終章:真夏の眩耀と、黄金の君
事件から数週間が過ぎた。
灼熱の季節は少しずつ落ち着きを見せはじめ、空の青さにはわずかに秋の気配が混じり始めていた。
だが、王立調合院の庭園だけは違っていた。
そこには、眩しいほどの陽光を全身に浴びて黄金色に咲き誇る、一面のひまわり畑が広がっていた。
公爵の呪いが解けたあの日、レナの秘薬から溢れ出た光が庭園全体に伝播し、枯れかけていた苗が一夜にして一斉に大輪の花を咲かせたのだ。
「レナ。またここで調合の準備か?」
低い、けれどどこまでも温かい声がレナの背後からかかった。
振り返ると、そこには美しい漆黒の礼服を纏ったジルが立っていた。
かつての氷のような冷徹さは消え去り、その整った顔立ちには穏やかな微笑みが浮かんでいる。彼の手は、今ではレナよりも温かいほどだった。
「ジル様! はい、ここで採れるひまわりの花弁は、太陽の熱をたっぷり含んでいて素晴らしい薬効があるんです。今日はこちらのオイルを、北の領地の病院へ届ける分としてまとめようかと」
「相変わらず忙しいな。……だが、あまり無理はするなよ。私の命の恩人が倒れてしまっては元も子もない」
ジルはレナの隣に腰を下ろすと、自然な動作で彼女の指先をそっとすくい上げ、包み込むように握りしめた。
レナの頬がぽっと赤くなる。
「もう……私なら大丈夫です。それに、命の恩人だなんて。私はただ……あなたに笑っていてほしかっただけですから」
「お前のその手が、私に生きる意味をくれたんだ」
ジルは真摯な瞳でレナを見つめた。
呪いが完全に解けたことで、ジルの体内の魔力暴走は収まり、彼の本来の強力な騎士としての力が取り戻された。
また、魔力を持たない薬草調合で公爵の呪いを解いたレナの功績は城中で称えられ、これまで彼女を「落第生」と見下していた錬金術師たちも、今や一目置くようになっていた。
何より、レナの手による調合薬は「魔法を使わないからこそ、副作用がなく誰の体にも優しく馴染む」として、国中で重宝されるようになったのだ。
「レナ。明日、私は北のヴァルハイト領へ戻ることになった」
ジルの言葉に、レナの胸が小さく跳ねた。
分かっていたことだ。彼は領地を守る公爵であり、呪いが解けた以上、ずっとこの王都の離宮に留まるわけにはいかない。
「……そうですか。寂しくなりますね」
レナは努めて明るく笑おうとしたが、寂しさを隠しきれず、伏せた睫毛がかすかに震えた。
そんな彼女の顎を、ジルが優しい手つきでそっと持ち上げた。
「勘違いしないでくれ。一人で帰るつもりはない」
「え……?」
「レナ。お前を私の公爵夫人として、北の地へ連れていきたい」
直球すぎる言葉に、レナは目を丸くした。
「ふ、夫人……っ!? け、結婚ですか!? ですが、私はただの平民で、調合師で……っ」
「身分などどうでもいい。私を極寒の絶望から救い出し、心に熱を灯してくれたのはお前だ。お前のいない人生など、私には再び凍てつく冬に戻るようなものだ」
ジルはひざまずくと、黄金のひまわりが一輪飾られた、小さな銀のリングを取り出した。
そして、レナの手のひらに優しく口づけを落とす。
「私の太陽になってくれないか、レナ。一生、お前の隣で、その温もりを感じていたい」
まぶしい日差しの中、彼の蒼い瞳には、世界で一番愛おしい者を見るような深い光が宿っていた。
レナの目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
魔法が使えず、自分の存在価値すら見失いそうになっていた自分。そんな自分を必要とし、心の底から愛してくれる人がここにいる。
「はい……! はい、ジル様……! 私でよければ……ずっとお側にいさせてください!」
レナが頷いた瞬間、ジルは愛おしそうに彼女を強く抱きしめた。
二人の頭上には、どこまでも高く澄み渡る真夏の青空。
そして周囲には、太陽に向かって咲き誇る大輪のひまわりたちが、祝福するように黄金の風に揺れていた。
かつて凍てついていた彼の世界を照らし、永遠の温もりを与えたのは——
まばゆい真夏の太陽と、その光をいっぱいに浴びて輝く、世界で最も気高き**真夏の眩耀と、黄金の君**だった。
(完)




