再会の雨
「どうした、リッド。早く終わらせるんじゃなかったのか」
僕が舞台上で片膝を突いた姿を見て、ヨハンがにやりと口元を緩めた。
ホルストの魔法か何かの影響で成人姿となり、僕との決着を付けることに頑なになったヨハン。
彼は獣化を発動して全身が銀毛に覆われ、首は鬣に覆われている。
また、両手に持つ旋棍【トンファー】は、柄の一部が刃物になっているものだ。
ルシュムガルの中、ホルストの力で造られたと思しき獣王戦の会場を模した空間。
観客席の最前列でレウス・パドグリーが憮然として足を組んで座り、武舞台を挟んだ反対側の観客席の最前列ではフェイが心配そうに見つめている。
武舞台は僕とヨハンの衝突によってあちこちに亀裂が走り、砕けた石片も散在している状態だ。
「……終わらせるさ」
深呼吸をして息を整えた僕は、笑い返して立ち上がった。
手に持つ魔刀をゆっくり構え、ヨハンを見据えて烈火の出力を上げていく。
僕の体から深紅に染まった魔力が炎のように揺らめき上がる。
「それにしても驚かされたよ、ヨハン。僕もかなり修練を積んで烈火二十倍を扱えるようになったのに。まさか全くの互角なんてさ」
獣王戦で僕が負ければ、将来的にバルディア家と獣王を輩出した部族との縁談が決められてしまう。
その上、帝国の頂点に立つ皇帝、皇后陛下から直接口頭で『負けは許されない』と勅命を受けた。
つまり、獣王戦で負ければ『皇帝の命に背いた』ということになり、バルディア家は窮地に立たされることになるだろう。
陛下達の人となりからして、表立ってバルディアを糾弾することはないかもしれない。
だけど、一部の帝国貴族、特にバルディアの躍進を妬む者、あるいは危険視している者には格好の口実になることは間違いないし、僕がもっとも恐れる『バルディア断罪』に繋がる切っ掛けとなることが大いに考えられる。
希望的観測による楽観視はできない。
絶対に負けられないと、そう考えたからこそフェイの協力を得て、地上と流れる時間が違う牢宮【ダンジョン】に籠もって高負荷修練を行ったんだ。
『烈火二十倍まで耐えられるようになったし、これだけの力があれば少なからずヨハンに負けることはない』と、そう思っていたのに。
今のヨハンは烈火二十倍を発動した僕とほぼ同等か、それ以上の力を持っているかもしれない。
「君は僕以上の修練を積んでいたんだね」
「……それは少し違うよ、リッド」
ヨハンは眉を顰め、悔しそうに口を開いた。
「確かに激しい特訓は積んだ。母上と父上だけでなく、各地の部族長を招き、たまたま山奥で知り合った片腕の戦士に教えを乞うまでしてね。だけど、いざ獣王戦の舞台でリッドと戦ってわかったんだ」
彼は目付きを鋭くして睨み、僕に向かって旋棍の切っ先を向けた。
「リッド、君は僕との戦いで力を隠していた」
「そんなの君も同じじゃないか」
獣王戦で手合わせした時、僕もヨハンも本気じゃなかった。
いざ力を出して戦おうとしたら、ホルストが反逆の騒ぎを起こして現状に至っている。
「同じだって。同じなわけがないだろう」
ヨハンは怒りの形相を浮かべ、咆吼の如き怒号を発した。
魔波が生じ、突風が舞台上に吹き荒れて石片を吹き飛ばしていく。
「君が秘めていた力は、僕を遥かに凌駕していた。その力、その気配、その魔力、見抜けなかったと思うのか。なにより、今の君が見せている力がその証拠だ」
「そ、それは……」
僕が言い淀むなか、ヨハンは力なくがくりと俯き「どれだけ惨めだったかわかるか……」と続けた。
「リッドは僕の大親友で好敵手【ライバル】だ。修練を積んでいたのに、差は縮まるどころかますます広がって、挙げ句に試合では手加減されていたんだ。はしゃいでさ、まるで馬鹿みたいじゃないか」
彼はわなわな震えていたが、ぴたりと震えが止まって顔を上げた。
「だけど、今はこの翡翠晶もあって対等に戦えている」
ヨハンは服の胸元をめくり、体に根を張るように埋め込まれている翡翠晶をこれみよがしに見せつけてにやりと笑った。
「おかげで、今は良い気分だよ」
「……本当にそうなのかい、ヨハン」
僕は半身になって魔刀を体の影に隠し、下段脇構えを取った。
「力を隠していたのはお互い様だし、手加減したつもりもなければ馬鹿にしたつもりもない。だけど、それでも気に障ったなら謝るよ。だけどね……」
そう告げると、僕はヨハンの目を真っ直ぐに見据えた。
「良い気分だというのに、君の繰り出す攻撃には迷いがあったよ」
「迷い、だって?」
これまでにヨハンと激しい剣戟、魔法の撃ち合いを幾度となく繰り返している。
だけど、どの攻撃も洗練されておらず、鋭さがなかった。
基礎的な身体能力だけなら、確かに今の彼のほうが強い。
でも、過去に手合わせをしたヨハンのほうが動きに無駄がないし、攻撃も鋭かった。
「君自身、とっくに気付いているんだろう。ほしくもない力を与えられ、あまつさえその力を使った勝利が本当に君が求める決着なのかな」
「力は力だ。どんな力を使おうとも君に勝てれば僕はまんぞ……うぐ」
唐突にヨハンが苦しそうに額を抑え、足下がふらつく。僕はここぞとばかりに声を張り上げた。
「獣王セクメトスとタバルの子にして、ズベーラの王子ヨハン・ベスティア。君を愛し、国の行く末を憂う母と父を傷つけ、その想いを踏みにじった逆徒ホルスト・パドグリー。そんな男の力に頼り、勝ち誇ることが君の矜持なのか」
「う、うるさい。だま、れ」
「だとすれば君はヨハンじゃない。僕の大親友であるヨハンはそんなやわな子じゃないはずだ」
「だまれ、だまれと言っているんだぁああああ」
ヨハンが声を荒らげ、魔波が衝撃波となって吹き荒れた。
彼の体から黄緑色と漆黒の魔力が立ち上がっていく。
黄緑色はヨハン本来の魔力、漆黒は翡翠晶の魔力といったところだろうか。
「お前の屁理屈はもう聞くに値しない。一撃だ、次の一撃で決めてやる」
「やってみなよ。今の君にできるならね」
僕はにこりと目を細め、烈火二十倍を発動する。体から揺らめき上がっていた深紅の魔力が勢いを増し、燃え盛る焔のように立ち上がっていく。
互いに発する魔力が舞い起こす魔波が舞台上で衝突し、乱気流のような風が巻き起こる。
「……ようやく決着が付きそうだな」
観客席に座っているレウスが組んでいた足を組み替え、少し身を乗り出した。
「リッド、がんばれぇええええ」
フェイの掛け声が聞こえてきたその時、ヨハンは魔力を纏ったまま地面に両手を突いて低くしゃがんだ。まるで、猫が獲物を狩るような構えだ。
「その減らず口、二度と叩けぬようにしてやる」
ヨハンは言うが否や瞬く間に跳躍し、真っ正面から突っ込んできた。
彼がいた場所の地面がえぐれ、爆音と共に砂煙が立ち上がる。
ヨハンは腕を交差させ、両手に持つ旋棍の刃を前に出した。
狙いは僕の喉元で、言葉通りに首を飛ばすつもりだ。
今までで一番速いけど、見切れないほどじゃない。
僕は受けて反撃すべく身構えるも、ヨハンは間合いの外で地面を再び蹴って加速した。
さらに速くなった。これじゃ、対処が間に合わな……。
「獅子・牙刃閃【がじんせん】」
ヨハンが振り抜いた旋棍の刃が僕の首に触れた次の瞬間、丸みを帯びた物体が空を舞って小雨が武舞台を赤く染めていく。
そして間もなく「うわぁあああああ」とフェイの悲鳴が響き渡った。




