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偽りの姫は闇夜に微笑む  作者: 宵乃凪
二章

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第5話 裏表の日常

 王城内に設けられた訓練場で、アリーシャは地面に片膝をつき、脇腹の鈍い痛みに顔を顰めた。


「っつぅ…………はあ……参りました、団長」


 ため息混じりにそう告げる。目の前には大きな手が差し出されていた。


 不要だと剣を支えに立ち上がり、脇腹をさする。すまない、と苦笑混じりの声があった。


「寸前で止めるつもりだったんだが……君が余りに鬼気迫るものだから、こちらも余裕がなかった」


「よく仰いますね。そう言って吹き飛ばされた者が、今季に入って一体何人いるとお思いで?」


 痺れた手を振りながら、アリーシャは批判を込めた視線でレオンハルトを見上げる。そうだそうだ、と周囲から賛同の声が上がった。


 二人を取り囲むように観客と化していた騎士たちに向けて、レオンハルトが軽く謝罪し、自分の訓練に戻るよう告げている。そんないつもの光景を眺めながら、アリーシャは静かにため息を吐いた。


 アリーシャが騎士となり、既に半年以上が経過していた。その間に彼と手合わせをしたことは、両手両足の指を使っても数え切れないが、大体の場合において今日のように酷いあざができる羽目になる。


 またノルヴィスには気が付かれないようにしなければ、彼は自分が傷を作って帰ることを好まない。先月に顔を怪我した時は機嫌を直させるのが大変だった。そのようなことを考えていると、ふと視線が向けられたままであることに気が付いた。


「人を叩きのめしておいてその笑顔。今に妙な誤解をされますよ」


 いつの間にか二人となった空間で、呆れた表情を返してやる。レオンハルトは少し慌てたように首を横に振った。


「あっ、いやすまない。そういうことではなく……ただ、嬉しいんだ。これだけ本気で剣の腕を競える相手というのは、きっと人生においてそうそう現れるものじゃない」


 まるで少年のような笑顔を浮かべていたレオンハルトは、顔を引き締めてからそう答えた。


 そのようなことは互角か、せめてもう少しいい勝負ができる相手に言ってくれと、アリーシャが身体の前で腕を組む。騎士団長を前に無礼だとは百も承知だが、このような態度がむしろ好まれると、半年の付き合いで十分過ぎるほどに理解していた。


「はっきり申し上げて、私では力不足です。私の勝率は二割にも満たないではありませんか」


「それは今季に入ってからだろう? ここ数回の君の上達ぶりは目を見張るものがある。今にきっと互角の打ち合いができるようになるさ」


「いっそ気持ちが良いほどの自信ですね。嫌味にも聞こえないところがさすがです、団長」


 あえて皮肉を込めてそう言ってやると、レオンハルトは少し考えた素振りを見せてから、そういう意味ではなかったのだとまた慌てたように弁明した。


 どこか抜けたような憎めないようなその様子を見ながら、先程までの威圧感が嘘のようだとアリーシャは思った。


 王国騎士団の頂を冠する剣は、名ばかりではない。日々共に腕を磨こうと、仮に運よく一本取れた時でさえも、この男に剣で勝てる未来が想像つかない。


 ずき、と脇腹が痛んだ。訓練用に潰された剣でなければ、鎧すら貫通して両断されそうな一振り。ここが王城の訓練場であるということを忘れさせるような気迫。身震いすら起こりそうな青く鋭い眼光。

 そんなことは少しも想像がつかない穏やかさで、目の前の男がまた困ったように笑っている。


 アリーシャは三度目になるため息を吐いてから手を差し出した。


「手合わせありがとうございました。及ばずながら、団長にご満足頂けるよう腕を磨きます。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」


「ああ、こちらこそ。それで言うと一つ思ったんだが、君はもっと食事の量を増やすといい。確かに君の剣は団で一番の速さだが、もう少し重くなれば取れる手もずっと広がることだろう。それから多分、手足に対して胸周りの筋肉を増やすといいと思う。君に適していそうな鍛え方がある、良ければ明日にでも――」


 微塵も悪意を感じさせない晴れやかな笑顔で、レオンハルトがつらつらと並べ立てている。


 善意だと分かってはいるが、他の女性には言わない方がいい。アリーシャはそう助言してから硬い手を握り返し、午後の巡回任務に備えて昼食にしようと男を促した。


 ◇


 王都の城下町は、この国で最も栄えている街の一つだ。

 昼下がりの賑やかな通りを、アリーシャはレオンハルトと並んで歩く。治安維持と市井の状況把握を兼ねた巡回も、王国騎士団の仕事のうちの一つだった。


 今日何度目かに耳に入った噂話に、アリーシャは隣の男へ耳打ちする。


「やはり先日の爵位剥奪の件、市民の間でも話題となりかけていますね。まるで憂さ晴らしのようですが」


 アリーシャの視線の先で、肉屋の主人が嬉々としてそんな話をしている。過剰な税を持っていく悪人が罰せられて清々したといった内容だった。


 半月ほど前に、一人の子爵が爵位を取り上げられた。それは言ってしまえば政治争いによるものだったのだが、市民がそんな背景を知る由もない。ただ特権階級の者がまた一人地に落ちたのだと、そのようなことを喜んでいるように見えた。

 彼らの話を聞き、レオンハルトが眉を寄せる。


「私は直接話したことはなかったが、しかし言われているような悪官だとは思わなかった。むしろ市井の生活に心を砕く人格者であったと」


「ええ、そう思いますよ。きっと来月には彼らが支払うべき租税は倍に増えることでしょう。何も知らないのだから無理もないとは思いますが、何とも滑稽なものです」


「アリーシャ、言いたいことは分かるが、そのような言い方はあまり良くないように思う」


「失礼致しました、騎士らしからぬ発言でしたね。あの店主には一度値段を吹っ掛けられかけたことがありまして、つまりただの私怨です。聞き流してください」


 そう言ってアリーシャは肩を竦めた。あの店の主人は、目利きは良いのだがとにかく金にがめつい。屋敷の食事の仕入れにおいて足元を見られたり、金額を誤魔化されたことも一度や二度ではなかった。


 少し咎めるような視線を向けるレオンハルトの顔を見上げて、アリーシャは頭の角を指差してみせた。


「それに、彼は魔族嫌いなんですよ。()()()には売らないと、初めのうちは相手にもされませんでした」


 その頃に比べたら現状はマシな方かと、アリーシャは何でもないように続けた。しかし、税が上がるとなれば商品の値段も高くなることだろう。やはり別の仕入れ先に変えるかと、そんなことを考えている最中にがしりと腕を掴まれた。


「それは聞き捨てならないな。相手によって商売の条件を変えるのは、商いの規則に反する行為だ」


「お言葉ですが団長、そんなことは日常茶飯事ですよ。たとえ金を持っていようと汚れた孤児はパンすら売ってはもらえませんし、身なりの良い太客には店主も融通をきかせます。彼らも商売ですからね。小狡いことをして小金を貯めておかないことには、今回のようなことがあれば税が支払えずに路頭に迷います」


「しかし――」


 尚も言葉を続けようとするレオンハルトに、アリーシャが首を横に振る。大きな手からするりと腕を引き抜くと軽く笑って見せた。


「お気持ちだけで十分です。真面目な団長が目を光らせているお陰で、最近では随分と団内も過ごしやすくなりましたよ。角に()()があるというのは本当か、試しに触ってみてもいいかと聞かれるぐらいです」


 団長も触るかと問うと、レオンハルトは大きく二度瞬きしてから申し出を断った。少し赤くなった頬からして、それが単なる触覚の話でないことは察したようだった。


 アリーシャがくすくすと笑う。


「ふふ、残念ながら人間で言うところの爪と似たようなものです。ご期待するような反応はできませんよ」


 最後にそう付け加えてやると、あまり揶揄わないでくれとレオンハルトはついにそっぽを向いた。



「そういえば先程の商店の話だが、君はノルヴィス殿下の屋敷で侍女として働いていたと」


 巡回もそろそろ終わろうかという頃に、レオンハルトが世間話のように話を振った。


「ええ、今もお勤めさせて頂いております」


 屋敷の方を指差してそう答えると、そうか、とレオンハルトは何か考え込むような素振りを見せた。


 そろそろ日が傾き始めている。早く王城に戻って今日の調書を作り上げなければ、屋敷の方の仕事が間に合わない。


 話は終わりかとアリーシャが帰城を促すと、しばらく顎に手をやっていたレオンハルトがようやく反応を見せた。


「あの方は……すごい方だな」


 散々待った上で出てきたのはあまりにも漠然とした回答だった。


 アリーシャは少し呆れたように片眉を上げた。この男はどうやら剣の他は意外と抜けている。


「それは、また剣の話ですか? それとも、何かお話しされましたか?」


「ああいや、剣の方も興味はあるんだが、そうではなくて。ほら先月、決められた区画以外で商売をしていた者たちがいただろう?」


「おまけに不当に値段を釣り上げていましたね。違法な租税の二重取り、さらに彼らから徴税していた者は王城に届けも出さずにやりたい放題です」


「その件を殿下へと報告したんだが、驚いたことに次の日の朝には是正案が出されていた」


「ああ、なるほど」


 ようやく言いたいことを理解したとアリーシャが頷く。


 その書類については自分も屋敷で目にしたのでよく知っていた。ついでにその日の夜、ノルヴィスがほぼ眠らずに仕事をこなしていたので、明け方には無理やり横にならせたことも覚えている。


 うーん、とレオンハルトが屋敷の方を見ながらまた眉を寄せる。今度はさほど経たずに、彼はノルヴィスをこう評した。


「確かにお噂通り、鋭い印象をお持ちの方だ。社交に優れたアルバート王子や、物腰の柔らかなニコラ王子とは違って、こう……どこか張り詰めたような雰囲気をお持ちだと」


「団長は案外不敬な方ですね。そこまで仰ったのなら、冷たくて恐ろしいと、そう言えば宜しいですのに」


 そう要約してやると、レオンハルトは慌てたようにこちらを振り返った。


「そこまでは言っていない! いや……確かに、恐ろしいお方かもしれない。だが、あの方は確かに民のことを見ておられると思う。ノルヴィス様が治める世は、どのようなものになるのだろうな」


 レオンハルトは少し遠い目をしてそう言った。視線の先では市井の人間が行き交い、時折怒声や悲鳴がきこえてくる。


 ここのところまた国からの租税の取り立てが厳しく、困窮する者が増えて街の雰囲気は悪化している。あまりに目に余る争いは仲裁したが、全てに対処していてはキリがない。


 むしろレオンハルトが同行したことで、この日は平和な方だ。さすがの奴隷商人も、騎士団長の目の前で人攫いをやることは避けたいらしい。


「現国王やアルバート第一殿下に不敬ですよ。聞かなかったことにして差し上げます」


 軽く釘だけ刺して、アリーシャは城の方へと歩みを促した。


 荒れた石畳を進みながら、隣を歩く男の横顔をちらと見上げる。城を見る青い瞳は微かな憂いを帯びていて、背後の喧騒に後ろ髪を引かれているのだろうとすぐに理解した。


 彼が街を回るといつもこうして帰城が遅くなる。今日のような二人での巡回が増えたのも、アリーシャが彼を一番早く切り上げさせられるためだった。


「やるべきことはやりました。あとは城に任せましょう。団長にはこの後、兵たちの訓練もあるでしょう」


「ああ」


「ご自慢の剣一つで、万事解決しないのがもどかしいですね」


「それは……ああ、そうだな。研鑽不足だ」


 しっかりと含めた皮肉には気付いたらしく、少し困ったようにレオンハルトが笑った。


 アリーシャは彼に見えないところで眉を寄せた。既に半年にしては十分過ぎるほどの功績を上げているであろうに、志のある人間というものは実に面倒臭い生き物だと思った。同じく面倒な主人は今頃、城で難しい顔をしていることだろう。たまには昼食を取ってくれていればいいが、とそんなことを考えた。


「レオンハルト団長、一つ質問をしても?」


 あえて軽い調子で問うてやると、レオンハルトは首だけでこちらを振り向いた。


「なんだ?」


「団長は何故より良い国を目指すのですか?」


「それは、騎士として――いや……」


 そう言いかけたレオンハルトは、数秒悩んでから苦笑した。


「今ここで言うのは気恥ずかしいな。また今度、落ち着いた時にでも」


 王城への門を潜りながらレオンハルトが答えた。


 すれ違う騎士や兵に挨拶を返す男の瞳からは、既に憂いが消えている。代わりにいつもの明るさと自信を浮かべた騎士団長に、アリーシャは楽しみにしているとだけ返答した。


 ◇


 時刻は既に真夜中を回り、王都の城下町は昼間とは打って変わってシンと静まり返っている。


 頬に飛んだ血をハンカチで拭いながら、アリーシャは足元に転がった死体を見下ろした。仕立ての良い身なりに、悪趣味なほどゴテゴテと飾られた宝飾品。不当に掻き集めた市民からの租税でさぞかし良いものを食べて生活していたのだろう。でっぷりとした首筋からは、血と共に脂の臭いが染み出してくる。


「あと半刻しないうちに夜警の兵がここを通ります」


「ならば、今宵は宝飾品を処分しておく必要はないな」


「ええ。孤児が拾いでもすれば大事ですからね。犯行を疑われ処刑されるのは、盗んだ者だけではありません」


 アリーシャが小さく肩を竦める。かつて、仲間の一人がヘマをしたために、しばらく地下水道に戻れなかったことを思い出した。


 寒い時期だった。瘴気に蝕まれた王都の地下は、それでも凍てつく風からは身体を守ってくれた。警吏からの逃亡生活の最中に力尽きた幼い少女、その枯れ木のような軽さが脳裏に浮かび、アリーシャは顰めかけた顔を軽く振った。


 用が済んだのであれば臭いが染み付く前にこの場を去ろうと、そう提案しかけた身体が引き寄せられる。背中に回された腕の感触に、また服が駄目になっただろうかと思った。


「アリーシャ、王城でもお前の噂をたびたび耳にする。どうやら真面目に励んでいるようだ」


「人一倍勤勉な主人に仕えているものでして、仕事には手を抜かないつもりですよ」


 そう言って目の前の胸を軽く押し返してみたが、巻きつく腕の力は強まるばかりで、アリーシャは早々に抜け出すことを諦めた。


 抗議の視線で見上げると、ふっと小さな笑い声が降ってくる。


「おかげでこのところは、こっちの方もやりやすい。引き続き情報を流せるというのであれば、俺一人でも問題なさそうだ」


「まだそのようなことを仰るのですか。今日の夕飯には滋養強壮の薬草を混ぜましたが、さほど効かなかったようですね。次は別の種類のものと配合してみます」


 アリーシャが淡々と答えると、ノルヴィスは僅かに目を見開いてから呆れたような表情を浮かべた。


「お前は……主人の食事に毒を盛るようなことをするな」


「まさかそのようなことは。毒味は全て私自身で行なっていますよ。たとえ悪意がなかったとしても、給仕が利用されないとも限りませんから」


 べ、とアリーシャが舌を突き出す。


 国の改革を推し進めようとするノルヴィスを邪魔に思う者は、王城に国王や第一王子だけではない。城での食事にも当然毒味役は付いているはずだが、それすらも信用できないことはアリーシャもよく理解していた。


 過去にある子爵からの献上物だと屋敷に納品された薬草、それを舐めた時の痺れをぼんやりと思い出していると、突き出したままであった舌先が生ぬるい口内へと引き込まれた。


「……少しは休めよ」


 やがて唇を離した距離でノルヴィスがそう告げた。ついでに角の先端に口付けられ、アリーシャはくすぐったさに身を捩る。


「そのままお返しさせて頂きます、ノルヴィス様」


 濡れた唇の端を少しだけ引き上げ、ようやく解放された肩を竦めた。


 手早く支度を済ませて少しは眠らなくてはと、そのような会話をしながら、二人の姿は闇に溶けて消えた。

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