Ch.016③ 付き合い許可
*このエピソードには20歳未満の者による飲酒描写が含まれますが、法律・法令に反する行為を容認、推奨するものではありません*
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電車で日吉駅まで戻ったあと、みんなはいったん学校のプールにあるシャワー室を借りて汗を流してから、「Purple Forest」へ向かうことになったので、まずパンドラ高校へ戻ってきた。
少し自由時間ができたので、僕はトラックとバスケコート前の司令台で望月と加藤と話していた。そろへ風がやって来て、椎名先輩と羽田先輩が僕を探していると伝えた。そのまま、部活棟「栄誉楼」4階の部室へ行くよう言われた。
「じゃあ、早く行ってきな。望月、僕と荘厳楼に来て。甲子園の宿泊とか移動のこと、先生と詰めないといけないから。」
「わかりました。羽冬、奈奈ちゃん、またね。」
ん?なんで加藤じゃなく、望月なんだ?
「羽冬、私も行っていい?」
「いいよ。」
加藤が僕と一緒に行動しようとするのも、んだか珍しい。まあ、いいか。
エレベーターで四階まで上がり、そのうちの一教室へ入る。
各部活には教室の四分の一ほどのスペースが割り当てられていて、基本的には自由に使えるようになっている。普段使う道具を置いているところもあれば、トランプやボードゲームを隠している部もある。
たとえば野球部とか。
「よ、後輩。ん?なんでその組み合わせ?」
僕らを見るなり、椎名先輩が声をかけてきた。来てみると、長谷川先輩もいた。
野球部のスペースは教室の第二象限あたりで、何台かのスチールロッカーを使って囲われていた。入口側だけ二人くらい同時に通れる幅を空けていて、中には中央に机が四つ置かれていた。
勉強するにも、カードゲームをするにも、机の上で寝るにも便利そうだ。
「お疲れさまです。」
「羽冬、来い。とりあえず座れ。俊太、席を加藤に貸してやって。」
羽田先輩の言う俊太……ああ、長谷川先輩の名前だ。
席につくと、僕の隣が加藤。加藤の向かいに羽田先輩、僕の正面に椎名先輩。長谷川先輩は羽田先輩の横に立っていた。
……何だ、この微妙な空気。
「これ、聞いていいやつだよな?」
「聞けばいいだろ。」
椎名先輩は笑っていて、羽田先輩はどうでもよさそうに返した。
今のはいったい……?
「後輩、お前さ。奏吾の妹、狙ってんの?」
……?
「実は前からちょっと気になってたんだよ。まあ、今まではそこまで本気にしてなかったんだけどさ。今日、風に聞いてみたら、あいつの反応が妙だったから。俺も凱也も、もしかして本当に何かあるのかって思って。」
「いや、別にそんな気にしてねえぞ。気になってんの易だけだろ。」
……?
「あ、奏吾にはもう言ったから。別にいいよな?」
あ……?
あ!?!?!?
そのあとのことは、あまり覚えていない。
望月先輩への恐怖だけを引きずったまま、ふらふらと部室を出て、そのまま一人で「Purple Forest」へ向かっていた気がする。
─「え?羽冬?羽冬!どこ行くの?」
部室を出た時、加藤も後ろからついてきて、何か声をかけていた気がするけど、たぶん適当に返事して、そのまま歩き続けた。
一人で「Purple Forest」へ着き、ゆっくり店の引き戸を開けた。
「いらっしゃ……あれ?ヨル?なんで一人なの?」
カウンター席でスマホをいじっていた紫木姉が顔を上げ、不思議そうに聞いてきた。
僕は答えず、その隣の椅子を引いて黙って座った。
「終わった……」
「なに?」
「終わったんだよ!僕、死ぬんだよ!!!」
「うっ……」
紫木姉は、さすがに少し引いていた。
しばらく沈黙したあと、紫木姉が優しく落ち着いた声で尋ねた。
「お茶?お酒?」
その声を聞いて、少しだけ崩壊していた気持ちが落ち着いた。
「奢りですか?」
「今までお金取ったことある?」
それもそうだな。
もう人生最後の日だし。
「一番高いウイスキーください。」
「遠慮ないね~分かった。」
グラスがカウンターに置かれる音がして顔を上げたが、目の前にあったのはウイスキーグラスじゃなくて、氷の浮いた液体からもアルコールの匂いはしない。代わりに、淡い緑茶の香りがした。
「このあと祝勝会あるんでしょ?酒臭くなったらまずいじゃん。」
そう……かな……
僕がゆっくりグラスを手に取ってお茶を飲み始めると、紫木姉の目も、いつものからかうような目に戻った。
「今日は何か面白いことあるの?」
「主役はたぶん僕です。」
「そっか。じゃあ先に聞かないでおく。そういえば、勝った?」
「勝ったよ。甲子園行くことになった。」
「おめでとう~あ、来たね。」
引き戸のガラス越しに外を見ると、野球部員たちが大人数でこちらへ向かってくるのが見えた。登録されていない部員や先輩たちも含め、どうやら全員来ているらしい。
「いらっしゃいませ~」
風が引き戸を開けるのと同時に、紫木姉はすぐ入口へ向かって出迎えた。
「あ。やっぱりもう来てた。」
「は……はは……」
カウンターで魂の抜けた顔をしている僕を見ると、風は笑いながら近づいてきた。
まあ、どうでもいいよ。
「うわ!酒めっちゃあるじゃん!宮川たちが紹介した店、こんな豪華なのかよ!」
「酒飲みたいだけだろ。」
テンションの高い松谷先輩へ、城島先輩がすぐ突っ込んだ。
「いや、大輔は店員と知り合いたいだけだろ。」
椎名先輩も、いつもの松谷先輩いじりを始めた。
「おお、ちゃんとした店じゃん。」
望月先輩の姿が目に入った瞬間、捕食者を見つけた獲物みたいに、僕は即座に顔を逸らし、壁の酒棚へ視線を固定した。
「今日はパンドラ高校野球部で貸し切りになってますので、みなさん好きな席にどうぞ~」
全員がほぼ入ったところで、紫木姉がそう案内した。
「貸し切り?すげえな。」
「守と進が手配してくれたから、貸し切り代はかからないですよ。」
羽田先輩の疑問に、風がすぐ答える。
「どうせ学校の金だし、好きなもの頼んでいいだろ。」
「秋本。僕はそんなこと言ってない。」
秋本先輩のわざとらしい誘導を止めたあと、風は少し考え込んだ。
「……まあ、別にいいか。」
適当すぎた。でもああいうのは好き。
「よっしゃ、酒頼んでいい?」
「二十歳なの?」
「お姉~さん、いいでしょ?」
「お姉さん?お客さん、本当に私より年下ですか?」
「じゃあ妹さん?」
「大輔、てめえマジできもい。」
「う~ん。でも未成年にお酒飲ませたってバレたら、お姉さんちょっと困りますね~」
三年生たちと紫木姉がそんな攻防をしている間に、高木が僕のところへ来た。
「Yo~俺らと一緒に座る?」
俺らって、望月と加藤か?
「いいよ。」
「Oh~そんな暗い顔すんなって~別に大したことじゃないだろ~望月とあんなにベンチでイチャイチャしてても、望月先輩、今まで何もしてこなかったじゃん?」
言われてみれば……抽選会の日も、望月先輩はめちゃくちゃ怒ってるように見えたけど、実際は地面に押さえつけられて、拳で何回か軽く小突かれただけだった。どちらかというと、じゃれてただけ……なのか?
でも怖いものは怖い。風も前に言ってたし。望月先輩は妹をかなり大事にしていて、松谷先輩と殴り合いになったことまであるとか。
結局、誰かがスマホで飲酒しているところを隠し撮りするのを防ぐため、松谷先輩は元キャプテンの権力を乱用し、全員にスマホを提出させた。
いや、本当に許可したのか、紫木琉香?通報するよ?
僕の考えを察知したみたいに、紫木姉が振り返ってウインクして、少しだけ舌まで出してきた。
可愛いけど、姉さんの親友だからか、別に何とも思わない。
まあ、嘘だ。あんな美人なんだからな。
酒が入ったことで、普段から仲が良くて騒がしい三年生たちは、さらにひどいことになった。店中が、楽しくて仕方がないという空気に満ちていた。
全員のスマホを没収したくせに、酒を飲んでいるのは三年生だけ、一、二年生には飲ませない。勝手すぎるだろ。
「三年間耐えて、やっと夏の甲子園だぞ!最高!」
「最後の最後で、ようやく行けた……」
「何泣いてんだよ大輔。行ったことないわけじゃないだろ。」
「風が最後に劇場始めるから、マジで死ぬかと思った。」
「いや、僕一応金垣から二回三振取ったんだけど。」
「そうだな。ホームランも一本打たれたけど。」
「秋本!」
「ていうか黎明、絶対俺ら怖くてわざと負けたんだって!」
そんなふうに、みんなが野球の話で盛り上がっているのを眺めていると、 僕も少しだけ、この人たちと一緒にグラウンドで汗を流してみたいと思った。
でも、もうその機会はない。
「羽冬、どうしたの?何か考え事ですか?」
向かいに座っている望月が尋ねてきた。隣じゃないのは、先輩たちにまた変なことを言われるのが怖かったから、僕が高木を隣に座らせたせいだ。
「ああ……まだちょっと、望月先輩に何かされるんじゃないかって怖くて……はは……」
「もう、兄さん何もしないって。」
「本当?」
望月は、いつものように人差し指を口元へ当て、視線を斜め上へ向けて少し考えた。
「たぶん……ね?」
もっと自信持って言えよ!
普段ならこういう時、加藤も一言か二言くらい僕を刺してくるはずなのに、 今日はただ静かに座っていた。
「おい後輩!後輩!ちょっと来い!」
ついに来たか……椎名先輩に呼ばれ、僕は手元のグラスを持って先輩たちのテーブルへ向かった。
あれ?手、震えてる? 僕、本当に怖がってるのか?
「ほらほら、座れ。」
望月先輩の正面だけ、一席空いていて、僕は恐る恐る腰を下ろした。手だけじゃない。脚まで震えてる。こ、これが恐怖ってものか……
「せ、先輩。何かご用ですか?」
いつの間にか、全員が僕と望月先輩を中心に取り囲んでいた。会話も止まっている。
今の沈黙が、みんな僕らの話をちゃんと聞こうとしているからなのか、それとも望月先輩の殺気に圧倒されているのか、もう分からない。
「聞いたんだけどさ。」
望月先輩は、平坦な、ほとんど感情のない声で尋ねた。
「奏音のこと、狙ってるんだって?」
「ち、違います……」
望月先輩は手元のビールを持ち上げ、一口だけ飲んだ。
「別にさ、お前が奏音を狙うこと自体は、俺は何とも思わない。それはお前ら二人の話だから。」
「ただ、一つだけ覚えとけ。奏音に本気なら、ちゃんと大事にしろ。それさえ覚えてるなら、俺からは何も言わない。」
「おお~~~~?」
言い終わった瞬間、周りから、疑問と冷やかしの入り混じった声が一斉に上がった。
「何だよ?本当だろ。妹が幸せになれるなら、俺が邪魔する理由なんてないし。」
……今、どういう状況?お義父さんが未来の婿を面接してるの?
いや先輩。望月、彼氏いるんですけど。僕、そんな気起こすつもりないんですけど!
「俺からはそれだけ。羽冬。いいか?」
名前を呼ぶ時だけ、少しだけ声を強めたように聞こえた。
「わ、わかりました。せ、先輩。ぼ、僕から一杯……」
震える手でグラスを持ち上げ、望月先輩のビール缶へ軽くぶつけた。
頭では普通に考えられているのに、身体だけは完全に別物だった。どうやら抽選会の日に受けた望月先輩の教育は、すでに僕の筋肉細胞まで染み込んでいるらしい。
笑い声と騒ぎ声の中、僕と高木たちは席へ戻った。
「いいじゃん~先輩公認で望月と付き合えるぞ~」
「高木くん!変なこと言わないで~羽冬、大丈夫?」
「ふぅ……」
僕は長く息を吐いた。
「たぶん……な……」
やがてみんなが次々と帰っていき、内に僕と紫木姉しか残らなくなっても、僕はまだ頭の中を整理できていなかった。身体の震えも、完全には止まっていない。
僕は今日、いったい何を経験したんだ……




