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偽りの姫は闇夜に微笑む  作者: 宵乃凪
三章

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第11話 汚れた名前

 ノルヴィスの屋敷の寝台の上で、アリーシャは覆い被さる男の背に両腕を回した。


 指先でそっと背中の筋をなぞる。先月よりまた一層細くなったような気がするなと、そう思ったところで首筋に軽く歯を立てられた。


 アリーシャが痛みに抗議する。悪い、と言って少し身を離したノルヴィスがこちらを見下ろした。


 月明かりだけが差し込む薄暗い寝所で、赤い双眸はまるで血を湛えたように濡れて見えた。



 随分と乱れてしまったシーツの上にノルヴィスが仰向けに横たわる。


 眠る前に一度綺麗にするとアリーシャは提案したが、即座に却下され、男の腕に引かれる形で共に寝台の上に寝転がっていた。


 ノルヴィスがくるくるとアリーシャの髪の先を弄ぶ。男の指に巻き付いた白銀の髪を見ると、アリーシャはそれを引いてするりと解いた。


「お眠りになられるのであれば、きちんと寝着を纏われてはいかがですか? 新しいものをお持ち致しますが」


「要らん。どうせもう暫くは眠れそうにない」


「このところはどうにもお時間を掛け過ぎですよ。余計な問答などしているから、そう気が昂られるのでしょう」


「余計、か…………ふっ、お前にはそう見えるのだろうな」


 そう笑い混じりにノルヴィスは答えた。気を害したか、とアリーシャが謝る。不要だという返答があった。


 この夜もまた一人の悪官を闇に葬った後だった。危うく闇夜に断末魔を響き渡らせそうであったことを思い出し、アリーシャが無言で眉を寄せる。


 最近、ノルヴィスは殺す前の相手に断罪の理由を告げることが増えた。人身売買、汚職、不当な租税の取り立て、誘拐、殺人。どれも理由など軒並み碌なものではなく、そしてそのような愚行を犯す者が碌な人間であるはずもない。毎回例外なく標的は激昂するか、命乞いするか、酷いものであれば袖の下を渡そうとする者さえいた。本当に救いようがないと思うが、それらに対してノルヴィスがわざわざ蛮行の訳を教えてやるのは、アリーシャにとっては更に不可解だった。


 はあ、とアリーシャは嘆息する。


「ノルヴィス様がなされることであればお止めしません。ですが私としては、そのような時間があればいっときでも長く休んで頂きたいと思いますがね」


「お前らしい回答だ。それよりも……あの男の件については少し惜しいことをした」


 そう言ってノルヴィスはごろりと横になる。すぐに伸びてきた腕によって身を引き寄せられ、アリーシャは男の胸に額を押し付けられた。角が刺さっていないことを確認してから、アリーシャは顔の見えない相手に謝罪する。


「申し訳ありません、義憤を煽り過ぎました」


 アリーシャの言葉に、どうやらそのようだ、と見えないところから笑い混じりの返答があった。


 話題は先日の魔族の一件についてだった。あの日、レオンハルトはアリーシャの代わりに男の首を落とし、国の象徴たる剣は罪人の血に汚されることとなった。


 惜しいな、とノルヴィスが繰り返した。理想高く、民の支持も厚い男。美しい象徴のままニコラの横に立たせてやりたかったと、ノルヴィスがアリーシャの後頭部を撫でながら続ける。


「しかし、王もあの腕を失うことは惜しいと思ったのだろうよ。魔族の血を引くお前を庇ってのことだと」


「団長の部下思いはよく知られたところですからね。王も歯痒いことでしょう。目障りな私など、偽りの出自の件でもなければ、すぐにでも罪を被せて処刑したいでしょうに」


 そう答えてアリーシャは軽く身を捩る。しかし腕の力は増すばかりで抜け出せそうにない。


 諦めて一度脱力すると、頭頂部に柔らかな感触と唇が落とされる音がする。同じく頭に角を持つ罪人のことを思い出し、面倒なことにならなければ良いがと考えた。


「そのうちまた適当な魔族でも捕らえて証言させるかもしれませんね。私が純粋な魔族の子であると。王家には何の縁もゆかりもない、ノルヴィス様の仰る出自など嘘偽りだと」


「そうなれば虚言を吐いた俺も内乱罪で一網打尽だな。ふん、そのような足など掬わせはしない」


 会話しながら、ノルヴィスの唇が頭の先から次第に降りてくる。角の根元に軽く歯を立てられ、アリーシャは一瞬だけ大きく身を震わせた。


 情事の後の男の体温は普段より少し熱いように感じる。しかし背中をなぞる指先が冷たいことに気が付き、アリーシャは腕だけを抜け出させると、その手を包み込むように握った。


「或いは……いえ、今後も団長には釘を刺しますが、ごくたまに考えるより早く手が出るようです。もう幾許か冷静な方であれば御し易かったのですが」


 アリーシャは溢しかけた言葉を軌道修正してそのようなことを述べる。或いは先んじてニコラに接触したことは幸運だったと、あの暴君も二人同時に王子を失うことは避けたいだろうと考えたが、同時に弟を謀略の俎上に載せられることをノルヴィスが厭うとよく理解していた。


 男の喉奥から微かな笑い声のような音が漏れる。


「その程度の気概のある男でなければ、俺も大切な妹を貸し出すことはない」


 皮肉に込められた意図を察して、アリーシャがもぞもぞとノルヴィスの腕の中から身を抜け出させる。ようやく男の顔が見えた。想像通りに不服が浮かぶ男の頬を両手で包み、唇に軽い口付けを落とした。


「申し訳ありません。言葉にはしませんでしたが、失言でした」


 そう寸前で留めたことを強調しながら謝る。心にもない、とノルヴィスがまた薄く笑った。


「ニコラの稽古は順調か?」


「ええ、とても筋が良くいらっしゃると。どなたかに似られてお優し過ぎることが懸念事項ですが」


「あの王城においては異質だが、だからこそこの国には必要だ。今のうちに顔面を叩き折ってでも鍛えておけ」


「かしこまりました。しかし、ここのところはめきめきと腕を上げておられますからね。いつまで私がお教えできるか」


「あれに怪我を負わされるようであれば騎士としては失格だ。その時は諦めてパン焼きにでも専念するんだな」


 ノルヴィスの軽口にアリーシャは思わず口先を尖らせる。拗ねるな、とそう言って触れるだけの口付けが落ちてきた。


「せいぜいあの男の剣を盗み学ぶことだ」


「連日のように鍛えられておりますよ。団長もまた()()()()方ですから」


 そう含みを持たせてアリーシャは答えた。


 ノルヴィスの両手が伸びてきて、両肩を掴まれる。そのまま寝台へ仰向けに押し倒され、アリーシャは少し艶やかに微笑んでみせた。


「まだ、血の余韻が抜け切りませんか?」


「ああ」


 それだけを答えて、ノルヴィスはアリーシャの首筋に顔を埋める。軽くそこに吸い付かれてから、一度熱は離れていった。


 ノルヴィスの顔が真正面に来たかと思うと、こつんと額同士が当たる。何やら楽しげに男の口角は上がっていた。


「加えて、それでなくとも多忙なお前を占有できる限られた機会だ。このような夜に他の男の話ばかりというのもつまらん」


「ノルヴィス様がもう少しお休みくださるというのであれば、私も子守唄でもなんでも歌って差し上げるのですが――」


 そんな苦言は途中から男の喉奥へと飲み込まれた。


 そのまま二度目の夜を終えて眠る寸前。身辺に気を付けろとノルヴィスは低く呟いた。


 ◇


 鎧を纏ったアリーシャが王城の廊下を進む。突き刺さる視線と耳に届く囁き声。いずれも碌なものではなく、無表情の下でアリーシャは面倒臭いと内心悪態をつく。


 あの魔族の男の一件以降、アリーシャへと向けられる周囲の目は明らかに変化した。角付きの気に食わない騎士から、同族を庇う人間の敵へ。今更他人にどう見られようがそのようなことは全くの些事であったが、しかしそれによって王城での仕事が阻害されることは実に迷惑だった。


(だから大事になる前に手早く終わらせようと思ったのに……団長が余計なことをされるから)


 はあ、と思わず息が漏れ出した。ついでに視界の端から近付いてくる人影を捉えて、二度目のため息を飲み込む。


「よう、この裏切り者が。まだのうのうとそんな鎧着てやがんのか」


 複数の男に囲まれた中心で、ごつごつとした身体付きの男があからさまな嫌悪を顔に浮かべて言った。


 アリーシャは小さく肩を竦めてみせる。


「除名の命令は受けておりませんので」


「ちっ……白々しい。そうやって次の魔族を逃すつもりじゃねぇだろうな」


「そのようなことは。そもそも私に勅命があるとも限りませんが」


 そう言いながらも、きっとこの先魔族が捕えられる度にあの王は同じ命令を出すのだろうと確信があった。ノルヴィスの足を掬うためか、ニコラへの接触に対する警告か、或いは――


 どん、と強く肩を押されてアリーシャの思考は中断された。いつの間にか壁際に追いやられるような形で囲まれている。アリーシャは片眉を上げて最初に絡んできた男の顔を見上げた。


「失礼ながら、この後山のような仕事が待っているのですが」


「仕事って何だよ。この国を瘴気に沈める算段か」


「仮にそれができるのであれば、あなた方も私に構わない方が良いのでは? 病による死は相当な苦しみを伴いますよ」


 アリーシャが静かに告げる。


 身体に死の痣が浮かび、内臓から弱って、最後には呼吸すらままならなくなる。あの地下水路で死んでいった何人もの孤児たちも、娼館で病に侵された女も、そして屋敷の先代侍女頭も皆同じ末路を辿った。


(ああでも先代は、最後まで苦しむ素振りも見せず……眠りに付かれるその前日まで屋敷の仕事をしていましたね。本当にあそこに住む者は皆、休むということを知らない)


 ふっとアリーシャの口角が上がる。それをどのように受け取ったのか、取り囲む男たちの顔が怒りに赤くなった。


「て、めぇ……!」


「そこで何をしている!」


 王城の廊下に、少し高いが覇気のある声が響き渡った。男たちがざっと左右に割れる。その間から見えた姿に、アリーシャは微かに眉を寄せた。


「ニコラ様……」


 互いに顔を見合わせている男たちに見向きもせず、ニコラは真っ直ぐにアリーシャの目の前へとやって来た。次いでこちらを庇うように背を向け、彼女より少し低い身長の青年が男たちへと対峙する。


「王城内での諍いは例外なく処罰対象だ。しかし私の目には、貴公らが不実によって一方的に彼女を貶めているようにも見えた。王城に仕える者として、この私に何か申し開きはあるか」


 先ほどの怒声より数段低い声でニコラが男たちへと告げている。窓から入る日光によって柔らかな金髪が輝いているが、その声はむしろあの主人に似ているなと、アリーシャはそんなことを思った。


 何も答えない男たちの代わりに、アリーシャがニコラの背から抜け出して彼の正面へと回り込む。その場で深く腰を折り、首を垂れた。


「申し訳ございません、ニコラ殿下。騎士として恥ずべき行為、規定通りの処罰をお受けします。ちょうど殿下へお届けする報告書を持って上がるところでした。この件と併せてお話しさせて頂いても宜しいでしょうか」


 さらさらと言葉が口をつく。下げた頭の上で一瞬だけ青年の動揺を感じ取ったが、ニコラはさっきと変わらぬ声で返答を寄越した。


「……許可する。着いて参れ。貴公らへの処罰は追って渡す。それぞれの持ち場へ戻れ」


 アリーシャが許しを得て顔を上げる。周囲に気付かれぬよう目配せすると、歩き始めた青年に着いてこの場を立ち去った。



 開いた扉の隙間から見えた金髪にアリーシャは嘆息した。ニコラに続いて彼の執務室へと足を踏み入れ、後ろ手に扉をしっかりと閉めてからその場で深く頭を下げる。


「先程は大変なご無礼を。更にお手を煩わせてしまい申し訳ございませんでした、ニコラ殿下」


「そんな、やめてください姉さ……アリーシャ殿!」


 軽く床を蹴るような音がしたかと思うと、アリーシャの手を男の手が掬い取った。まだ硬くなり始めたばかりの若き青年の手のひら。言われるがままに顔を上げ、こちらの手を握るニコラにもう一度詫びてから、アリーシャは彼の向こうにいる男に視線を向けた。


「団長がニコラ殿下に?」


 国の王子を捕まえて、と咎めるような視線を送ると、レオンハルトは首を横に振った。


「いや、私は報告があって……しかしその様子を見るに、また言われなき謗りを受けたのか」


 そう言ってレオンハルトが歩み寄ってきた。そっとニコラの手を外し、アリーシャは大したことではないと答える。次いで向けられた二つの視線に被りを振ってみせた。


「魔族こそが人間の大敵である。王の放たれた号令がある限り、城の者が私を厭い恐れるは道理です。ニコラ殿下も、庇ってくださったことにはお礼を申し上げますが、どうか次は見て見ぬふりを。殿下のお立場が悪くなれば、私がノルヴィス様に叱られてしまいます」


「す、すみません、アリーシャ殿」


「……殿下、重ねて無礼を。執務室とはいえ城内です。お言葉遣いにはどうぞお気をつけください」


 アリーシャが声を低くする。ニコラは一度肩を震わせてから、分かった、と廊下の時のような張り詰めた声で答えた。


 ふう、とアリーシャは内心で安堵の息を吐く。対峙するこの青年は良くも悪くも素直な人間だ。恐らくはこうして一度釘を刺せば、同じ事態は防げることだろう。


 問題は、もう一人の男の方だった。


「アリーシャ、すまない」


 そう言って下げられた頭にアリーシャはまたため息を吐きたくなるのを堪える。ニコラの前でなければもはや悪態でもついてやりたいところであったが、青年の澄んだ瞳はこちらとレオンハルトを交互に見ていた。


「団長、おやめ下さい。ニコラ殿下も困っておられます」


「殿下には既にご報告差し上げた。私の浅薄により、むしろ君を矢面に立たせる事態となったと」


「であれば以降は大人しく私にお任せ頂けるのですか?」


「いや」


 そう言ってレオンハルトが顔を上げる。強い瞳が真っ直ぐにアリーシャの顔を射抜いた。


 アリーシャは思わず眉を寄せる。彼が言葉を発する前から、何を言われるのかははっきりと予想がついた。


「私は騎士として、胸を張ってこの国のためだと言えない行いに賛同する訳にはいかない。今後も国王陛下には進言差し上げるつもりであるし、同時に君の名誉も守りたいと思う」


「それであれば先程の謝罪は不要です。もしお時間があればこの後詰め所で――」


「アリーシャ殿」


 呆れ混じりにレオンハルトの訴えを切り捨てて、話の続きは後でと提案しようとしたところで、青年の声がアリーシャの言葉を遮った。


 アリーシャが再びニコラの顔を見る。若き王子の背筋はすらりと美しく伸ばされていた。


「僕は父上のことを疑っている訳ではありません。ですがこの件に関してはレオンハルトの言い分の方が正しいようにも感じるのです。故に、僕なりに探ってみようと考えています。父上の御心と、城内で何が起ころうとしているのか」


 そうニコラははっきりと告げた。アリーシャは一度レオンハルトを咎めるように睨んでから、ニコラに向かって軽く腰を折る。


「ニコラ殿下、何度も申し上げておりますが――」


「ご安心ください、姉様。これでも処世術というものは、弓よりもずっと得意なのです。ノルヴィス兄様にもお褒め頂いたことがあります」


 ぱちん、とニコラが片目を閉じた。まるで年相応か、それよりも幼いような行動と表現に、思わずアリーシャは虚を突かれる。


 言いたいことを一度全て飲み込み、アリーシャは少し困ったように眉根を下げてみせた。


「……ノルヴィス様のそれは、正直あまりお褒めできたものではありませんからね」


 肩を竦めてそう言うと、ニコラは大きく頷いた。一人で矢面に立とうとせずにもっと自分を頼ってくれれば良いのにと、そう口を尖らせている青年の背後から、レオンハルトが躊躇いがちに会話に割り込んだ。


「アリーシャ、その『姉様』というのは……?」


「ニコラ様への剣術指南の件、団長にだけはご報告差し上げたはずです。そうでなければ何故私などに矢が立つと思われたのですか」


 アリーシャが淡々と答える。偽りの立場についてはノルヴィスから聞いて知っているはずであるのに、何を今更驚くのかと片眉を上げた。


 レオンハルトが少し不思議そうな表情で首を傾げる。


「それは単純に、君が王国騎士団の中で最も剣を教えることに長けているからだと。剣を振れることと教えられることとは全く違う技能だ。それを極めて高い水準で両立できるというのは、君の強みの一つだと」


 そんなことを男は淀みなく告げる。


 黙って聞いていたアリーシャは、レオンハルトが言い終えたところで深いため息を吐いた。


「それでは騎士を除名になれば、街で子供相手に剣術指南でも開きますよ」


 それは半分ヤケのような皮肉だったが、アリーシャの両手がまだ硬くなり切っていない手に掬い取られた。


「それは良いですね……! ぜひ僕もご一緒に、ああいえ、姉様が除名になられて良いという訳では……」


 きらきらと顔を輝かせていたニコラは次第に気まずそうに視線を彷徨わせた。


 なかなか危機管理能力の育たない義弟、過剰な正義感で余計なことばかりをする上司と順番に見てから、アリーシャはするりとニコラの手から自分の手を滑り出させる。


「不実の罪で頭と胴体を離されたくなければ、どうぞ口を滑らせられないようご注意ください」


 深く腰を折り、恭しい礼と共にそう告げてやると、男たちからは気を付けるといった緊迫感のない返答が返った。

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