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偽りの姫は闇夜に微笑む  作者: 宵乃凪
三章

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第13話 どこまでも共に

 アリーシャの生活は更に多忙となっていた。


 昼間は騎士として国の治安維持のために駆け回り、その合間を縫ってはレオンハルトと共に瘴気の調査にあたる。秘密裏の調査にはニコラも協力するようになり、彼の私邸では、国の方々から掻き集めた資料を三人で囲みながら、たまに王子の剣術指南をした。


 朝夕はノルヴィスの屋敷の仕事をこなす。主人の住まう居城を快適に整え、彼に食事を摂らせ、時には仕事を取り上げてでも休ませる。


 そして真夜中には、この国のためと銘打った蛮行に手を染めた。



「最近随分とあの男と仲の良いことだ」


 自室での食事の最中に、ノルヴィスが皿から顔を上げずにそう言った。


 茶の支度をしていたアリーシャは、ポットを手に戻ってくると首を傾げてみせる。


「それは団長のことでしょうか? あの男が利用できると、そう仰ったのはノルヴィス様でしょう」


 失礼します、とアリーシャはカップに茶褐色の湯を注ぐ。


 ノルヴィスの持つフォークの先端が、ぶつりと肉片を刺した。しばらくそれを弄んだ後で、男からため息の音が漏れる。


「実に役に立っている。あの独善的な王を牽制するのにな。また一人、侯爵が騎士団派に回った。きっと今頃、あれを掲げたことを後悔しているだろうよ」


「それは良いことではないのですか?」


 ぐにぐにと皿の上で転がされている肉片を見ながらアリーシャが問う。


 ノルヴィスは何も答えず、ようやくそれを口へと運んだ。咀嚼し、嚥下したところで軽く咳き込む。アリーシャはその背をさすりながら水を差し出した。


「申し訳ございません。煮込み方が不十分でしたか」


「もういい。……ふっ、お前も災難だったな。食事一つ満足に摂れぬ主人に仕える羽目になるとは。暇でも出してやれれば、城での仕事に専念できるだろうに」


「ああ、そういうことでしたか。理解致しました」


 そう言ってアリーシャはノルヴィスの背から手を離すと、するりとエプロンを解いた。そのまま髪をまとめる布を外し、給仕服のボタンを三つ外したところで、ノルヴィスの手がアリーシャの腕を掴んだ。


「何をしている」


「団長や、城の者との間柄をお疑いなのでしょう。この場で身の潔白を証明させて頂こうと」


 指先に引っ掛けたままであった白い布が床へと落ちる。二人は互いに動きを止め、数秒の沈黙が流れる。


 はあ、とノルヴィスは再び深いため息を吐いた。


「……悪いな。馬鹿なことを言った」


「そのようにお疲れなのであれば、この後は私一人で片を付けて参りますよ」


 解放された手で、アリーシャは外したボタンを手早く留め直す。椅子に座った男の背後へと回ると、肩から胸にかけて両腕を巻き付けるように抱き締めた。


「団長とニコラ様が張り切っておられるお陰で、日に日に巡回の目も厳しくなっております。次の法案を通すためには、今宵のうちに反対派のあの男を消しておきたい。そうでしょう?」


 男の耳へと唇を寄せてアリーシャがまるで睦言のように囁く。


 ノルヴィスの硬い指先がアリーシャの腕に触れた。


「あれは王を支持する愚かな男だが、悪行を犯した者ではない。その意味を理解しているか」


「もし迷われているというのであれば、やはり今宵はお屋敷にてお休みされることをお勧めいたします。私が手引きするとはいえ、今貴方が捕らわれることとなれば、この国の民はどうなるのですか?」


 ノルヴィスの手に自分の手を重ねると、アリーシャは更にそう囁いた。正直休んで欲しいというのが本音ではあったが、このような言葉を男が求めているのだと分かっていた。


 また沈黙を挟んでから、ノルヴィスの手が残りの肉片を口へと運ぶ。グラスの水でそれらを胃へと流し込むと、男は迷いなく立ち上がった。


「行くぞ」


「かしこまりました」


 アリーシャが裾を引いて答える。片付けをしてから出たかったなと、そんなことを思いながら、男の手を取って夜の街へと出向いて行った。



 厚い雲が空を覆い隠し、月も星も見えない暗い夜。今にも雨が降り出しそうな湿った空気。そこに男の荒い息が混じる。


 すらりとした体格の男が地面に両膝をついている。質の良い衣服が路地裏の泥を吸い上げる。背後から羽交い締めにされ、口元を手で覆われた男は、荒い鼻息を漏らしながら目の前に立つ人間の顔を見上げた。


「――!」


「ああ、俺だ。昼ぶりだな」


 驚きに興奮した様子の男とは正反対に、ノルヴィスは至極平坦な声で答えた。


 口を押さえた指の隙間から今にも漏れ出しそうな叫び声に、アリーシャは眉を寄せる。問答無用で終わらせてしまえば良いものを、ノルヴィスは男に向けて淡々と法案の必要性を語っている。


「――確かに目先の税収は少なくなる。だが前期の寒害と先月の戦で農村は大きな打撃を受けている。今ここで搾り取れば、そのまま立ち直ることすらできずに集落ごと失うことになる。貴公には何度も説明させて頂いたな」


「――、――!」


 アリーシャの手を振り解こうとするように、男が激しく頭を横に振る。


 ノルヴィスの視線を感じたが、アリーシャは首を振って返した。


「命乞いから殿下に寝返ろうとしています。ですが、聞こえる拍動からいって全くの虚言です。加えて、もう間もなく夜警の兵がここを通りかかります」


 その言葉に希望を見出したのか、男が暴れる力が増した。改心した人間の取る行動ではないだろうと、アリーシャは薄く笑い、男の両肩を外した。


 男が痛みに全身を震わせる。大きく曝け出した喉元へ、白銀の光が一閃した。


 アリーシャが男を解放する。路地裏に倒れ伏した身体の下からは赤黒い液体が流れ出していた。それを器用に避けながら、アリーシャはノルヴィスのそばへと駆け寄る。取り出したハンカチで、男の頬に飛んだ返り血を拭き取った。



 屋敷に戻り、湯殿で身を清めて自室へ戻るまでの間、ノルヴィスは一言も言葉を発さなかった。


 どさ、と寝台に腰掛けた男のもとへとアリーシャが歩み寄る。いつものように衣服を脱ぎ落とそうとしたところで、やめろ、という低い声があった。


「やめろアリーシャ、必要ない」


 ノルヴィスはもう一度そう繰り返す。


 アリーシャは布から抜きかけた腕を戻し、ノルヴィスの足下へと両膝をつく。


「申し訳ございません、ご気分を害しましたか?」


「違う。お前の不手際ではない」


「それでは何故? そのままではお眠りになられないでしょう。今宵は薬湯をお持ち致しましょうか」


「やめろと言っている……!」


 そう言ってノルヴィスはアリーシャの腕を掴んだ。ぐい、と引っ張り上げられ両膝が床から浮き上がる。


 アリーシャは小さく息を吐いてから静かに立ち上がった。


「いかがなさいましたか、ノルヴィス様。私では駄目だと言うのであれば、誰か他の者を呼びましょうか」


 ノルヴィスが無言で首を横に振る。掴まれたままであった腕が引かれ、アリーシャは抵抗することなく男の胸へとしなだれかかる。背中に両腕が回される。光り輝く騎士団長のものよりずっと細い腕。男の両腕は、いつぞやのように微かに震えていた。


「ノルヴィス様――」


「お前の、お前の献身に値するような、俺はそのような存在ではない」


 こちらの呼びかけを遮った言葉に、アリーシャは二度目を瞬かせてから、やれやれとそれを細めた。両脇に落ちていた腕を持ち上げ、そっと男の背に回す。


「お疲れなのですね、ノルヴィス様。やはり今宵はお任せ頂き、早めにお休み頂くべきでした」


 申し訳ない、と続けると、ぐいと強くまた腕を引かれた。背中に感じる衝撃。寝台へと押し倒され、そしてその上に影が跨っている。


「俺を相手に、煙に巻こうとするのはやめろ、アリーシャ。俺がそれを嫌うと、お前は理解しているはずだ」


「ノルヴィス様が妄言を仰るようなことをしなければ、私も誠意をもってお答えさせて頂くのですが」


「ならば問う。お前は人一倍血の匂いを嫌う。夜の愚行も、城での同族殺しも、お前にとっては耐え難い苦痛のはずだ。違うか」


「耐え難い、というほどではありませんが。愉快なものではありませんね。ですがそれはノルヴィス様も同じでしょう」


「俺は好き好んでこの道を選んだ」


「私が貴方への恩義から望まぬ道を歩んでいると?」


 ノルヴィスからの返答があるよりも早く、アリーシャは覆い被さる男を寝台へと素早く落とし、反対にその身に乗り上げるように跨った。


 仰向けになった男から驚いたような視線が向けられる。そのことがアリーシャにはまた一層腹立たしかった。


「アリーシャ――」


 呼ばれ掛けた名前を唇を塞いで飲み込む。少し乾いた唇を舌先で舐めてからアリーシャは再び身を起こし、男の顔を真上から見下ろした。


「それ以上仰られれば、私も本気で怒ります。私はとうの昔に貴方と共にある道を選んだ。共に地獄へ堕ちるのだと、そう仰ったのは、私を慰めるための嘘だとでも?」


「……虚言のつもりではない。だが俺は、お前の義理を盾に――」


「恩義から貴方を盲信し、それを愛だと思って何が悪いのですか……!」


 そう叩き付けるように告げてアリーシャは身を屈めた。跨る男に額がつきそうなほどに顔を近付け、その鮮血のような双眸を睨む。ぐい、と首元の布を引くと額同士がぶつかる音がした。


「とうの昔に言ったはずです。貴方が、私に命を与えたのです。私にとっての世界を、唯一を愛して、一体何が悪いと言うのですか……!」


 肩を怒らせてアリーシャが噛み締めた奥歯の隙間から訴える。まるで臓腑を焼くような、どうしようもない憤怒があった。


 今更誰にどう思われようが些事であったが、他でもないこの男に己の信義を疑われることだけは、それだけは酷く苛立たしいことだと思った。


 薄暗い寝所に静寂が流れる。やがてそれを割いたのはノルヴィスの笑い声だった。


「くっ……くくく……ははっ……!」


 喉奥から漏れ出したような笑いは、やがて男を破顔させた。アリーシャが不可解と不愉快に眉を寄せる。抗議しようと口を開けた瞬間に、起き上がった男により身体を寝台へと落とされた。


 衝撃に一瞬目を瞑り、開けると、目の前には何やら呆れたような男の顔があった。その口角は挑発的に上がっている。


「それは実に殊勝なことだが、だからと言ってそう何かと露悪的に振る舞うのはやめろ。お前にそのような真似をされずとも、俺はきちんと己の咎も責任も理解している」


「……以前と同じように食べられて眠られるのであれば考えますよ」


「お前の上官殿と違い、気の細い男で悪いな」


「だからそうお拗ねになられないでください。私の全ては貴方のものだと――」


 深く覆い被さってきた影によって、その先は紡げなかった。


 入り込んできた舌はいつもよりも熱いように感じる。口内の形をなぞるように、喉奥から言葉を引き出すように、随分と長く蠢いていた舌は最後に口蓋を擦り上げて去っていった。


 少し荒くなった呼吸を整えてから、アリーシャは男の顔を見上げる。


「それで、このまま為されますか?」


 情緒もない、とノルヴィスがため息を吐く。


「今日は何もしない。だが、もし一夜が許されるのであれば……このような血生臭い夜でない日に、お前に触れたい」


 そう掠れたような声でノルヴィスは告げた。


 真っ直ぐに見下ろしてくる目からアリーシャはふいと視線を逸らす。


「ノルヴィス様が求められるのであれば私はいつでも」


「アリーシャ、そのような意味ではないと賢いお前は理解しているだろう」


 するりと男の手がアリーシャの髪の毛を掬う。


 毛先に口付けた後で、ノルヴィスの顔がアリーシャの首元に埋められる。耳に触れた熱にアリーシャは思わず身を震わせた。


「っ……」


「安心しろ。俺は、袖にされた程度でお前を首にするような、そんな狭量な男ではない。故に、遠慮は不要だ。拒むか、応えるか。その時までに答えを決めておけよ」


 言っておくが自分に虚言は通用しない。そう付け加えてノルヴィスの唇が耳元から離れていく。


 アリーシャは熱を持った頬を見られないよう、無言でそっぽを向いた。

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