↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偽りの姫は闇夜に微笑む  作者: 宵乃凪
一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/24

第3話 王子の責務

 大鍋の蓋を開け、一混ぜしてから味を確認し、アリーシャは頷いた。


 味は問題なし、疲労回復の効果が高い食材をふんだんに使ったスープは、食欲がなくとも食べやすいだろう。本当は肉に合わせて食べて欲しいところであったが、屋敷の主人はこのところ酷く疲れていることが多い。


「次はもっと、それこそ形がなくなるまで煮込んでみるか……骨の方からも栄養が取れると聞きますね。昨日仕入れた香草と合わせて……ああ、パンに練り込んでも良さそうです」


 ぶつぶつと呟いていたところに、他の給仕が厨房に入って来る。もうそんな時間かと、アリーシャは大鍋の火を落とした。



 アリーシャが屋敷に侍女として住まうようになってから、五年が経とうとしていた。


 暦を眺めながら、早いものだと思いを馳せる。思えば、住み始めの頃は右も左も分からず、そもそも侍女の仕事が何であるのかも理解はしていなかった。


 ノルヴィスのために働けばいいのだとは分かっていたので、一度夜伽を申し出てしまったこともある。お前は兄と事に及ぶのかと呆れたように指摘され、建前上の立場ではあるがそういうものかと納得した。


「ノルヴィス様のご帰宅は日暮れ頃のご予定、それまでに書簡の仕分けと、掃除……は他の者に任せましたし、食材の仕入れに、午後には新入りの教育。空いた時間は短剣術の復習をしておきたいのですが、誰か捕まるでしょうか」


 またぶつぶつと呟いてから、アリーシャは本棚の上の写真を見た。


 そこに飾られている初老の女性は、この屋敷の侍女頭であり、とにかく様々なことを叩き込まれた。仕事の内容に加えて、基本的な教養、侍女として理想的な立ち居振る舞い、言葉遣い、主人の敵を撃退するための戦闘術まで。一体何者だったのだろうかと、今でも疑問が残る。


 もっと教わりたいことはあったが、彼女は瘴気による病のせいで半年前に他界した。アリーシャは、すみません、と写真に向かって苦笑いを浮かべる。


「独り言を呟くのは、侍女としても淑女としても不適切なのでしたね。幸い殿下が約束をお守りくださるので、今後もあのドレスを着る予定はありませんが」


 今度は短く切り上げて、裾を引いて一礼する。この五年で長く伸びた白銀の髪が、さらりと流れ落ちた。


 この後の仕事の邪魔にならないよう、高く結い上げてから、アリーシャは窓を開けて日が昇り始めた空を見上げた。


 ◇


「また随分とお疲れのようですね。状況は芳しくありませんか?」


 食器を片付けながらアリーシャが問い掛ける。


 寝台に横たわったノルヴィスから、ああ、という返答があった。着の身着のまま、湯を浴びることもなく、しかしそれだけ多忙なのだということは理解していた。


 アリーシャが集めた食器に視線を落とす。いつもの部屋ではなく自室まで運ぶよう言われた夕餉は、量は最小限に指示された。きっと本当に食事を楽しむ気力も湧かないのだろう。それでも全て綺麗に平らげられていた。


 ノルヴィスがまだ眠っていないことを確認して、アリーシャがそっと歩み寄る。


「そのままですと、眠りを阻害します。上着だけお預かりしても宜しいですか? それから、少し失礼致します」


 そう言って、アリーシャの指がノルヴィスのシャツのボタンを数個外す。首周りだけでも解放されたノルヴィスは、疲れたような息を吐いた後で、目を閉じたまま薄く笑った。


「悪いな、だらしのないところを見せる」


「気にしませんよ。私がどこの出身か、よもやお忘れで?」


「……悪いな」


 少しでも慰めてやろうと発した軽口は、この場では不適切だったらしい。余計に謝らせたことに詫びてから、アリーシャが寝台のそばに両膝をつく。


 ごろりと横になったノルヴィスが目を開けて手を伸ばし、アリーシャの髪を撫でた。頬へとやってきた手に身を寄せて、アリーシャは真っ直ぐにノルヴィスの赤い瞳を見つめ返す。


「申し訳ありません。貴方を癒して差し上げる、もっと効果的な手段があれば良いのですが」


「十分だ。今日の食事も美味かった。香草の仕入れ先を変えたか?」


「いつもの卸屋ですが、採取先が変わったそうです。いつもの森が、瘴気に呑まれ、もはや立ち入れなくなったと」


「……そうか」


 ノルヴィスの瞼が再び降ろされる。また気分を害したことに謝罪すると、ノルヴィスからはお前のせいではないという返答があった。


 王国を蝕む瘴気は、年々増え続けている。モヤのようなそれは、吸ってすぐに死ぬようなものではないが、じわじわと病のように身体を蝕んでいく。農地や鉱山を侵し、土地を死なせ、人の住めない大地へと変えてしまう。


「王は、失った領土を埋め合わせるため、辺境の他部族に攻め入るつもりだ。王都に無理な動員をかけ、ただでさえ苦しい民たちは働き手を奪われている。困窮した民は、自らより一層弱い者へと鬱憤をぶつける。孤児や奴隷の数は右肩上がりだ」


 当然記録などされていない者も多いだろうが、それを合わせれば一体どれだけになることか。そうノルヴィスは声に苛立ちを滲ませた。


 アリーシャは無言でそっとノルヴィスの額に手を触れさせる。ほんの少しだけ、いつもよりも温度が高いように感じる。あれだけ重要視していた寝食を削ってまで、この男が四方を奔走している理由を、よく理解していた。


「……またご気分を害することをお許しください。件の、第一王子については?」


 できるだけ静かに問うと、ノルヴィスはため息を吐いた。


「アルバートは相変わらずだ。何をおいても玉座が欲しくてたまらないのだろうよ。領地からせっせと兵や奴隷をお父上殿に献上している」


「そうですか……王国の一人の民として、私はノルヴィス様のような方にこそ、治世を敷いて頂きたいと思います」


「お前までもがそのような機嫌取りを言うな。いつも言っているだろう。俺は王座など欲しくはない。ニコラのような人格者が上に立てば、この悪夢のような国も、少しは良くなるだろうに」


「第三王子様は、先日十二となられたばかりでしたね。式典にてお見かけしましたが、上の兄君たちとは十以上離れ、それを微塵も感じさせないあのご立派なご振舞い。きっと聡明なお方なのでしょうね」


「……機嫌取りをするなとは言ったが、俺の目の前で弟ばかりを持ち上げろと言った覚えはない」


 いつの間にかノルヴィスの目は開かれ、少し不満げな視線がこちらを向いている。


 アリーシャはくすくすと笑い、彼の額に置いた手を頬まで滑らせた。


「ご心配なさらずとも、私は貴方の従順な侍女ですよ。いえ、妹でしたか? 最近はとんと、王城からの登城命令がありませんね。相当手を回してくださっているのでしょう」


「あのようなところに上がったところで、何もつまらん。お前はこの屋敷を回し、俺のためにパンでも焼いているのが似合いだ」


「明朝の分はさらに工夫を重ねます。今朝より一つでも多く食べて頂けると何よりですね」


 アリーシャの手に、ノルヴィスの手のひらが重ねられる。


 しばらくそのままにした後で、アリーシャはくるりと手のひらを返し、ノルヴィスの手を軽く握った。


「ノルヴィス様。私が磨いているのはパン焼きの技術だけではありません。貴方の改革のために障害があると言うのであれば――」


「アリーシャ」


 冷たい声が、アリーシャの申し出を遮る。


 腕一つ分もない近い距離で、じっと二人の視線が合う。


 数秒の沈黙が流れ、アリーシャはふう、と小さなため息を吐いた。


「分かりました。それであれば、貴方に一秒でも長く休んで頂くのが、今の私の仕事ですね」


 そう言ってアリーシャが、ノルヴィスの身体から器用に上着を取り去る。


 幾分薄着になった男の表情を見て、アリーシャはくすりと笑った。


「子守唄が必要ですか? それとも額に口付けましょうか」


「俺が幼子なら願い出ただろうよ」


 そう答えて、ノルヴィスが片手を差し出す。

 その手を握ると、アリーシャは再び寝台横に膝をついた。


「今のお前であれば、王国中どこの屋敷であろうと、侍女として喜んで迎え入れられるだろうな……」


 瞼を下ろしたノルヴィスが、半分眠りかけた声でそう評した。

 アリーシャは小さく肩を竦める。


「それは光栄です。ですが、存外、ここが気に入っているのですよ」


 追い出さないでいてくれると嬉しいがと、そう続けたが、ノルヴィスの口からは既に寝息しか返らなかった。


 ◇


 今日も帰りが遅くなると、ノルヴィスから屋敷に連絡があった。


 真夜中、アリーシャは屋敷の使用人たちに後を任せて、自室へと戻った。


 ここのところ、日増しにノルヴィスの調子は悪化しているように感じる。屋敷に戻ってもほとんど言葉を発さない日すら多く、どこか思い詰めたような主人を、使用人たちは皆それぞれ心配していた。


 アリーシャが無言で自室の机の引き出しを開ける。中から出てきたのは、城で行われる予定の舞踏会への招待状だった。


 半年前にノルヴィスから聞いた他部族への侵攻は、結局取りやめとなった。兵が十分に集まらず、万が一の敗戦と、それによる権威の失墜を恐れたのではないかということだった。此度の舞踏会も、周辺貴族の溜飲を下げさせることが目的の一つなのだろう。


 招待状を机の上へと放り投げ、アリーシャが窓の方へと歩み寄る。遠く、街の明かりが見える。


 最近、街で見かける奴隷の数が減っているように感じる。道端の孤児をいたぶる風景もめっきり見なくなり、彼らが残飯を漁っていても見て見ぬふりをする者が多くなった。


「あの地下水道は、今はすっかり瘴気に覆われているでしょうか」


 アリーシャが窓を見ながら呟く。あれ以来一度も足を踏み入れてはいないが、足元から漂ってくる匂いからして、きっともはや人間が住める環境ではないのだろうと思う。


 ため息を吐いて、窓を開く。入り込んだ夜風が、机の上の招待状を床へと飛ばした。


 屋敷の者に気づかれていないことを確認して、アリーシャは夜の闇へと身を滑り出させた。



 王都の路地裏は、夜ともなれば真っ暗だ。


 アリーシャは家や通りから差し込む微かな明かりと嗅覚を頼りに、細い通路を進んでいく。


 やがて、少しだけ開けたところに出た。地下水道の出口のあるこの場所には、昔何度か訪れたことがある。そういえば自分が商人に捕まったのもこの付近だったなと、そんなつまらないことを思い出した。


 薄暗い路地裏で、一人の男が倒れていた。顔などはっきり見えはしないが、大きな身体と漂ってくる脂の匂いからして、きっと困窮している類の者ではないだろう。


 数歩近づいて、衣服が判別できた。背格好からして、この辺りで最も大きな奴隷館の主人だ。喉辺りから流れ出る血が靴先を濡らす前に、アリーシャは嫌な顔をして足を引いた。折角主人に贈られたばかりの靴を、薄汚れた血で染めたくはない。


「最近、不審死が頻発していると街で噂になっていました。悪行をした者ばかりが殺されるので、義賊ではないかと。やはり貴方だったのですね」


 近くの物陰に向かって静かに問うと、闇から溶け出すように、黒い髪が現れた。


「そのようなものか。人殺しは人殺しだ」


 ノルヴィスはどこか自嘲的な声でそう答えた。少し伏せられた顔が上がり、赤い瞳がこちらを見据える。


「何故、俺だと? ここにいることがどうして分かった?」


「貴方の行動を把握することが、私の仕事です。ここのところ食事の前に手を洗われる時間が長くなりました。匂いが落ちないのでしょう?」


 ふい、とノルヴィスが視線を逸らせる。


 側に行ってもいいか、とアリーシャが問うたが、ノルヴィスは首を横に振った。


「主人の蛮行をまさに目の当たりにしておきながら、もはや気味が悪いほどの冷静さだな。理由も何も問わないのか」


「分かりきっていますよ。逆に、聞かねば理解しないと? 私が何年、貴方のお側にあったとお思いですか?」


 アリーシャが、心外だ、という顔でノルヴィスを見る。


 地面の方へと視線を逸らせたまま、やがてノルヴィスは吐き捨てるように蛮行の理由を告げた。


 瘴気の増加、国家中枢の腐敗。改革を待つばかりでは、もはやこの国が死んでしまう。何かに追い詰められたかのようなその告白に、アリーシャは、そうですか、とだけ答えた。


 生臭い空気に混じり、路地裏に沈黙が流れる。はあ、とノルヴィスがため息を吐いた。


「アリーシャ、お前を屋敷から解雇する。今見たことは忘れ、何処ぞの屋敷へと仕え直せ。お前が俺の義妹ということは、王城のほんの限られた者にしか知らされていない。公的な文書も全て処分した。お前の今後の人生において、この虚言が足を引くことはない」


「情報を漏らしたり、不利益になりそうな者は、貴方が消してしまうからですか?」


「……」


 ノルヴィスは答えず、視線を合わせようともしない。


 アリーシャが一歩を踏み出す。来るな、という主人の制止を無視して、ノルヴィスの方へと歩み寄った。


「解雇の件はお断りします。それよりも、死臭が染み付く前に、早くこの場を立ち去られることを提案致します。宜しければ、この場の処理はお任せ頂いても?」


 そっと伸ばされた白い手を、ノルヴィスが払い除けるような動きで取った。


 強く掴まれた腕から音が鳴る。怒りの込められた冷たい視線がアリーシャの目を見下ろした。


「アリーシャ、やめろ。お前の腕は、このようなことのために磨かせたのではない」


「あまり見くびらないで頂きたいものです、ノルヴィス様。私は、私の意思で、自らの能力を磨いてきたのです。あの泉に辿り着いたことは、私の碌でもない人生における、最大の幸運でした。願わくば貴方にとってもまた幸運な拾い物だったと、いつの日かそう思って頂ければと――」


 言葉の途中で、アリーシャの身体が強く引き寄せられた。背中に回された腕は力強く、ほんの少しだけ震えている。


 慣れ親しんだ男の匂いに混じって、血と脂の死臭がする。このようなものは、一度染み付けば完全に消し去ることは難しい。地下水道と館での痕跡は、何年が経っても、今でもたまに鼻腔の奥を擽った。


「すまない、アリーシャ。お前の純白を、汚してしまう」


 絞り出すような、口惜しげな声がした。すっかり長くなった白銀の髪に男の指先が絡む。


 アリーシャは目の前の胸に手を添えて、少し呆れたような表情を浮かべた。


「私の碌でもない過去を知り尽くしておいて、そのようなことを仰るのは、王国広しといえども貴方ぐらいなものですよ」


 そう言ってアリーシャは上を向き、ほんの少しだけ背伸びをすると、乾いた唇に自らの唇を掠めさせた。


 驚きに目を見開いた男に向けて、少し妖艶に、そして挑発的に微笑んでみせる。


「どのような道であろうとも、お供いたします、ノルヴィス様。私に命を与えてくださったのは、貴方でしょう」


 赤い瞳は一層大きく見開かれ、すぐに強く閉じられた。長い睫毛がほんの微かに震えている。


「……ああ、分かった。この国の悪夢を晴らすため、俺はもう立ち止まりはしない。この身が地獄に落ちるその日まで……俺のそばを離れるな、アリーシャ」


 まるで自分自身に向かって宣言するかのように、ノルヴィスは低くそう告げた。


 冷える路地裏に漂う死臭。細い身体を抱き締める腕へと力を込めて、ノルヴィスは深くアリーシャへと口付けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。