第15話 襲撃
屋敷への最短経路は、舗装された道を行くより生い茂る木々の間を抜けた方が早い。
アリーシャはぬかるんだ地面を蹴り、顔に当たる枝を払いながら舌打ちした。王城から刺客が送られたというのであれば、いくらぼんやりしていたとはいえ気が付かない訳がない。思い返してみれば、今日の街の静けさは不自然でもあった。
「死んでいたら許しませんよ、ノルヴィス様……!」
苛立たしげにそう吐き捨てて、アリーシャは行く手を阻む枝を手にした剣で両断した。
屋敷へと辿り着いた時、事態は既に収束へと向かっていた。建物の一部分が炎に巻かれかけた痕跡がある。消火に当たっていた屋敷の使用人のうちの一人が、アリーシャに気が付いてこちらへと駆けてきた。
アリーシャが足を止めずに問う。
「ノルヴィス様は」
「ご存命です。賊は取り逃しましたが。今は居室におられます」
「分かりました。この場はお任せします」
そのようなやり取りだけを行い、アリーシャは屋敷の扉へと手を掛ける。美しい装飾は叩き壊され、朝磨き上げて出たハンドルにはいくつもの傷が付けられている。
中へ足を踏み入れるとそこら中が足跡だらけで、絨毯は切り裂かれ、さほど数の多くない花瓶の類は床に残骸となって散らばっていた。
荒い足取りでアリーシャが階段を登り、ノルヴィスの部屋へと辿り着く。扉を叩くこともなくそれを大きく開いた。
「侍女頭、お戻りですか」
「容体は」
「今し方お眠りになられたところです。幸い命に別状はありませんが……かなりの深手です。完治にはお時間がかかるでしょう」
そう言って使用人である初老の男が椅子から立ち上がる。彼が座っていた椅子は寝台の枕元にあり、そこには彼の言葉通りノルヴィスが寝かされているようであった。
アリーシャは静かにノルヴィスのもとへと歩み寄る。意識はないが確かに上下しているシーツの向こう側に見えた顔。その半分には包帯が巻かれていた。
細く長い息を一つ吐いてから、アリーシャは襲撃の仔細を問う。想像通りそれは、市井に住まう民の一部による暴動のようなものだった。
使用人の男曰く、物価の高騰に喘いだ者たちによる突発的な蛮行。屋敷に押し入り、火を放った暴徒たちは、ノルヴィスに危害を加えると逃げるように去っていったという。
「申し訳ございません、侍女頭。ノルヴィス様より、賊を殺すことと、逃げる者を追うことが禁じられました」
「でしょうね。そうでなければ今頃屋敷は血の海です」
「……申し訳ございません」
「責めるつもりはありません。ノルヴィス様のご判断です。仮に私がここにあれば、落とした首を叩き割って壁に飾ってやりましたが」
アリーシャはそう言って腰から抜いた剣を深々と床に突き刺した。
さらに数言だけ言葉を交わし、最後に屋敷の処理について指示すると、アリーシャは使用人を下がらせた。
どさ、と軽い音を立てて、寝台の枕元の椅子に座る。横目で窺ったノルヴィスの顔色は普段より一層輪をかけて悪い。
はあ、とアリーシャはため息を漏らした。
「思えば、あの雨の夜。貴方に『それは私憤か』と尋ねた時、その頃より貴方の様子はおかしかったですね」
ノルヴィスから視線を逸らし、床を睨みながらアリーシャは呟いた。
冷たい雨の降る路地裏。かつての客だった男を殺めた夜。死体の顔を踏みつけようとしたノルヴィスを諌めた時のことを思い出す。掴んだ男の腕と、そこから確かに伝わる強い怒り。あれはまさしく、義憤などではなかった。
「……私が傷付けられたことが、それほど許せませんでしたか。そんなにも私のことを、愛してくださっていましたか。ご自身が私憤に囚われることが、どうしてもお許しになられませんでしたか」
床に落ちた血の跡。その一点を見つめながらアリーシャが続けた。そこで一度言葉を切る。室内にはノルヴィスの呼吸する微かな音だけが響いた。
やがてアリーシャが顔を上げる。ノルヴィスを振り返ることなく静かに椅子から立ち上がった。一歩を踏み出した時、強い力で腕が引かれた。
「どこへ、いく……」
酷く掠れた低い声。アリーシャは微笑みを浮かべて振り返った。
「お目覚めでしたか、ノルヴィス様。お命があって何よりです。お水をお持ちしてもよろしいですか」
「どこへ行くと、聞いている」
「水を取りに行くだけですよ。ああそれから包帯の替えもお持ちしましょう」
「俺に、虚言は通用しない、そう言った、はずだ」
アリーシャの腕を掴んだままノルヴィスは更に声を低くした。言い終えたところで数度咳き込む。
男の身体を労ってから、アリーシャは呆れたように片眉を上げた。
「分かっているのであれば聞くまでもないでしょう。無用な問答をする間があればお休みください」
「街の者を、手当たり次第に、斬るつもりか」
「まさかそんな馬鹿な真似は」
アリーシャは大袈裟に肩を竦めてみせる。ふい、と視線を窓の外へとやった。
「幸いにして今日は巡回任務でした。あの時街になかった者、閉じていた店は全て覚えています。そこから、血や煤の匂いがする者を辿るだけですよ」
簡単なことだ、とアリーシャは小さな笑い声を漏らした。
王族の暗殺未遂などどうせ極刑の他にない。そもそも彼らを焚き付けたであろう人間が、都合の悪いことを知る存在をいつまでも生かしておく訳はない。
そのようなことをアリーシャは滔々と続け、ふう、と疲れたように息を吐いた。
腕を掴む手の力は僅かに増していた。
「露悪ぶるのはやめろと、前にも言ったはずだ。そもそもお前が……傷付いた者へ、刃を下ろすなど、耐え難い苦痛の、はずだ」
先程よりも途切れ途切れにノルヴィスが告げた。
アリーシャが首だけで振り返る。男の顔はおそらく痛みによって歪んでいた。
「耐え難い、というほどではありませんよ。みすみす主君を死なせるよりは幾万倍もマシです」
「ならば、民を斬る前に……俺を斬れ」
アリーシャが眉を寄せる。
起き上がろうとする男の身をそっと押し返し、呆れたように首を傾げた。
「蛮行を犯せば屋敷を首だと、そう言われると予想しましたが。外れましたね」
「お前は迷わず、ここを去るだろう」
「そんなにも私の焼くパンはお好きですか」
「ああ……俺を、餓死させたいか……」
寝台に身を横たえたまま、ノルヴィスが深い息を吐く。
一度閉じられた瞼が持ち上がり、片目がアリーシャの顔を真っ直ぐに見据える。乾いた唇がゆっくりと開いた。
「今ここで、決めろ。拒むか、受け入れるか」
「無論、お受けいたしますよ。それがノルヴィス様の命であれば。ただし、一つ条件がございます」
「……なんだ」
「その痛みでは眠れないでしょう。私が子守唄を歌って差し上げます」
「ふっ……主君を、呪い殺すか……?」
「人聞きの悪い。瞼を下ろしてください」
アリーシャの片手がノルヴィスの目元を塞ぐ。
少し覆い被さるような体勢で、アリーシャの口から小さな旋律が流れ出た。魔力の宿った音が男の耳に飲み込まれていく。
アリーシャは小声で歌いながら目を閉じる。最後にこうしたのはいつだっただろうか。地下水道で病に苦しむ幼子を眠らせた時か、客に打ち付けられた傷が痛むのだと娼館で泣きつかれたこともあったなと、そんなことを考えた。
やがてノルヴィスの口から寝息が漏れ始めた。
アリーシャは男の目の下をそっとなぞり、自分の腕を掴んだままの手を外した。そこは赤い手形がくっきりと残っており、振ると軽い痛みがある。
やれやれ、とアリーシャは首を横に振った。
「おやすみなさい、ノルヴィス様。いい夢を」
そう囁いて、包帯の巻かれた額に口付けを落とした。
◇
屋敷襲撃の翌日。アリーシャは使用人らにノルヴィスのことを任せ、王城への道を歩いていた。
時刻は早朝、日の出間もない空気は冷たく張り詰めている。足の下で細い枝が乾いた音を立てた。
昨夜ノルヴィスを眠らせて階下へと降りると、そこにはレオンハルトを始めとした騎士たちの姿があった。下手人は既に去ったことと、ノルヴィスが存命であることを告げてやると、彼らは文句も言わず屋敷の後片付けを手伝った。恐らくは証拠集めのためであろうが、きっと徒労に終わることだろう。そう思っていたが、一晩が明けてその予想が違えていなかったことをアリーシャは知った。
朝の爽やかな空気にそぐわぬ、重く生臭い空気。城下町の裏通りに見える死屍累々。
既に夜警の兵らが発見し、今はもう後片付けというところだろう。
「……例の不審死だ。ついに、一晩でこんなにも」
そんな囁き声がアリーシャの耳に届いた。兵からなのか、物見遊山の市民たちから漏れ出たものかは知らないが、何とも滑稽なことだとアリーシャは思った。
ノルヴィスが一体何のために毎晩望まぬ凶行に及び、誰のために傷に伏せることになったのか。何も知らないのだから無理もない。
「本当にこの世は――」
途中で止めて、あーあ、と曇り始めた空を仰ぎながら、アリーシャは足を止めずに王城へと向かった。
城内の騎士団詰め所に足を踏み入れる。既に昨夜の団員たちから皆話は聞いているのだろう。誰も何もアリーシャに問うことはなく、何人かが無言で背を叩いてきた。
そのうち一人から、勅命だ、と書面が渡される。またいつもの王の嫌がらせかと思ったが、押してある封印がそうではないと気が付いた。
アリーシャが足早に城内を進む。一室の前で立ち止まり、扉を叩き返答を待つ。間もなく開かれた隙間から、素早く身を滑り込ませた。
「ニコラ様、あのようなお呼び出し方は危険です」
後ろ手に扉を閉めるや否や、アリーシャは低い声で告げた。
対するニコラは真っ青な顔で身を震わせている。どうしたのだ、と聞くと、金色の頭が深く項垂れた。
「申し訳、ありません……姉様……! ノルヴィス兄様が襲われたのは……僕のせいです……!」
そう絞り出すように言ってニコラはその場に崩れ落ちるように両膝をついた。
アリーシャがそっとその背をさすり、顔を上げさせる。今にも泣きそうな青年の瞳がアリーシャを見上げた。
酷く動揺するニコラを何とか落ち着かせて、アリーシャは続きを促した。混乱のためか話の要領は得なかったが、つまり彼の私兵のうちの一人が、第一王子であるアルバートと通じており、そして民衆を焚き付けたことを白状した。内容としてはそのようなものだった。
アリーシャは震えるニコラの背を繰り返し撫でる。ノルヴィスに命の別状はないことを三度伝えてやったところで、彼はようやく俯いていた顔を上げた。
「姉様……本当に、申し訳ありません。僕の不徳で、でもまさか、アルバート兄様が、本当に……」
「……お言葉ですが、ニコラ殿下自身、御身の危険を感じたことはこれまでに一度もありませんでしたか?」
アリーシャが静かに問うと、ニコラは無言で首を横に振った。王や第一王子の黒い噂は知れど、まさか本気で凶行に出るとは思わなかったようだった。
一息挟んでから、アリーシャはその兵の行方を聞いた。
「その者は……一度、国に帰らせました。然るべき処断が下るまでは、と」
「賢明ですね。城内にあれば、今頃下手人たちと同じ道を辿っていましたよ」
ニコラが何か聞きたそうにアリーシャの顔を見て、何も問わずに口を閉じた。
賢明だ、とアリーシャは繰り返す。続いて、震える青年の片手をそっと掬い上げるように取った。
「大丈夫です、ニコラ様。ノルヴィス様は生きておられます。あの方が困窮する民を置いて先に死なれるとお思いで?」
「それは……いえ。ありがとうございます、アリーシャ姉様……アリーシャ殿。私も、ノルヴィス兄様の弟です。兄様が城に戻られるまで、私が矢面に立ってみせます」
ニコラは次第に力強い声でそう言い切った。
真っ直ぐに立ち上がった王子に向かい、アリーシャが眉を寄せる。
「……ニコラ殿下」
「大丈夫ですよ。これでも、兄様よりずっと処世術の類は得意なのです。それに私には、レオンハルトとアリーシャ殿という、強い剣と盾がある」
違いますか、とニコラが笑う。
アリーシャは微かに目を見開いてから、その場に片膝をつき、深く首を垂れた。
「命ある限り、その御身を御守りさせて頂きます、殿下。ですが……しばらくは屋敷の仕事が繁忙を極めます。申し訳ございませんが、剣術指南はしばらく団長にお願いしたく存じます」
そう言って苦笑すると、ニコラは数度目を瞬き、少し残念そうに肩を落とした。
◇
王城の最も高い塔の一角に、第一王子であるアルバートの私室がある。
領土内にいくつもの屋敷を持つ彼であったが、国一番の厳重な警備を好んだのだろうか、この部屋で眠りにつくことが最も多かった。
真夜中。アルバートの部屋に夜風が入り込んだ。これから雨が降るのだろうか。少し生暖かいような空気。
それと共に、黒い影が滑り込む。音もなく部屋の床へと降り立つと、アリーシャはじっと寝台の方を見た。天蓋の付いた大きな寝台。そこに眠る男の身体も大きく、ついでに寝息も騒々しい。
寝台のそばでアリーシャが寝入る男を見下ろす。剛健な父の血を色濃く継いだ、恵まれた肉体。単に太っているだけの貴族や奴隷商らとは異なり、よく鍛え上げられている。男は自らが戦の前線に出向き、そして剛腕から振るわれる剣で敵将の首を取ることを、何よりの楽しみとしていたという。
その一方で社交の術も優れている。父である王の望みを的確に察し、確実に貴族諸侯の支持を集め、そして此度のように邪魔な人間は闇に葬ってきたのだろう。自らの手を汚すことなく。
まるで正反対だ、と笑いが漏れ出しそうになるのを堪えた。それも詮なきことかと、無音で肩を竦める。
そっと、アリーシャは眠る男に覆い被さった。流れる白銀の髪が男の上下する胸へと落ちる。口を開き、喉奥から音を押し出した。
「――――、――――」
魔力の宿った音が、男の耳に飲み込まれていく。
アリーシャは囁きながら目を閉じる。最後にこうしたのはいつだっただろうか。馬に踏まれてもう助からぬ子を眠らせた時か、娼館で瘴気の病に苦しむ姉さんから涙ながらに頼まれたこともあったなと、そんなことを考えた。
やがてアリーシャが身を起こす。男の口からは変わらず寝息が漏れ出ている。
アリーシャは無言で窓の方へと歩を進めた。ふと思い立ち、腕へと視線を落とす。手形はすっかり消えていた。
「おやすみなさい、いい夢を」
そう囁いて突き出した舌には、赤黒い紋様が浮かび上がっていた。
そのままアリーシャは高い塔の窓から、外の闇へと身を滑り出させた。




