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偽りの姫は闇夜に微笑む  作者: 宵乃凪
二章

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第6話 義弟

「狩り、ですか」


 この日の朝、騎士団長の執務室に呼ばれて開口一番に命じられた任務に対し、アリーシャはそう言って眉を寄せた。


 対面するレオンハルトが頷く。


「ああ、北の森に珍しい獣が出たとのことで、王とアルバート第一殿下、それからニコラ第三殿下が馬を駆られるそうだ。急で申し訳ないが、君にはニコラ王子の護衛を任せたい」


「それは構いませんが、何故私たちに。このようなものは普通、兵を引き連れ、陣を敷いて行うはずです。あの辺りが敵国から遠いとはいえ、もし何かあればどうするのですか」


「それは勿論申し伝えた。だが、『大勢で押し掛けて獣が逃げたらどうする』と、アルバート王子からのお叱りを受けた」


「ああ……」


 アリーシャがそれだけを返答する。その光景はすぐに目に浮かんだ。弟であるニコラを騎士団に任せて、自分の身はいつものように自慢の近衛に守らせるのだろう。さすが命を狙われ慣れていない王子の言うことは違う。そう思ったが、余計なことだと黙っておいた。


 ふと視線を感じて顔を上げる。レオンハルトが何やら笑顔を浮かべてこちらを見ていた。


「さすがにそれはと、国王の護衛は私にお任せ頂いた。アルバート王子はご自身の近衛の他には不要とのことだから、ニコラ王子の専属に君を推薦したんだ」


「は……それは何故?」


 眉を寄せてそう問うと、男は大きく頷いた。


「君の腕は、王国騎士団の中でも私が一番よく知っている。少数精鋭というのであれば、君の他にはない」


 その誇らしげな笑顔に、アリーシャはため息を押し殺し、それは光栄だとだけ答えた。


 今日は任務の合間に次の標的と夜警の動きについて下調べをしておくつもりだった。予定が狂ったなと思いながらも、連日王城に勤めたところで王族と顔を合わせる機会はなかなか得られない。これも好機だと思うかと、そう結論付けかけたところで、また視線を感じた。


「今度はどうなさいましたか?」


「いや、そういえばノルヴィス様はいらっしゃらないのだなと」


「あの方は狩りの類はお好きではありませんよ。もともと殺生が好きな方ではないのです」


 そうか、とレオンハルトはすこし残念そうな表情を浮かべた。


 すっかり支持者になったようだと揶揄ってやると、本人には言わないでくれとレオンハルトはようやくこちらから視線を逸らせた。


 アリーシャが苦笑する。


「それに、もし参加されたならば、目の前で弟君様に侍るなどと、決してお許しにはなりませんよ」


 囁きが聞こえたのかそうでないのか、レオンハルトは首を傾げた。


 こちらの話だとアリーシャは話を切り上げる。それであれば早く支度をと、男を促して執務室を後にした。


 ◇


 雨のよく降る王国領土には森林地帯が多い。王都の四方も深い木々に囲まれ、整備された輸送路を少し外れれば、頭上の空を分厚い枝葉が覆い隠す。顔に当たる枝を払いながら、アリーシャは跨る馬の手綱を軽く引いた。大きな木のそばへと止めてから、声の聞こえる方角を見る。


 レオンハルトや近衛兵たちから遠巻きに護られるようにして、二人の男が馬を駆り、弓を手にして獲物を追っている。国王と、第一王子のアルバートだ。


 王は随分と大柄な男だったが、その血を引くアルバートもまた恵まれた肉体を持っていた。太い腕が大きな弓を難なく引き絞り、飛ばされた矢が唸りをあげて逃げる獣を追い詰めていく。目当てであったという稀少な獣とやらは、この日姿を見せていなかったが、それでも二人は道楽の殺生を存分に楽しんでいるようであった。


 ふと、視線が向けられたような気がした。彼らとは相当遠い距離であったが、王のあのぎょろりとした大きな目がこちらを見据えたような気配があったと、そう思った瞬間に矢尻が風を切る高い音がした。


 アリーシャは反射的に馬を蹴り、飛んできた矢を手にした剣で叩き斬った。そして背後を振り返ると、同じく馬に跨ったままの年若い青年に向かって深く頭を下げる。


「御前を失礼致しました、ニコラ様。流れ矢が御身を傷つけてはおりませんか」


「だ、大丈夫です。ありがとう、アリーシャ殿。すみません、少しぼんやりとしておりました」


 アリーシャが顔を上げる。透き通る金の髪をした青年、第三王子のニコラは、少し困ったような表情で頬を掻いていた。



 二頭の馬を木に繋ぎ、アリーシャは再びニコラを振り返った。父と兄より一足早く狩りを休憩することになった彼は、木の根元辺りに腰掛けている。隣に座るように指示されたので、アリーシャは頷きその場に片膝をついた。


「そ、そういうことでは……すみません、宜しければこちらの根っこなどはどうですか? 座り心地が良さそうです」


「まさかそのような訳には参りません。また先程のような流れ矢や、獣が出ないとも限りませんので」


 腰の剣に手をやり、すぐに動ける体勢のままでアリーシャが答える。そうですか、とニコラからは残念そうな返答が返った。


 アリーシャは周囲の警戒をしながら、同時に改めてニコラのことを伺った。屈強な身体つきの王や第一王子と違い、線が細く、威圧感などまるで感じられない風体。レオンハルトと同じ金髪は彼よりもずっと柔らかそうで、今も風にそよいでいる。齢は確か十三となって半年が過ぎた頃だっただろうか。兄であるアルバートやノルヴィスからは十以上も離れた王の末子だった。


 以前に式典で見かけた時は、歳の割に随分としっかりとした人物だと思ったが、目の前の彼はその時よりもずっと幼く見える。あるいは同席している父や兄に萎縮しているのだろうか。


 ぱちり、と視線が合う。透き通った薄緑の瞳を、アリーシャは真っ直ぐに見返した。


「ご安心を。王国騎士の名に賭けて、絶対にお怪我はさせません」


「す、すみません、アリーシャ殿。その、今日は本当にお忙しいところを申し訳ありません。折角来て頂いたのに、僕はこのように弓は不得手でして……あっ、一応剣の方だけは、それなりに。昔、ノルヴィス兄様に鍛えて頂いたこともあります」


 そう言って、ニコラはぐっと両手の拳を握り締めた。

 問題ありません、とアリーシャは首を横に振る。


「御身をお守りすることも騎士の務めです。それに、私は食用であればまだしも、余暇としての狩りはあまり好みません。ニコラ様がそれを不得手であられたとして、私が忠義を損なうことなどあり得ません」


 そうはっきりと言い切ると、ニコラは数度目を瞬かせてから、どこか安心したように息を吐いた。


 どうやら狩りを苦手とするらしい彼は、この森に来てからというもの兄であるアルバートに強い叱責を受けていた。それは王族であることすら否定するような物言いで、恐らくはレオンハルトも何か物申したそうな気配があったが、王の手前か誰も言い返すことはしなかった。


 ニコラの両の拳が解かれ、軽い音を立てて膝へと落ちる。


「そうでしたか……あの、実は僕もこのようなことはあまり……。アリーシャ殿も、殺生を好まれませんか?」


「それもありますが、昔、勘違いをした狩人に森を追い回されたことがあります」


「なんと、それは……酷い体験をなさいましたね。お怪我などはありませんでしたか?」


「はい。幸運なことに、親切な方がお助けくださいました」


 そのようなことを話している間に、王とアルバート、護衛の人間たちの姿は随分と遠ざかっている。この距離であれば流れ矢が飛んで来ることもないだろう。その旨をニコラへと伝えてから、アリーシャは抜きかけていた剣から手を離した。


 きっとあの矢は故意に違いない。前王妃が王城を去った後に、妾の腹から生まれたニコラが王城であまり良い待遇を受けていないということは、既にノルヴィスから聞いて知っていた。


(それにしても白昼堂々、騎士団長の目があるところで命を狙うとは。あるいは護衛である私の、引いてはノルヴィス様の責とするためか)


 後者であればニコラには巻き込んで悪いことをした。そのようなことを考えていると、じっと視線が向けられていることに気が付いた。


「いかがなさいましたか、ニコラ様」


「いえ、その……ふふ、想像通り貴女がお優しい方で良かったなと」


 そう言ってニコラはくすくすと笑っている。


 アリーシャは、はあ、とだけ答えると眉を顰めた。こちらが怪訝に思ったことを感じ取ったのか、ニコラが発言の意図を補足する旨を告げた。


「すみません、ですが僕はずっと貴女とお話ししてみたいと思っていました。そのために、今日は苦手な狩りに同席を。思った通り、結果は散々ではありましたが」


「それは光栄ではありますが……なぜ一介の騎士である私に?」


 アリーシャが問う。ニコラは一度周囲を見渡してから、耳を貸すように言った。


「貴女が、ノルヴィス兄様の妹であられると聞いたからです」


 耳元で囁かれた内容に、アリーシャは眉を寄せる。かつてノルヴィスの吐いたその虚言は、王によって強い緘口令が敷かれていた。口外しようものなら重い処罰は免れ得ない。そのことを知らない訳ではないだろうと、アリーシャは少し強い口調で囁き返す。


「ニコラ様、無礼を承知で申し上げます。城の外とはいえ、どうぞ滅多なことは仰られないよう。まして私は、ご覧の通り魔の血を引きます。王とアルバート第一殿下が魔族に対してどのような姿勢をお取りになられているか、ご存知ない訳ではないでしょう」


 そう低い早口で囁くと、ニコラは申し訳ないと言って深く項垂れた。


 期待したところを悪いと思わないではないが、しかしこの幼い王子はあまりに危機意識が希薄過ぎるとアリーシャは思った。あの国王はたとえ身内であっても、敵と判断した者には一切の容赦がない。国の後継候補がたったの三人というのは少な過ぎると思ったが、どうせ戦死や病死したという王族についても事実とは異なるのだろうと容易に想像がつく。


 加えて、王国内の魔族に対する排他意識は年々強まっている。現在は商品を売らないといった嫌がらせのような範疇だが、数年前に王が森を焼き払おうとしたことから見ても、本格的に敵認定される日もそう遠くはないだろう。


 アリーシャはそれらの事実を掻い摘んでニコラへと伝える。忠言の途中でふと、青年の背中がすっかり丸くなってしまっていることに気が付いた。やり過ぎた、とアリーシャは顔を顰める。つい普段ノルヴィスに提言したり、レオンハルトへ釘を刺す時のように並べ立てたが、相手はまだ年若い王子であるのだと思い出した。


「……申し訳ございません、ニコラ様。出過ぎた真似を致しました。処罰は如何様にも」


「えっ? いえ、貴女は僕の身を思って言ってくださっただけで、罰だなんて……」


 深く頭を下げると、戸惑ったような声が頭上から降ってくる。この失態は念のためにノルヴィスに共有しておくべきかと、そう考えている最中に、ぽん、と手を打つ音がした。


「分かりました。それでは、絶対に他の者がいない時とお約束しますので、貴女を姉様とお呼びしても良いでしょうか」


「……重ねて失礼ながら、私の忠言は聞こえておりましたでしょうか」


 アリーシャが顔を上げ、堪え切れずに再度釘を刺す。両手を合わせた青年はふわりと柔らかく微笑んだ。


「もちろんです。貴女の身を危険に晒すようなことはしません。それから、僕自身のことも。これでも王城の剣術師範に、筋は悪くないと言われているんですよ。王族に生まれたからには、己の命、爪の一片に至るまで民のためにあると思え。そう、ノルヴィス兄様に教えられました」


 そう言ってニコラが立ち上がる。先程までの丸まった背中が嘘のように、ぴんと伸びた背筋、堂々と張られた胸、白く美しい手が差し伸ばされる。


 アリーシャは少し悩んでからその手を取った。握った手には体重をかけず、片膝の状態から立ち上がる。自分よりも少し低いところから、透き通った芯のある瞳が真っ直ぐにこちらを向いた。


「やはり貴女はノルヴィス兄様とよく似ておられます。鋭く冷たいようで、お優しい。僕は貴女に、遠慮なく僕の不出来を指摘してもらえるような存在になって頂きたい。……実を言うと近頃兄様には、避けられているようなのです。僕の未熟が原因です」


 アリーシャは静かに首を横に振った。王や第一王子の一派を完全に敵に回しているノルヴィスが末弟と距離を置く理由など、わざわざ本人に聞くまでもなかった。


「ニコラ様のせいではありませんよ。ノルヴィス殿下はお優しいですが敵の多いお方です。きっと、ニコラ様の御身を思ってのことでしょう」


「それでも、僕はもっと王子として力をつけ、兄様の助けになりたいのです」


 アリーシャの返答から間を置くことなく、ニコラはそうはっきりと言い切った。その表情には少し前までの気弱さなど微塵も感じさせない。


 どうにもこの国の王子は、揃いも揃って人の忠告を聞こうとしない。ふと、遠くで蹄が木の根を叩く音がした。狩りの成果は知らないが、そろそろ帰城のために他の者たちが戻ってくる頃合いだろう。


 アリーシャは数秒黙ってから、ついに諦めてため息を吐いた。


「……どうか、ノルヴィス殿下のお耳に入らないようにお願いいたします。お叱りを受けるのは私です」


「分かりました、姉様。早速なのですが、今度剣を教えてはもらえないでしょうか。貴女の技術はそれはもう素晴らしいと、レオンハルトからもよく聞いております。王城の敷地内にある僕の私邸であれば、他の者に見られる心配もありませんので――」


 ようやく調子を取り戻したとばかりに、ニコラが嬉しげに捲し立てる。


 アリーシャは彼に分からない程度に眉を寄せると、次々に並べられていく提案を聞きながら、ノルヴィスに何と言って説明したものかを考えていた。

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