幕間・対エンディオ・パドグリー
「俺様を虚仮にしやがって。ふざけんじゃねぇ、殺してやる、絶対に殺してやるぞ。リッド・バルディアァアアアアア」
守護十翼エンディオ・パドグリーの憎悪が籠もった怒号が獣王戦の会場に轟き、魔波が吹き荒れる。
彼は背中の大きな黒い翼を広げ、目は怒りで血走り、橙色の長髪は魔力で逆立つように宙を漂っていた。
「だが、その前に……」
ひとしきり叫んだエンディオは口元を大きく歪め、近くで身構える狐人族の少年ラガードと、少女ノワールを血走った瞳でぎょろりと睨み、ゆっくり腕を上げて指さした。
なお、ラガードは獣化に加えてノワールの補助魔法で『燐火の灯火』の炎をその身に纏い、臨戦態勢である。
「お前達の四肢を裂き、八つ裂きにしてやる。そして、その首をリッドに見せてやろう。いや、それだけじゃ俺の気が済まねぇ」
エンディオはさらに瞳を動かし、会場に設置された観覧席を見やった。
「ここにはあいつが大切だと宣う『家族』もいたんだったなぁ。そいつら全員の体をバラバラにして、誰が誰だかわからねぇぐらいにぐっちゃぐちゃにしてやる。いひひっひひ、そうだそれがいい。俺様を無視して虚仮にした挙げ句、地上に落としたことを心から後悔させてやる」
狂気を孕んだ笑みを浮かべ、舌なめずりをするエンディオ。
彼の瞳には、リッドが大切にするメルディ・バルディアを始めとする弟妹やクリス達、バルディア関係者が映り込んでいる。
エンディオの表情と眼差しを目の当たりにしたラガードとノワールは鬼の形相を浮かべ、犬歯を露わにし、全身の毛を逆立てた。
リッド・バルディア直属のブレイド・ベル隊所属の騎士である二人にとって、それは決して聞き流してはならない、許してはならないことである。
ラガードの『燐火の灯火』に炎の勢いが増し、ノワールも獣化した。
「そんなこと絶対にさせるわけないだろ」
「そうです。私達はリッド様に任されました。必ず貴方を倒します」
「お前達が俺様を倒す、だと? くっくく、いっひひひ……あっははは」
額に手を当てながら天を仰ぎ、エンディオは高笑いを響かせる。
だが、彼から発する憎悪と殺気の籠もった魔力は凄まじく、ラガードとノワールはごくりと喉を鳴らしていた。
「いいぜ、やれるものならやってみろよ」
不敵に笑ったエンディオは両手を大きく広げ、隙だらけの姿を披露した。
わかりやすい挑発だが、その表情には圧倒的な自信が窺える。
ラガードは歯ぎしりをし、エンディオの足下からじろりと見やった。
『俺もノワールも、リッド様と牢宮で修行して強くなった。強くなったはずだ。リッド様には及ばなくても、そんじょそこらの騎士や冒険者に負けるつもりはない。でも、何だ、何なんだコイツの全身から漂ってくる禍々しい気配は』
「なんだ、かかってこねぇのか?」
エンディオは眉を顰め、つまらなさそうに肩を竦めた。
「不意は突けても、正面から掛かってくる度胸はねぇか。何が『常に勇敢』だ。『常に及び腰の腰抜け』の間違いだろ。てめぇらみたいな奴が直属とはなぁ。リッドの底も知れたってもんだ」
「ぐ……」
ラガードは目をかっと見開き、犬歯を露わにして睨み、両足に力を込めて前傾姿勢となっていく。
「迂闊に飛び込んでは駄目よ」
ノワールがハッとして呼びかけるも、ラガードは「このまま睨み合ってても駄目だ。援護を頼む」と答えて跳躍する。
彼の居た場所に砂煙が立ち上がり、空気が震えた。
今のラガードは獣化に加え、ノワールによる補助魔法『燐火の灯火』の効果によって大幅な強化状態にある。
リッド曰く『獣化と燐火の灯火を組み合わせた今のラガードは、きっと部族長にも引けを取らないんじゃないかな』と評されるほどだった。
ただし、燐火の灯火には時間制限がある。
空の追撃から今に至るまでにそれなりの時間が経過しているため、もうあまり時間は残されていない。
『燐火の灯火は連続発動できない。ここで仕留めるか、深手を負わせないとメルディ様が、リッド様の大切にしているものがめちゃくちゃにされてしまうかもしれないんだ。それだけは、それだけは絶対駄目だ。あんな光景は、もう見たくない』
決意を固めるラガードの脳裏には今よりも幼き日、グレアス・グランドークが決起に失敗し、ガレス配下の戦士達が彼の家族や親しい戦士達を粛清していった壮絶な光景が浮かんでいた。
そして、ノワールと共にバルディア領に辿り着き、今に至るまでの日々が思い起こされていく。
『僕に仕える以上、絶対に死んじゃ駄目だよ。生きてこその勝利なんだから』
いつか、リッドに言われた言葉が心に響く。
死ぬつもりはない、だが、命を賭けねばならぬ時はある……ラガードはエンディオの懐に入り、胸を貫くべく右手の爪を伸ばして手刀を繰り出した。
「な……」
しかし、目の前の光景にラガードは唖然とした。
手刀が届かないどころか、エンディオに片手で掴まれてしまったのだ。
「ふわぁ~……。ひひ、欠伸がでちまった」
「く、まだだ」
ラガードは即座に左手の爪を伸ばして振るうが、それも軽く止められてしまった。
だが、その瞬間、「ラガード」とノワールの声が聞こえた。
ラガードが咄嗟に身を屈めた瞬間、彼の背後から飛んできた『火槍』がエンディオの顔に直撃する。
爆音が響き、黒い煙が立ち上がるが、ラガードは悔しそうに犬歯を露わにしていた。
彼の手は、エンディオの手に掴まれたままだったのだ。
「まぁ、てめぇらなんぞ不意を突かれなきゃこんなもんだ。身を以て教えてやるよ、守護十翼の力を、俺様の力をな」
エンディオは口元を歪め、膝蹴りをラガードの腹へ勢いよくめり込ませた。
「が……」
「いい声だ。もっと聞かせてもらうぜ」
「させません」
間合いを詰めたノワールがエンディオの顔目掛けて鋭利な爪の手刀を繰り出した。
「遅い遅い。お前の攻撃はもっと遅い」
エンディオは余裕の笑みで躱しながら、両手で持っていたラガードをノワールにぶつけて吹き飛ばした。
「ぐぁああ」
「きゃああ」
舞台上を転がっていく二人を見据えたエンディオは、にやりと笑って「掴まえろ、闇手【あんじゅ】」と片腕を伸ばして呟いた。
次の瞬間、エンディオの足下から黒く禍々しい大きな手が伸びていき、ラガードとノワールを鷲掴みにしてしまう。
「さぁ、まずは体中の骨を握り砕いてやろう。泣け、喚け」
エンディオが手を拳にしていくにつれ、ラガードとノワールを掴んだ黒い手が徐々に縮んでいく。
「うぐぁあああああああああ」
「あぁああああああああああ」
「いいぞ、いいぞ。その調子だ。だが、俺様の気はこんなものじゃ晴れねぇ。体中の骨を砕いた後は四肢をもぎ取って、八つ裂きにして……いや、待て」
エンディオは二人を交互に見つめ、にやりと大きく口元を歪めた。
「お前達『燐火の灯火』を使っていたな。あれは確か、狐人族でも一部の奴等しか使えねぇ珍しい魔法だったはずだ。ひひ、運も向いてきたな。お前達はホルスト様へ献上しよう、きっとお喜びになるはずだ」
「ふざ、けるな」
「そうで、す。貴方の思いどおりになる、ものですか」
ラガードとノワールがそう言ってエンディオを睨んだ直後、黒い手を焼滅させんと二人の体から凄まじい炎が立ち上がった。
「ほう、炎で俺の闇手を燃やそうってか。だが、その程度の火力ではどうにもならん。無駄な足掻きだ。まぁ、安心しろ。ホルスト様に献上するといっても、その前にたっぷり可愛がってやる。ひひ、ひひ、いっひひひひひひ」
勝ち誇った顔でエンディオは笑みを浮かべ、再び手を拳にしていく。
黒い手はその動きに合わせてぎりぎりと二人を締め付けていった。
まるで、蛇が獲物を丸呑みにするべく、骨を砕くように。
「がぁああ、く、くそ。ノワール、負けるなぁアアア」
「わかって、います。ラガ、ード……ああぁああああああ」
二人の悲鳴が轟くなか、エンディオは瞳を愉悦に染めた。
「そろそろ、何処かの骨が砕ける頃だなぁ。さぁ、聞かせてくれよ。勝たねばならない相手に、負けてはならない相手に負けて、主君の期待を裏切り、無様な姿を敵にさらす……その無念の叫びをよぉ」
エンディオが手を閉じようとしたその時、二つの影が闇手の腕を切り裂いた。
次いで、解放されたラガードとノワールを三つ目の影が救い出す。
「なんだ、てめぇら。いいところを邪魔しやがって」
水を差されたと言わんばかりにエンディオが眉を顰めて睨んだ先には、三人の狐人族が立っていた。
「ごめんねぇ。確かに良いところだったけど、この子達は君の玩具にするわけにはいかないんだよ」
「そうそう。でも、気持ちはわかるわよ。苛めるのって、楽しいもの。ねぇ、ピアニー」
「余計なことは言わないでください。ローゼン、リーリエ」
同じ黄色の髪、青い瞳を持つ似た容姿のローゼンとリーリエ、二人は狐人族の双子の兄妹である。
黒い長髪を靡かせ、黒い瞳を持つピアニーは腰にくの字のククリ刀を二振り帯剣しているが、彼女の両手にはラガードとノワールが抱かれていた。
「ローゼン、リーリエ、ピアニー……」
三人の会話で出た名前を、エンディオが思案顔で訝しむように呟いた。
すると、彼の背後からこつり、こつりと足音が聞こえてくる。
「貴方がエンディオ・パドグリーなのねぇ。会ってみたかったのよ」
エンディオが反応してゆっくり振り向けば、そこには白い狐耳、白くさらっとした長髪を漂わせ、白い尻尾を揺らし、気だるそうな薄紫の瞳を持つ妖艶な狐人族の女性が、身の丈と同等の長さを持つ杖を片手に立っていた。
「……その容姿、出で立ち。そうか、お前がラファ・グランドークだな」
「えぇ、そうよ」
ラファは目を細めると、彼の奥に立つピアニー達へ目配せした。
直後、彼女達はラガードとノワールを抱えてその場を跳躍する。
「逃がすわけねぇだろうが。捕らえろ、闇手」
エンディオが足下から黒い手を生じさせて伸ばした瞬間、周囲に巨大な氷の壁がそびえ立つ。
黒い手が氷に阻まれてしまうと、エンディオは舌打ちをして鼻を鳴らした。
「ラファ・グランドーク。前部族長ガレス時代から狐人族の暗部を任せられ、冷血無比な莫連と聞いていたんだがな。噂で伝え聞くより、随分とお優しいようだ」
「ふふ、誤解しないで頂戴」
ラファは笑みを溢し、反対側が見えない分厚い氷の壁を見上げた。
「弟のアモンの視界に入ったら邪魔されるのよねぇ。それに義妹【いもうと】達の目を汚したくないのよ。貴方みたいなクズが無様に死んでいく姿でね」
「ほう、俺様を殺すつもりか」
「えぇ、そうよ」
ラファが微笑み返すと、エンディオは「あぁ、そういえば……」と何かを思い出したように話頭を転じた。
「以前、鳥人族領に狐人族の暗部が何人も忍び込んできた時期があったな。俺がどいつもこいつも甚振って殺してやったが、ひょっとしてお前はそのことを恨んでいるのか?」




