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偽りの姫は闇夜に微笑む  作者: 宵乃凪
一章

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第2話 偽りの義妹

 薄い瞼が震え、やがて金色の瞳が現れる。


 アリーシャは数度瞬きをしてからゆっくりと身を起こした。随分と柔らかく、館のものとはまるで同じものとは思えないが、どうやら寝台に寝かされていたらしい。


 人間二人が横になっても余裕がありそうな寝台。それを置いても尚ゆとりのある部屋は、決して華美ではないが、飾られてある剣一つ取っても自分には生涯縁のない価値のものだろう。大きな窓から差し込む光からして、夜が明けてからさほど経ってはいなさそうだ。


「服が……」


 さらりとした質感に視線を落とす。館を出た時に纏っていたものとは全く異なる衣服は、実に上質で落ち着かない。


「ああ、起きていたのか」


 前触れもなく開いた扉から姿を現したのは、泉で見た男だった。


 アリーシャが無言で視線を返すと、男は寝台のそばまで歩み寄ってくる。


「すまない。治療の必要があった故に、無断で身を清めさせてもらった」


「開口一番がそれとは、存外礼儀に厚い方のようですね。私はアリーシャと申します。名をお聞きしても?」


 淀みなくアリーシャが答えると、男は少し驚いたような顔をした。


 娼館の女がものを喋れることが意外か、と聞くと、男はすまない、と再度の非礼を詫びた。


「俺はノルヴィス。突然で悪いが、お前にはこの先のことを選んでもらいたい」


「選択肢をお聞きしても?」


「話が早いな。助かる。お前に与えられる道は二つだ。ここで俺の役に立つか、ここを出て自由に生きるか」


 ノルヴィスの瞳が真っ直ぐに見下ろしてくる。真紅の双眸は、昨夜ほどではないもののやはり威圧感を滲ませる。


 アリーシャは黙って寝台から降りた。床についた足には思ったほど力が入らず、ぐらついた身体をノルヴィスの手が支える。


 礼を言ってから身を離し、アリーシャはその場で頭を下げた。


「私には戻るべき場所もありません。大して使い道のない命で良ければ、どうぞ貴方のご自由に。それに、助けられたというのであれば、恩は返すべきだとそう思いますが、どうでしょう」


 最後の一言で顔を上げたアリーシャを見て、ノルヴィスが面白そうに口角を上げた。


「俺の正体も聞かずの即断か、面白い奴だな」


「その評価の結果が、昨晩の獣(・)追(・)い(・)です。さほど嬉しい裁定ではないですね」


「あの男には腐るほどの余罪があった。屋敷には骸がごろごろと、恐らくは生涯太陽を拝むことはないだろうな」


 何でもないことのように言われた内容に、アリーシャは怪訝そうに眉を顰める。


 その表情を見てから、ノルヴィスは人差し指を立てた。


「加えて一つ修正しよう。件の蛮行は四日前だ。つまりお前は、丸三日以上眠りこけていた」


「……道理で傷が治っていると。足に力が入らないのは、空腹のせいですね」


 一本から四本、三本と立てられる数が変わる指を見ながら、アリーシャは納得したように言った。

 それで、と、一段声を低くする。


「貴方は、何者でしょうか」


「俺はノルヴィス。ノルヴィス・イザキエル・ヴァストレリア。この国の第二王子だ」


 アリーシャは何も答えない。

 少しも驚きがない訳ではなかったが、こちらの顔を見てノルヴィスは、やはり面白いと薄く笑った。


「あの晩は、件の館を調べてやろうと思い、泉まで行ったところでお前が現れた。助かったぞ、お陰で踏み込む口実ができた」


 ちなみに館は既に解体され、主人たちは皆投獄した、とノルヴィスは続けた。


 アリーシャは寝台へと腰掛けて、小さなため息を吐く。高貴な身分であろうとは思ったが、王子だというのは少しばかり想定外だった。


 どうやら腐敗や奴隷制に刃を差し入れたがっているようであるが、それであれば先程の『役に立て』という指示もきっと碌なものではなさそうだ。


「選び直したくなったか?」


 思考を読んだかのようにそう問われ、アリーシャは男の顔を見上げた。威圧感のある瞳がほんの少し挑発的に細められている。


 いいえ、とそう答えてアリーシャは再び立ち上がると、胸に手を当て一礼した。


「一度決めたことを撤回するのは私の性に合いません」


 それで何をすればいいのかと問うアリーシャに、ノルヴィスは満足げに口角を上げて、まずは食事だと手を差し伸べた。


 ◇


「本当に、何も聞かぬままで良いのですか」


「いい。お前は何も知らぬと、そういうことになっている。前情報を仕入れさせた方がやりにくい」


 揺れる馬車の中で、ノルヴィスが少し面倒そうに答えた。


 アリーシャは彼の向かいに座ったまま、改めて自らの全身を確認する。四日ぶりの食事が終わり、あれよという間に整えられた身は、髪を結い上げられ、化粧をされ、美しいドレスを纏わされ、まるで何処ぞの貴族令嬢のようだった。


「気分は悪くないか?」


「問題ありません。気を遣って粗食にして頂きましたので」


 それでも今までに食べたことのない豪華な馳走だった、とアリーシャは続けた。


 ノルヴィスの屋敷で出された料理は、スープやパンといった素朴なものが主だったが、それが自分の身体を気遣ってのことなのだということはさすがに理解していた。まさか分厚い肉でも出された日には、生まれてこの方粗末なもので育ったこの身体は耐えられなかったろう。


「これまではどのようなものを食べていたのか、聞いてもいいか?」


「殿下の喜ぶようなお話はできませんよ」


「いい。俺が聞きたいと言うんだ」


 目的地まではまだ少し距離がある。暇潰しということならと、アリーシャはこれまでの生活を掻い摘んで話した。


 地下水道で生きていた頃は、基本的には地上からくすねてきた残飯が主で、たまに誰かがパンを盗むとそれが一番のご馳走だった。警備が厳しく、廃棄物すら漁れない時には、地下に生えている苔を食べたこともある。


 他の子供たちが誰もいなくなり、地上に出てさほど間もなく奴隷商人に捕まった。売られた先は幸運にも娼館であり、他の奴隷のように鉱山で生き埋めにされたり、余興で獣に喰われたりせずに済んだ。


 館では、さすがに商品にばたばた死なれると困ると思われたのだろう。比較的マシなものが出た。


「――野菜の皮だけが浮いた水のようなスープ、水に漬けないと硬過ぎて齧れないパン。ああ、たまに主人に呼ばれると幸運です。あの変わり者は、床に落とした食事を這いつくばって食べるのを見るのが好きなのです。ふふ、悔しそうな涙目で見上げてやれば一層喜んで、食事の量が増えるというのだから、他の姉さん方が嫌がった時には代わって差し上げましたよ」


 確かに屈辱的ではあるが、普段よりずっと栄養価の高い食事には違いない。おかげで十年も生き延びたと、アリーシャは笑った。


「……笑うな」


「えっ?」


 アリーシャが聞き返した時、がたんと馬車が大きく揺れた。前によろめきかけた身体が、硬い胸に受け止められる。


 礼を言って離れようとすると、背に回された手に力が増したのを感じた。


「ノルヴィス殿下?」


「それが、お前なりの処世術だったんだろう。お前は賢い。人よりずっと多くのものが見えている。それ故にここまでを生き延びたことは、素直に賞賛したい。だが他でもないお前までもが、お前の尊厳を傷付けるな」


 耳元で静かに囁かれた声は、これまでに聞いてきたものよりずっと低い。


 意図を聞き返そうとした時、不意に身体が解放された。


「あの……」


「俺の屋敷の飯は美味いぞ。身体は資本だからな、ただ贅を尽くせば良いというものではない。その時、その人間に必要なものを、最適な味と見た目で出すことを給仕には命じている」


「栄養の話は理解しますが、味と見た目が必要ですか?」


「必須に決まっているだろう。食事は糧だ。楽しまずしてどうする」


 何やら楽しそうに告げるノルヴィスに、アリーシャが眉を寄せる。


 傲慢だと思うか? とノルヴィスが問い、アリーシャは無言で視線を逸らせた。


 それでいい、そう言ってノルヴィスは窓の外へと視線を向けた。王都の中心地へと近付き、活気ある街を人々が往来している。


「俺は第二王子であり、この国に対して責任がある。いついかなる時であろうと、それが戦の直後であろうと、世話になった師が死んだ夜であっても、己が身を変わりなく動かし続けねばならない。俺が倒れれば、幾万の民が路頭に迷うからだ」


 アリーシャがノルヴィスを振り返る。


 街並みを眺める横顔は、これまで通り端正で冷たく、しかし赤い瞳がほんの少しだけ優しいような気がした。


「……貴方を少しだけ、誤解していたようです。非礼を詫びます」


「いい。これからお前が俺の身を支えるのだからな」


「それはどういう――」


 意味だ、と聞こうとした時、馬車が止まった。


 開かれた扉からノルヴィスは先に降りて、アリーシャに手を差し伸べる。


 礼儀作法など分かりはしないが、できるだけ恭しくその手を取って、アリーシャは馬車の階段に足を乗せた。


 ◇


 話が違う、と思わず口を挟みそうになるのを、アリーシャが堪える。


 周囲に気付かれぬよう、伏せた顔で微かに吐息を吐き出して、胸の内を何とか落ち着かせた。


 隣に同じく片膝をついた男は、王城の豪奢な謁見室に少しも怯むことなく、滔々と話を続けている。


「――これが、証明となる書簡です。本物かどうか、お確かめになられますか」


 ノルヴィスの差し出した紙を、衛兵が受け取る。


 すぐさま玉座まで届けられた書簡の内容を一瞥し、威圧感のある初老の男は苛立たしげな息を吐き出した。


「して……ノルヴィス。お前の言うことが仮に真実だとしよう。そこにある魔族の娘が、亡き王妃の落胤だとして、つまりは義妹をお前が引き取ると? 何故にそのようなことをせねばならぬ。王城にて然るべき教育を受けさせるべきとは思わぬか」


「ご冗談を、父上。敵味方どころか血縁にすら容赦なく、轟嵐と呼ばれた貴方が、王族の疵瑕たる彼女を庇護されると? そのようなことを私が容認するとお思いで?」


 無礼な、と玉座の側から声が上がった。


 恐らくは宰相か側近か何かだろう。流れた横髪により、周囲などほとんど見えはしないが、この謁見室中の視線が突き刺さるのをアリーシャは感じていた。


 何故このようなことになったのか。国王に謁見に行くと言うのでついて来たところ、一つも言葉を発することが許されぬまま、手の届かないところで話が進んでいく。


(私が、前王妃の隠し子? ノルヴィス殿下の、父親違いの妹? 魔族の血を引くことを隠しもせずに、殿下は何故そのような虚言を……?)


 聞きたいことは山のようにあったが、この状況で口を挟むのが望ましくないことなど、娼館の経験がなくとも分かる。


 ぐしゃり、と紙が潰れる音がした。ノルヴィスが用意したという証明書だろう。当然偽物な筈だが、自分を保護して四日足らずで、いつの間にそのような用意をしたのか。


「……王城住まいを捨て、余計なことばかりしておると思えば、この儂を脅すと申すか、ノルヴィス。勘違いをするな。お前が好き放題にやれておるのは、ひとえに温情に過ぎん。王族の死が続けば、兵の士気にも関わる故な」


「当然理解しております、父上。私は何も、貴方の治世に危害を加えようというのではない。ただ……他に拠り所のない身において、幼き頃に聞かされた寝物語だけで私を頼り、苦労の末に辿り着いてくれた妹を、みすみす死なせたくはない。それだけなのです」


 ノルヴィスが立ち上がり、力を込めてそう発言する。


 アリーシャは思わず吹き出しそうになるのを堪えた。雑な芝居だと思ったが、兵の中には心打たれたものも居たらしい。向けられていた刺々しい視線に、いくつか憐憫のようなものが混じった。気持ち悪い、とアリーシャは気が付かれぬよう舌を出す。


「……白々しいことを。そもそも、王妃を城より追いやり、生家へ送り返したは主であろう」


「王族の責務に則り、前王妃殿には然るべき処遇を受けて頂いたのみです。お言葉ですが父上、その件に関しては父上もご賛同くださったはず」


「主の要望は」


「彼女を、私の屋敷で保護したい。立場を偽り、一人の侍女として。苦労しか知らぬ身で、更に身分を嘯かせることは本意ではありませんが……しかし正体が広まれば、またいつ消されてしまうともしれませぬ故」


 王の問いに、ノルヴィスは再び片膝をついてそう答えた。


 アリーシャが横目で彼の様子を窺う。白銀の髪の隙間からは、拳が強く握られているのが見えた。


 少しの沈黙の後で、王は申し出を了承する旨を告げた。ありがとうございます、とノルヴィスの頭が下がる。


 話が終わり、ノルヴィスは立ち上がって、アリーシャへと手を差し伸べた。


 アリーシャは一瞬だけ悩んでから、拒むことも不自然だろうとその手を取って立ち上がる。一礼するように促され、玉座に向かって頭を下げた。


 ゆっくりと、再び顔を上げて王を見る。男のぎょろりとした目が僅かに見開かれたが、それも一瞬のことで、すぐに冷たい声が高いところから降ってきた。


「アリーシャ、と言ったな。その角、父親が魔族ということで間違いはないな」


「物心ついた時には他界しておりました故、はっきりと申し上げることはできません。ですが確かに私は魔族の血を引いている。そのことは間違いないかと存じます」


「……追って王城からの処遇を寄越す。それまで、ノルヴィスの下へ身を寄せるがいい」


「はい。寛大な御心に感謝致します、国王陛下。……本当に、私を慰める嘘とばかり思っていた義兄上に、本当にお会いできるとは、天の思し召しでございます。王国の障害となりませぬよう、できる限り息を潜めて過ごして参りますので……どうか、ご慈悲を」


 そう言ってドレスを引きながら深く頭を下げると、壁の方から啜り泣くような声がした。


 娼館で鍛えた能力は意外なところで役に立ちそうだ、と伏せた顔の下で舌を出した。



 ようやく退出を許され、ノルヴィスと共に謁見室を後にする。


 用意された馬車に乗り込んでから、アリーシャは深く息を吐き出した。ノルヴィスが笑い声を漏らす。


「悪いな。それにしても最後の芝居は傑作だった」


「殿下のものには遠く及びませんが。それならそうと、最初から仰って頂ければよいものを」


「言えばついてこなかっただろう? 恩を返すためとはいえ、王族の立場というものは余りにも重過ぎる」


 それをはっきりと白状するところが憎らしいとアリーシャは思った。


 ノルヴィスの言うように、こんな事態になると分かっていれば、のこのことついてくるようなことはなかっただろう。


 はあ、とため息を吐いて、向かいに座るノルヴィスの顔を見る。


「それで、狙いは。魔族との混血が、王籍にある必要がありましたか」


「お前は本当に鋭いな。その通りだ。国王は、森に住むという魔族を滅ぼそうと、水面下で挙兵の準備をしている」


 ノルヴィスの返答に、アリーシャは眉を顰めた。


「彼らの里を人間が見つけることは不可能でしょう。魔族には魔力がある。捜索の目を眩ますことなど容易です」


「ああ、そうだ。故に見境がなくなる可能性があった。手当たり次第に森を焼き払うか、奴隷をかき集めて昼夜を問わず死ぬまで探させるか……これより酷いものは今この場で話すものでもないな」


「馬鹿なことを、と思いますが、貴方の言動を見る限り真実なのでしょうね。愚かなことです」


 そう言ってから、ノルヴィスにとっては父親なのだと思い出し、アリーシャが謝罪する。


 すぐに、構わない、という返答があった。


「あれを父とは思わん。年を重ねるにつれ、益々己のことしか考えぬ。民の悲鳴が、あの王城には届かんらしい」


 アリーシャがじっとノルヴィスの顔を見つめる。

 ふい、と逸らされた男の視線は、走る馬車の窓の外を向いた。


「貴方という人間のことが、また少しだけ分かったように思います」


 そう言ってアリーシャが手を差し出す。


「不束者の義妹ではありますが、どうぞ宜しくお願い致します。ですが、侍女としての働きはご期待なされず。貴方に最適な食事をお出しできるようになるには、少しかかりそうです」


 ノルヴィスがアリーシャの手を取り、問題ない、と挑発的に口角を上げた。


「うちの使用人は精鋭揃いだ。お前も、今に立派な淑女に仕立て上げられるさ」


「侍女、でしょう。貴方には恩がありますが……できればこのようなドレスを着るのは、これきりにさせて頂きたいものです」


 肩が凝って仕方がない、と言うアリーシャに、勿体ないことだとノルヴィスは笑った。

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