、空から爆音が轟き、爆風が吹き降りた。
「なんだ……」
レッドベアが訝しむように空を見上げる中、「しかと聞け、鳥人族の戦士諸君」と、勇ましく威厳のある凜とした声が会場に響き渡る。
誰も彼もがびくりとし、声の発せられた観覧席を見やれば、そこには獣王セクメトス・ベスティアの姿があった。
彼女の隣には、レナルーテ王国の王エリアス・レナルーテと同国の王子レイシス・レナルーテが並び立っていた。
また、彼等の背後にはバルディア家の関係者と思しき少年少女達も控えている。
「たった今、空で起きた爆発はテス・パドグリーが死亡したことによるものだ。彼の者を討ち取ったのは牛人族部族長ハピス・ローフィス、リッド・バルディア直属のブレイド・ベル所属トルーバとベルカラン。そして同所属ラガードとノワールの奮戦と、ラファ・グランドークの手によってエンディオ・パドグリーも討ち取った」
セクメトスの発言で鳥人族の戦士達が一斉にどよめき、困惑して一気に士気が下がった様子が見受けられる。
彼女はぐるりと会場を見渡し、言葉を続けた。
「いま降伏して投降すれば諸君の命は保証しよう」
鳥人族の戦士達はざわめき、顔を見合わせた。
彼等からすれば現状は数的不利であり、一騎当千で部族長と対抗できる力を持つと評された守護十翼の面々が二人も倒れたのだ。
心が揺れるのは当然だろう。
しかし、発言をしたのは現獣王セクメトス・ベスティアである。
冷徹な彼女の言葉を信じていいものかと、鳥人族の戦士達は判断がつかず、目を泳がせていた。
「私はレナルーテ王国の現王エリアス・レナルーテだ」
突然、セクメトスの隣に立っていたエリアスが名乗りを上げ、戦士達を見渡した。
「獣王セクメトス殿の言葉に嘘偽りがないと、私が約束しよう」
「私、レイシス・レナルーテも父とセクメトス様の言葉に嘘がないと約束いたします」
エリアスに続いて彼の側にいたレイシスも声を上げると、「皆様の仰るとおりです」と赤い髪の二つのお下げを揺らし、彼等の背後にいた少女が前に出てきた。
「私の名はメルディ・バルディア。ライナー・バルディア辺境伯とナナリー・バルディアの娘です」
メルディの声は緊張あるいは恐怖で震えている。
しかし、その声には切実な何かが宿っており、誰も何も言わずに聞き入っていた。
「そもそもこの戦い、一体何の意味があるのでしょうか。皆様はホルスト・パドグリーの目的、意思、野望を本当にご存じなのですか。確かにルシュムガルの息吹は国崩しと評しても過言ではないでしょう。しかし、あの一撃が一度でも他国に放たれれば、ズベーラは大陸全土の国と人を全て敵に回すことになります。そんなことになれば、ズベーラはもちろん、皆様も、皆様の家族も無事ではいられません。ホルスト・パドグリーが恐ろしい存在であることはわかります。ですが、だからといって盲目的に屈していては何も変えられません。逆に言えば、今この時こそが皆様がホルスト・パドグリーの支配から抜け出す好機でもあるはずです」
「私もメルディと同じ意見です」
メルディの言葉に続いたのは、彼女の隣に立っていた金髪の少年だ。
「私はマグノリア帝国の皇帝アーウィン・マグノリアと皇后マチルダ・マグノリアの次男キール・マグノリアです。歴史上、恐怖によって民を支配し、人を人とも思わず戦乱の火を振りまく王は後に『暴君』と呼ばれます。ホルスト・パドグリーの所業は、まさに暴君そのものでしょう。どうか私達の言葉に耳を傾け、我らの手を掴んでください。セクメトス陛下、エリアス陛下、レイシス殿下、メルディ・バルディア……皆の言葉、私キール・マグノリアも保証いたします」
キールの声はとても震えていた。
だが、彼の発する言葉、立ち姿には言葉では言い表せない、どこか見る者を魅了する崇高さや高潔さのような何かがあったのだ。
ズベーラの獣王、レナルーテ王国の王、マグノリア帝国の皇族……三カ国の頂点に立つ、あるいはその場所に近い存在の呼びかけに、鳥人族の戦士達の目はより泳ぎ、困惑し、どよめきが起きる。
「ありがとう、キール」
メルディは彼の手をぎゅっと掴んで呟き、すーっと息を吸い込んだ。
「命は一つしかありません。皆様を想って帰りを待つ人が、大切な人が、これから出会うべき人がいるはずです。命を、命を……命を粗末にしないでください」
いつしかメルディの目からは沢山の涙が溢れ、頬を伝い、地面を濡らしていた。
他を想う気持ちが溢れ、慈愛に満ちた声が響き、つい先程まで剣戟と喧騒が絶えなかった会場にしんと静寂が訪れる。
鳥人族の戦士達は、まるで毒気が抜かれたように士気を失っていた。
「はは、あっははは。愉快。実に愉快なり」
静寂の中、唐突に豪快な笑い声が轟いた。
声の主は、レッドベア・パドグリーである。
彼は自らが被る兜をゆっくり脱ぎ捨て、その素顔を露わにした。
彼は焦げ赤茶の髪を後ろで小さくまとめ、褐色肌の顔には大きな傷がいくつもある。
胆力を感じさせる目には、力強い茶色の瞳が浮かんでいた。
「ライナー・バルディア、リッド・バルディアも良い武人であったが、メルディ・バルディアもなかなかどうして良い気丈夫なり。実によい啖呵であったぞ」
レッドベアはメルディを見据え「だがしかし……」と大声で告げた。
「一度崇めた主に仕え、最期まで殉ずるのが武人というものだ。我は決して主を裏切ることはない」
レッドベアの発する圧に敵味方問わず戦士達がびくりと体を震わせるも、メルディ達は一切動じなかった。
それどころか、メルディは睨み返して「当家は……」と口火を切った。
「バルディア辺境伯家も、武家と名高い家柄です。仰ることは理解できますが、この場にいる誰も彼もがレッドベア様のように高潔ではありません。そうした皆を守るのが貴族の、いえ、立場と力を持つ者の役目ではありませんか」
言い返されるとは思わなかったのか、レッドベアは目を丸くしてきょとんとした後、「ほう……」と相槌を打って俯いた。
「なるほど。我が高潔、高潔か。それに立場と力を持つ者の役目……ふむ、面白い、実に面白い」
顔を上げたレッドベアは、唐突に大声で笑い始める。
会場にその笑い声が響き渡る中、メルディの後ろ姿を見ていたティスとシトリーはごくりと喉を鳴らしていた。
「すごい、メル姉様。まるでナナリー様みたい」
「そう、ですね。でも、リッドお兄様やライナー様にも似ています」
二人が驚きの声を漏らす中で、クリスとエマも感嘆していた。
「メルディ様、キール様。お二人とも凄い胆力だわ。ちょっと感動しちゃった」
「はい。きっとお二人とも、ライナー様、ナナリー様、リッド様の背中を見てきたからでしょう」
ティスとシトリー、クリス達を警護するティンクは背後から聞こえてきた皆の言葉を聞いて目を潤ませ、身構えたまま鼻を啜った。
「このご立派なお姿、ナナリー様、ライナー様、リッド様にお見せしたかったです」
するとその時、レッドベアの笑い声が止まる。ひとしきり笑い終えたらしい彼は、にやりと口元を緩めた。
「気に入ったぞ、メルディ・バルディア。其方【そなた】の心意気を評し、我一人の力でこの場の決着を付けてやろう」




