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偽りの姫は闇夜に微笑む  作者: 宵乃凪
三章

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第10話 魔族

 王城の敷地の片隅に、第三王子の私邸がある。短く草の刈られたさほど広くない庭で、アリーシャは剣を振り上げながら指摘した。


「ニコラ様、そこで身を引かれると余計に危険です」


「は、はいっ!」


 そう言ってニコラの足が一歩前に出たが、振り下ろされた剣筋を受け止めるために再び後退した。


 距離が開くと同時にアリーシャは身を翻し、ニコラが握る剣の腹を蹴り上げる。乾いた音を立てて剣が青年の背後へと飛び、青々とした垣根へと突き刺さった。


「ニコラ様やノルヴィス様が学ばれたのは受ける剣術ではありません。足を止めず、前へ、その意識をお持ちください」


「ぐっ……はいっ!」


 打突を受けた腹を押さえてニコラがよく通る声で返事をした。アリーシャは刃の潰された剣を腰の鞘へと戻す。


「それでは今日はここまでに致しましょう。手荒な真似をして申し訳ございませんでした」


「そんな、いつも申し上げていますが謝らないでください! 指南を頼んでいるのは僕の方です! その……今日もありがとうございました、姉様!」


 ニコラの頭が勢いよく下がる。金色の髪を揺らして満面の笑顔を持ち上げた青年に、アリーシャは少しだけ居心地悪そうに苦笑した。



 アリーシャがこのようにニコラの屋敷に招かれ、彼に剣術指南を行うようになってから、もう半年近い月日が経っている。


 森で剣を教えてくれと頼まれた時よりも、ニコラの身体つきはしっかりとしてきたように感じる。剣筋も回を重ねるごとに鋭く重く、もう戦場に出てもさほどの危うさはないだろう。


 そのようなことをアリーシャが告げると、ニコラは恥ずかしそうに笑って頬を掻いた。


「姉様にそう仰って頂けるとは……嬉しいです。背だって伸びたのですよ。ノルヴィス兄様に追いつけるでしょうか」


「ノルヴィス様の成長期はもう終わっていらっしゃいますからね。ニコラ様の栄養面次第かと」


「それについては自信があります。昔ノルヴィス兄様より何度も命じられましたから。『しんどくても食え、常に万全を維持しろ、それが王族たる者の義務だ』と」


「ノルヴィス様の仰られそうなことです」


 静かに答えてアリーシャは勧められた茶を一口飲んだ。ニコラが好むというこの銘柄は少し甘い。上質なものであることは理解するが、身体を動かした後に飲みたいかと言われるとそうでもないなと、アリーシャはカップを傾けながらそんな思考を巡らせた。


 視線を感じて顔を正面へと戻す。ニコラは少し言い出しにくそうな表情でしばらく口ごもり、やがてゆっくりと切り出した。


「アリーシャ姉様……ノルヴィス兄様は、きちんと食べておられますか? その、先日お見かけした際に、また一層お顔の色が悪くなっていたように思いまして。あっ、宜しければこれを! 東方の商人より取り寄せた薬草の類です。滋養強壮に効果があると」


 ずい、とニコラが袋を差し出す。アリーシャはそれを受け取ると、少しだけ開いて隙間から匂いを嗅いだ。


「ああ、これは……取り寄せられるのはさぞ大変だったでしょう」


「いえ、僕は兄様には返しきれないほどの恩があります……! だからアリーシャ姉様、どうぞ僕を一日でも早く兄様のお役に立てるように鍛えてください。次は打ち込みを躊躇わないでくださると嬉しいです」


 アリーシャが片眉を上げる。手加減に気付かれていたとは、この青年も随分と腕が上がったものだと思った。


 ニコラは少しだけ不満げに口先を尖らせている。その表情が拗ねた時のノルヴィスそっくりで、アリーシャは思わず小さく吹き出した。


「ふふっ……申し訳ございません、ニコラ様。ですが、どうぞお手柔らかに頼みます。怪我を負ってノルヴィス様のお夕食が作れなくなっては大変ですからね」


 そう答えてアリーシャが目を細める。今日の夕飯には貰った香草を使ってみようかと、恐縮している様子の青年を見ながらそんなことを考えた。


 ◇


 ニコラの屋敷での剣術指南から二日後。朝一番で王から王国騎士団へと与えられた勅命を聞き、アリーシャは周囲の人間に気取られぬ程度に眉を寄せた。


「分かりました。それが王の命だというのなら」


 それだけを答え、剣を掴んで騎士団の詰め所を後にしようとする。二歩進んだところで背後から腕を掴まれた。振り向くと、勅命を伝えたレオンハルトが険しい表情でこちらを見ていた。


「アリーシャ……やはりこんなことはおかしい。私はもう一度王に掛け合って来る」


「やめた方が宜しいですよ団長。最悪、この王国騎士団を取り潰されでもすればどうしますか?」


「そのようなこと……!」


「絶対にないと、断言できますか?」


 そう静かに問い、アリーシャは斜め下からレオンハルトの表情を窺う。男の顔は強く歪められ、苦悩と葛藤が見て取れた。



 一昨日の夜遅くに、王都近くの森で衛兵が一人の魔族の男を捕縛した。昨日一日に渡って尋問が行われ、そして王は『魔族こそが大陸に瘴気を撒く存在だ』と断言した。そして今日、王国のすべての民を苦しめる元凶として、男の処刑が決まった。


 ようやく離された腕を軽く振りながら、アリーシャはレオンハルトの顔をじっと見る。同じ部屋にある他の騎士たちは、何も言わずにこちらを窺っているようだった。


「その執行を私にと。正直なところ王の真意は測れませんが、正式な勅命ということであれば早い方が良いでしょう」


 故に今から行って来ると言うアリーシャに、レオンハルトは強く首を横に振った。


「駄目だ、それは騎士団長として許可できない……! 処刑は本来、重い罪を犯した者が命じられるべきものだ。それを何故君が行わなければならない!」


 アリーシャはため息を吐く。レオンハルトの怒りは理解できた。


 この国では処刑は最も汚れた仕事として扱われる。レオンハルトの言うように元々は重罪人に与えられる罰でもあったが、何せ手慣れない人間だ。一撃で仕留め損なったり、場合によっては返り討ちにあったりと不都合も多く、結果として実情は王に楯突いた衛兵や身分の低い傭兵などに命じられることがほとんどだった。


 室内からの視線を感じる。登用された騎士たちの中には傭兵上がりの者もいる。或いは執行を請け負っていた者もいるかもしれないなとアリーシャは冷たい表情の下で考えた。


 やはり王に直訴して、そう言って部屋を出ようとするレオンハルトの腕を今度はアリーシャが握った。


「団長、何故私では駄目なのですか。人を殺めること自体が軽蔑される行為というのであれば、戦で敵将を討ち取った者は? 私たちの仕事は蔑視されるべきものですか」


「それは違う!」


「ならば私に行かせてください。団長のそれはただの独善です。失礼ながら、その言動こそが私の魂を貶めていると自覚頂きたい」


 言葉に詰まった様子のレオンハルトの腕をアリーシャは軽く引いた。少し前屈みになった男の耳元へと口を寄せ、他の騎士の見ている前で不適切だと釘を刺す。


 腕を離すとレオンハルトは数秒黙った後で頷いた。


「……分かった。君にも、そして皆にもすまなかった。これが王国のための行為だと言うのであれば……だが、私も同席させてもらう。団を預かるものとして、王の真意を見極める義務がある」


「承知致しました。ではどうぞこちらに」


 一礼してからアリーシャはレオンハルトに先に退出を促す。彼に続いて部屋を後にする寸前に振り返り、こちらに視線を送る騎士たちへともう一度頭を下げた。



 罪人が捕えられている牢獄は王城の地下にある。その方角へと向かいながら、アリーシャは隣を歩く男へと囁いた。


「団長、団長の疑念はもっともです。王国騎士団は衛兵や警吏とは違い、国の象徴たる剣です。そこへの処刑の勅命など、過去に一度も例はありません」


 レオンハルトの足が一瞬だけ止まる。アリーシャは視線で歩みを促した。周囲にはまだ他の人間が往来しており、妙な不信感を与えるわけにはいかない。


 その意図を即座に理解したらしいレオンハルトは、これまで通りに廊下を進みながら声を潜めた。


「それを分かっていて何故」


「ノルヴィス様のためです。不自然な勅命の理由にいくつか思い当たるものはありますが、少なくとも大事にすれば殿下が足を掬われる可能性が高いと判断します」


「それを言うと此度の件自体が不自然だ。魔族が瘴気の原因? そのような噂話はあったが、少なくとも一晩で処刑が決まるようなものではなかったはずだ。ノルヴィス殿下も――」


 そこで衛兵が近くをすれ違い、レオンハルトは一度言葉を飲み込む。


 やがて聞き耳を立てている者がいないと判断してから彼は続きを話した。


「殿下も、強い疑問を示されていた。根拠の提示と処刑指示の撤回を求めていたが聞き入れられなかったようだった。アリーシャ、君はこの王城で何が起きていると思う」


「何が、と聞かれればお答えするのが難しいですね。しかし団長もご存知のはずです。人格者の役人が罷免され、悪官が懐を膨らませる。真に民を想われているはずのノルヴィス様が今や、王やアルバート第一殿下、高位貴族らと真っ向から敵対されていると」


「しかし、国王は元来聡明な方だ。前王から引き継いだこの国を財政的にも大きく傾いた状態から立て直した。領土を広げ、人口を増やし……確かにこの数年の苛烈ぶりは目に余ることもあるが」


「或いは、私のせいかもしれませんね」


 低い声でアリーシャが囁く。意図を聞き返そうとした様子のレオンハルトへ手のひらを突き出し黙らせると、周囲の人間がすっかり通り過ぎてから、地下牢へと続く扉へと手をかけた。


 重い音を立てて扉が開く。地下から漂う空気は湿り気を帯び、そして冷やりとしている。


 人に見られていないことを確かめてから、アリーシャはレオンハルトと共に扉の隙間へと影のように身を滑り込ませた。



 かつんかつんと硬い石の階段に足音が響く。蝋燭で照らされただけの地下は日中であっても薄暗い。


 アリーシャはレオンハルトよりも数段下を先導しながら、振り返らないまま、先ほど聞かれかけた疑問に答えた。


「以前にお伝えしたように、私は王家の弱みです。それがノルヴィス様の手元にあるということで、王も危機感を煽られたのやもしれません。王とはいえ人間です。追い詰められれば判断を誤ることもあります」


 話しながら角を指さす。軽い音を立てて手首が掴まれた。


 危うく滑らせかけた足を止めて、アリーシャが首だけで背後を振り返る。薄暗くてはっきりと見えはしないが、レオンハルトの表情はいやに真剣なように見えた。


「アリーシャ、もしそうなのであれば君はもっと抗うべきではないだろうか」


「いい加減にしてください、団長。言っているでしょう。私の心情一つで、殿下にご迷惑をお掛けしたくはないのです」


「それだ、アリーシャ。ノルヴィス殿下だって、きっと君がこれ以上心を痛めることを望んではいない」


「団長に殿下と私の何が分かるのですか。大体、私は今更一人を斬ったところで痛みを覚えるような、そんな高尚な存在ではありませんよ」


「しかし……君にとっては同族だろう」


 ほんの一瞬だけ言い淀んでからレオンハルトがそう告げた。


 アリーシャはその場で身体ごと反転する。段差のせいで随分と高所にある男の顔は、こちらからだと完全に見上げなければならない。


 そのことに気がついたのか、レオンハルトが階段を一段降りた。同じ段で、それでも高いところにある男の目がじっとアリーシャの目を見る。


「昔、本で読んだことがある。魔族は同族を愛する種族だと」


「それ以上続ければ本気で怒ります、団長。人間だの魔族だの、私にとってはどうでも良いのです。私はノルヴィス様に仕え、殿下と国のために働く剣です」


 間髪入れずにアリーシャが答える。


 数秒黙った後で、レオンハルトは険しい表情を崩して眉根を下げた。すまない、とそう言われたかと思うと、アリーシャの身体が男の腕に引き寄せられる。


「そんなことを言わせたかった訳じゃないんだ。ただ……君は本当に、自分に厳し過ぎる。私は君の強さを尊敬しているが、それと同時にもう少し頼ってもらえないかと、そう思ってしまうんだ」


「婚姻の件は先日お断りしましたよ」


 レオンハルトの腕の中でアリーシャが呆れ混じりに答える。そういうことじゃない、とレオンハルトが少し身を離した。


 アリーシャはじっと男の顔を見つめ返す。常に自信に溢れた瞳が少し気まずそうに彷徨っている。ふっとアリーシャは小さな笑い声を漏らした。


「相変わらず、団長は他人に甘過ぎるところがありますね。特に私に対しては顕著です。過去に路地裏で助けた件が、相当高くついているようで」


 気まぐれも起こしてみるものだ。そう続けてアリーシャが大袈裟に肩を竦めた。


 レオンハルトも笑うかと思ったが、アリーシャの想像に反して彼は少しむっとしたように眉を寄せた。やがて尖らせた口から小さな呟きが漏れる。


「そんな言い方はやめてくれ。本当に、私にとっては何より大切な記憶なんだ。それに、あれが気まぐれなどではないと、そのぐらいのことが分かる程度には君を理解しているつもりだ」


 アリーシャが思わず数度目を瞬かせる。傲慢だ、と言い返してやろうと思ったが、なかなか喉から出ずにいるうちに男がこちらを見て口角を上げた。


「いつもしてやられてばかりだからな。たまには一矢報いただろうか」


「……清廉な王国騎士団長らしくもない。性格が悪いですよ」


 呆れた視線と共にそれだけを返してやってから、ようやくアリーシャは階段の次の段へと降りた。


 ◇


 アリーシャとレオンハルトの足がようやく最下段に到達した。汚れた石の床を少し進んで、男が投獄されているという牢へと辿り着く。


 硬い椅子に何重にも縛り付けられた男が深く項垂れ、血と泥で汚れた髪の隙間からは折れた角の断面が見えた。アリーシャは刑吏の男に自分の名と王の勅命を伝える。ああ、という短い返事だけを返して、刑吏たちは壁の方へと下がった。


 アリーシャが剣を抜きながら魔族の男へと近付く。処刑というのであれば王の眼前で行うことが主だったが、この場に姿はなく、また命令には早急に行えという指示があった。事情を知っているであろう刑吏が何も言わないのであればつまりそういうことなのだろう。アリーシャは男の元へと辿り着くと、無言のまま剣を振り上げた。


「っ、アリーシャ!」


 淡々とした行動が気に食わなかったのか、レオンハルトが低く小さな声を上げた。アリーシャの剣が男の首筋で止まる。


 邪魔をするなと、そう言おうとした時、錆びついた機械のような鈍い動きで魔族の顔が上がった。濁りかけた片目がアリーシャの顔を捉える。もう片方の目は既に潰された後らしく、それがあったはずの顔の半分は爛れた肉塊と化していた。


 アリーシャが小さく舌打ちする。男の血走った目に込められた感情など読み取ることは容易で、漏れ出そうとする怨嗟を待つまでもない。削がれた鼻から液体を啜るような音がして、ひゅっと男の喉が鳴った。


「ご、の……どっち付かずの、裏切り、ものがあぁ……っ‼︎」


 裂けた喉から赤い唾を撒き散らしながら、縛られた身体を引き千切れそうなほどに捻り、牢の壁を震わせるしゃがれた声が響いた。


 アリーシャは黙って再び剣を振り上げる。じっとしていてくれた方が確実に仕留めてやれるのに。そう愚かな同胞への憐れみさえ覚えたその時、身体のすぐ横を鋭い光が走った。


 肉と骨が断ち切れる音は聞こえなかった。代わりにごとりと重い頭が床に落ちる音と、液体が吹き出す音がした。


 剣が風を切る。血と脂を飛ばして腰の鞘へと納刀した男は、アリーシャの肩へと手のひらを置いた。


「国王様に伝えてくれ。これが真に国のための行為であれば、国を守る者の剣で断罪されるべきだ」


 レオンハルトが静かに告げた。怒りは感じさせない冷静な声だった。


 王への報告のため刑吏たちが牢を後にする。生者は二人きりとなった空間で、ここに来て堂々と王に楯突く真似をした男の手を軽く払い、アリーシャは額を押さえた。

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