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偽りの姫は闇夜に微笑む  作者: 宵乃凪
三章

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第12話 呪詛と瘴気

 ノルヴィスの指先が銀色の食器を持ち上げ、口元にスープが運ばれる。嚥下した喉を見てからアリーシャが味を問うと、悪くないという返答が返った。


 屋敷での夕食の最中、話題は王城でまた新たな魔族が捕えられたことについてだった。


「動きを見る限り、森の隠れ里を見つけたという訳ではなさそうだが」


「ええ。恐らくは人間の街に降りている者たちでしょうね。いずれも瘴気の濃い場所だったのでは?」


 給仕を終えたアリーシャが、ノルヴィスの側に立ったままそう答えた。何か知っているのかと問う男に、確証はないと肩を竦める。


「ただ、ご存知のように魔族は瘴気に敏感です。様子を見るために森を出たところを捕縛されたと、そう考えるのが自然でしょう」


 再びスプーンが持ち上げられたことを見届けてから、アリーシャは淡々と続けた。


 ふっという乾いた笑い声が、ノルヴィスの口元に寄せられた液体を揺らす。


「『魔族が瘴気を広める』とは、また根拠のない馬鹿な宣言をしたものだ。反論した学者は軒並み王城を追われた。今度は一体どんな都合の悪い事実を隠そうとしていることやら」


 ノルヴィスはそう言うと、ぐいと苛立たしげに二口目のスープを飲み込んだ。喉元が上下するその瞬間に、男の顔が微かに歪む。アリーシャは静かに水の入ったグラスを差し出した。


「だからと言って、ノルヴィス様がこの件で単身矢面に立つことはお控えください。ニコラ様も心配しておられましたよ。最近ますます孤立を深めていらっしゃると」


「生意気な懸念をする間があれば剣の腕を磨け、とでも伝えておけ」


 グラスの水を飲み干し、ノルヴィスがアリーシャの顔を見上げる。


 黒い前髪の隙間から覗く赤い双眸。それを真っ直ぐに見つめ返しながら、アリーシャはふわりと笑みを浮かべてみせた。


「承知致しました。『心配はありがたいが己のことで心を痛めてくれるな』とお伝えしておきます」


 そう言って、不満げな男から視線を逸らし、冷める前に残りをどうぞと卓上の皿を指し示した。



 ノルヴィスが食事を終え、アリーシャの手によって皿やカトラリーは瞬く間に片付けられた。


 するりとエプロンを取りながら、アリーシャは男を振り返る。


「先日にお出しした時よりも二割ほど多く召し上がっておられますね。味の調整がお好みでしたか?」


「ああ、怪しげな薬の配合を変えたか?」


「人聞きの悪い。団長が生家より香草を取り寄せてくださいました」


 この間の茶会の、とアリーシャが続ける。


 ノルヴィスは少し考えた後でさほど興味なさげに、ああ、と頷いた。


 アリーシャは再び男のそばに立つ。手を差し伸ばすと、それを取ってノルヴィスが椅子から立ち上がった。


 自分よりも高くなった目を見ながらアリーシャが微笑む。


「また不服なお顔をされるのでしょうが、ノルヴィス様のお味方はまだ城内にもありますよ」


「ふっ……人たらしの妹の功績だろうな」


「だからそうお拗ねになられないでください。ノルヴィス様が必要としてくださる間は、僭越ながら、一番お近くにて支えさせて頂きますよ」


「侍女の鑑だ」


「良い拾い物だったでしょう」


 そのような会話をするうちに、いつの間にかノルヴィスの手はアリーシャの腰へと回されていた。


 そのままぐっと軽く引き寄せられたかと思うと、額に軽い口付けが落ちてくる。


「そろそろ行くぞ。雨が痕跡を消すとはいえ、お前に身体を冷やさせるのは忍びない」


「お優しい主人です。そっくりそのままお返し致しますよ。今日は少し熱めの湯に致しましょう」


 音もなく屋敷の窓が開く。そこから二人の身体は、雨の滴る闇へと滑り出した。


 ◇


 王城の牢に魔族が捕らわれるのは、今月に入ってからもう三度目のことだった。


 城の長い廊下をアリーシャが無言で進む。心なしか周囲の人間が自分を避けていくように感じる。無駄に絡まれるよりもずっと快適だと、アリーシャは内心でそんな軽口を叩いた。



 最初の処刑以降、勅命は例外なく下った。魔族が捕まるたびにアリーシャにはその首を刎ねる仕事が課せられた。


 大体の場合はさしたる問題もなく終わったが、今日はそうはいかないだろうと、アリーシャは地下の牢で考えた。


「これは…………酷いな」


 拷問を受けた後であろう魔族を前に、怒りすら滲ませた声で男が呟く。アリーシャがちらとその横顔を見上げると、想像通りそこには疑念と憤怒が渦巻いていた。


「レオンハルト団長、毎回のことではありますが、再度の忠言を。これは私が受けた命です。見届けられることは構いませんが、どうか手を出されないよう」


 アリーシャが静かな声で告げる。


 かたり、と男の剣が小さな音を立ててから、レオンハルトは分かった、と低い声で返した。


 王直々の呼び出しといった余程のことがない限り、レオンハルトはアリーシャの行う処刑に帯同した。苦しげな表情で、それでも少しも視線を逸らさず、青い双眸はアリーシャの剣が血に染まる瞬間を見た。


 慣れた動きでアリーシャが剣を抜き、罪人の男に歩み寄る。ボロ布と化した衣服。皮膚が裂け、肉の隙間から骨が覗き、象徴たる角は二本とも叩き割られている。


 項垂れたままぴくりとも男は動かない。気を失っているのであれば僥倖だったと、アリーシャは静かに剣を振り上げた。


「……ぅ……」


 切先が天井の方を指した時、微かな呻き声が聞こえた。構わず振り下ろそうとしたアリーシャの腕が掴まれる。


「……団長」


「すまない、だがせめて、末期の一言ぐらいは……」


「聞いてどうするのですか。いつもの怨嗟ですよ。それとも私が同族に誹られる様をご覧になりたいと?」


 アリーシャが片眉を上げる。あえて嫌な言い方をしてやったためだろうか、レオンハルトの顔はいつもより一層苦痛に歪んでいた。


「それは……」


 レオンハルトがそう絞り出すように言った時、縛られた男が動きを見せた。血みどろの顔を振り上げて、濁りかけた目がこちらを睨む。


「――――」


「っ……!」


 ぱくりと裂けた男の口から音が漏れ出した瞬間に、アリーシャはレオンハルトを突き飛ばした。彼が蹌踉めくと同時に振り上げていた剣を躊躇いなく振り下ろす。


 ざっという濁った音の後で、ごとりと頭が床に落ちた。アリーシャは早まりかけた鼓動を抑えながら剣を鞘へと戻す。途端、レオンハルトが駆け寄ってきた。


「っ、アリーシャ!」


「団長、既にこの者の処分の命は下っています」


「だが……!」


「理不尽に憤る感情は理解します。ですがこの者は不運により、救いの道が与えられなかった。それだけのことです」


 アリーシャは呼吸を整えながら普段より少し早口でそう告げた。男からの返答は返らない。


 ふう、とアリーシャが吐息を漏らす。果たして間に合っただろうかと、そう思っていると不意に両肩が掴まれた。国一番の剣士である男の握力は並外れて強い。痛みに抗議しようと顔を上げると、目の前にはレオンハルトの顔が迫っていた。


「君は……君はどうしてそう冷たくあろうとする……! アリーシャ、君は本当は何を……君の本心は一体どこにあるんだ……!」


 いやに切実そうな叫びが牢の壁を震わせた。


 アリーシャが思わず目を丸くする。今し方起こりかけた事態にも気付かず、何度忠言しようとも罪人に心を砕き、あまつさえ自分の善性を信じようとするこの男が酷く滑稽で笑い声すら漏れ出た。


「心など、とうに死んでおりますよ」


 薄く笑ってそう答えると同時に、男がその場に膝をついた。肩を掴まれていた手がするりと解け、口を抑えて咳き込む指の隙間からは赤い液体が滴っている。


 アリーシャはその様子を見下ろしてから、近くに転がった魔族の頭部を足先で転がした。


「お忘れですか、魔族には魔力がある。中には呪詛の力を持つ者だっております」


 そう言って死んだ男の舌を引き出す。赤黒いそこに滲む紋様は確かに呪いが発現しかけた証左だった。


「危なかったですね。あと一言喋らせていれば、お命はありませんでしたよ」


 冷たく言い放ち、また死体の頭を転がすと、アリーシャは蹲るレオンハルトのもとまで来て男の肩に身を差し入れた。


 そのまま重い身体を支えて立ち上がり、地上へと続く扉へと手をかけた。



 レオンハルトに与えられた執務室で、彼の手当てをしながらアリーシャは苦言を並べ立てていた。


「気高い魂を持つのは結構。ですが死んでしまっては、鍛え上げた剣は何一つとして守ることはできません。団長の掲げられた理想はまやかしですか」


 最後に晒された胸に直接耳を当て、拍動に乱れのないことを確認してから、アリーシャは男に衣服を纏うように告げた。


 レオンハルトはすまない、とそう言いながら脱いだ服へと手を伸ばす。


 男が衣服を纏う音を背後に聞きながら、アリーシャは内心で胸を撫で下ろした。危うくこのようなところで彼を死なせてしまうところであった。


 魔族が呪詛を持つことは当然知っていたが、まさかあのような瀕死の状態で、あれが死に際の意地というものであろうか。


 着替えを終えた気配がする。ノルヴィスには後で報告するとして、ひとまず最悪の事態に陥らずに済んで良かった。そのようなことを考えながらアリーシャが振り向くと、視界には男の頭頂部だけが見えた。


 すまない、ともう一度そう繰り返し、レオンハルトは深く頭を下げていた。


「決して虚言などではない。私はこの剣で国を守り、戦果をあげ、そして真っ向から王に進言する。何者かを意図的に仇と祭り上げ、それで無理やりに結束を促すようなやり方は、やはり健全な国家ではない」


 そう言って男の顔が上がる。


 真っ直ぐこちらを見つめてくる瞳に、アリーシャは深いため息を吐いた。


「国民にとっての共通の敵を持つ。これは古今東西ありふれた、しかも一定効果がある手法です。団長はそのお綺麗事で、どのように国を守られるのですか?」


「瘴気の問題を解決する」


 そうレオンハルトは即答した。


 アリーシャは片眉を上げる。無言で先を促すと、男は続きを語り始めた。


「この国が無理な戦を課してでも領土を拡大しようとすることも、住処を追われ傷付いた者がより弱い者を虐げることも、その原因の一つは瘴気にある。違うか?」


「だから王はこうして魔族を仇に祭り上げているのでしょう。先の王の宣言だけでなく、市井でも昔から瘴気の原因が森に住む彼らにあると、そう囁かれていることをご存知ありませんか?」


「ああ、だがそれを証明した者はいるのか? 少なくとも、私の目の前にいる君は瘴気を発したことはない。それどころかむしろ、君と共にいると瘴気に覆われた戦場でも呼吸がしやすいような感覚すらある。もしかすると、逆なのではないか? 魔族は瘴気を生み出す者ではなく、それに抗っているのではないだろうか」


「それこそ証明のしようがありませんよ。それとも、森に出向いて手当たり次第に彼らを探しますか? 目の前で苦しむ民を放って?」


 アリーシャが腕を組み、レオンハルトに少し冷たい視線を向ける。


 レオンハルトは大きく頷き、アリーシャの腕をそっと解かせると、片手を包み込むように握った。


「だから、君に協力して欲しい」


 そう男は真剣な声で告げた。


 窓から差し込む日差しが眩しい。アリーシャは先程よりも一層声に呆れを滲ませた。


「瘴気の研究に魔族を利用するというのは、お優しい団長にしては()()()()判断ですね」


「すまない。正直なところ、その狙いもないとは言えない。だがそれよりも、アリーシャ、君はいつも私を冷静にさせてくれる。だから頼む。私は、何とかこの問題の解決策を模索したい」


「私には現在、騎士の仕事と、ノルヴィス様の家のお世話、加えてニコラ様の剣術指南まで抱えているのですが。その上、団長の暗中模索の調査を手伝えと?」


 アリーシャがするりと手を引き抜く。


 ああ、とレオンハルトは頷いた。そのまま踵を返し、執務机の方へと向かっていく。


「代わりに私が君の仕事を手伝えれば良かったんだが……私はこの通り、剣を振る他にあまり器用でないらしい」


 そう言って戻って来たレオンハルトの手には、何か黒い塊のようなものがあった。


 小さな皿に乗せられたそれをアリーシャは訝しげにじっと見る。


「何ですかこれ」


「……この間君が焼いてくれた焼き菓子だ。手順を見つけて、今朝試しに自分でも作ってみたんだが……それでも一番出来が良いものを持ってきたんだ」


「完全に焦げてますね」


「か、火力は調整した、つもりだった。だが見る間に黒くなって、しまいには火が上がって……その、美味いものを作るというのは、本当に難しいことだったのだなと。私は家の使用人のことも、もっと深く敬うべきだった」


 浅薄だった、とレオンハルトが肩を落とす。


 アリーシャは無言で皿の上の焼き菓子へと手を伸ばした。乾いた音を立てるそれを摘み上げ、軽く匂いを嗅いでみてから一口齧る。とんでもなく苦い。鼻を突く謎の酸味。ほのかにあの香草の香りがする。


 アリーシャはついに吹き出した。


「ぷっ、ははははっ……!」


 それは焼き菓子に対するものだけではなく、目の前の男の救いようのない愚直さ。更にそれを危うく死なせかけるという失態からの安堵などが入り混じったものだったが、一体どう捉えたのか、レオンハルトは何やら感心したような息を吐いた。


「アリーシャ……君は、そうやって笑うんだな」


 しみじみとした声に、アリーシャは一瞬で真顔に戻る。冷めた目で男を見ると、レオンハルトは苦笑いを浮かべた。


「ああ、怒らないでくれ。馬鹿にした訳じゃない。ただ……嬉しかったんだ」


 そう言って伸びてきた手のひらが、アリーシャの頭に触れる寸前でぴたりと止まる。


 淑女に対する距離感を気を付けろという忠言もようやく多少は響いてきたらしい。少し気まずそうな表情のレオンハルトに向けて、アリーシャは軽く腰を折って一礼した。


「頂いた()()に免じて、瘴気調査の件はお手伝いさせて頂きますよ。ノルヴィス様の利にもなりますからね」


 淡々とそう答えて、手にした残りの焼き菓子を口に放り込む。お世辞にも美味など感じられない独特の匂いが鼻を抜ける。


 こちらを心配するレオンハルトに、地下暮らしの頃に食べた苔よりはずっと栄養がありそうだと、アリーシャはそう返してやった。

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