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天帝像――荒方台事変  作者: 矢子沼蜻蛉


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7.供える

 その夜、木積(こつみ)は夢を見た。

 いや、夢と呼んでよいものか分からない。


 どこだか知れぬ場所だ。

 かつて耳鳴りほどに弱まっていた太鼓と笛の音が、今は轟音となって鳴り響いている。

 目の前には、あの威厳ある神。仮に「天帝」と呼ぶことになった神がいた。

 玉座に腰かけ、三叉の槍の石突を地につき、額に深い皺を寄せて木積を見下ろしていた。

 脳天に、また脳天に、視線を感じた。


「あぱぱぱぱぱあ……」


 頭の中を全てを覗かれているような、ぞっとする感覚に襲われた。

 気がつけば、言葉にならない言葉を漏らしている。

 やがて、「天帝」の思念が、雷のように脳髄を震わせた。


「何をしておる。我が命を忘れたか。磐座(いわくら)へ供えよと命じたはずだ。何故、外の小屋に放置しておる。荒御魂を恐れぬか。あくまで背くなら、神罰を下さん」


 木積は飛び起きた。

 全身から冷や汗が噴き出し、心臓が激しく脈打っている。


「間違っていたのか」


 小袖に括袴という格好で寝ていた木積は、慌てふためいて、脛巾を巻いて、草鞋を履いた。

 萎烏帽子も直垂も省いたが、斧を腰に差し、五尺の棒を手に取ったのは、日頃の習慣からだ。

 松明を二、三本引っ掴み、その一本に火をつけ、夜の山道へ駆け出した。


 玄蕃(げんば)に相談するという考えは、最初からなかった。

 里の者との取り決めだ。相談すれば止められる。

 神罰がどんなものかは知らないが、恐ろしいものに違いない。

 それが下されてからでは遅いのだ。


 息せき切って荒方台(あれほうだい)に着くと、残された力を使って塚へ向かって走り出した。

 地面から顔を出した屋根瓦に、足を取られもするが、何とか均衡(きんこう)を保って、なおも走り続ける。

 その時だった。


「おおーい、おおーい」


 高く澄んだ声が響いた。妙に心地よい声だった。


 だが、ここは奇怪な灰色の樹木だけしかない土地だ。

 人たるものは、こんな真夜中に、絶対足を踏み入れない場所だ。

 あまりの場違いに戦慄(せんりつ)した。

 震え上がった木積は、思わず足を止めた。

 必死で見回すが、声の主の姿はない。


「そのまま待っててねー。すぐ着くよー」


 明らかに自分へ呼びかけている。しかも、近づいてくる。

 木積は猛然と走り出した。

 聞こえてはいけないところから、声が聞こえているのだ。

 空の上だ。


(これが荒方台の化け物か?)


 社に着くと、安置していた「天帝像」を小脇に抱えて、塚を登り始めた。


「待って、待って、何をする気なの?」


 声は更に近付いている。何か緊迫したような声色になっているが、これが木積に希望を与えた。


(化け物は焦っている。間違いない。俺は合っている)


 塚を封鎖していた扉の関貫を外す。

 とうとう、その声が、真後ろから聞こえた。


「待っててって言ってるでし、うわぁ!?」


 五尺の棒が下から引っ張られ、手の平からスルリと抜ける。その瞬間、何かが滑り落ちていく音が聞こえた。

 そんな物はどうでも良い。木積は扉を開けて塚の中に入る。


 そこは、騒音と光に満ちていた。

 太鼓の乱打は轟音のようで、笛の音が耳をつんざく。

 松明を捨てる。藍色(あいいろ)の光に溢れた坑道ではいらない。

 ほとんど転げるように進み、ついに石室へ飛び込んだ。


 眼前には、極彩色に輝く峻険な霊山のような岩。磐座(いわくら)がある。

 磐座の前には、薙刀と行者の遺体が転がっていたが構わない。

 邪魔なところにある薙刀を「天帝像」の土台で払いのけ、そのまま像を磐座の前へ押し倒すように据えた。

 ここで体力の限界を迎えた。木積は腰を上げてへたり込んだ。もう身体に力は入らない。息が切れて喋ることも億劫だ。


 その瞬間、木積の脳裏に、雷のような思念が響き渡る。


「おおう。よくやった。よくやった。待ちかねたぞ。はーはっはっはっはっ。おおう、うむ、これで……荒御魂は封じられた。よくやった、おめでとう」


 歓喜にも似た大音声に、木積は安堵した。


(よかった、これが正しかったんだ。これなら神罰も下るまい)


 そう思った刹那、瞼を通して見えていた、強烈な藍色の光が、淡い白色へと変わる。轟音のような太鼓や笛の音もフッと消えた。

 あたりは静寂になり、木積は突っ伏していた顔を上げて、瞼を開く。

「天帝像」は消えていた。

 代わりに、極彩色の「枠」が、磐座に嵌め込まれたように縦に長く屹立している。その枠の内側は、全体が銀色に輝いていた。


(何だろうなぁ。これ)


 木積は、尺取り虫のように持ち上げていた己の腰を、ベタりと石畳におろして脱力した。


 顔を横に向けると、行者の遺体がある。

 木積は、それを眺めながら、瞬きを細かく繰り返し、やがて瞼を閉じた。

 石畳の硬ささえ、木積の睡魔の邪魔にはならなかった。


 どれほど経ったか。

 ガシャン、ガシャンという音が、耳の奥を震わせた。

 木積は目を開いて、ムクリと起き上がる。


(何だ、何事だ)


 木積は立ち上がると、おたおた走り出した。

 坑道を抜け、扉を開け、塚の天面へと這い上がり、周囲を見渡す。


 朝日が差す中、灰色の木が動いている。何本も、何本も。

 おそらく荒方台の全ての灰色の木が動いている。

 太い根が縮み上あがり、次の瞬間、先端の円盤が、ガシャン、と地面を打つ。

 次に他の根が、また同じ動作を繰り返す。


「歩いている」


 ガシャン、ガシャン……それが幾重にも重なり、荒方台は地響きに飲み込まれていた。


 灰色の木の一本。その動きが止まった。

 樹頭(じゅとう)が、ゆっくりとこちらに曲がってくる。


「お、ばっ……」


 悲鳴が喉に詰まった。

 唐突に、卵のような巨大な芽が、ぱっくりと裂けた。

 開いた芽の内側には、銀色に光る刺が、幾重にも螺旋を描いて並んでいる。


 ガシャン、ガシャン


 それは、ゆっくりと、方向転換を始めた。

 やがて、それが終わる。


 ガシャン、ガシャン


 それは、幹から何本も生える円筒形の枝を、ユラユラと宙に彷徨わせながら、こちらに進んできた。


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