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偽りの姫は闇夜に微笑む  作者: 宵乃凪
一章

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第4話 太陽の騎士団長

 からりと晴れた青空の下で、男たちが剣を手に、自らの誇りをぶつけ合う。


 この日、王城で執り行われている御前試合において、圧倒的な力を見せる男がいた。


 光を透かす美しい金の髪。鋭さの中に何処か慈悲深さを感じさせる両の碧眼。恵まれた体躯から繰り出される剣技は他の追随を許さない。


 重い一振りで、相手の剣士が得物を失い壇上に仰向けに倒れ込む。自らの勝利を誇示することもなく、男は剣を納めてから、倒れた剣士に手を差し伸べた。


「ありがとう。良い試合だった」


 そう言って男が屈託なく笑う。対戦相手は敵わないとため息を吐き、自分よりも大きな手を取って立ち上がった。


 御前試合の優勝者が決定したことを告げる鐘の音が鳴り響いた。


 ◇


「レオンハルト、というそうですね」


 屋敷の湯殿で、ノルヴィスの衣服を取り去りながら、アリーシャが尋ねた。


 濡れた床に落ちた布には、血と脂が染みてしまっている。これはもう破棄するしかないだろう。


 疑念を抱かれないよう、この間とは別の仕立て屋を手配しなければ。そんなことを考えている間にノルヴィスが振り返り、先程の世間話に返事を返した。


「腕も出自も申し分なし。満場一致で次の騎士団長へ就任だ」


「清廉潔白、嫌味のない、まるで太陽のような男だと聞いています。部下や民への蛮行が明らかとなり、立場を追われた前騎士団長の後任としては、まさに適任でしょう。王家への信頼も、少しは回復すると良いですね」


 そう答えながら、アリーシャも自分の衣服から腕を抜く。できるだけ返り血を避けたというのに、現場を立ち去る間際にまたノルヴィスが身体を抱き寄せたせいで、こちらもすっかり駄目になってしまっている。


 主人と違って侍女がそう頻繁に服を仕立て直すことは不自然なのだ。そう何度目かになる釘を刺す。ちょうど屋敷に余らせている布があったはずだ。明日中には一着縫い上げておくかと、ひとまずそのように結論づけた。


「お身体を失礼致します」


 アリーシャは湯で手を濡らし、ノルヴィスの身を清めていく。自分以外にも主人の湯殿を手伝うことはあったが、この時ばかりは他の者に任せるわけにはいかない。


 何処かに傷はないか、アリーシャの指先が入念に主人の身体を確かめる。問題ない、と言うノルヴィスに、そう言って以前に怪我を隠したでしょう、とアリーシャがぴしゃりと答えた。


 ――真夜中の蛮行は、もう一年近く続いている。


 今宵の標的は、件の前騎士団長に孤児を流していた商人だった。


 戦のたびに滾った血のまま女子供を手にかけていた前騎士団長は、次第に歯止めが効かなくなっていったらしい。屋敷に多くの孤児や奴隷を囲い、夜な夜な残虐な仕打ちを繰り返していたところをノルヴィスが摘発し、先月ついに職を追われることとなった。


「歯痒いことだが、あの男に手を出すことは少し待った方がいいだろうな」


「ええ。最近、不審死が連続し過ぎています。今すぐに手に掛ければ、ノルヴィス様の関与を疑う者が現れるでしょう」


「処罰を受けることは一向に構わんが、国の中枢まで粛清を済ませないことには、いずれまた同じ状況になる」


「ですから提案差し上げているように、腐敗の大元である王と第一王子を私が殺め、それを貴方が捕縛なさるというのはいかがですか? ついでに厄介な宰相や貴族諸侯を幾らか掃除できれば尚良しでしょうが」


 言い終わるより早く、アリーシャの泡のついた手が強く握り込まれる。痛みに抗議すると、ノルヴィスは怒ったような表情でこちらを見下ろしていた。


「俺のそばを離れることは許さんと、お前は一体何度言えば理解するのだろうな」


 しばらく視線を合わせた後で、アリーシャは発言を撤回する、とため息混じりに謝罪した。


 解放された手で再びノルヴィスの身を清める。表面に現れた筋に眉を寄せ、もう少し食事量を増やすように苦言を呈した。


「私が屋敷を去れば、ノルヴィス様はまた碌に食事をされなくなりますからね。新しく厨房に入った給仕の腕は、私よりずっと優れているでしょうに」


「お前の作る料理が一番美味い。好みを熟知した料理人というものは手放し難いものだ」


「私は侍女であって、料理人ではありませんよ。お背中を失礼致します」


 自分よりも広い背中は、それでも仕え始めた頃に比べれば随分と細くなった。


 一年前の思い詰めた様子よりは幾分マシにはなったものの、やはり眠れない夜を過ごしていることをアリーシャはよく知っていた。


 何か良い手はないものかと、少しだけ考えてすぐに先程の話を思い出す。


「そういえば、レオンハルトという新騎士団長の件ですが。不正を許さない性格に加え、何より圧倒的な力があると。利用できるのでは?」


 直接会ったことはないが、評判を聞く限り、少なくとも前騎士団長に比べればずっと御し易く、きっと役に立つ男だろう。


 そう考えての提案だったが、ノルヴィスからは鼻で笑うような音が返った。


「あの潔癖が、卑劣な闇討ちに加担するとでも?」


「分業の仕方は分かりやすいものでしょう。どうなさいましたか、ノルヴィス様。まさか本気で仰っている訳ではないでしょう?」


 それとも何か問題があるのかと、肩越しに顔を窺おうとした時、不意に手が握られた。先程とは違って痛みはなく、それでもやはりただ握るというよりは力が強い。


「もういい」


 振り返ったノルヴィスから反対の手が伸びてくる。硬い指先が脇腹を滑る感触に、アリーシャは小さく身を捩らせた。


「ノルヴィス様、私は自分で洗えます。十分だというのであれば、湯船に浸かられるか、先にお出になられては」


 そう提案してみたが、ノルヴィスの手は止まることがない。くるりと身を返されて、背後から両腕を回された。


 抱き締める、というよりは捕えると言った方が正しそうな動きで、肩と腿に触れられる。首筋に寄せられた唇の熱に、アリーシャは思わず身を震わせた。


「ノルヴィス様……!」


「このような場所で、他の男の名を出すな」


 そんな、実に不満げな声がした。合わせてするりと腿の内側へと滑ってきた手を、アリーシャが素早く掴む。


「ここで事に及べば、掃除するのは私です、ノルヴィス様」


 泡で身を滑らせて、アリーシャはノルヴィスの腕の中で振り返る。不満げな表情と、やはり昂ったような瞳が視界に映った。


「匂いの目立たないうちに、衣服の処分を済ませます。どうぞお部屋にてお待ち頂けますか」


 それまで少しは休んでいてくれると尚嬉しいが、とそう続けると、ノルヴィスは不満げな顔のままアリーシャの唇を塞いで答えた。


 ◇


 ノルヴィスの部屋の広い寝台は、二人で上がっても随分と余裕がある。主人の寝所へと入って一礼だけしてから、アリーシャは簡素な夜着をするりと脱ぎ捨て、寝台に腰掛ける男の胸へと飛び込んだ。


 いつからか、真夜中の蛮行の後にはこうして肌を重ねることが自然になっていた。


 ただ睦言もなく、熱をぶつけ合うような行為。深く合わされた唇の隙間から、どちらのものとも分からない荒い吐息が漏れる。形を確かめるように全身を辿る手は、先程脂ぎった男を無慈悲に殺したものとは思えないほどに熱い。


 視界が白くなる瞬間に、赤い瞳が映った。まるであの男の血飛沫のようだと、そんなことを思いながら目を閉じた。



「お前を王国騎士団に潜り込ませる下準備ができている」


 寝台で何気なく発された言葉に、アリーシャは少し目を丸くしてから、湯殿での反応は何だったのだ、と口を尖らせた。


 肘枕に寝そべったノルヴィスが、指で白い髪を絡め取り、くるくると弄ぶ。


「お前の方は、準備にどの程度かかる」


「明日にでも」


 即答すると、今度はノルヴィスが僅かに目を見開いた。


 アリーシャはノルヴィスの指からするりと髪を抜け出させ、呆れたようにため息を吐く。


「一体何年、貴方に仕えているとお思いで? そう仰るだろうと思い、王宮剣術は仕事の合間に身に付けてあります」


「相変わらず頼もしいことだ。悪いな、さすがに明日という訳にはいかなさそうだ」


 そう言って笑ってから、ノルヴィスがふっと真顔になる。


「念のために確認しておく。魔族の血を引き、更には王族の血縁という立場を背負わされた身で、王城に上がる危険性を理解しているか」


「何年が経っても、ノルヴィス様が私をご理解くださらないようで残念です。危険を理由に、私を遠ざけるのですか?」


「いや、悪いが手放してやるつもりはない」


「軽口を叩くほどにお疲れであれば、一秒でも長くお休みください」


 にやりと口角を上げた男を、アリーシャが強制的に寝台へと横たえさせた。


 はあ、とまたため息を吐いてから、自らも再び仰向けになる。いつもより長引いた情事のせいか、少し手足が重いような気がする。明日の仕事に差し障りがないといいが、とそう思いながら瞼を下ろした。


「ノルヴィス様が入団を提案してくださって良かったです。そうでなければ、単身で探りを入れてみるところでした」


「そうだろうな。そう思って手配を急がせたが、今回はお前に先手を取られたようだ」


 アリーシャが薄く目を開く。男がまた自分を見下ろしていることに眉を寄せた。


「まだ気が昂っているというのであれば、子守唄を歌いますか?」


「いや、これだけでいい」


 そう言ってノルヴィスは腕の中にアリーシャを閉じ込めると、頭の先に口付けを落とした。


 頭の異物が男の鎖骨に当たる感触がする。アリーシャは少しだけ身を捩り、主人に怪我をさせぬよう体勢を変えた。


「角が邪魔であれば、切り落としますか?」


「お前はまたそう物騒なことばかり言うな。いい。お前の全て、爪に至るまで、俺のものだろう」


「さすがに爪は切らせて頂きたいですね。仕事の邪魔です」


 もう眠りますよ、とアリーシャが今度こそ話をしまいにする。


 ああ、とノルヴィスからは眠そうな返答があった。


「怪我を、するなよ……」


 半分眠ったような声で告げられた命令に、アリーシャは、善処はする、と目を閉じたまま答えた。


 ◇


 ノルヴィスの打診から二月後。アリーシャは薄い鎧を纏い、陽の差し込む王城の廊下を進んでいた。


 やがて一室の扉を叩き、返答があってから中へと足を踏み入れる。


「失礼致します。此度、王国騎士団へと入団致しました、アリーシャと申します」


「ああ。レオンハルト・フォン・アスレインだ」


 よろしく、と毅然とした声で言って、新しい騎士団長は律儀に執務机を立った。


 アリーシャは適当に挨拶を返しながら、その風貌を窺う。遠目に見た時にも思ったが、真正面に立たれると一層体格が良いように感じる。ノルヴィスのことも少し見上げなければならないが、それより更に拳一つ分は大きいだろうか。背の高さに加えて、厚い鎧を難なく着こなす立派な体躯、立ち居振る舞いからも自信と実力が嫌というほど見て取れる。


 これは確かに、敵に回すと厄介だろう。はっきりとした直感があった。


 騎士の訓示や諸連絡といった簡単な話が終わる。レオンハルトが不意に、にこりと笑った。まるで少年のような、人懐っこく屈託のない笑みに、アリーシャは内心虚を突かれる。


「団長といっても、任されてからまだ日が浅い。君も、私の指示や言動に違和感を覚えたなら、どうか遠慮せずに言ってくれ。皆でこの王国騎士団を、より良い組織にしていきたいんだ」


 つい先程までとは打って変わった、気取らない言葉。金髪碧眼の騎士は、光の差し込む窓を背に堂々と立っている。前騎士団長とは違い、民からの評判も良い彼が、既に幾つも勲功を挙げていることをよく知っていた。


「……私の方こそ、精一杯努めさせて頂きますが、至らぬところがございましたらご指摘ください」


 そう静かな声で返し、アリーシャが頭を下げる。御前を失礼します、と踵を返そうとした時、アリーシャ、と名を呼ばれた。


「すまないが……最後に君の剣の師について聞いてもいいだろうか」


「私は名のある方に師事してはおりません」


「まさか我流だと……? 王宮剣術の型に則ってはいるが……その奥に、異なる体術の癖がある。東の辺境、短剣術の流れか?」


 口元に手を当てて、レオンハルトは一人で考察を続けている。


 アリーシャは微かに眉を寄せた。確かに己に武術の礎を教えた侍女頭が、その辺りの出身だと耳にしたことがある。


 もはや顔を合わす前から疑われていようとは。歴代最年少で王国騎士団長の座を射止めた男のことを見くびっていた。


「……それは、尋問でしょうか」


 出方を窺うべく、静かにそれだけを返すと、レオンハルトの青い瞳が驚きに見開かれた。次いでそれらが細められ、くしゃりとした苦笑いが返される。


「すまない。剣が好きなんだ。その、君の剣が見たことのない動きで、とても美しいと」


「……はい?」


 怪訝な表情を浮かべたアリーシャの目の前に、ずいと手が差し出された。


「改めて、ようこそ王国騎士団へ。君を歓迎する。それから、良ければこの後で一度手合わせを願えないだろうか」


 これでも腕には自信があると、レオンハルトは晴れやかに笑う。


 アリーシャがその手を取ると、力強く握り返された。恐らくは何度も傷を負い、信じられないほど硬くなった手のひら。体温は高く、男の熱意が直接伝わるかのようだった。


 御前試合の優勝者を満足させる自信はない。アリーシャが返答にそう付け加えると、謙遜は要らないとレオンハルトは声をあげて笑った。

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