2.荒方台
古くから、荒方台と呼ばれる場所がある。
円霧山の山頂近くにある台地で、頂上へ向かうには、そこを通らねばならない。
言い伝えでは、昔、そこには大きな寺があったが、神仏の怒りに触れて焼け落ちたと言う。
以来、忌み地となり、今では地祭りのため、ごく稀に行者が訪れるばかりであった。
その地祭りに、父の玄蕃が集落の代表として参列した事があった。
漂泊を常としている木地屋の集落にとっては、その土地の神への敬意は欠かせない。
いつも自前でやっている祭儀も、行者たっての要望で行えるとあれば渡りに船。大喜びで参加した。
円霧山の麓の円霧保からも、戸長や何人かの戸主が参列していたそうだ。驚いたことに、彼らもこの地祭りへの参加は初めてだったらしい。
行者から、忌み地となった由来や禁忌を、細々と聞かされるうち、誰も彼も顔色を悪くしていったそうだ。
地祭りから戻ってきた玄蕃は、多くを語ろうとしなかった。
泳ぐ視線、震える指先、段々と小さくなっていく声。そして最後に、
「要するに、忌み地で余計な事はするな!」
と怒鳴り声を上げられ、皆が仰天した。
木積が、荒方台の禁忌について、知っていることは多くはない。
物を持ち帰るな、木を切るな、地に手を入れるな。その程度であった。
だが、それでも充分だった。禍々しい場所だというのは嫌でも分かる。
今、木積の目の前に広がる風景こそ、まさに忌み地と呼ぶにふさわしいものだった。
寺院の焼け跡は、何百年と放置され、砕けた瓦がところどころで地に埋もれている。
一面に赤黒い地肌が剥き出しになり、何の木とも知れぬ灰色の樹木が、ぽつぽつと立っていた。
昨夜の小雨でできた水たまりは残っているのに、そこにはアメンボはいない。鳥も羽虫も、バッタ一匹、蟻一匹いない。油断すると纏わりつく蚊も、血を吸う蛭もいない。
まるで、この土地だけが、生き物に見捨てられているようだ。
そして、恐ろしく静かだった。
たまに吹く、風の音しか聞こえない。
「天辺じゃなかったのかよ。よりによって、ここか……」
木積は天を天を仰いだ。
荒方台の隅に、塚のような遺構がある。その周縁の一部が、脈を打つように鮮やかな藍色に輝いていた。光の元は、あれに違いない。
しばらく眺めていても、何も起こらない。
(気が進まん。気が進まんが……)
「忌み地にある、塚が光っていました」などと報告すれば、玄蕃はきっと、「何しに行ったんだ?もっと近くに寄って、何が光っているのか見てこい」と怒鳴るだろう。
仕方がない。意を決して、近づいて見ることにした。
その途中、灰色の樹木の一本が間近くなった。足取りの重さもあり、立ち止まって、それを眺める。
荒方台には、こうした木がぽつりぽつりと生えている。だが、他の山はおろか、この円霧山の別の場所でも見たことがない。
集落の者も、珍しい木だと口を揃える。
それは、三間ほどの高さがあり、抱えきれぬほど太い、真っ直ぐな木であった。
木肌は石とも木ともつかぬ、どこか生き物じみた異様な質感を出している。ぬめるような光沢が金属めいて見えた。
幹からは、何本もの筒のような太い枝が伸びている。葉は一枚もない。
天辺の頂芽は、卵のような形をし、地上から見ても異様に大きい。
太い根の先端はどれも大きな円盤型で、それが地に貼りついて巨体を支えていた。
(こいつが他でも生えていればなぁ。切り倒さなくてもいいし、縄をかけて引っ張り倒すだけで済む。しかも、俺でも分かるぞ。これは絶対にイイ木だ)
しかし、禁忌を語る玄蕃の顔が脳裏をかすめ、この木への執着はスッと失せた。
「こんにちは。里の人?それとも木地屋の人かな?」
唐突に、背後から声がした。
木積は、恐る恐る振り返りその姿を見た。
胴丸を着込み、手には薙刀を提げている。どこかの兵かと思ったが、その下には、白衣に短い緋袴という、妙な取り合わせだった。
高く澄んだ声、烏帽子をつけぬ高結いの髪、華奢な身体つきからすれば、まだ童子なのであろう。
顔立ちは美しい。
一見して男とも女ともはつかない。だが、その装いは女童のものには思えなかった。
「ここは忌み地。長くいると寿命が縮まるよ。それに油断していると、悪霊に取り憑かれるかも。だから、できるだけ遠くへ逃げてね」
そう言うと、童子は呆然と立ち尽くす木積をよそに、塚へ向かって歩き出した。
足音がしない。
少し進んだところで、童子はゆっくり振り返った。
表情のない顔のまま、何か意外そうに、首をカクリと横に傾ける。
「……逃げてね 」
「は?お、おおぅ」
そう答えると、木積は慌てて駆け出した。びちゃびちゃと、水たまりを跳ね上げながら、荒方台の入口へ向かって走る。
そして、地面が盛り上がった陰に身を隠すと、そっと顔だけ出して、童子の様子を窺った。
童子は塚を見上げて佇んでいる。
やがて童子は、塚の向こう側へ回り込み、見えなくなった。
(あの童も、あの光を見に来たのか。どこの長者の手の者だ。……いや、待て、誰が、あんな童を兵にするんだ。それに、命が縮まる?悪霊に憑かれる?まるで験者だ。だが、あの扮装は違うよな。何で俺を脅して追い返す。目的が同じなら、俺も連れてけ。何のつもりだ)
そう思って、木積はふっと立ち上がりかけた。だが、直ぐにまたしゃがみ直した。
(落ち着け。何故か分からんが、あの童にとって俺は邪魔者かも知れん。あの薙刀で一刀両断なんて御免だぞ。どうする……帰るか?)




