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偽りの姫は闇夜に微笑む  作者: 宵乃凪
三章

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第14話 陽だまりへの祈り

 乾いた音を立てて訓練用の剣が宙を舞う。


 痺れる手を反対の手で庇うように握ると、アリーシャは俯きため息を吐いた。


 早朝の訓練場。手合わせを観覧する男たちも今日はまだおらず辺りは静かだ。窓から差し込む日差しが首を焼くな、とぼんやりそのようなことを考えていると、不意に頭もとに影が差した。


「アリーシャ……? すまない、大丈夫か?」


 アリーシャが顔を上げる。レオンハルトは心配したような訝しんだような表情でこちらを見ていた。


「問題ありません。こちらこそ、今日は大したお相手もできず申し訳ありません」


 そう言ってアリーシャは吹っ飛んでいった剣を拾いに行く。凄まじい力で弾かれた剣は、訓練場の壁と床との間に器用に突き刺さっていた。抜いてやろうと柄を握り、まだ痺れていることに気が付いて反対の手へと持ち替える。ぐっと力を込めてみたが少しも動く気配のない剣に、アリーシャは舌打ちした。


「っ……この……」


 片足を振り上げたところで背中が何かに当たった。


 いつの間にか背後までやって来ていたレオンハルトが、アリーシャの手を避けて剣を握り、軽々と引き抜く。どうぞ、と渡された訓練剣を受け取ると、アリーシャは気まずさに視線を逸らせた。


「何というか……君がそのような態度を取るのは珍しいな。さっきの剣にも深い迷いが見てとれた。何か困っていることでもあるのか?」


「いいえ何も」


「何もないという顔ではない。私に言えないというのならば無理強いはしないが、できることがあればいつでも言ってくれ」


 とん、とレオンハルトが自分の胸を軽く叩く。


 じっとその顔を見上げてから、アリーシャはまたふいと視線を床の方へと逸らせた。


「……私は、時たま団長のことが羨ましくなります」


 アリーシャが呟くように告げる。


 レオンハルトは首を傾げ、さらに何か言おうとしたところで、ふと入口の方へと目を向けた。


「これはニコラ殿下。このようなところまで御足労を。私とアリーシャに御用命でしょうか」


 素早く姿勢を整えたレオンハルトにアリーシャも続く。


 二人分の敬礼を受けたニコラは、ああ、と頷いた。


「例の件について進展があった。今から私の執務室へと来られるか」


「もちろんです。アリーシャ」


「問題ありません。すぐに上がらせて頂きます、ニコラ殿下」


 レオンハルトに短く返答してから、アリーシャはその場で深く一礼した。


 ◇


 王城内のニコラの執務室で、大きなテーブル一面に資料が広げられている。それを取り囲むようにして、アリーシャ、レオンハルト、ニコラの三人は紙面に視線を落とした。


 レオンハルトの提案した瘴気調査は、ニコラを巻き込む形でゆっくりと着実に進められていた。


 これまでの瘴気の発生箇所と時期、広がり方、病に侵された人間の数。王城だけでなく市井からも資料を集め、更には城を追われた研究者たちとも密かに渡りをつけた。


 王城において今や、瘴気は魔族が生み出すものであるというのは揺るがない事実であり、その真偽を調べようとするだけで罪人のような扱いを受ける。


 そのため調査は秘密裏に。特にニコラに危険が及ばぬよう、アリーシャは彼の身辺警護に関わる時間を増やしていた。


「彼らの生息域と発生地域からして、魔族と瘴気には何らかの関係がある。それについては先週に姉様が仰られた通りかと僕も思います」


「里の正確な位置が追える訳ではありませんから、あくまで推測ですが。傾向として瘴気の濃くなった地域と彼らがそこに移り住む時期には相関がありそうです」


 ニコラの発言を受けて、そうアリーシャが答える。手にしたペンで地図上の何箇所かを指し示した。いずれも深い森に覆われた場所であり、そして彼らの魔力の痕跡を辿ることができた地域だった。


「確認するがアリーシャ、魔族は瘴気による損傷を負わないのか?」


「それも確証はありませんが、あの地下水道で病を発症せず生き残ったのは私だけでしたから。何らかの抗体があると思って然るべきでしょう」


 アリーシャはレオンハルトに向けてそう答える。視界の端でニコラが何かを聞きたそうな顔をしていることには気が付いたが、あえて地下暮らしの話をしてやる気もなかった。


 それより、とアリーシャがニコラを振り返る。


「新たな情報というのは?」


 アリーシャの問いにニコラが頷く。胸元から取り出されたのは一枚の古ぼけた紙切れだった。


 誤って破いてしまわないよう、ニコラが卓上でゆっくりとそれを開いていく。何やら走り書きのような、のたくった文字。公式の記録でないことは明らかだった。


 そこに書かれた内容を読み取り、アリーシャはレオンハルトと目配せする。ニコラがまた頷いた。


「ご覧のように、我が国の王族が過去に魔族と接触した形跡があります。それも今のような捕縛という形式ではなく、彼らを城に招くような形で」


「……あくまで非公式の走り書きのようですが。これをどこで?」


 アリーシャがじっとニコラの顔を見る。しばらくの沈黙の後で、彼は観念したように重い口を開いた。


「…………父上の書斎に忍び込みました」


「ニコラ様、繰り返し申し上げておりますがどうかご自身を危険に晒すような真似はおやめ下さい。そもそもこの件に殿下が噛んでいるということすら、外部に知られれば文字通りの命取りとなります」


「……すみません、姉様……」


 がくりとニコラは深く肩を落とした。


 まあまあ、とアリーシャを宥めてから、レオンハルトがニコラへと向き直る。


「貴重な情報をありがとうございます、殿下。ですがもし何かあれば、どうか私の名をお出しください。私は殿下の剣であり盾でもあります」


「分かりました。レオンハルト、アリーシャ姉様も、僕の身を案じてくださり感謝します」


 そう言って、ぺこり、と金色の頭が勢いよく下げられた。


 アリーシャがレオンハルトをちらと見る。フォローしてくれたことはありがたいが、どうにかもう少し危機意識を持たせてやってくれと、そんな意図を視線に込めた。



「そう言えばアリーシャ、訓練場での話が途中だったな」


 資料を片付け終えた辺りで、不意にレオンハルトは思い出したように告げた。


 こんなところで余計な話をするなと、アリーシャが無言で男を睨む。牽制の甲斐なく、レオンハルトは軽く首を傾げた。


「君は私のことが羨ましいと。そう言ってもらえることは光栄だが……何か剣とは違う意図だったのでは?」


「姉様、何か悩まれていることがあるのですか?」


 視界の下の方から心配したような義弟の顔が覗き、アリーシャは深いため息を吐いた。


「何も、と言ったところで、団長もニコラ様も納得されないのでしょうね」


 そう言ってアリーシャは真っ直ぐにこちらを見つめてくる四つの瞳から視線を逸らせる。そのまま窓の方へと歩き、屋敷の方角を見下ろした。


 今日はノルヴィスは終日を屋敷にある。少しは眠るように出る前に言い聞かせて来たが、どうせ山のような書面と向き合っているのだろうなと思った。


 背後からの視線を感じ、アリーシャは小さく首を横に振る。とん、と指先が窓に触れた。


「悩みなどはありませんよ。ただ私は……ノルヴィス様に今よりもっと幸せな生を送って頂きたいと、そう思うだけなのです」


 呟くようにアリーシャが告げた。脳裏には先日のノルヴィスの宣言が思い浮かんでいた。


 ――拒むか、応えるか。その時までに答えを決めておけよ。


 拒む、という選択肢は最初からあり得ない。しかし、男の求めに応えていいものか、それをアリーシャは決めあぐねていた。


 ノルヴィスを幸せにしてやりたい。それは紛れもない本心であったが、そのために手段を選ばない道を歩ませたことは、果たして正解だったのだろうか。或いは自分のような存在ではなく、レオンハルトのような清廉な人間こそが、ノルヴィスの側には必要だったのではないだろうか。


 偶然拾った自分に執着したせいで、ノルヴィスは一層逃げ場を失い、今のような日々を送ることになったのではないか。


 そのような葛藤を、口に出せるはずもないとアリーシャは静かに飲み込む。そのまま振り返るとすぐ目の前に男の姿があり、アリーシャは思わず大きく肩を跳ねさせた。


「っ……団長、音もなく背後に立たないでください」


「えっ、すまない、何度か声は掛けたんだが……君が思い悩んでいるようだったから」


 レオンハルトが少し困ったようにそう答える。


 失敗したなと、そう思いながらアリーシャはまた窓の方へと視線を逸らせた。自分の頭の上から男の視線も同じ方角を見ていることを感じる。


「ああ、ここから少しだけノルヴィス殿下のお屋敷が見えるんだな」


「そうなんです! 兄様が城を出られた時は悲しかったのですが、辛うじて見える範囲に留まってくださって良かった」


 明るい声にアリーシャが振り向く。いつの間にか自分を挟んでレオンハルトと反対側に、ニコラが立って同じく窓の外を見ていた。


 男たちの視線がこちらを向いていないことを認識してから、アリーシャは軽く口角を上げてみせた。


「……ええ。あのお屋敷からここへと毎日通うことは、なかなかに大変で。ノルヴィス様の朝食の仕込みと、団長との朝の手合わせを両立させねばなりませんからね」


「それは……君が負担だと言うのであれば、昼過ぎにするか?」


「ありがたいのですがお断りします。今のところ朝一番の手合わせが最も勝率が高いですから」


 レオンハルトの提案に対し、アリーシャは肩を竦めてそう答える。


 そうか、と返答した後で、レオンハルトはアリーシャの肩に軽く手を触れさせた。


「事情ははっきりとは分からない。だが、もし何かに悩んでいるのであれば、その葛藤ごとノルヴィス殿下に伝えてみれば良いのではないだろうか」


「さすが、悩みのない団長は簡単に仰います」


「私にだって悩みぐらいはある! しかしノルヴィス殿下は、話を聞いてくださるお方だ。……他ならぬ君のことであれば、きっと私よりも上手く寄り添ってくださるはずだ」


「含みのある言い方ですね。私が殿下と懇意にしていることが不服ですか?」


「そのようなはずはない。だが、少しばかり悔しいというのも本音だな。私もあの方のお力になりたいと常々思っているんだが……何せご多忙でお話をする隙もない」


 そうレオンハルトが会話を締め括ると、黙って聞いていたニコラが片手を挙げた。


「それについてはレオンハルトに同意します。姉様、たまには僕ともお話しして頂けるよう、ノルヴィス兄様に頼んでは頂けませんか?」


「……検討いたします」


 アリーシャはそう答えて苦笑する。


 三人で窓辺を離れる。ぽん、と何か思いついたようにニコラが手を打った。そのまま彼はレオンハルトの耳元へと口を寄せる。


「レオンハルトが姉様と結婚されれば、義兄弟としてノルヴィス兄様のお側にいられるのでは?」


 そのようなことをまるで揶揄うように告げてニコラがくすくすと笑っている。


 実に居心地悪そうな表情のレオンハルトを見て、アリーシャは嘆息した。


「お二方とも、お忘れかもしれませんが魔族は五感に優れます。内密話というのであれば少なくとも私が部屋を出てからされるのが宜しいかと」


 そう冷たく告げてやると、二人は同時に肩を揺らした。


 ◇


 日の傾いてきた城下町をアリーシャはレオンハルトと並んで歩く。いつもの巡回任務であったが、どうやらこの日は大きな争いごとも起こらなかったらしい。


 いくつかの喧嘩や小競り合いを仲裁し、アリーシャは地平に近づき始めた太陽を見て目を細めた。


 眩しい。あの地下水道は当然のこととして、十代の大半を過ごした娼館で与えられた部屋には窓がなかった。日光を避け続けた肌は、ノルヴィスの屋敷に住まい始めた頃には今よりもっと青白かったように思う。騎士としての遠征や巡回で少し焼けた腕には幾つかの傷跡が残っている。あの頃のように殴られたり鞭打たれたものではなく、戦や手合わせでついた傷。ついでに今朝の朝食準備で久しぶりに指先を切ってしまった。


「――、アリーシャ」


「っ、何ですか」


 不意に名を呼ばれ、アリーシャは我に返る。振り返るとレオンハルトはまた心配そうな表情でこちらを見ていた。


「本当に、大丈夫か? 今日は随分と上の空だが……」


「問題ありません。任務中に気を抜いてしまい、申し訳ありませんでした」


「それは大丈夫だ。君はいつも気を張り過ぎているからな。少しぐらいは肩の力を抜いたほうが、剣の動きもより滑らかになると思う」


「団長らしい助言です。ありがたく受け取りますよ」


 そう答えてアリーシャが一礼するために足を止める。隣でレオンハルトも同じく立ち止まった。


 道はちょうど三つに分かれている。今し方歩いてきた街から続く大通りと、向かおうとしている王城への道。それからノルヴィスの屋敷がある街外れへと繋がる道だ。


 そのまま王城へと戻ろうとするアリーシャの腕が取られる。振り返ると、レオンハルトは屋敷の方角へと視線を向けていた。


「団長……?」


「アリーシャ、何か見えないか」


 遠くを見るために目を細めるレオンハルトの声は普段よりも少しだけ低い。


「何、か――」


 訝しげに同じ方角を見たアリーシャはさっと顔を青褪めさせた。遥か遠く、屋敷の方角から、細い煙のようなものが上がっている。途端、鼻に届く血の匂い。道の向こう側から蹌踉めく人影がゆっくりと向かって来る。


 アリーシャは地面を蹴った。すぐにその人影のもとまで辿り着く。斬られたのであろう片腕を抑えて顔を歪めているのは、屋敷に勤める若い給仕の女だった。


「襲撃ですか」


 低くそれだけを問うと、女は頷いた。アリーシャは既に背後にやって来ていたレオンハルトへと振り返らずに告げる。


「屋敷が襲われています。私は先に向かいます。許可を」


「許す。私は城へ戻って援軍を」


 それだけを交わし、アリーシャとレオンハルトは互いに背を向けて走り始めた。

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