第16話 葬送
黒く重い雲が空を覆う中で、第一王子の葬儀はしめやかに執り行われた。
ここ数月ほど病に臥せっていた王子、アルバートは昨夜、王の見守る中で静かに息を引き取ったという。
彼の身の世話をしていた王城仕えの侍女たちの間では、末期の王子はかつての屈強さなど見る影もなく、碌に食事も取れなくなっていたのだと噂されている。
アリーシャは他の騎士たちと共に隊列に並び、壇上に置かれた棺桶と、その近くに座するニコラを見上げた。第二王子は傷病によりこの場に立てず、ニコラは唯一の王子として、あの齢とは思えぬ立ち居振る舞いで鋭い眼光を放っていた。
ふと、視線を感じた。アリーシャはそちらへと目線をやる。
王のぎょろりとした双眸は紛うことなく憤怒に塗れ、真っ直ぐにこちらを見据えていた。
◇
騎士団長に与えられた執務室で、書面を手にした役人が肩を怒らせていた。
「レオンハルト騎士団長、繰り返すがそこにあるアリーシャを審問台へと登らせよ。此度のアルバート殿下の死は、魔族の呪詛によるものだと、そう国王様はお考えだ」
突きつけられた勅命をレオンハルトが突き返す。
「断る。殿下が身罷られたことは忌むべき事態だが、病によるものだと、そう正式な調査の結果が出たはずだ」
「だからそれが、その女の仕業だと言っておるのだ!」
レオンハルトの肩越しに指を差され、アリーシャはため息を飲み込み前に出ようとする。
ぐっと、彼らから見えないところで、レオンハルトの手に身体が押し戻された。口を挟むなということだろう。大人しく黙って男の背に隠れるようにして立つ。
アリーシャを背に庇い、レオンハルトが役人に向かって半歩前に出た。
「そう仰られるのであれば、納得できる証拠をお出しくださいと、そのように国王様には伝えてくれ」
「貴様……言わせておけば……たかだか騎士の分際で……!」
激昂しかけた役人が腰の剣に手を伸ばす。瞬間、室内に漂う気配が鋭さを増した。ひっ、と情けない声が役人の喉から漏れ出る。
レオンハルトは威圧感をそのままに、さらに半歩役人へと歩み出した。
「悪いが、出直してくれ。私たちにはこれから任務がある」
そう有無を言わさない声でレオンハルトが告げる。
やがて役人の男は悪態をつきながら執務室を去って行った。
すっかり静かになった部屋で、アリーシャはようやくレオンハルトの正面へと回り込んだ。
「また庇って頂き申し訳ございません、団長」
「君が謝ることじゃない。団員を不当な処置から守ることも私の職務だ」
そう少し疲れたような声でレオンハルトは答えた。
ここのところ、恐らくは民衆に影響を与え得る騎士団の力の低下を狙ったのだろう。所属する団員が謂れのない罪状で身分を剥奪されたり、領地に返されたりすることが多くなってきていた。
眉間を押さえるレオンハルトの手に、アリーシャはそっと自らの指先を触れさせる。大きな手が驚いたように開かれ、やはり見開かれた青い瞳がこちらをじっと見た。
「な、何だ……?」
「いえ、お疲れのようだと思っただけです。申し訳ありません、団長。それから、ニコラ殿下にも。相当手を回して頂いているのでしょう」
「ニコラ様も君がそう言うと予期されていたのだろう。謝らないでくれ、と伝言を承っている」
そう言ってレオンハルトが苦笑する。
先を読まれたことにアリーシャは少し目を丸くして、そうですか、とそれを細めた。
「瘴気の調査と剣術指南の件は?」
「この状況ではさすがになかなか進めることができないが、しかし先日目にした殿下の剣は一層鋭さを増していた。あの舞うような切り返しは、明らかに君の剣の影響だな」
「そうですか。ノルヴィス様とニコラ様が習われたものは、私の剣とは流派が異なるとお伝えさせて頂いたのですが」
アリーシャがやれやれと首を振る。
その肩にそっと男の手が触れた。
「その……ノルヴィス様のご容態は?」
レオンハルトは躊躇いがちに問うた。
アリーシャは肩に置かれた手を握り、するりとそこから下ろすと、男に向かって軽く微笑んでみせた。
「問題ありませんよ。昨日は少しだけ庭に出て外の空気を吸って頂きました」
そうか、とレオンハルトからは少し安堵したような返答が返った。
襲撃の後、ノルヴィスは屋敷での療養を続けている。アリーシャは王城勤めを続けながら、レオンハルトとニコラの厚意によって、以前よりも屋敷にある時間が長くなっていた。
アリーシャや使用人たちの献身の甲斐あって、ノルヴィスの容態はかなり回復してきている。先日ようやく全ての包帯が取り去られたが、顔と胸に受けた切り傷ははっきりと痕が残っていた。
「――ですが、幸いにして視力や、四肢への影響はさほどないかと。今は落とした体力を取り戻して頂くことが先決ですね」
そうアリーシャが状況の説明を終える。
はあ、とレオンハルトからは安堵の息が漏れた。
「本当に……良かった。あの方を亡くすようなことがあれば……」
そこでレオンハルトは言葉を切る。アリーシャが握ったままであった手に軽く力を込めた。
「この国は第一殿下を亡くしたばかりです。まかり間違っても、部屋の外でそのようなことを仰られないよう」
アリーシャの低い忠言に、レオンハルトは、分かっている、と真面目な顔で頷いた。
◇
第一王子の葬儀から数日が経った。
アリーシャはレオンハルトと共に城下町を進む。このように二人で巡回任務に出ることは随分と久しぶりのことだった。
鎧の足音が石畳に響く。アリーシャは足を止めずに隣の男へと話しかけた。
「……静かですね」
「あと数週間は喪に服す決まりだ。露店も出せず、決められた用事の他には外出も許されない」
「存じ上げています。屋敷の仕入れも一苦労ですから」
その会話通り、辺りにはほとんど人影が見られなかった。
いつも大勢の人間が往来しているはずの大通り。静まり返ったそこはまるで廃墟か何かのようだとアリーシャは思った。
ふと、視界の端に小さな影が映る。アリーシャはレオンハルトに一言断ってから、その人影へと歩み寄った。
路地裏へと続く細い道の隙間で、痩せた子供たちが身を寄せ合っている。普段は盗みや残飯漁りで生計を成り立たせている者たちだ。この状況はたまったものではないだろう。
アリーシャは黙って布袋を取り出した。彼らへと差し出すと、やはり無言で受け取った孤児たちは、中から取り出したパンに齧り付き始めた。
「またしばらくは任務がありません。困ったら屋敷の裏手へ。出せるものをお出しします」
そう子供の一人に耳打ちする。一番身体の大きな彼は、細い枯れ木のような首を縦に振った。
アリーシャは彼らから離れてレオンハルトのもとへと戻る。いつもあのようなことをしているのかと男が問い、アリーシャはそんなものだと肩を竦めた。
「死んだのが王族か否かなど、彼らには何一つとして関係のないことですからね」
「だとして、何故然るべき処置を取らない。彼らを保護するための法が新たに敷かれ始めていると、君も知っているだろう」
「明日の我が身が何処にあるか、見知らぬ他人に委ねろと? さすが信頼できる人間に囲まれて育った方は仰ることが違います」
ぴしゃりとそう答えると、レオンハルトは眉を寄せ、やがてすまないと小声で謝罪した。
「アリーシャ、私は……やはりまだ私は君を傷付けているだろうか」
その言葉に反して、レオンハルトの目は真っ直ぐにこちらの目を見据えていた。
アリーシャは首を横に振る。
「団長、誰も生まれは選べません。私が森に捨てられ地下水道に生きたことも、団長があたたかなご両親のもとで育たれたことも、たまたまそうであったというだけのことです。私はそのことで団長を恨みませんし、団長は私にそのように心を砕く必要はないと」
「それは……何だか少し、寂しい物言いだな。私が君を気にかけるのは、何も生まれや育ちによるものではない。路地裏で助けられたという恩義によるものだけでもない」
「それでは何と? また好敵手とでも仰いますか?」
勝率は未だ三割ですが。そうアリーシャが続けるとレオンハルトは笑い声を漏らした。
「それもあるが、剣だけの話でもない。アリーシャ、私は今の君に、ただ惹かれているんだ」
そう言ってレオンハルトはアリーシャの手を取った。
アリーシャは男の顔からふいと目を逸らし、握られた手へと視線を落とす。厚く固い手のひら。直接伝わる体温はいつも通り自分よりも少し熱い。風が吹き、鎧が微かな金属音を立てた。
「アルバート第一殿下を手にかけたのは、君か?」
静かだが、はっきりとした問いだった。
アリーシャはゆっくりと顔を上げると、男の顔を見て目を細めて見せる。
「証拠がないと、そう仰ったのは団長ではないですか」
「やはり……そうなんだな。目を見れば分かる。アリーシャ、君は優しい。嘘をつくのが上手くはないんだ」
また風が吹き、レオンハルトの金髪を揺らした。前髪の間から覗く双眸は、何やら哀しげな色を湛えていた。
アリーシャが無言でじっとそれを見つめる。ふいと逸らされた男の視線が、先程孤児たちが消えて行った路地裏の方へと向けられた。
「一昨日、また一人男が殺された。例の不審死だ」
「それも私の仕業だと?」
「……太刀筋が、君の剣だった」
レオンハルトの目が再びアリーシャの目を捉える。
数秒の沈黙の後で、何故だ、とレオンハルトは絞り出すように言った。
「何故、そのようなことを。それに……見るものが見れば分かるような、わざわざそんな痕跡を残して」
「証拠はお有りですか?」
「アリーシャ……!」
ぐっと手を掴む力が増す。
痛い、と抗議すると、すまない、とすぐに力は緩められた。
アリーシャは片眉を上げる。
「それで、もしそれが真実だとして、どうなさいますか? このまま私を連行し、審問台へと掛けますか?」
それで晴れて王の望みも叶うことだろう。そう続けると、レオンハルトは首を横に振った。
「それはしない。君の言う通り、そこには何一つとして証拠がない。しかし今の君の立場からして、まともな審査がされるとも思えない」
「そうですか」
それだけをアリーシャは答えた。
また沈黙が流れる。
レオンハルトはようやく口を開いた。
「……ノルヴィス殿下のためか?」
「お答えしたくありません」
アリーシャが即答する。
やがてレオンハルトは静かにアリーシャの手を解放した。そこに残る赤い跡に気がつくと、すまない、と少し慌てたように謝罪した。
「団長は、私をどうなさりたいのですか」
最後にアリーシャが問う。
少し考えてからレオンハルトはまた首を横に振った。
「……分からない。だが、たとえ君の行為に信念があったとして、それをみすみす看過することはできない」
「『騎士として、胸を張ってこの国のためだと言えない行いに賛同する訳にはいかない』ですか?」
いつぞやにニコラの部屋で男が告げていた台詞をなぞる。レオンハルトは、ああ、と頷いた。
「そして君のことも守りたいと、そう言ったことに虚偽はない」
「守ると仰ったのは私ではなく、私の名誉ですよ」
そう発言を訂正してやると、そういうことではないとレオンハルトは眉を寄せた。
とん、と男の拳がアリーシャの胸へとつけられる。アリーシャは視線を男の腕から顔へとなぞるように持ち上げた。レオンハルトの表情は、まるで手合わせをしている時のように、張り詰めたような鋭さが漂っていた。
「私に君を見極める時間をくれ」
レオンハルトが宣言する。金の髪が背後の光を透かせている。
アリーシャは日光に少し目を細めると、どうぞお好きに、と静かに返す。ついで淑女の、よりによって胸に触れることは不適切だと続けてやった。




