翡翠晶の力
「うぁ……」
少年の姿に戻ったヨハンはおぼつかない足取りでふらふらして、今にも倒れそうだ。
僕は急いで駆け寄ると、彼を腕の中に抱きしめた。
「ヨハン、大丈夫」
「リッドの声、闇の中にも届いたよ。ありがとう、君のおかげで……」
「違うよ」
僕は目を細め、小さく頭を振った。
「君は自分自身の力でホルストの支配を打ち破ったんだ。僕は君の友達として誇りに思うよ」
「リッド……」
腕の中でヨハンの目がみるみる潤んでいき、溢れ出た涙が頬を伝っていく。
僕はその涙を指先でそっと拾った。
「ここで見たことは誰にも言わないし、胸に秘めておくよ。だけど、僕の前では好きなだけ弱音を吐いて、泣いていいからね」
「ありがとう……ありがとう、リッド。僕、ずっとずっと寂しくて、心細かったんだ。大好きだ、大親友」
「うん、僕も大好きだよ」
腕の中にいたヨハンは、安堵と嬉しさで感極まった様子で僕の首に抱きついてきた。
彼は翡翠晶の影響で心身共に憔悴し、感情も混乱している。
今は優しさで包んで、心を落ち着かせるべきだろう。泣きじゃくって鼻を啜るヨハンの背中を、赤ん坊をあやすように軽くぽんぽんと叩き、さすってあげた。
すると、ヨハンの頭に生えている耳がぴくりと動き、尻尾の毛がふわっと逆立って小刻みに震える。
不謹慎かもしれないけど、ちょっと可愛い。
つい好奇心で彼の頭をそっと撫でてみると、さらっとした金髪は思いのほかふわっとしていて、とてもさわり心地が良かった。
「ん……」とヨハンがくぐもった声を漏らし、体を小さく震わせる。何だか、猫というか子猫を愛でてるみたいだ。
「……ごめん、もう大丈夫だ」
ヨハンはそう言って僕から離れると、照れくさそうにゆっくりその場で立ち上がった。
泣いていたせいか、彼の目元、鼻先、頬は普段よりも赤くなっている。
だけど、どうして耳まで赤いんだろうか。
はて、と首を傾げつつも、彼の足下を見やれば足取りはしっかりしていた。
どうやら、強がりではなくて本当に大丈夫のようだ。
見た感じ、大きな怪我もしていない。
「ヨハンが無事で本当に良かったよ」
ほっと胸を撫で下ろしながらも、僕は真顔で「だけど……」と切り出した。
「ホルストとの決着はまだついていない。ヨハン、君はまだ戦えるかな」
「もちろんだ、リッド。ただ……」
彼は即答し、自身の服装を見やった。
なお、姿が少年に戻ってもヨハンの服装は守護十翼のままだ。
「この格好は気に入らないけどな」
ヨハンは口を尖らせ、不満そうに肩を竦めた。
守護十翼の制服は、どうやら着用者の体格に合わせて大きさが自動調整されるようだ。
実は、僕が着ている服も着用者の体格に合わせて調整される仕組みがある。
これを可能としてくれているのが、バルディアの誇る第二騎士団技術開発工房所属のドワーフ姉弟エレンとアレックスが発明してくれた特殊な生地だ。
この生地は着用者の魔力を利用し、化術や獣化で体格変化が起きた場合も服の大きさが自動調整される優れものだ。
ズベーラにも似たような生地があるらしく、守護十翼の制服もそうした素材で作られているんだろう。
「そうだ。いっそ脱ぐか」
名案と言わんばかりにヨハンが目を煌めかせるが、僕は「気持ちはわかるけど、それは止めとこうよ」と苦笑しながら強めに制止した。
彼の場合、ちゃんと止めないと本当に脱ぎ捨てかねないからね。
「それよりもファラ達のことを……」
話頭を転じようとしたその時、凄まじい殺気に射貫かれて全身の毛が逆立った。
この殺気、エルバを彷彿とさせるものだ。
慌てて殺気の出所を見据えれば、その人物は舞台上に散らばる石片を踏み、ざりっと重い足音を立てた。
死神のような黒い制服を身に纏う、守護十翼の二翼レウス・パドグリーだ。
彼は首を左右に振って、骨を鳴らしながらこちらにやってくる。
ぶっきらぼうな歩き方だけど、威圧感が凄い。
下手に飛びこめば、あっという間に返り討ちになるだろう。
僕とヨハンが並んで身構えると、レウスはにやりと口元を緩めた。
「てめぇらみたいな餓鬼がいくら集まっても俺には勝てねぇ。尻尾を巻いて逃げ出すか。それとも命乞いでもしてみるか」
「どちらも御免被るね」
「そうだ。僕とリッドはお前を倒して、先に進む」
「お前ら、俺を倒すつもりか。面白い冗談だ」
僕達の答えを聞き、レウスは喉を鳴らして笑い始めた。言動全てに圧倒的な余裕が感じられる。
一方、僕とヨハンは満身創痍と言って良い。
僕はここに至るまでの連戦と激戦で予想以上に消耗してしまった。
正気に戻ったとはいえ、翡翠晶をひっぺ剥がした影響もあってかヨハンもかなり消耗している。
だけど、それでもやるしかない。
覚悟を決めて目付きを鋭くしたその時、「ほう……」とレウスが口火を切った。
「その目、まだ諦めてねぇって面だ。だが、これを見てもまだその目ができるかな」
彼はそう言って左手の手袋を外し、僕達に手の甲を見せてくる。そこには翡翠晶が根を張るように埋め込まれていた。
「またそれか。いい加減、翡翠晶も見飽きてきたよ」
僕が冷たく吐き捨てるも、レウスは「わかっちゃいねぇな」と首を横に振った。
「道中の雑魚共、イリア、ビルガメス、そしてそこの餓鬼も。お前が戦ってきた連中は、誰一人として翡翠晶の力を完全に引き出してねぇんだ。見せてやるよ、本当の力をな」
彼がそう言って間もなく、手の甲にある翡翠晶から禍々しい黒い魔力が迸る。
瞬く間にレウスの全身は、漆黒の揺らめく魔力に覆われていき、舞台上に禍々しい黒い風が吹き荒れた。
確かに、今までの翡翠晶とは桁違いの威圧感だ。
術者によって、これほどの力の差が出てくるのか。レウスを中心に荒れ狂う黒い風の中、瞬きをしたその時、彼の姿が視界から消えた。
「え……」
僕とヨハンが呆気に取られるなか、「おい、どこ見てんだよ」と背後から声が聞こえ、僕達の肩にどさりと手が置かれた。
おぞましく禍々しい殺気に、全身がぞっとして生きた心地がしない。
ゆっくり振り向けば、レウスがにやりと口元を大きく歪めた。
「俺がその気なら、お前達は死んでいた。口ほどにもねぇな」
僕とヨハンが絶句するなか、彼は大声で高らかに笑い始めた。
間近で気配を感じたからわかる。レウス・パドグリー、彼は間違いなく強い。
おそらく僕が戦った相手で言えば、エルバ・グランドークに匹敵するか、それに次ぐ強さだ。
いや、もし翡翠晶を使いこなすことで更なる力を得られるというのであれば、エルバをも凌ぐ可能性がある。
だとしても、僕は負けられない。
咄嗟にヨハンへ目配せし、至近距離でレウスの顔を目掛けて火槍を発動しながら飛び退いた。
爆音と火柱が立ち上がるなか、僕とヨハンはすぐに背中合わせとなってレウスのいた場所を見据える。
「今のでやれたと思うか、リッド」
「いや、いくら何でもそれはないでしょ」
ヨハンの軽口に頭を振るなか、「なんだ、このちんけな火は。全くもって温度が足りねぇな」と燃え盛る火の中から呆れ声が聞こえてきた。
次の瞬間、その火を飲み込むように掻き消して『先の尖った巨大な火弾』がこちらへ飛んでくる。
これは『火槍』だ。
まさか、たった一度見ただけで僕の魔法を体得したのか。
「ヨハン、僕の後ろに隠れて」
「わ、わかった」
僕は驚愕しつつも、ヨハンの前に出て魔障壁を重ねて展開する。
巨大な火槍が着弾した瞬間、凄まじい爆発が起き、空気が破裂したかのような爆音、天を突くような火柱が立ち上がり、衝撃波が無人の観客席を破壊した。




